第61話 明治元(1868)年9月24日 暴走する想い
9月24日、朝五ツ(午前8時)頃。宮床村に宿陣していた会津軍は、北西約3里(12㎞)先の小林村を目指して進軍を開始した。
一方、小林村に布陣していた加賀藩・富山藩からなる新政府軍は、北上する会津軍を迎え撃つために街道を固める一方で、野尻村本営に増援を要請していた。ところが昼八ツ(午後2時)頃、伊南川西岸・大倉村に陣を敷いていた飯山藩・高遠藩の部隊が西の只見村へ退いたとの知らせが届くと、南と西の二面から挟撃される恐れを抱き、北東約1里(約4㎞)の布沢村方面へ撤退を開始した。
八ツ半(午後3時頃)、会津軍が小林村に到着した時には、既に新政府軍の姿はなかった。陣跡には弾薬や陣幕が大量に打ち捨てられており、会津軍はこれを回収した。
そして、この日はこれ以上の追撃は中断と決まり、会津軍は小林村に宿陣することとなった。
田島方面に放った斥候から、野尻村の手前の大芦村で田島の部隊が新政府軍に敗れて撤退したことを受けて、25日に予定されていた野尻村の新政府軍本営への総攻撃が中止になったと報せがもたらされたからである。
民家で暖を取っていた包彦と太一の耳に、外の騒ぎが飛び込んだ。窓から覗くと、十人ほどの農兵が布沢村方面へ駆けていく。包彦はその中に小八郎の姿を見かけ、すぐに民家を飛び出した。
「小八郎!」
包彦の声に小八郎は足を止めて振り返ったものの、一言もなく再び駆け出す。
「包彦、待て!」
追おうとする包彦を、太一が呼び止めた。
「お前のとさまに伝えろ。俺が行く」
太一はそう告げ、迷わず小八郎の後を追った。
小八郎に追いついた太一は、その肩を掴み、強引に振り向かせた。
「放せ! 俺にも沼沢家当主としての矜持がある!」
小八郎の眼は鋭く燃えていた。
「その〝きょうじ〟ってやつが何か知らねぇが、ほんと侍はどうしようもねぇな」
「何だと!」
「まぁいい。勘違いするな。俺も一緒に行く!」
思わぬ言葉に小八郎は虚を突かれた。太一は続ける。
「俺の目的を果たす良い機会になるかもしれねぇからな」
太一が自分を止めにきたのではないと悟った小八郎にかすかな安堵が広がった。二人は並んで歩みを進めた。歩きながら小八郎は尋ねた。
「スペンサーがあるのに、どうして後生大事に火縄銃なんか持ち歩いてるんだ?」
太一が背負う火縄銃。小八郎は今まで抱えていた疑問をぶつけた。
「これは俺の〝とっておき〟だ。俺たち弱い者の想いが詰まった銃だからな」
「どういうことだ?」
小八郎の問いに答えることなく、太一は駆け出した。小八郎もこれを追った。
一方、包彦から農兵たちの暴走を聞いた会津軍では対応を協議、治部が精神隊を率いてこれを追うことになった。
「主の振る舞い、誠に申し訳ございませぬ」
天野が、治部をはじめとする面々に深々と頭を下げた。
「野尻に向かうためには、どのみちこの先に陣を構える敵を駆逐しなければなりません。お気になさらず」
治部は、包彦や斎藤、大和と共に精神隊を率いて布沢村に向かって出発した。
先行した農兵と小八郎、太一は、小林村から半里(約2㎞)ほど北の滝原村へと入った。新政府軍の姿はなかった。そして、新政府軍が去ったことで少しずつ村人が戻ってきていた。聞き込みによれば、新政府軍は既に布沢村へ引き揚げたという。それを聞いた農兵たちは街道を布沢村に向けて走り出し、小八郎と太一もこれに続いた。
滝原村を抜け、隣の原村に差しかかった瞬間だった。
「敵襲!」
叫び声と共に、銃声が木霊する。しばらくすると前を走っていた農兵たちが血相を変えて引き返してきた。
「敵がいた! 仲間がやられた!」
すぐさま民家の陰に飛び込む。そこから様子を窺うと、30名ほどの新政府軍が迫ってくる。小林村を発った新政府軍は、ほどなくして野尻本営からの援軍と合流。本営防御のため、小林村からの会津軍の進軍に備えて陣を構えていたのであった。
太一は民家の陰からスペンサーで新政府軍を迎え撃つ。しかし想定外の新政府軍の出現で心の動揺が収まらず、狙いは定まらない。新政府軍の足を止めることなく瞬く間に七発を撃ち尽くしてしまう。太一が急ぎ予備の弾薬筒を装填しようとする傍らで、農兵たちは我先にと小林村に向かって走り出していった。
「ここは駄目だ! 俺たちも早く退こう!」
小八郎が叫び、太一も弾薬筒を仕舞って共に走り出す。
その背後から銃声が轟いた。前方を走っていた農兵の数人が、地に崩れ落ちる。倒れた背中には弾痕――善兵衛の最期を思い出させる光景に、太一の身体は震えた。
再び銃声が轟く。死が背後から迫るのを感じ、太一と小八郎は息を切らしながら駆け続けた。
(……みさのところに行くのか)
太一の脳裏に妹の面影が過ぎった。




