裕子と天上からの使者
リビングにいる母と小学生の娘。
「裕子」
「なに?」
「正直に答えてね。裕子、いま何か悩み事とか、ない?」
「なやみごと?」
「ええ。学校のこととか、友達のこととか。うまくいってる?」
「うん。先生は優しいし、友達もみんないい人ばっかりだよ」
「そう……。ママやパパにも、気に入らないこととかない?」
「うん……ママ、どうしたの。何かあったの?」
「裕子、最近ママとお話してると、急に大人びた話し方になるときがあるから、どうしたのかなと思って心配なのよ」
「?」
「覚えてない? ほら昨日も、最初はスマホがほしいって言ってたのに、急にまじめな顔になって『いらない』って。そのあと、脅迫観念がどう、って……。ママ、裕子が別人になったみたいで、怖かったのよ」
「――フフ」
「裕子?」
「何の話かと思ったら、そんなこと……。私にとっては、たいした話ではないわ」
「ゆ、裕子……」
「そうよ。ママの言った通り、いまの私は別人。違う人格なの。この世界をより良く、より平和なものにするために、神様が遣わした天上からの使者。それが私」
「な、なにを言ってるの、裕子……?」
「この世にはびこる偽りの平和を正し、本当にこころから安心して暮らせる世界に人々を導くのが、私に与えられた使命なの。これまでママの一人娘として振る舞ってきたけれど、どうやら今日でそれも終わりみたいね」
「終わりって、どういうことなの――。正気に戻って、裕子!」
「日本にいると忘れそうになるけれど、世界はまだまだ平和とはいえないわ。私には聞こえる。毎日苦しんでいる人達の嘆き悲しむ声が。アジア、アフリカ、南米……世界中の人々が、私を待っている。――行かなければ」
「裕子!」
「ごめんね、ママ。今までありがとう。ママと一緒に暮らせて、楽しかったわ。パパにもよろしくね」
「うそ――うそよね、裕子? 行っちゃだめよ。行かないで、裕子!」
「さよなら、ママ」
リビングから出ていく裕子。
「待って、裕子!」
それを追いかける母。リビングから玄関に出る。
でも、そこにはもう、裕子の姿はなかった。
「裕子……裕子ーー!!」