第38話 慶応4(1868)年8月28日 戦場へ
8月28日、治部は宮沢御用場に戻った。周囲の状況を探る斥候を放ち、桧枝岐口に最小の守りを残して田島に入り、御蔵入奉行・江上又八と若松城下や南山の状況について協議した末の帰還だった。
「出立の準備は整っております。お下知いただければ、すぐにでも……」
治部は包彦に言葉を返さなかった。治部は、若松城へ向かう道程に迷っていた。
伊南から若松城へ向かう道筋は、四つあった。
①駒止峠を越え、田島村を経由して下野街道を進む
②鳥居峠や博士峠を越え、高田村を経由して進む
③小林村から吉尾峠を越え、野尻村を経由、さらに美女峠、銀山峠を越える銀山街道を進む
④伊南川沿いを北上し、只見村から柳津村を経由し越後街道を進む
どの道も決定打を欠いた。新政府軍が日光口と越後口から会津領内に侵攻している。この動き次第で城下へ向かう道がすべて閉ざされる可能性があった。
すると、治部の迷いを見透かしたように、同席していた馬場太郎右衛門が口を開いた。
「田島に兵を進め、これを確保することをお勧めいたします。敵が四方から攻め寄せる中で兵を若松に集めることは危険でございます。田島を確保できれば、日光口からの敵を防ぐことができ、さらに城を攻める敵の背後を衝くこともできますでしょう」
「そんなことをしたら田島を迂回した敵が伊南に押し寄せてくるかもしれません」
包彦は即座に異を唱えた。だが馬場は穏やかに応じる。
「それはありますまい。敵は冬を恐れております。山間の隘路を抜けて迂回までして、時を費やすことはないでしょう」
二人のやり取りを聞いていた治部は静かに断じた。
「いや、田島は避ける。我らへの命は若松城への帰還。それまでは兵の消耗を避けねばならぬ」
「出すぎた言、平にご容赦くださいませ。……そうであれば、まずは私の家の者に周囲を探らせてまいりましょう。この地では情報に限りがございます」
馬場は表情を崩さず、商人としての立場を活かした探索を申し出た。
「敵が領内に入り込んでいるとのこと。危のうございます」
包彦の言葉に、馬場は口元を緩ませながら落ち着いた声で答えた。
「問題ございませぬ。商人が街道を行き来することは至極当然の光景です」
それでも包彦は必死に止めようとしたが、治部は受け入れる。
「誠にかたじけない。結論は馬場殿の報せを待ってからといたそう。されど無理はならぬぞ」
馬場は治部に頭を下げ、包彦に笑顔を見せると御用場を後にした。
しかし、このやりとりを聞いてた一部の者たちが異を唱えた。彼らは即時の若松城への帰還を主張した。そして治部の諫めも聞かず、部隊を率いて田島に向けて伊奈を出発していった。
治部が危惧した通り、この部隊は、数日後に下野街道を進軍する新政府軍と交戦、兵を失いながらも若松城に入城することになる。
「ほんと、侍ってやつは……」
太一は呆れたようにつぶやきながら、伊南を離れる部隊の後ろ姿を見送った。
御用場に残った治部と包彦、太一、善兵衛。包彦は治部に尋ねた。
「太一の妹はいかがでしたか?」
「近くの村に避難するとのことであった。そういえば、我が家の者たちも城下を離れて南の面川に避難して全員無事との報せがあった」
安堵する包彦の隣で複雑な表情で黙り込む太一。包彦が声をかけた。
「田島を離れるのなら心配ないよ。女将さんや旅籠の人たちもしっかりした人たちだから」
「……そうだな」
気休めであることは分かっていたが、太一は包彦の気遣いに応えるように返した。
9月4日、馬場家の家人が宮沢村へ戻った。
家人によると、越後口から侵攻した新政府軍は隊を二手に分け、一隊は柳津方面に進み、もう一隊は野尻村に入って陣を構えたとのことであった。野尻村の兵力約2,000。
報告を受けた治部は、界村から鳥居峠や博士峠を越え、高田村を経由する道を選んだ。そして翌5日に出立することを決定した。
太一は善兵衛を連れて我が家に戻った。大介は、いつものように銃の手入れをしていた。
「俺も包彦と行く。あいつの剣術じゃ頼りないし、何より大事な友だから。それに善兵衛さんも一緒だ」
「そうか」
ざわついた村の雰囲気から、大介もおおよそのことは感じ取っていたようだった。善兵衛は太一の頭に手を置き、口元を緩めた。
「帰る家もねぇなら、この腕を戦で活かすしかねぇってもんよ。それに……こいつに弾を渡しちまったんでな」
「そうか」
大介は銃の手入れを止め、鋭い視線を太一に投げた。
「これだけは言っておく。猟師は山の神の恵みで生きてる。その恵みである獲物を獲るためには、俺らの手は穢れちゃいけねぇ。これから戦場に向かおうとする、おめぇに言っても仕方がねぇんだろうが、人を殺めた手じゃ猟師を続けることはできねぇぞ」
太一は神妙な面持ちで答えた。
「分かってる。決して人を撃ったり、殺めしたりたねぇ」
「……そうか。みさに会ったらよろしくな」
再び銃の手入れに戻る大介。その背に向かって太一と善兵衛は頭を下げ、その場を去っていった。去り際、大介は善兵衛を呼び止め、一言だけ告げた。
「あいつを頼む」
「もちろん。大介さんには借りもありますしな」
善兵衛は軽く笑みを浮かべた。
家の外で待っていた太一は、出てきた善兵衛に声をかけた。
「とさまは、何と?」
「下手くその手が震えて人を撃たねぇように、ちゃんと押さえとけ、とさ」
「あの、くそ親父!」
吐き捨てながらも、太一の顔には明るさが戻っていた。
翌5日、治部は包彦と太一、善兵衛、精神隊を率いて伊南を後にした。




