ソア橋再考 ― 原典に基づく130年後の再検証
シャーロックシリーズの中でも名作とされる「ソア橋」について再検証してみます。目的は再検証であり原典の破壊や登場人物を貶める意図はありません。
ソア橋はシャーロック・ホームズにおいて評価が高い作品です。
加害者の愛憎の深さ、トリックの見事さ、現代ミステリーにインスピレーションを与えた先進性などを考慮すると、評価の高さは頷けます。
僕はホームズ愛読者の一人として、創元推理文庫出版(翻訳:深町眞理子)やグラナダ放送版シャーロックホームズや『シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯』河出文庫出版 などの関連書籍を保有しています。
それらの作品に触れているうちに、僕はある可能性に気付きました。
本作はこの気付きを元に「ソア橋再考 ― 原典に基づく130年後の再検証」をしていきます。
名作を再検証するなど不遜な行為と思われるかもしれませんが、評価については読み終えるまで保留していただけると幸いです。
◇
有名な作品なのであらためて語る点は少ないが、事件を整理する意味で、簡単に触れておきたい。
主要登場人物は三名。
●ニール・ギブスン
殺害されたギブスン夫人の旦那であり、金鉱王として名高い大金持ち。
性格は控えめに表現しても高圧的で、自分の思い通りに物事を進めたがる。ただし時間さえあたえられれば、冷静な判断を下す理性的で知的な一面もある。
野性味と知性が同居する性格ゆえに、人によっては魅力的人物と映るかもしれない。
●ギブスン夫人
ニール・ギブスンの夫人であり、この事件の被害者にして加害者。
ブラジルのマナウス高官の娘という出自を持ち、若い頃は大変魅力的な女性であった。その魅力でニール・ギブスンを虜にして結婚に至る。
『情熱的で極端な性格』とホームズに評されるが、『普段はそれを表に出さない精神的強さを持つ女性』とダンバー嬢は語る。ニール・ギブスンから見ても嫉妬深い女性であるが、この手の人物にありがちな怒りを物にぶつけたり、気を引くために不倫に走ったり、散財するなどの記述が作中一切ない。
誰にも知られずに計画を実行できた要因は、信じがたいほどの忍耐力と不満を表に出さない強さ故であり、計画を仄めかすことすらしなかった可能性がある。
●ダンバー嬢
若く知性にあふれるイギリス人女性家庭教師。
ワトソンによれば『事前に美しい女性だと知っていたが、実際に対面した印象は生涯忘れられない』とまで評されている。『感受性に富んだ顔からは衝動的な行為を犯す可能性を感じるが、その気高さが周囲の者に良い影響を与える』とも記述されている。
ニール・ギブスンは『結婚をしているのでそれだけはできないが、それ以外のすべてを与えて自分のものにしたい』と彼女に告げている。ダンバー嬢には拒絶する強さはあったが、扶養する家族がいるという経済的事情から家庭教師を続けた。
ニール・ギブスンをある意味で精神的に導き、人に配慮して接するように説得したり、慈善事業にも資金を拠出するように勧めたりするなど、時代の先駆けのような一面を持つ女性。
●ホームズ
ニール・ギブスンの依頼を受けて調査を始める。
ダンバー嬢の裁判であるウィンチェスター巡回裁判は二日後に迫っており、検死陪審と警察裁判所の審理でもダンバー嬢は不利な立場に追いこまれている。被疑者ダンバー嬢の人柄に興味はあるが、裁判をひっくり返すのは相当な難事であり報われない仕事、というのが最初の所感。
依頼人であるニール・ギブスンに好意を抱いておらず、必要以上に事実を語ってニール・ギブスンを煽るなど、仕事に対する興味はそれほど高くない。
事件を引き受けた理由を、グラナダ版では『正義のためだ』としている。
僕の想像を加えるならば、ホームズの過剰な煽りに耐えたニール・ギブスン――これは仕事を相手に断らせるためのテクニックな気もしたが――に対するある種の敬意と、あらゆる仮説をひっくり返す要因が『ダンバー嬢の人柄』とニール・ギブスンが断言した点に、ホームズは心を動かされたのかもしれない。
重要な点はホームズには二日しか時間的猶予が無く、日本警察得意のローラー作戦など不可能だったということ。例えば『修道院屋敷※1』で銀食器が隠されたと思われる場所を指定し、調査は警察に丸投げするような手法は採用できない。
ホームズは並べられた事実の解釈をひっくり返すような新事実を、二日以内に探し出すことを求められた。
◇
事件当日の動きを時系列に並べてみよう。
午前中
ダンバー嬢、起床。
衣装タンスの整理を実施したが、このとき凶器とされる銃は確認されなかった。
ダンバー嬢はニール・ギブスンのお子さんと一緒に勉強部屋に入る。
勉強部屋に入ったとき、お子さんがたの机の上にギブスン夫人の手紙が置いてあることを確認。
返事は庭の日時計に置くよう指示されており、ダンバー嬢は指示に従う。ただし、返事を置いた時間については明示されていないが、授業終了後は自室にいたとダンバー嬢の証言がある。このことから授業終了~自室に戻るまでの間だと推測できる。
受け取った手紙については勉強部屋で焼却している。
昼
ダンバー嬢が庭の日時計にギブスン夫人への返事を置いた後、夕食まで自室に滞在。
ギブスン夫人が返事を受け取った時間は明示されていないが、返事が置かれた場所が庭の日時計だった点は留意すべきだろう。街頭などの明かりは期待できない場所なのだ。暗くなりすぎて返事を見付けられないというミスを犯したくないだろうし、ギブスン夫人にしてみれば一刻も早く返事を受け取りたい心境だろうから、遅くとも日暮れになる17時までに受け取ったと僕個人は考える。
17時
ニール・ギブスンがロンドンから帰宅。
以降、屋敷に滞在。
20時30分
夕食
ニール・ギブスンは夕食後は書斎に移動。
21時
ギブスン夫人とダンバー嬢はソア橋で運命の対峙。
ダンバー嬢がソア橋にいる姿を通りがかりの村人が見かけている。
ギブスン夫人から激しい罵声を浴びたダンバー嬢は、自室へ逃げるように帰る。
ギブスン夫人はダンバー嬢の返事を握りしめたまま、ニール・ギブスン保有の銃で自殺。
紐で括りつけられた銃は、橋に傷をつけた後にソア沼へ落下。
ホームズが発見するまで、誰にも見つけられることはなかった。
23時
ギブスン夫人の遺体発見。
急報をうけたときニール・ギブスンは書斎に滞在。
医者と警察が状況を調べた後、遺体を屋敷へ運び込む。
ダンバー嬢は遺体が屋敷に運び込まれたとき、初めて状況を知る。
翌朝
ダンバー嬢の衣装タンスから、凶器と思われる銃が発見される
銃は二丁一対でケースに入っていた品物で、発見された銃が事件で使用されたとは断定できないが、警察はこれを凶器であると判断する。
◇
検証に入ろう。
当初ホームズはダンバー嬢の衣装タンスに銃を置いた人物が犯人と判断したが、誰が置いたかを探すよりも早くにギブスン夫人のトリックを見抜いたことで、ダンバー嬢の衣装タンスに銃を置いた人物がギブスン夫人と断定した。
衣装タンスに銃を置いた時間だが、ダンバー嬢は部屋を留守にした午前中だろうと証言しており、ホームズはその証言を元に事件を組み立てている。
だが、ダンバー嬢の証言は正しいのだろうか?
僕はダンバー嬢が偽証をした、と指摘したいのではない。
ダンバー嬢が衣装タンスに銃を置いた時間を午前中だろうと推測したことと、実際に銃が置かれた時間には一光年以上の距離があると指摘したいのだ。
ダンバー嬢の推測は、彼女が午後からは自室を離れていない事実から――証言に偽りがないことを前提に再検証しているため――午前中に銃が置かれたとダンバー嬢が推測したことは理解できる。
原典でホームズが語る言葉を思い出して欲しい。
『冷静に予謀された犯罪であれば、犯罪を隠す手段だって、おなじく冷静に予謀されたものさ』
午前中に犯人が衣装タンスに銃を隠したとしても、その後ダンバー嬢が衣装タンスを触らないという保証にはならない。ダンバー嬢がソア橋に向かう前に、衣装タンスから銃が発見される可能性は否定できないのだ。
発見されないか否かは賭けの要素が強くなり、『犯罪を隠す手段だって、おなじく冷静に予謀されたものさ』というホームズの言葉とは噛み合わなくなる。
再検証は原典が正しいことを前提にしており、この矛盾には重大な意味があると考える。
ダンバー嬢が衣装タンスを触れるタイミングはあるのだろうか?
この可能性がなければ、ギブスン夫人は発覚の可能性が存在しないと判断し、午前中に安心して衣装タンスに隠せる。
本当にないだろうか?
ここで一つ指摘しておきたい。
原典を崩さずにダンバー嬢が衣装タンスに触れる可能性が存在する、と。
その可能性は、夕食にある。
原典には『8時30分にニール・ギブスンが夕食をした』とのみ記述がありますが、彼が誰と夕食を共にしたのかについて明言されていない。
ヴィクトリア朝時代において主人と夕食を共にするのは家族であり、使用人が席を共にすることはありません。ギブスン夫人はニール・ギブスンの愛情を失っているものの、夕食を共にする資格を有している。一方でニール・ギブスンは欲しいものは実力で手に入れるタイプであることから、この機会を逃さずダンバー嬢と夕食を共にしたいと強く望むだろう。
ヴィクトリア朝時代において家庭教師という立場は曖昧であり、使用人ではないが家族でもないという中間階級的存在。家庭教師が食卓に同席するか否かは、その家庭における力学を示す指標になりえる。
ホームズ作品において、『怪しい自転車乗り』で家庭教師を家族に類する客として遇しています。『ぶな屋敷』でも同様に、家族と同じ家に住み、主人と直接交渉し、他の使用人とは別の扱いを受けています。
ヴィクトリア朝時代において家庭教師は淑女の仕事であり、使用人に該当しないため、相応の待遇を得られました。ダンバー嬢が主人であるニール・ギブスンたちの夕食に同席するのは、自然であると推理できます。
ニール・ギブスンはその性格から、ダンバー嬢と夕食を共にすることを強く希望するでしょう。
夕食を共にするくらいであれば主人の純粋な好意であり、ダンバー嬢に恥をかかせる行為とまではならないと僕個人は考えます。ただしダンバー嬢の性格を考慮すれば、ギブスン夫人を差し置いて自分だけがニール・ギブスンと夕食を共にすることは認めないでしょう。
以上の前提に立てば、ダンバー嬢はニール・ギブスンとギブスン夫人の二人と夕食を共にする可能性は高く、館の主との夕食の場に同席するのであれば、身なりを整えることは礼儀になります。
ダンバー嬢が服を着替える可能性は否定できず、その場合、衣装タンスに隠された銃が発見される確率が高まります。ダンバー嬢の性格を考慮すれば、ギブスン夫人を差し置いて自分だけがニール・ギブスンと夕食を共にすることは考えにくく、ギブスン夫人はダンバー嬢が服を着替える可能性が存在することを理解できたでしょう。
ただし、が付きます。
ダンバー嬢は自らを飾り立てるタイプではなく、意志は強いもののギブスン夫人に成り代わろうとする野心が強いタイプでもない。彼女の性格を考慮すれば女主人であるギブスン夫人を差し置いて目立つような服装は好まず、髪を整えてアクセサリーを身に付けるだけかもしれない。
重要なのは、ダンバー嬢が実際に何をしたかではない。
ダンバー嬢がなにをするか予想できないということが、ギブスン夫人の選択肢を狭めるのだ。
何故そう言えるのか?
原典に記述されたホームズの言葉を思い出してほしい。
『冷静に予謀された犯罪であれば、犯罪を隠す手段だって、おなじく冷静に予謀されたものさ』
ギブスン夫人がホームズの言葉に従って行動するのであれば、ダンバー嬢の衣装タンスに銃を隠す最も確実なタイミングは、彼女をソア橋に誘い出した21時ということになる。
ここで一つの問題が浮かび上がる。
ギブスン夫人は21時にソア橋で待ち構えており、銃を隠すことなどできないのだ。
果たしてそうだろうか?
ソア橋は単独犯による事件として長らく語られてきました。
だがホームズの言葉を元に犯行を実行しようとすると、ソア橋は単独犯では実行不可能な事件ということになる。ギブスン夫人とダンバー嬢がソア橋に留まるタイミングに、ダンバー嬢の自室に忍び込み、衣装タンスに銃を隠す第三者が必要になる。
では、その第三者は誰なのだろう?
犯行で使用された銃はニール・ギブスン保有ですが、ダンバー嬢は見たことが無いと証言している。
凶器であるこの銃は2丁ある銃の一対であり、ケースに入れて保管されていた。館の女主人であるギブスン夫人がこの銃の存在を知っていたかについて明言されていないが、ニール・ギブスンはその点について何の疑問を抱いていない点は留意すべきでしょう。
ニール・ギブスンの反応を考慮すれば、ギブスン夫人はこの銃の存在を知っていても不自然さがなく、知っていたからこそ犯行計画を立てられたのだろう。
だが銃の存在を知っているということと、銃を持ち出すことができるかは別次元の話。
ニール・ギブスンは多数の銃のコレクションを保有しており、ホームズ曰く『ちょっとした武器庫』と評されるほどの量である。
そのような場所を施錠しないだろうか?
施錠をする方が自然なのだ。
私的なコレクションルームであろうとも、施錠された部屋から銃を持ち出すことは敷居が高い行為だと僕個人は思う。ニール・ギブスンがこの点について深く考えないのは米国人らしい態度といえるが、事件が起きた場所が英国である以上、そのような武器庫に施錠をすることを秘書なり執事なりが強く勧める筈だ。
この点について原典に記述はないが、別作品『まだらの紐』では、夜に部屋の鍵をかけている描写がある。他の作品『修道院屋敷※1』では、館の女主人が各部屋の戸締りと施錠の有無を確認する描写がある。似たようなケースは他にも存在する。『空き家の冒険※2』では、夜のクラブから帰宅したロナルド・アデアが自室に施錠した状態で狙撃されている。
ホームズ作品を読むかぎり、家族しか自室を訪れる確率が低いとしても、夜に部屋を施錠するものらしい。
少し話がそれるが、重要な点を指摘したい。
ダンバー嬢が午前中に子供に教育をしているときに、誰かが部屋に忍び込んだとする。
部屋に鍵はかかっていなかったのだろうか?
この点について疑問が尽きないのだが、ホームズ自身がダンバー嬢に聞いていないことから、日中は部屋に施錠していなくとも何ら不自然さはないのだろう。
ホームズ曰く『ちょっとした武器庫』と評される部屋ならば、少し事情が異なるかもしれないが……
ニール・ギブスンはギブスン夫人が銃を手にしていたことに疑問を抱かないので、ギブスン夫人は武器庫に入室する鍵を保有していた可能性は否定できない。彼女は凶器で使用される銃の存在を知っていたが、どこに保管されているかの詳細までは知らなかった、と考えるのは論理の飛躍とまでは言えないだろう。
なぜなら武器庫にギブスン夫人が立入る正当な理由が考えにくいからだ。
ニール・ギブスンがその点に疑問を抱かないのは彼が米国人だからであり、ギブスン夫人はブラジル人であることを思い出して欲しい。ギブスン夫人が合鍵を保有していたとしても、頻繁に入退室を繰り返していれば流石に目立つ。
それでも実行した可能性を指摘する方がいるかもしれない。
繰り返しになるが、原典に記述されたホームズの言葉を思い出してほしい。
『冷静に予謀された犯罪であれば、犯罪を隠す手段だって、おなじく冷静に予謀されたものさ』
この言葉を成立させるには、目的の銃を誰にも怪しまれずに持ち出すことが不可欠になる。
条件を成立できる人物こそ、ギブスン夫人の協力者ということになる。
そのような人物がいるのだろうか?
いるのだ。
館の管理人マーロウ・ベーツである。
ベーツは管理人であることから合鍵を保有している可能性が高く、事実、ホームズを武器庫や子供教室に案内している。ベーツはニール・ギブスンを憎んでおり、ニール・ギブスンによればギブスン夫人にのぼせ上っていた評されるほど夫人に同情的であった。
この同情心は殺人に加担するほどの深さではないだろうが、職を辞する程度には同情心があり、ベーツのなかでニール・ギブスンに対する忍耐力は限界を超えていた。
ギブスン夫人が仮に「銃紛失を口実にダンバー嬢を問い詰める計画に加担してほしい」と懇願すれば、協力したとしても不思議ではない。
もしそうだとすればベーツは殺害計画に加担したというよりも、ある種の嫌がらせに協力したに過ぎないだろう。ベーツはダンバー嬢についての感情を言葉にしていないが、ニール・ギブスンがダンバー嬢の勧めに従って実施している慈善事業を『私生活の不法不義を隠すためのものにすぎない』と断じていることから、ダンバー嬢に好意的な感情を抱いていたとは思えない。それでもダンバー嬢を淫売女とか悪女とか罵らないのだから、ニール・ギブスンに抱くような悪感情までには至らなかったのだろう。
いずれにしてもギブスン夫人が亡くなり、ダンバー嬢の部屋から出てきた銃が凶器とされ、その銃が自分が置いたと知っているベーツの心境は相当に複雑だろう。
原典ではベーカー街を訪れたときのベーツの描写は、『おどおどして落ち着きがない物腰』とされている。ニール・ギブスン邸で再会したとき、ワトソンから『神経症タイプ』と評されるのだから、相当に落ち着きがないことが察せられる。
一方でベーツはホームズの捜査へ積極的に協力していることから、所謂複数犯像に当てはまりにくい。
意図せずして殺人に加担してしまい、打ち明けるわけにもいかず窮していると解釈すれば、ベーツの行動も理解しやすいだろう。
尚、ベーツについては可能性を指摘しているにすぎない。
ベーツの件を飲み込めない方も、第三者が協力したと仮定する指摘については同意を得やすいと思う。
あえて指摘するならば、ノックスの十戒に従うと名前が明示されている人物はベーツしか残っていない。それ以前にベーツは館の管理人という職分上、第三者として行動する能力がある。仮にノックスの十戒から外れても良いのであれば、名前が明示されていないものの、ニール・ギブスン邸で働く誰かでも構わない。
例えばギブスン夫人の侍女などは該当者だろう。
※ノックスの十戒とは
1:犯人は、物語の当初に登場していなければならない。ただしその心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない。
2:探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
3:犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が1つより多くあってはならない。
4:未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
5:主要人物として「中国人」を登場させてはならない。
※万能な犯罪者を出し、ミステリーの公平性やリアリティを損なうことを避けるため。
6:探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
7:変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
8:探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
9:サイドキック「ヒーローと行動する相棒や親友」は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。
また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない。
10:双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない。
◇
一旦視点を変えてみよう。
ソア橋におけるホームズのスタンスについて検討したい。
ホームズの依頼は『二日以内にダンバー嬢の無実を証明』である。
僕たち読者は『二日以内に真犯人を見つけ出す物語』と思い込みがちで、僕達とホームズに意識の差異が発生する。そして僕達にはワトソンも含まれる。
結果、僕達はホームズが迷い込んだ思考の迷路に気付けない。
ホームズは、この事件が余程の新事実が発見されない限り、ダンバー嬢の無実を証明することは難しいと考えていた。捜査初期においてさえ、『正直なところ、ぼくにも彼女がクロの心証が強いんだが』と弱音を吐いている。現場で奇妙な点を発見しながらも、真犯人へと結びつく重要な証拠とは思いつかなかった。
もしかしたらホームズは真相の全貌解明よりも、ダンバー嬢にかけられた容疑に疑義を指摘できる重要な証拠を探していたのかもしれない。この前提に立つと、衣装タンスへ銃が入れられたと思われるタイミングをダンバー嬢に聞いている意味が異なってくる。
小説では描写されていないが、グラナダ版では弁護士カミングスに『ここが重要な点だ』と指示していたのは典型例。
すなわち焦点は「誰が殺したか」から「誰が銃を衣装タンスに入れたか」へと重点が移動する。後者を立証できれば彼女が陥れられた可能性が生じ、無罪への道が開かれる。
これは推定無罪を勝ち取る戦術。
ホームズは原典において『他に捜査に役立つことはありませんか?』とさりげなく聞いていますが、グラナダ版ではなにかを迫るような勢いで強く聞いている。ニュアンスの差はホームズの感情表現の演出というよりも、午前中にダンバー嬢の部屋に入ることが自然な人物の名前を、本人の口から聞き出したかったと推測できる。
ホームズが自ら調べても良いが、屋敷の使用人達の協力は期待薄なのだ。
何故そう言えるのか?
館の管理人マーロウ・ベーツの言葉を思い出して欲しい。
原典には『われわれ使用人は、みんな夫人に肩入れし、夫人に同情し、夫人にたいするあの男の仕打ちに義憤を感じていました』と記述がある。ベーツはギブスン夫人に肩入れすぎる面があり、彼の発言は割り引く必要があるが、それを考慮に入れてもニール・ギブスンの高圧的態度を使用人達が好意的に受け取る筈がなく、ニール・ギブスンに雇われたホームズに協力的になるとはやや考えにくい。
無論時間をかければ重要な事実は明らかになるかもしれないが、ホームズに与えた時間は二日しかないのだ。
時間は黄金よりも貴重であり、今回のケースでかかっているのは人の命。
失敗が許されないケースにおいて、より成功確率が高い戦術に切り替えることは、柔軟性のある合理的判断と言える。
仮にホームズが使用人から重要な証言を聞き出し、裁判で主張したとしよう。
ただしダンバー嬢本人が「○○が部屋に入った可能性がある」と証言することが前提になる。ダンバー嬢がその可能性を口にしない以上、この戦術は成立しないのだからホームズの焦りは相当なもの。使用人の証言とダンバー嬢の証言を組み合わせることができれば、午前中に侵入された可能性は裁判において重要な争点となり得るだろう。
ダンバー嬢を最重要容疑者とした前提は崩れ、警察の捜査は振出しに戻る。
通常のミステリー作品ならば、裁判へ移行するかもしれない。
ソア橋の面白さは、ここからの展開にこそある。
原典においてホームズから問われたダンバー嬢が発した一言。『よほど強い力が加わらなければ、そういう跡が残ることはないはずですわ』という発言に、ホームズは可能性に気付く。
ホームズの中である種の思考のジャンプが起きたのだ。
これによりホームズは推定無罪の戦術から、犯行の再現と真犯人を導き出す方針に切り替えた。
ソア橋は一見単純な犯人特定型の物語に見えるが、実際には一度推定無罪の戦術へ軸足を移し、その後、物理的再現によって真相へ到達するという二段階構造を備えているのだ。
読者の認識を一度“無実立証の物語”へと誘導し、その後に再び犯人特定へ回収するという点で、構造上の二重トリックを備えている作品といえるだろう。
◇
ソア橋事件は単独犯事件というよりも、単独犯だが協力者がいた事件と解釈する方が自然なのだ。
ホームズは僕が指摘した点に気付かなかったのだろうか?
恐らく気付いていたとは思う。
だが、ホームズには二日しか時間が与えられず、しかも依頼人の要請は「ダンバー嬢の無実の証明」であり、犯人を追及することではなかった。ホームズは与えられた仕事をこなしたに過ぎないと解釈できる。
ホームズは与えられていた僅かな期間で最大の成果を上げるために、無実を証明することだけを重視したといえる。
それでも単独犯を追求しなかった意図について、疑義を持つ人がいるかもしれない。
これは完全な妄想の類になるが、ホームズがこの事件を『踊る人形』とやや重ねているからではないだろうか?
犯人探しを優先するあまり、依頼人の意志や生命を蔑ろにした『踊る人形』はホームズにおいて苦い教訓をもたらしており、その教訓はソア橋にも影響を与えている。第三者の可能性を追求することはニール・ギブスンの邸宅に必要以上の不和をもたらし、ニール・ギブスンとダンバー嬢の未来を台無しにしかねない行為となるだろう。
真相を暴き立てる行為はホームズ自身の趣味嗜好の問題にすぎず、自らの知的好奇心から依頼人の意志や生命や未来を犠牲にすることは許されない。『踊る人形』の教訓を思い出しながら、ホームズは『ソア橋』にあたったのではないだろうか。
ホームズは女性に対して慈悲深い人物だが、加害者ギブスン夫人の意図を封じたという意味では冷酷であるかもしれない。ホームズは一人の無実な女性ダンバー嬢を救ったが、ダンバー嬢は自らの行為によってギブスン夫人を殺人行為へ駆り立て、ニール・ギブスンの家庭を破壊した。勿論ほぼ破綻していた家庭ではあったが、最後の一撃を加えたという点において、ダンバー嬢はある意味加害者といえる。
ダンバー嬢を救うことは果たして良いことなのだろうか? というホームズなりの悩みが『ソア橋』では示されているとも解釈できる。
ソア橋が名作と評される理由は、ギブスン夫人の仕掛けの巧妙さだけにあるのではない。
読者の視線を一度『無実立証の物語』へと誘導し、そこから再び犯人特定へと導く二重構造にも理由がある気がする。
ホームズの方針転換は明示されていない。
だからこそ読者は驚く。
しかも読者はなにに驚かされたのか、自覚できないまま物語は終わるのだ。
なにかが奥歯に挟まったような余韻だけを残して。
そこにこそ、本作の真価がある。
だからこそ名作と呼ばれるのだろう。
以上が、ソア橋再考 ― 原典に基づく130年後の再検証でした。
本稿は単独犯説を否定するものではありません。ただし、原典の記述を精査する限り、別の合理的可能性が排除しきれないことを指摘することが目的でした。ソア橋は多くの作品にインスピレーションを与える作品を再検証することは、事件の可能性を広げ、新たな解釈の種が芽吹くことを期待します。
※1訳者により「僧坊荘園「アベ農園」「アベイ農場」「修道院屋敷」などの邦題も使用される。
※2訳者により訳者により「空家の冒険」「空家の怪事件」「空家事件」などの邦題も使用される。




