奥から二番目
いつもの帰り道。
いつも通りの風景。
その日はなんとなく一本路地に入った。
レンガ造りの純喫茶の外観に惹かれて扉を開けると、そこはジャズが流れ、穏やかな店主がいるコーヒー専門店だった。
「お待たせしました。デカフェラテです。」
「いつもありがとうございます。」
私はカップに口をつける。
「美味しい…」
「ありがとうございます。」
マスターは軽く微笑み、また抽出をはじめた。
コーヒーが飲めない私は、初めてお店に入り注文しようとした際、メニューにコーヒーしかなくて戸惑っていた。
その様子に勘付いたのか、マスターはすっと一つのカップを差し出した。
そこには私が想像していた琥珀色の飲み物ではなく、ミルクティーのような優しい茶色い飲み物が注がれていた。
「あっ…、でも…」
注文もしてないのに突然出てきて戸惑っていると
「今度コーヒーが苦手な方向けにと、新商品として出そうと思っていて。よかったら感想聞かせていただけませんか?お代は結構ですので。」
と、言ってくれた。
きっと私がコーヒーを飲まないことに気が付いて、デカフェのラテを作ってくれたんだろう。
その優しさと、マスターの大人な雰囲気に、私は一瞬で惹かれていた。
それから足繁く通うようになり、いつの間にか常連になった。
いつも座るのはカウンターの奥から二番目の席。
その席は目の前にサイフォンがあり、マスターを見つめていても、気づかれることが少ないから。
常連といっても日が浅いので、会話も世間話程度。
何より目が合うと、恥ずかしくて反射的に目を逸らしてしまう。
マスターと私の距離はカウンターの長さよりもずっと遠かった。
いつものように会社帰りに喫茶店の扉を開けると、マスターと親しげに話している女性がいた。
しかもその女性が座っているのは、私がいつも座る奥から二番目の席。
彼女はスラリと背が高く、モデルのようなスタイルで、大人っぽく、何よりブラックコーヒーを飲んでいた。
何もかもが私と正反対。
マスターが私に気付き、声をかけようとしたが、私は何も言えず、店を後にした。
それから何日もお店には行けず、家でミルクティーばかり飲んでいた。
どこかでコーヒーを見るたびに、あの日の二人の光景が脳裏をよぎり、落ち込む日々が続いた。
幸い仕事が忙しくなり、帰宅時間には喫茶店が閉まってるので気も紛れた。
そんな日々が続いた帰り道、疲れからかボーッとしながら歩いていたら気がつくとあの純喫茶の前にいた。
「えっ!?」
周りをキョロキョロ見回し、踵を返そうとしたその時、違和感を感じた。
もう閉店時間のはずなのに灯りがついている。
不思議に思い、ドアノブに手をかけると、カチャッと音がして、扉が開いた。
その先には、私がいつも座る席にマスターが寂しそうな顔でコーヒーを飲んでいる。
その光景を見て、自分の鼓動が高鳴る音が周囲を包み、私は扉の前から動かなかった。
カップを伏し目がちに見つめていたマスターが私に気づいて、耳まで真っ赤にして顔を背ける。
私は意を決して
「…どうして、そこに?」と、尋ねた。
マスターは私に背を向けたまま、赤らんだ顔を手で覆い隠しながら
「ずっと来なくて寂しかった」
と、思わず零れた。
そう言うとマスターはハッと何かに気付き、取り繕うように頭をポリポリ掻きながら、
「体調を崩したのかと思いました。最近寒くなってきたので…」
「あっ、いや…。仕事が忙しくて…。」
「そうなんだ…。よかった。」
そう言うと顔を赤らめたまま立ち上がり、二人分のデカフェを淹れ始めた。
そして私をいつもの席に座らせて、マスターはその隣に座る。
「どうぞ」と差し出され、お互い一口飲み、目が合う。
するとマスターが
「お客様とマスターとしてではなく、一人の男として貴方のことを教えてください。
…本当は何が好きですか?」
私はクスッと笑い、
「ミルクティーです。」と、答えた。




