裕子と背伸び
「うそよ」
「えっ」
母が振り返ると、玄関とは反対の廊下に裕子が立っていた。
「全部うそよ、ママ。なによ、天上からの使者って。そんなバカバカしい話、あるわけないじゃない」
「裕子……」
「心配そうな顔をしたママをみて、ちょっとイタズラしてみたくなったの。ごめんね、マ――」
母はとつぜんしゃがみこむと、裕子をきつく抱きしめた。
「よかった……。ママ、裕子が急にいなくなったらと思うといてもたってもいられなくて、毎日不安だったのよ。もしかしたら、何かがとりついたんじゃないかって、心は全く別の人になってしまったんじゃないかって……冗談みたいだけど、本気で心配したのよ……」
泣き出す母。
「ママ……」
「裕子はママの子よね? なら、もうどこにも行かないって約束して。ね……?」
「――うん、分かった。絶対どこにもいかないから。ごめんなさい、ママ。泣かないで……」
「裕子……裕子……」
しばらく続く嗚咽。
「……お夕飯つくらないとね。パパが帰ってきちゃうわ」
宿題は先にすませておきなさい、と母はいつもより優しく云った。だまってうなずく裕子。
母がキッチンに向かう。廊下には、裕子一人だけになる。
(……私って、そんなに大人びているかしら)
裕子はつぶやいた。
(周りのクラスメートが子どもっぽ過ぎるのよ。冷静になって考えてみればいいのに、みんな欲に負けて愚かな行動ばかり繰り返してる。でもこんなこと言ったって、いままで誰にも通じなかった。『裕子ちゃん、背伸びしすぎ』って言われて。そんなつもりは少しもないのに……。だからいつも、私はみんなにあわせて子どもっぽいフリをしているの。でも――そろそろ限界だわ)
裕子は悩ましげにため息をついた。
(ああ、早く大人になりたい……。中学も高校もすっとばして、さっさと社会に出たいわ。あと十年も子どもらしくふるまわなければいけないなんて、耐えられない。私は一体、どうしたらいいんだろう。だれか教えてほしい――)
裕子はリビングに戻っていく。小学生には似合わない、諦めと憂いをたたえた表情のまま。