第48話 明治元(1868)年9月18日 三人目の男
9月18日夕刻、殿を務めた沼沢隊と包彦たちは、大きな犠牲を払いながらも大内村にたどり着いた。燃えさかる高田の空を背に、全身煤にまみれた兵たちを迎えた佐川官兵衛は、疲労を隠せぬ面々に対し、声を張り上げて最大限の賛辞を贈った。その声音には、戦場を潜り抜けてきた者だけが持つ敬意と痛みが入り交じっていた。
だが、包彦や太一の傍らに、あの大きな背中――善兵衛の姿はなかった。
太一の脳裏に、激戦後の一幕が鮮烈に蘇る。
新政府軍が引き揚げた後の沼沢隊の陣中。太一を背負って駆け抜けた善兵衛が、突如として大きく揺らぎ、前のめりに倒れた。咄嗟に善兵衛から離れる太一。その視線の先――善兵衛の背には銃創が穿たれ、衣服は鮮血で染まっていた。太一の胸から腹も赤く濡れていた。
太一は、善兵衛の身体を返す。
「俺が……勝手に飛び出したばかりに……」
太一の目に涙が溢れた。
「いいんだ……あの子も……喜んでるだろうぜ……」
善兵衛は薄れゆく意識の中で、かすかな笑みを浮かべていた。
「これで……大介さんに借りを返せたってもんよ……。でも……せめて故郷の土の上でくたばりたかったぜ……」
そこへ駆け寄った大和が、善兵衛の手を両手で強く握った。
「今市のあんちゃんだったか。生きてたか……いい顔になったじゃねぇか。危うく気づかずに逝っちまうとこだった……」
善兵衛の視界はすでに霞み、声も風に消えそうだった。
「なんか……あの山々が……日光の山に見えてきたな……。ここでも……悪くねぇか……でもよ……死にたかねぇなぁ……」
最後の力を振り絞り、愛用の火縄銃を持ち上げた善兵衛。太一が握り締める。その手から重みが失われた瞬間、善兵衛の手は地面へと吸い込まれていった。
太一は動かなくなった善兵衛を抱きしめ、子供のように声をあげて泣いた。大和もまた、掴んだ手に額を押し当て、震えを隠せずにいた。
(俺たちのために……善兵衛さんは……。精神隊のみんなは……)
包彦は、その光景を見つめながら、自身の頬を伝う涙を拭うこともできなかった。
三人はやがて、山奥の静かな場所に善兵衛を埋葬すると、重い足取りで大内村へと向かった。
大内村に入ると、会津藩士が声を掛けた。
「山口さん、無事でしたか」
その名を耳にした瞬間、包彦ははっと息を呑む。
――山口二郎。いや、新選組三番隊組長・斎藤一。
斎藤は、沖田総司や永倉新八と並び新選組最強と称された剣士。「山口二郎」と名乗っていたこの頃も、敵味方からは「斎藤」の名で畏れられていた。下総流山以降は土方に代わって新選組を指揮し、やがて土方と袂を分かった後も、会津とともに最後まで新政府軍と戦い抜いた男である。
9月5日、如来堂の戦いで戦死したと噂されていたが、目の前に確かに生きて立っていた。
「君は白虎隊の者か?」
鋭い眼差しで問われ、包彦は答えた。
「いいえ。河原田精神隊の河原田包彦と申します」
「そうか。見事な戦いぶりだった」
礼を述べた包彦は、逆に問い返した。
「白虎隊の士中隊は……どうなったのでしょうか?」
「容保公に従って前線に出たと聞いている。だが城に戻ったという話はない。俺もその後は分からん」
包彦は胸を押さえ、視線を落とした。
次に斎藤の視線は、大和へと移った。
「君は確か……」
「土方……大和と申します」
大和は、些か気まずそうな表情で答えた。
「やはり。土方さんから聞いている。確かに面影があるな」
「新選組の方に会うと、皆そう言います」
大和は淡々と答えた。
「今市の戦いで行方知れずと聞いていた」
「土方を名乗りながら敵の手にかかるわけにはいきません。辛うじて今市を脱した後は、三斗小屋を経て高田のお味方に合流しました」
大和の話が終わると、斎藤は左手に握っていた刀を差し出した。
「これは返そう」
土方歳三の愛刀・兼定。大和は鞘から刀身を抜くと目を見張った。あれだけの大立ち回りに反し、刃こぼれひとつしていない。斎藤の剣技の冴えを悟る。
「俺をなめるな」
斎藤の口元が緩む。大和は軽く頭を下げ、斎藤に尋ねた。
「土方さんや島田さんは?」
「二人とも無事だ。北へ向かった」
「北……」
その言葉に、太一がうつむきながら漏らした。
「君の銃の腕も見事だった」
気付いた斎藤が太一を称える。しかし太一は反応を示さず、ただ一点を見つめ、異様な気配を漂わせていた。
沈黙を破ったのは四人のもとにやってきた小八郎だった。
「隊長の俺の指示もなく勝手に飛び出すなよ、お前ら」
周囲を見渡した小八郎が続けた。
「街道沿いの村は焼かれたのに、ここは無事なんだな」
「村人が必死に敵味方双方に頼み込んだらしい」
斎藤が答えた。斎藤に気づいた小八郎が目を丸くする。
その時、太一が低い声でつぶやいた。
「でも……次はどうなるか分からない。戦が始まれば、高田みたいに焼かれる。侍は、百姓のことなんて何とも思っちゃいない」
包彦は言葉を失った。自分がいる限り戦いに火を放たないと太一に誓った決意が、空虚な理想でしかなかったと痛感したからだ。
「戦争さえなければ……村も、命も、奪われることはなかった。この手で人の命を奪うことも」
大和が自らの手を見つめ、小さく呟く。その場の者たちは言葉を失った。
「だが、戦いは起きてしまった……」
沈黙を破って山口が口を開くと、大和がしっかりした口調で返した。
「そうですね。だから俺は、目に見える、手の届くところにいる人を守るために剣を抜くと、心に決めました」
大和を見つめる包彦の傍らで、小八郎が続いた。
「でも、戦いがなければ、こうして出会うこともなかったよな。こんな形で出会いたくなかったけど……」
戦争さえなければ――この言葉が太一の耳に焼き付いた。
焼け落ちる家々、泣き叫ぶ村人、善兵衛の最期、そしてみさの面影――。
怒りが胸を焦がし、太一の握る火縄銃が震えた。
「お前ら、さっきから……!」
その声は、憤怒と悲哀が入り混じった、太一の叫びだった。




