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甘い彼  作者: 伊簑木サイ


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2/2

彼女の心配

「ジェシー、ビネガーソースを絡めた肉を挟んだパンだよ。はい、あーん」


 レナートの膝の上に横抱きにされ、口先にパンを近づけられる。あまりの羞恥に逃げ出したいけれど、そうしたら猫の真似がバレるので、躊躇を見せずにかぶりつく。


「上手、上手。かわいいね」


 うまく囓り取れず、口の端に垂れてしまったソースを指で拭き取ってくれながら、そんなことを言っている。


 何が上手で何がかわいいんだか。……考えたくない。


「うん、このソース、本当に美味しいね」


 私を抱いているほうの手で拭っておいて、それを自分で舐め取るものだから、自然と肩を抱え込まれて、顔が近い。近いったら近い!


「にゃッ」


 猫パンチで彼の体を押しのけ、パンに手を伸ばした。


「ごめんごめん。はい、どうぞ、あーん」


 自尊心がザックザック削られる。自分で始めておいてなんだけれど、朝晩これで、心が折れそう。


 侍女が食事の介添えをしてくれているというのは方便で、彼の前でだけそれらしくして、普段は自分でいつもどおりに食べていればいいと思っていたら、彼はすぐさま、うちに住み込みはじめた。


『これからの生活で、彼女に特別な世話が必要となるでしょう。彼女に不便なく暮らしてもらうために、僕がよく知っておく必要があります。どうかご理解を』なんて、私の食事の介添えを申し出てきたのだ。

 ……まだ着替えとお風呂はどうにか拒絶している。頑張って四つん這いで逃げまわって――走りにくいったらなかったわ――、つかまりそうになったときには、フギャーッと叫んで本気で彼の手を引っ掻いた。


 あああ、もう!! お父様には、婚約を解消したいから協力してって言ったのに! どうして結婚後を見据えた同居になっているの!?


「そうだ、僕達の結婚式は、来月、領地で挙げることになったよ。その後も王都に出てこなくていいって。のんびりと暮らそうね」


 は!? 何言っているの!? 王妃様の甥で、王太子の側近で、宰相の懐刀とか呼ばれているんでしょう!?


 ただの幼なじみの子爵の娘なんかと結婚している場合じゃないのよ! だからプロポーズから逃げまわっていたのに! 彼の祖父の公爵様経由で婚約を申し込んでくるなんて! 子爵家が断れるわけなくて、しかたなく婚約だけはしたけれど、結婚さえしなければなんとかなると思っていた。


 ……だけど。やるといったら万難排してやる男、それがレナートだ。その手腕は魔法のようだと言われているほど。

 でも、そうじゃないって知っている。彼は魔法なんて使えない。ただ難題の原因を解きほぐし、執念深く一つ一つ解決していく、根気強さの賜だ。絶対に諦めない。宰相が「最後の砦だ」と評した不撓不屈の精神。

 ……わかっている。わかっていたのに。


「その前に、君に謝りたい」


 どきっとした。

 目を覗き込まれる。


「母と妹が何度も君を呼び出して、酷く責め立てたんだね。本当に、申し訳なかった」


 頭を下げられた。


「守ると約束したのに。君が傷つけられるのを防げなかった。僕の落ち度だ。

 君との結婚がなくなれば、僕が家に残ると思ったらしい。三男坊なんか家を出るしかないのにね。

 彼女らの暴挙の埋め合わせにはならないけれど、妹は婚約を破棄させ、遠くに嫁がせた。よほどのことがないかぎり、二度と君と顔を合わせることはないだろう」


 えっ!? ディアナ様が惚れ込んで婚約に漕ぎ着けた縁組みはどうしたの!? というか、もう嫁がせたの!? 侯爵家の娘ともなれば、普通は婚約発表後、結婚まで一年以上あけるものだけれど!? そんなことをすれば、訳あり婚だと噂される。急ぐ何かがあったのだろうと。一生不名誉が付いてまわってしまうのに。


「母からは詫びとして、鉱山の所有権を君に譲ってもらった。祖父に話は通してある。採掘した宝石でジュエリーを仕立てるも良し、売上金で買い物するもよし。ぜひ好きなだけ気晴らしに使ってほしい」


 そんな。侯爵夫人が嫁ぐときに、公爵家から持たされた財産よね? なぜそんなものが子爵家の小娘の手に渡るっていうの!? 畏れ多い! 管理できない!


「きちんとした管理人を雇ったから、君は何もしなくても大丈夫。安心して」


 いや、そもそもお二人は当然のことを言っただけで、詫びられるようなことじゃない。罰を受ける必要なんかない。

 そしてそれより、なによりも!


「馬鹿なの!? 頭のおかしい下級貴族の女なんかの世話をして一生を終える気!? いいかげんにしなさいよ!」


 美貌でもなければ血筋がいいわけでもない、実家に権力もなければ大金持ちでもない、せめて本人が才女だというならまだしも、平凡を絵に描いたような女では、いずれ重責に就くに違いないこの人を、支えるには足りない。


 いつも絵に描いたような平凡な私に付き合って、同じレベルまで自分を落として。その未来まで石ころ同然にしようとしている。


「ああ、良かった! 言葉を話せるようになったんだね! もうレナートと呼んでもらえないと覚悟していたのに。お願いだ、ジェシー、レナートと呼んでくれ」


 ぱっと喜びに輝いた顔が、言いつのるほどに、私の頬を撫でる掌も、見つめる瞳も、不安そうに揺れだして。


 こんな間抜けな狂言を信じていたっていうの!? 他の誰のことも、まず疑ってかかるくせに。どうして私のことだけは信じて疑わないの。


「ジェシー。ジェシー? また言葉がわからなくなってしまった? ……僕のことがわからない?」


 彼の瞳が潤みはじめる。


「めそめそしないの、レナート!」

「だって、僕のことを無視するじゃないか。猫の君もかわいいけれど。ご飯をあげるときしか僕に興味がないでしょう。あれがどれほど辛いか」


 う。そう言われると罪悪感がわく。でも、私が私でなくなったら、レナートは私との結婚を諦めると思ったのだ。レナートの好きな私ではなくなってしまったわけだから。まさか、猫なら猫なりな幸せを守ってくれようとするとは思わなかった。


 何をどう言えばいいのかわからくなって溜息をつくと、ギュウと抱きすくめられた。


「また猫になってもそばにいるからね! 僕の生きがいは君なんだ。何度でも言うけれど、僕は君と一緒にいるために生きているんだよ。僕にとっては、君が隣にいてくれないなら、生きている意味なんかない。だからどうか、僕が一生そばにいることは諦めて」


 重い! 何故それほど私に執着しているのだか。


 初めて会ったあの日から、私といるときはずっとはしゃいでニコニコしているものだから、むっすりした顔が常態なせいで鉄仮面なんて呼ばれているとは、かなり大きくなるまで知らなかった。


 一度だって、彼に好かれているのを疑ったことはない。一貫して態度で言葉で表情でまなざしで示してくれているもの。疑いようがない。


 なんでも私を一番に考えてくれて、自分のことは二の次で。彼にはたくさんの可能性があるのに、見向きもしない。たいしたことはできない私の狭い世界に、一緒にいようとする。それは彼のためにならない。……と思っていた。

 けれど、本当の本当に、彼の生きがいが私以外にないというのなら。


 ぽんぽんと背中を叩いて、少し離れろと促す。こんなことされていると、ドキドキしてしまって、ちゃんと話せない。


「あなたの妻として社交をする覚悟はあるから、田舎の領地になんか引っ込まなくてもいいです。

 それから、鉱山はお返しできるならお返しして。夫人は公爵夫人として当然のことを言っただけよ。ディアナ様もそう。意地悪しないで助けてあげて」


「あれ? もしかして王都周辺にいたいの?」

「ううん、そんなことはないけれど。あなたの能力を生かせる仕事をしてほしいの。あなたにとってやりがいがある仕事を」

「君が一緒に来てくれるなら、そこの住み心地をよくするのが僕のやりがいのある仕事になるし、能力を生かせる仕事になると思う」


「……田舎に行くのは決まっているのね?」

「うん。でも、嫌なら変更する。実はその件でグレイミルまで行ってきたんだ。(ひと)(つき)も花を贈るしかできなくてごめんね」

「しばらく遠くで仕事があるって聞いていたから、べつにそんなに気を遣ってくれなくてもよかったのに。……もしかして、道々花を選んで送ってくれたの? メッセージカードを付けてくれていたでしょう?」


 全部たしかに彼の字だった。


「……ええと、ごめん、気を遣ったんじゃなくて、僕のことを毎日思い出してほしいから、毎日贈るように手配してから出発した……」


 ということは、庭師にどの花がいつ頃咲くか聞いて、それに合わせたカードを選んで、(ひと)(つき)分書いてから旅立ったってことね。


 重いって言われる、という顔で上目遣いだ。どこが鉄仮面なのかわからない。絶対わざとこんな顔している。そうわかっているのに、この顔に弱いので、何か言う気になれなくなって、そうだったのね、とあいづちを打つにとどめた。


 何も言われないと察知したらしくニコニコしだした彼は、「部屋に飾ってくれたんだね。大事にしてくれてありがとう」とはにかんだ。


「それでね、これからの二人の未来の話なんだけど」


 少し改まった雰囲気で話しだしたと思ったら、二人の未来、のところで照れて笑いながらも口をつぐんで、そわそわしだす。


 ……私、ずっと、そんな言葉が出てきたところで逃げ出していたものね。聞いてくれるかな、大丈夫かな、嫌ならまた今度にするよ、という気遣いがまなざしから感じられた。


 こくりと頷いてみせる。


「行くときは極秘事項だったんだけど、近々発表されることになった。

 グレイミル辺境伯の後継者が、病気で亡くなった。それで、大甥にあたる僕を養子にする話がまとまった。その顔合わせに行ってきたんだ。君を住まわせるのに問題ないか見たかったし、あちらも文官の僕で足りるか懸念していたし」

「ということは、私のせいで田舎暮らしを望んだんじゃないのね?」


「そう。陛下の命令。なのに、僕の今後の話を聞きかじった母が妹にこぼして、二人で妄想をふくらませて暴走したんだ。

 途中で気付いた父や兄が諭してくれていたのだけど、辺境伯の後継者が死にそうなんて、母や妹に知られたら、口止めしたってあっというまに噂になってしまう。

 君なら何がまずいかわかってくれるけれど、あの人達、感情でしか物事が考えられないからね。真相なんてとてもじゃないけれど話せなくて。隠し事の匂いには敏感だから、よけいに疑心暗鬼になったってわけ。

 ジェシー、本当に申し訳なかった。気が済むまで罵倒してほしいし、気が晴れるまで散財してほしい」


 ……それって、侯爵夫人と令嬢そのものなのでは。私にはとてもできない。


「行き違いがあっただけでしょ。夫人もディアナ様もあなたを大切に思っているだけ。それを責められないわ」


「そう言うと思った! ジェシーは優しすぎる!

 もういいかげんあの人達を許したり(かば)ったりしたら駄目だと、父や兄も理解したし、決断したんだ。罰をきちんと与えると。二度と同様のことをしでかさないよう、首輪をはめる必要もある。謝罪はその一環だから、気に病まないで受け入れてほしい。

 そもそも、父が母や妹のわがままを放置してこなければ、今回のことは起こらなかったんだよ。もっと言えば、母のほうは祖父の育て方のせいだ。

 父も祖父も君に直接会って謝罪したいなんて言っていたけれど、どうせ君を自分たちのところに呼びつけて、えらそうに謝罪の言葉を口にするだけだ。

 冗談じゃないよ、そんなので君が許さざるを得ない状況になるなんて。だから、物理的な謝罪を用意させた。

 それだって、こっちが勝手に謝罪の気持ちを表しただけだからね。君はずっと許さなくていいし、いつまでもなじってごねていいんだからね」


 思わず笑ってしまった。彼女らに何度も呼び出されては何時間にもわたって、「レナートにあなたはふさわしくない」と言いつのられて萎縮していた心が、ふわりとほどけていく。


「もういいの、本当に。いつまでもこだわりたくないわ」

「ジェシーは天使かな。僕を置いて飛んでいかないでね」


 あわてたように手を掴まれる。


 出た! 歯の浮くような台詞! いつも真剣に言うものだから、いたたまれなくなって、つい怒ってしまっていたのに、今日はかわいそうになってきた。きっと、身近な女性の気性が激しいせいで、基準がおかしくなってしまっているのね。


「じゃあ、天使のような私から、一つお願いがあるわ。私たちが幸せに結婚するのに、ディアナ様が不本意な結婚なのは後味が悪いわ。どうにかならないの?」


「安心して。きっとそう言いだすと思って、なんとかした結果だから。

 婚約間近な恋人がいる男に、自分と無理矢理婚約を結ばせて、かなり恨まれていたんだ。相手の男、ディアナを殺して自分も死のうと思い詰めていたからね。刃傷沙汰なんて起こったら、相手どころかその家が没落するよ。

 ディアナは、性格がきつくて頭の悪い美人が好きな、遠い親族のところに嫁がせた。大事にされると思う。後妻だけどね。あの子はうんと年の離れた年上の男に、手綱を握ってもらうほうがいいと思うんだよ」


 たしかに。一理あるわね。公爵様と侯爵様とレナートのご兄弟や従兄弟を思い浮かべて、納得する。


「それならよかったわ」

「この際だから、他にも気になることを教えて」


 小首をかしげて顔を覗き込まれた。


 ……うーん、そうね、レナートの親族のほうが片付いたなら、根本的な問題しかない。


「……強いて言えば」

「うん」

「辺境伯夫人が務まる自信がない」

「それは大丈夫、僕が」


 早口に何か言おうとする彼の口を手でふさいで、黙らせる。


「それは最終手段よ。一応頑張るつもり。それでもうまくいかなくて落ち込んだら、甘やかしてね」


 私が猫のふりをしていたときみたいに。私が何もできなくてお荷物になったって、むしろ生き生きと世話を焼くってわかったから、もうあなたに甘えることが怖くない。


「うん、いつでも、喜んで! ……そんな理由がなくったって、今だっていいんだけど」


 後半もごもご言って、もじもじしながら期待のこもった瞳で見てくる。


 だから、私から彼を抱きしめてみる。……初めて。彼の鼓動がものすごい勢いで打ちはじめた。こうしてみると、ずっとこうしてみたかったんだなってわかる。


「ジェシー」


 頭、こめかみ、頬、鼻の頭、とキスが次々と降ってきた。面映ゆくて、くすぐったくて。くすくす笑っていたら。


「キスしていい?」


 唇に吐息がかかって思わず体が震えた。それが触れたところから彼に伝わって、抱きすくめる力が強くなる。それが恥ずかしくて。猛烈な腹立たしさに駆られて。黙ってかぷっと噛みついてやった。


 ……その後は。

 彼にさんざん蕩かされて、食べられてしまうかと思ったわ。



                        終

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