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「好き」って百回言うよりも──「それもう、好きとかいう次元ちゃうやん」

掲載日:2026/06/21

前回は、一方的に想い続ける男たちの話でした。


誰かを好きになること。

誰かを大切に思うこと。

その形は、人によってずいぶん違うのかもしれません。


今回は、そんな前の話を書いた後で思いついた、そんなお話です。(*人´ω`*)<6/23に、こっそりと視点を追加してみました!(笑)


 午後一時、オフィス街の片隅にある定食屋。


営業部の結衣は、運ばれてきた焼き魚定食には目もくれず、タブレットの会議資料をスクロールしていた。


午前中に新人がやらかした案件をリカバーし、顧客との条件交渉をまとめ、ついでに部長の無茶振りまで片付けてきた。 


スーツの襟元は微塵も乱れていない。


向かいの席で、後輩の美咲が大きく息を吐きながら箸を持った。


「先輩、昼休みですよ? それ仕事じゃないですよね……」


「午後一のプレゼン資料に、一ヵ所違和感がある。今直しておかないと午後のタイムラインが狂う」


「無双するのもいい加減にしてください。……あ、そういえば、彼氏さん元気ですか?」


結衣の指が、画面の上でぴたりと止まった。


「元気だと思う」

「確認してないんですか」


「昨日、二十一時四十五分に会ったから」

「ディテールが細かいですね。じゃあ元気なんですね」


「今月は彼の職場の繁忙期」


結衣はタブレットを伏せ、ようやく箸を取り上げる。


「先週から残業が平均二時間半増えてる。特に火曜日は二十一時過ぎまでオフィスにいたみたいだから、今朝はタウリン三千ミリグラム配合のドリンクを鞄に入れておいた」


「……なんでそんなこと知ってるんですか」


「一日の終わりに『今終わった』って連絡が来る。その時間を一週間分プロットすれば、彼の疲労蓄積度の推移は計算できる。昨日の夜、彼の部屋の冷蔵庫を見たら炭水化物に偏っていたから、直近の野菜不足は確実」


「よ、夜に冷蔵庫チェック……?」


「来週は彼の会社の健康診断がある。去年の結果を見せてもらったけれど、血圧の数値に対して今の稼働はリスクが高い。体重も前月比で一・八キロ減ってる。これ以上の代謝低下は免疫に響く」


美咲は、あんぐりと口を開けたまま、箸を止めていた。


結衣は至って平然と、綺麗に骨を避けながら鯖の身を口に運ぶ。


いつもの、完璧なスケジュール管理を語る時のトーンだった。


「先輩」

「何」

「それ、普通じゃないです」

「何が? 健康管理はリスクマネジメントの基本」

「全部です。同僚のシフト管理じゃないんですよ?」


結衣はわずかに眉をひそめた。


本気で意味が分からない、という顔だった。


美咲はトレイの端に箸を置き、指を折り始める。


「直近の残業時間を把握してる」

「うん」


「食生活の栄養バランスを計算してる」

「当然でしょう」


「一年前の健康診断の数値を暗記してる」

「データだから」


「体重の一の位どころか小数点以下まで覚えてる」

「推移を見るには必要」


「……先輩、彼氏さんのこと……好きなんですよね?」


結衣は美咲の目を真っ直ぐに見返した。


「当たり前でしょう」


迷いのない即答だった。


だが、その声には熱がなかった。


「一時間は六十分である」とでも言うような、普遍的な事実を口にするだけの声音。


美咲はこめかみを指で押さえ、深く、重いため息をつく。


「先輩、最後に『好き』って言葉にしたの、いつですか」

「……必要性を感じない」


「必要です」

「なぜ。私は行動で彼の生活と健康の最適化を示している。リソースの割き方を見れば、優先順位がどこにあるかは明白でしょう」


「受け取る側は不安になるんです! そういう曖昧な情緒で動くのが人間なんです!」


美咲の声が少し大きくなり、隣のテーブルの会社員がちらりとこちらを見た。


結衣は箸を持ったまま、微かに目を見張る。


「……そういうものなの?」


「そういうものです。言葉がないと、ただの精密な管理マシーンに愛されてる気がして怖くなります」


「理解できない。彼は不満を口にしたことはない」

「あの優しい彼氏さんだから耐えられてるんですよ。先輩が特殊なんです」


結衣は納得いかない表情で、鯖の皮を綺麗に剥がした。


だが、ふと、先月の週末の記憶が脳裏をよぎる。


昼下がりのリビングで、ソファに座った拓也が、自分の大きな手を見つめながらぽつりと言ったのだ。


『なぁ結衣、俺って冷たい男に見える?』


唐突な質問だった。


──彼の体温は平熱で、脈拍も安定していた。


他者に対する態度も極めて誠実だ。


冷たい要素など、どこにも見当たらなかった。


だから結衣は、パソコンの画面から目を離さずに答えた。


『別に』


――あれは質問ではなく、確認だった?


あの時の、拓也の少しだけ寂しそうな、それでいて諦めたような笑い顔。


美咲がふと、結衣の鞄から覗く財布に目を留めた。


「あれ、先輩。その財布」


結衣は視線だけ落とした。


「誕生日にもらった」


「限定モデルですよね、それ」

「今は廃盤らしい」


「えっ」

「一年前から型番を控えていて、生産在庫を探したそうだ」


美咲は数秒沈黙した。


「先輩」

「何」


「彼氏さんも、だいぶ重いですね」

「そう?」


「そうです」


美咲が呆れたように、お茶をすすりながら言った。


「じゃあ先輩、質問変えますね。彼氏さんの誕生日は?」

「十一月二十三日」


「血液型は?」

「A型」


「靴のサイズ」

「二十七センチ。ただしメーカーによっては二十六・五」


「好きなアイス」

「雪見だいふく」


「嫌いな食べ物」

「セロリ。スープに溶けていれば許容する」


「好きな映画の傾向」

「アクション。ただし派手なだけのハリウッド系より、香港映画の殺陣を好む」


「初デートの場所と日付」

「三年前の五月十四日。駅前のシネマコンプレックス」


「告白された場所」

「駅裏の第二公園。時計台の前。午後八時十二分」


美咲は静かにお茶の湯呑みを置いた。


浅はかな恋愛感情を置き去りにした、遙かに超越したデータベースが、そこにはあった。


美咲は一切の冗談を排した真顔で、結衣を見つめる。


「先輩」

「何」


「それ、仕事よりコスト割いてますよ」

「してない。私の第一優先は常に会社の売上」


「してます。たまに自分の体調管理は忘れるのに、初デートの時間まで覚えてるじゃないですか」

「データのインプット精度が高いだけ」


結衣は反論した。


けれど、自分の胸の奥の、普段は使わないはずの領域が、ほんの少しだけ収縮するような奇妙な感覚があった。


「……でも私、仕事が好きだし。恋愛なんて、人生のオプションだと思ってる」


「……先輩」


美咲は天井を見上げ、そして最後に、哀れむような目で結衣を見た。


「自覚がないって、本当に恐ろしいですね。……彼氏さん、今頃胃に穴が開きそうなほど悩んでますよ、絶対」

「………」


結衣はそれには答えず、冷めかけた味噌汁を口にした。


仕事は好きだ。


数字は裏切らないし、成果は目に見える。恋愛のように不確定で、効率の悪い感情のやり取りは、本来の自分の性分には合わない。


それなのに。


なぜ自分は、一年前の彼の採血データを覚えているのだろう。


なぜ、彼が何気なく口にした映画の好みを、脳内のフォルダから消去せずに残しているのだろう。


──タブレットの画面に、新着の通知が表示された。


拓也のアイコンだった。


『今日の夜、いつもの駅前の喫茶店、空いてたりする?』


結衣は無意識に、午後のスケジュールを脳内で再構築し始めた。


あの案件を繰り上げ、会議を巻きで終わらせれば、十八時にはオフィスを出られる。


「先輩、プレゼン資料直すんですよね」


美咲の声に、結衣はタブレットを鞄に仕舞いながら立ち上がった。


「数字の修正は終わった。行くよ」

「え、まだお昼休憩、十分残ってますけど」

「午後のタスクを十五分前倒しする」


お釣りを受け取る美咲を置いて、結衣は先に店の外へ出た。


初夏の風が、スーツのジャケットを揺らす。


スマートフォンの画面を見つめ、結衣は短い返信を打ち込んだ。


『十八時三十分なら、空いてる』


送信。


三秒後。


結衣はもうスマートフォンの画面を見ていた。


返信が来ないとは思っていない。


来る。


今まで一度も来なかったことはない。


返信が来るまでの平均時間は二分三十秒前後だったはずだ。


なのに、なぜか自分の三秒が長い。


その事実に気づいて、結衣は少しだけ眉をひそめた。


理解できない。


仕事のメールですら、こんなふうに待ったことはないのに。



◇◇◇



「──で、結局どうしたらええん?」


コーヒーカップを両手で包むように持ちながら、拓也は情けないほど眉を下げた。


向かいの席に座る真紀は、わざとらしいほど大きなため息をつく。


「その質問、今日だけで三回目やで」

「だって分からんねん」


「何が」

「愛情の伝え方」


真紀は思わず吹き出した。


「小学生か」

「真面目や。こっちは真剣に悩んでんねん」

「はいはい」


日曜の夕方。


駅前の寂れた喫茶店は人もまばらで、窓から差し込む西日がテーブルの上の琥珀色を橙色に染めていた。


拓也は冷めかけたコーヒーを一口飲んでから、ぽつりと言った。


「『好き』って言葉にするんも、なんか照れるしな」

「言うたらええやん、そんなん」

「無理や。ガラやない」

「なんで。口ついてるやろ」

「無理なもんは無理やねん」

「子供か」


また笑う。


昔からこうだった。


拓也は恋愛経験が少ないくせに、いざ誰かを好きになると、バカがつくほど真面目に、そして的外れに悩み出す。


「彼女さん、何か不満でも言うてたん?」

「いや、そういうわけやないけど……」


「じゃあ何が不安なん」

「俺の気持ち、ちゃんと伝わってるんかなと思って。冷たい奴って思われてへんかなって」


真紀は背もたれに体重を預け、少し首を傾げた。


「ちなみにやけど、あんた先週彼女が風邪ひいた時どうしたん」

「仕事終わってから、ポカリとゼリー買ってマンションまで届けた」


「ふーん。その前の日は?」

「なんか『明日熱出そう』ってライン来たから、消化に良さそうなもん買い込んで、ドアノブにかけといた」

「ほう」


真紀は自分のカップに手を伸ばす。


「じゃあ、誕生日は?」

「前から欲しがってた財布」

「よくブランドとか分かったな」

「いや、一年前になんか雑誌見て『これ可愛い』って言うてたから、型番控えててん」


「一年前?」

「せやけど」


真紀は思わず天井を見上げた。


なんやこいつ。


「……髪切った時とかは?」

「そら分かるやろ。前髪1センチ切っただけでも分かる」


「機嫌悪い時は?」

「ラインの文末が『。』だけになるからすぐ分かる」


「無理して笑ってる時は?」

「目が笑ってへんから、そういう時はしんどい証拠」


「好きな食べ物は?」

「オムライス。でもケチャップ多めじゃないと嫌がる」


「行きたい場所は?」

「二ヶ月前に『水族館行きたい』って言うてたから、来週のチケットもう取ってある」


こつん、と真紀は少し強めにカップを置いた。


「なあ」

「なんや、急に怖い顔して」


「あんた、何を相談しにきたん?」

「え?」

「十分すぎるやろ」


「でも、好きって言葉では言うてへんし。女の人って、そういう分かりやすい言葉が一番大事なんちゃうん?」


「そら、言われたら嬉しいで」


真紀は自嘲気味に、少しだけ笑う。


「傷つきたくないからな、みんな。でも、女かてアホちゃうねん」

「失礼な。アホやなんて思てへんわ」


「ええから聞け」


拓也は口を紡んだ。


真紀は窓の外、家路を急ぐ人々の群れに視線を向けながら言葉を繋ぐ。


「『好き』って百回言う男よりな、熱出した日に黙ってポカリ届けてくれる男の方が、よっぽど信用できる」

「……」


「『可愛い』って連呼する男より、一年前にポロッと言った欲しいもん覚えてる男の方が、ずっと愛されてるなって実感できるねん」

「そうなんか……?」


「そうや。言葉なんか、その気になればいくらでも嘘つける。でもな、行動は嘘つけへん。あんたがやってるんは、全部彼女をちゃんと見てる証拠やんか」


拓也は目を伏せ、自分の大きな手をじっと見つめた。


「人ってな、言葉で恋に落ちるかもしれへん。でも、大事にされてるっていう安心感は、そういう毎日のめんどくさい積み重ねでしか作られへんねん。あんたはもう、言葉以上の合格点たたき出してんの」


拓也はしばらく黙っていたが、やがて憑き物が落ちたように、小さく笑った。


「そういうもんか」

「そういうもんや」


「難しいな、恋愛って」

「いや、あんたにとっては一番簡単やろ」


「なんでや」

「自分で考え」

「雑やな」

「うるさい」


拓也は不満そうに眉を寄せた。


けれどその顔は、少し前までみたいな不安そうな顔ではなかった。


その顔を見ていると、ずいぶん昔のことを思い出した。


──「好き」だけは何度も言うくせに、約束は忘れる人やった。


泣いても気づかへん人やった。


会いたい言うくせに、会う時間は作ってくれへん人やった。


手を繋ぐのも、向こうの機嫌次第やった。


今となっては顔も曖昧や。


名前すら、もうどうでもええ。


それやのに。


好きと言えへんくせに、一年前の会話を覚えている。


会いたいと言わへんくせに、相手が熱を出せば飛んでいく。


安心させる言葉は苦手なくせに、安心できる行動ばかりする。


ほんま不器用やな。


「……あんた、それもう好きとかいう次元ちゃうやん」

「は?」


真紀は少しだけ笑った。


「彼女さん、幸せ者やなぁ」


拓也はきょとんとした顔で瞬きをする。


「なんや急に」


真紀は立ち上がると、拓也の背中をバンと叩いた。


「ええから帰れ」


「いった!」


大きな背中だった。


叩いた手のひらが、じんと痺れた。



✦✦✦✦✦✦


──伝票を持って席を立ち、会計を済ませて店の外に出る。


夕暮れの風が、すっと頬を撫でた。


自動ドアの脇に、女が一人立っていた。


タイトスカートにシャツ、まっすぐな姿勢。


中の様子を窺うように、ガラスの向こうへ視線を固定していたが、店に入るでもなく、ただ立ち尽くしている。


──ああ、これか。


自分と、その奥に配られる視線。


真紀は一目で分かった。


「彼女さん?」


声をかけると、女は驚いたように肩を震わせた。


「……あなたは」

「ただの幼馴染。心配せんでええよ」


女は何も答えず、視線を彷徨わせている。


真紀は小さく笑うと、その肩を軽く一回叩いた。


「行っといで。待ってるで」


それだけ言って、振り返らずに歩き出す。


背後でイスの動く音がして、小さな声が聞こえた。


「……結衣?」


真紀は足を止めず、口元だけで笑った。


似たもの同士やな、ほんま。


──せやから、たぶん大丈夫や。


夕暮れの風は、少しだけ優しかった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。m(_ _)m


結衣は「受信」に不安があり、 拓也は「送信」に不安がある人にしてみました。


案外、人は自分が誰かに与えているものを、自分では分かっていないのかもしれませんね(笑)(*´∀`*)

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― 新着の感想 ―
あはは! 把握しまくりなのが面白かったです! 意外とお似合いかも!( ^∀^)
拝読させていただきました。 いや真紀さん、よくここまでおつきあいしましたね。 「いい加減にしてくれ。この天然無自覚惚気がー」と言われても仕方ないような。 ひょっとするとこの付き合いのよさ、真紀さん、拓…
 愛の反対は無関心とか言うけど、この男、関心高すぎ。逆にこわい。  でも、彼女とのことを他の女に相談するのはどうなのか。一歩間違えば怨嗟を浴びてしまいそうな。  ここまでくると、一歩間違えばストーカー…
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