異世界から来た少女と悪役令嬢の隠された役割
王城の謁見の間は、重厚な静けさに満ちていた。
壁には歴代国王の肖像画が並び、厳しい視線でこの場を見下ろしている。床に敷かれた深紅の絨毯は、足音を吸い込み、まるでこの場が神聖な裁きの場であることを強調するかのようだった。
今宵、国王ローランドの命により、最小限の人間だけが謁見の間に集められていた。王太子ユリウス・エレンディル、その婚約者であるローゼン侯爵令嬢ソフィア・ローゼン、ソフィアの父であるローゼン侯爵ガルド、そして異世界から現れた黒髪の少女ミユである。
ユリウスは金髪を優雅に流し、碧眼を輝かせて玉座の前に立っていた。
胸を張り、自信に満ちた笑みを浮かべている。その腕に、ミユがしがみついていた。
彼女はこの国では極めて珍しい漆黒の髪をなびかせ、黒曜石のように深い瞳を潤ませている。細く華奢な体躯は、まるで守ってあげたくなる小動物のようだった。その姿が謁見の間の荘厳な空気の中で異質に映えている。
「ユリウス様……!」
ミユの声が、静かな謁見の間に響いた。涙目で震える唇。
「わ、私…ソフィア様に……ずっと酷いことをされてたんです。違う世界から来た私を、ただの『大した能力もない珍しいだけの黒髪の田舎娘』だってバカにされて……。お茶会では私の前でわざと『黒髪なんて不吉の象徴だから消毒が必要』って言われて紅茶をわざと頭にかけられました。私の持ってきたわずかな持ち物も『異世界の安物ね』と散々貶されて……」
泣いてる彼女の姿は悲劇のヒロインそのものだった。
ソフィアは金色の髪を優雅にまとめ、赤いドレスを纏っていた。凛とした青い瞳で静かに立ち、一切の動揺を見せないその姿は、周囲の誰もが息を飲むほど美しい。今はただ黙ってユリウス殿下の言葉を待つばかりだった。
ユリウス殿下は眉を吊り上げ、ソフィアを鋭く睨みつけた。
「ソフィア! お前はミユを侮辱した罪は重い。古くから伝わる伝承があるだろう——異世界から黒髪の少女が現れた時、国は大いなる繁栄を迎えると! それを妬みか?彼女を傷つけるなど、到底許されるべきではない! 父上、どうかこの婚約を破棄するお許しを!」
謁見の間にユリウスの声が響き渡る。
ソフィアは静かに一歩前へ出た。表情は凛として全く揺るがない。
「私はソフィア様をいじめた覚えはありませんが……殿下のご判断に従います。」
声に動揺は一切ない。
――ソフィアの父ガルドも、すぐ傍で静かに頷いた。
「侯爵家としても、国王陛下のご判断に従います。娘の不徳の致すところですので。」
ユリウスは満足げに頷き、ミユの肩を抱き寄せた。
「ミユを傷つけた罪は重い。ソフィアは『厳戒の修道院・シルヴァーナ』送りとする!……本来なら国外追放だが、ミユの訴えによりシルヴァーナ行きに留める。あの修道院は山奥にあり、厳しい戒律と祈りの日々が続く場所だ。そこで一生、己の罪を反省するように。」
王の発言を待つことなく話をどんどんと進めていく様子に、謁見の間の空気が一層重く張りつめた。
ミユは涙を拭い、控えめに微笑んだ。
「ソフィア様……急に現れた私を認めるのは難しいですよね。きっと心の整理がつかなくて、つい厳しい言葉が出てしまったのでしょう。どうか反省なさってくださいね。」
その様子を見て、ローランド国王は玉座からゆっくりと立ち上がり、深いため息を一つ吐いた。
しかし、声は堂々と響いた。
「全て認めよう。ソフィアの処罰および婚約破棄、ミユの婚約成立とする。」
ソフィアの父親の立場であるガルドも納得したようにゆっくりと頷き、彼女は冷静にその言葉を受け止め表情一つ変えずに立っていた。
ユリウスは喜びを隠しきれず、声を弾ませた。
「ありがとうございます、父上! これでミユと私は正式に結ばれました。二人でこの国を繁栄へ導いてまいります!」
と周りの様子など、まるで見えていないようだった。
ユリウスはミユを抱き寄せ、満足げに微笑みながら
「ようやく僕たちは結ばれたね。誰も邪魔できないよ」
と優しく囁きミユも恥ずかしそうに頰を赤らめて彼の胸に寄り添った。
二人はまるで既に夫婦のように親密な様子で、謁見の間の緊張など意に介していないようだった。
ソフィアはただ黙ってその様子を見つめ、侯爵は静かに目を細めていた。
その瞬間――。ローランド国王が、重いため息をもう一度吐いた。
「ユリウス。」
声は低く、しかし全員に届いた。
「お前を廃嫡とする。」
ユリウスは凍りついた。
それと同時にミユがユリウス殿下の腕からするりと離れる。
その瞳はさっきまでの涙目とは別人のように冷めている。ソフィアも呆れたような目でユリウスを見つめている。
ユリウスは目を丸くし、慌てて声を上げた。
「父上……!? 何を言われるのですか!? 今、ミユとの婚約が成立したばかりでは……! 突然そんな……どうして……!」
驚きと焦りが顔に張り付き、いつもの自信たっぷりの表情が崩れ落ちていた。
国王はゆっくりと玉座に腰を下ろし、静かに語り始めた。
「本当の伝承を聞かせよう。『異世界から黒髪の少女が現れた時、王太子が暴挙に出た場合、国は滅びの道を辿る。王家は国を守るための適切な行動をせよ。』だ。」
ユリウスの顔が青ざめた。
「そんな伝承……私は知りません……!」
国王は静かに首を振った。
「伝えたら意味がないであろう。これは王になる資格があるためか見るためでもある。そして王太子が正式に即位したときに、初めて父王からこの伝承を聞くよう定められている。ローゼン侯爵家にはミユが現れた時に伝えておいた。お前にも物事を冷静に見るようにと何度も伝えたはずだ。」
侯爵が重々しく口を開いた。
「正直、最初は半信半疑でした。しかし……王太子殿下のこの暴挙を見ては、信じざるを得ませんでした。まさか本当に独断でここまでやるとは……」
ソフィアが小さく頷いた。
ミユは、すでにユリウスから完全に距離を置き、冷たい視線を向けていた。
ミユが口を開いた。
「さてと…これで私の役割は達成しました!約束通り、きちんと元の世界に帰れるように手配してくださいね。」
国王は穏やかに頷いた。
「茶番に付き合わせてすまなかったな、ミユ。よくやってくれた。帰還の手配はすでに整えてある。そして約束通りこの指輪を渡そう」
それは銀色の細いリング。王家に古くから、幻想的な光を放つ指輪だった。表面に刻まれた微かなルーンが、淡い輝きを帯びている。
「前にも話した通り、この指輪はミユに幸運をもたらしてくれるだろう。」
ミユの顔が、パッと明るくなった。
「わあ! これで推しのライブに行ける!もう人気がありすぎてチケットが取れなかったんですよねー。やったー! 最高です!」
彼女は指輪を指に嵌め喜んだ。可愛らしい笑顔が先ほどの冷たい表情とのギャップで、謁見の間をさらに静かにさせた。
ソフィアがミユに近づき静かに声をかけた。
「ユリウスの相手は大変だったでしょ。ごめんなさいね、巻き込んで。」
ユリウスのことは目にくれず、穏やかな声で言った。
侯爵も丁寧に頭を下げた。
「ミユ殿。本当にありがとうございます。侯爵家、そしてこの王国を、危機から救っていただき心より感謝申し上げます。あなたの勇気と賢明さには言葉では表せぬ恩義を感じております。」
ユリウスは震える声でミユに訴えた。
「ミユ……信じられない……君が、そんな……!」
ミユは肩をすくめ、黒い瞳で彼を真っ直ぐに見つめて言った。
「浮気男に惚れる訳がないでしょ。私は一途なタイプが好みなんだよね。ユリウス様みたいな、すぐ他の女に目移りする人は……ちょっと無理。」
そして、彼女は小さく舌を出した。
「あー、キモかった。」
次の瞬間、ミユの体が淡い光に包まれた。
魔法陣が足元に浮かび上がり、異世界への扉が開く。彼女は手を振ると
「じゃあねー、みんな。バイバイ!」
と、軽やかに笑って消えていった。
ユリウスは膝をつき、絶望の叫びを上げた。
「うわあああああっ……!!嘘だぁぁぁ」
国王は静かに命じた。
「ユリウスを幽閉せよ。国の未来のためだ。」
謁見の間は、再び重い静寂に包まれた。
数日後
ローゼン侯爵邸の庭で、ソフィアとガルドは優雅に紅茶を飲んでいた。体を椅子に預け、金髪を穏やかな風に揺らしながら、深い安堵の笑みを浮かべる。庭には色とりどりの花々が咲き乱れ、噴水の水音が静かに響いていた。
ソフィアは小さくため息をついた。
「演技とはいえ、今までの行動は少し疲れましたわね……」
しかしすぐに瞳を輝かせた。
今回の報酬として、昔から密かに慕っていた王弟ディオンと結婚できるようになったからだ。
ディオンは30代半ば、鍛え抜かれた筋肉質の体躯を持ち、落ち着いた大人の深みのある魅力に満ちていた。華奢なユリウスとは正反対の包容力と安定感に溢れる人物である。
誰にも言ってないがソフィアは人生経験の浅い若い男…いわゆる若造よりも、酸いも甘いも噛み分けた大人男性が好み。ディオンはソフィアの好みそのものだった。
ガルドは娘の肩を優しく叩いて褒めた。
「よくやった、ソフィア。お前は侯爵家の誇りだ。」
ソフィアは優雅に微笑んだ。
「国を守るのは侯爵家の人間の勤めですもの。それに王弟殿下と結婚できるなら、何の問題もありませんわ。」
――こうして、「婚約破棄事件」は人知れず幕を閉じた。そして、ソフィアの新しい人生が、静かに、しかし確かに始まったのだった。
謁見の間の出来事から数ヶ月後、国は王太子ユリウスの廃嫡と、既に婚約者のいる第二王子アレクシスを王太子に据え、王弟ディオンとのソフィアの婚約を正式に発表した。
ユリウスは「王家の重責に耐えられず、自ら身を引くことを望んだ」とされ、ミユは「異世界からの客人として使命を果たした後、無事に帰還した」と発表された。幸運なことに国民の間に大きな動揺は起きなかった。
一方、元の世界に戻ったミユは、最初は異世界での出来事に驚きと戸惑いを隠せなかったが、指輪の力で念願の推しのライブチケットを即座に手に入れたことで、すべてが報われた気分になった。
ライブ会場は熱気に満ち、ステージのライトがキラキラと輝いている。
ミユは最前列近くの席で、推しのアイドルが歌い踊る姿を目に焼き付けながら、声を限りに叫んでいた。
「きゃあああ! 最高! 今日もかっこいいよーー!」
手を振り、ペンライトを激しく動かし、周りのファンたちと一体となって盛り上がる。
異世界での暮らしやユリウスに媚を売っていた疲れなど、すっかり吹き飛んでいた。
(やっぱりこの世界が一番! 最前列、神席すぎるっっ!)
彼女の笑顔は、ライブの興奮で輝き、異世界の出来事はもう遠い夢のように感じられていた。
王城の庭園の小道を、ソフィアとディオンは並んでゆっくりと歩いていた。ディオンは穏やかな視線を彼女に向け、静かに尋ねた。
「歳の離れた私で本当にいいのか? もっとふさわしい若い相手がいるのではないかと思うが……」
ソフィアは頰をわずかに赤らめ、はっきりと言った。「昔からあなたをお慕いしておりました。どうか、これからは共に人生を歩んでください。」
ディオンは穏やかに微笑み、彼女を抱き寄せた。その腕は力強く、温かく、ソフィアの心を優しく包み込んだ。
一方、ユリウスは塔の奥深くで、毎日同じように壁にもたれ、遠くの空を眺めていた。異世界からきた黒髪の少女の笑顔が、脳裏に焼きついて離れない。
「ミユ……戻ってきておくれ……ミユ…」
しかし、その声は空しく風に溶けるだけだった。
王国は、異世界から来た少女が去った後も、静かに繁栄を続けていた。伝承は、こうしてまた、次の世代へ受け継がれていくのだろう。




