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戊辰役秘録 山河を駆ける  作者: 氷乃士朗
第一部 今市
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慶応4(1868)年4月24日 仇と未熟者②

 あまりにも間の悪い島田の問いだった。

 おそらくは、堅くなった場をほぐそうとしたのだろう。しかし、大和にとっては答える価値すらない。無視して箸を置く。

 視線を横に流すと結がいる。男たちのやり取りには関心を示さず、黙々と箸を運んでいる。自分の過去は決して誇れるものではない。いや、不幸だ。そして昼間、今市で彼女の境遇を聞いた。似たような立場の自分を、もしかしたら気にかけてくれるかもしれない。

「裏切りなんて、そんな安っぽいもんじゃない!」

 大和は、結を意識しながら声を上げた。

 ――大和の父は壬生藩の江戸家老として藩政を担っていた。だが、開国の波は壬生藩にも押し寄せる。藩は旧体制派と尊王攘夷派で真っ二つに割れた。旧体制派の首魁と見なされた父は、その争いに敗れて命を落とす。その後も藩論は尊王か佐幕かで揺れ続けた。大和には藩そのものが煮え切らぬ存在に映った。そして憎しみへと変わった。

「どっちにしてもだな」

 土方がふっと笑う。

「……何ですか?」

「やっぱり、お前は朴念仁だ」

 その言葉に、結が小さく吹き出した。

「また朴念仁って……」

 初めて表情を和らげる結。大和も土方も島田も、その柔らかな表情を初めて見た。島田が作り出した妙な空気が、すっと溶けていく。

 土方は結に、片付けを宿の者に任せて先に湯へ行き、休むよう告げた。結は静かに立ち上がり、一礼してその場を離れる。

 結の背を見送り、大和は土方に問う。

「芹沢先生を斬った理由は?」

 その瞬間、場が再び張り詰める。

「飯の場だ。まったく……朴念仁に加えて無粋な野郎だな」

 土方は呆れたように言い、何事もなかったように食事を続けた。答える気配はない。

「話は変わるが、さっきの技……教えてやろうか?」

 再び話を逸らす。大和の胸に怒りが込み上げる。

(ふざけるな! 言うなら早く言え! そして質問に答えろ!)

 不機嫌な大和を横目に、土方は続けた。

「あれは北辰一刀流を応用した技だ。昔、京都で山南って男が隊士たちに講釈を垂れていた。確か『切落突き』とかいう……北辰一刀流の極意らしい。それを逆に使っただけの、ちんけな技だ」

 山南敬助――元新選組総長。新選組結成前から近藤・土方と行動を共にしたが、方針の違いから脱走し、法度により切腹した男だ。

「いつの間に……山南さんから習ってたなんて初耳です」

 島田が驚く。周囲は二人がそりが合わないと思っていた。

「馬鹿野郎。俺が独自に研究したんだ。北辰一刀流に勝つためにな」

 島田を軽くたしなめた土方は、大和へ視線を向けた。

「あれは一つの動作で目くらまし、小手打ち、突きを同時に決める技だ。さっき島田にやったのは別々になっちまったが、踏み込みが鋭ければ同時に決まる。そう意味では……お前、筋はいいぞ」

 楽しそうな土方の口ぶりに、大和の表情がわずかに動く。それを見逃さず、土方も口元を緩めた。

「芹沢を斬った理由――」

 やっと聞ける、脱線し続けるやりとりにうんざりしていた大和は息を整える。

「……俺かお前、どちらかの臨終の間際に教えてやるよ」

 呆気に取られ、大和は視線を畳に落とす。

「それは、教える気がないということですか? それとも……知りたければ、あなたを斬れと?」

 土方に勝てる日は来るのか。何年かかるのか。その時、彼はまだ生きているのか。大和は、様々な思いを巡らせていた。

「それくらい自分で考えろ」

 そう言って茶を飲み干し、土方は縁側に出た。川のせせらぎに耳を澄ますように目を閉じ、静かに言った。

「お前も湯に行って休め」

 宇都宮から退却し、夜通し歩いて今市へ。そしてここまで。ほとんど眠っていないことに気づくと、疲労が一気に押し寄せた。土方と相対した緊張、不愉快さも少なからずあった。

「……分かりました。失礼します!」

 大和は立ち上がり、湯殿へ向かった。そして、引き戸を開けた瞬間、大和は息を呑んだ。

 そこには、一糸まとわぬ結が立っていた。声も上げず、慌てもせず、凛としたままに。

 一瞬、時が止まる。否、大和はその美しさに見入っていた。

 結は落ち着いた声で言う。

「すぐに服を着ますので、お待ちください」

 その声に我へ返り、大和は慌てて戸を閉めた。

 廊下を騒々しく走る音が響く。襖を開け放つと、大和は泣き出す寸前の幼子のような顔で土方を睨みつけた。

「結に風呂に入れって言っていたのを聞いていなかったのか? お前が未熟なんだよ」

 島田たちが笑い声を上げる中、開け放たれた襖の向こうに結が姿を見せた。

「お先にいただきました」

 気にする様子もなく、自分の部屋へ消えていった。

 その夜、大和は心身ともに疲れているはずなのに、なかなか眠れなかった。

 目を閉じると、脳裏に浮かぶのは――。


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