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戊辰役秘録4 山河を駆ける  作者: 氷乃士朗
第一部 今市
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第2話 慶応4(1868)年4月24日 鬼との邂逅②

 旧幕府軍総督・大鳥圭介――。

 摂津尼崎藩の村医者の子として生まれ、漢学・医学・兵学を修めた後、旗本に取り立てられた。開成所の洋学教授、歩兵頭、歩兵奉行を経て伝習隊を組織し、江戸開城後は旧幕府軍を率いて日光を目指し、各地を転戦してきた。

 前日、旧幕府軍は宇都宮城を新政府軍に奪われ敗走。追撃の手は緩まず、各隊はそれぞれの判断で日光へ向かうことを余儀なくされた。大鳥も遠回りし、ようやく今市宿に到着したところだった。

 この時、土方は旧幕府軍参謀の地位にあった。到着早々、大鳥は軍議の招集を告げる。

(あいかわらず生真面目な男だ)

 土方は内心で苦笑しつつ、痛む足を引きずり、島田に支えられながら奥の間へ向かった。


 土方が去った縁側では、結が指示に従い大和の手当てを始めていた。

 涙で異物が流れ、視界が徐々に戻る。右手首とみぞおちは赤く腫れ上がっている。結は冷水で湿らせた手ぬぐいを目と手首に当て、みぞおちには薬を塗る。その動きはためらいがなく、顔をほとんど見せぬまま処置は淡々と進む。

 一方、大和は半開きの目に映る横顔から目を離せなかった。

 手当てを終えると結は何も言わずに奥へ消える。その後ろ姿を追う大和――。

「気になりますか?」

 不意の声に肩が跳ねた。いつの間にか庭先に立っていた本陣の主人が、大和に話しかけていた。(ほう)けていたと思われたか、とバツの悪さが胸をよぎる。そんな大和に気を留めることなく、主人は語り始めた。

「あの子もいろいろ大変なことがありました。壬生の出です。今は私の方で面倒を見ています。明るくて気が利くし、医術の心得もあるので、とても助かっておりす」

 主人は、大和が土方と近しいと踏んだのか、結の過去を語った。

 結は壬生藩の医者の娘で、結の父と主人は古くからの友人だったこと。

 18歳のとき、壬生の医者である父と今市からの帰路、野盗に襲われ父を失ったこと。

 2年後、20歳で今市屈指の商家の奉公人と祝言を挙げたが、その秋に打ちこわしで夫を亡くしたこと。

 それ以来、主人のもとで働いていること——―。

「今やあの子は私の娘。あの子には幸せになってもらいたいのですが……」

 しみじみと語る主人の声を聴きながら、大和は結が消えていった屋敷の奥に再び視線を移した。生まれも壬生、身寄りを失った境遇も同じ――初め抱いた、結が明るいという主人の言葉への違和感は親近感へと変わっていた。


 およそ半刻(1時間)後、奥の間から、島田に支えられた土方が姿を現す。

「俺たちはこれから会津に向かう」

 軍議の内容はこうだった。

 大鳥は、全軍このまま今市宿に残り、新政府軍の動静を見極めたいと提案したが、宇都宮での敗北で浮き足立っていた旧幕府軍の兵士らは、すぐにでも徳川家の聖地である日光へ向かうことを望んだ。一部はすでに出発し、行動を共にしていた会津藩兵も若松へ退却を始めていた。結果、今市宿を捨て日光に向かうこととなり、土方を含む負傷兵は、若松へ送られることになった。

「鳥居大和、と言ったな。お前は俺たちと会津に来い。大鳥さんには話をつけた」

 大和が(いぶか)しげに見ると、土方は笑みを浮かべた。

「思い出したぜ。壬生攻めのとき、宇都宮城に内応の話を持ってきた連中の一人だったな」

 結局その(はかりごと)は潰え、旧幕府軍の壬生城奇襲は失敗。これ以降、大和は旧幕府軍と行動を共にしていた。

「なぜ俺を?」

「近くにいなきゃ仇は討てねぇだろ?」

 土方は楽しそうに大和に言った。

 そのやり取りの中に、主人が結の同行を申し出る。医術の腕は間違いない。一方で危険であることも確か。土方は結を見やる。表情ひとつ変えず、結はうなずいた。

「いいのか?」

「お役に立てるのなら」

 土方は短く考え、うなずいた。そして、大和に向かって続けた。

「お前が守れ。女一人守れねぇ男は仇討ちはできねえぜ」

 場に笑いが広がる。一連の土方の言動に高ぶる感情を必死に抑える大和。拳に力を込めていた。


 しばらくして出発準備が整う。しかし土方は動かない。何かを待っている様子だった。

 やがて新選組隊士・中島登に伴われ、一人の男が庭先に現れる。八王子千人同心の土方勇太郎。同郷で土方の6歳下の幼馴染。共に天然理心流を学んだ仲だ。

 八王子千人同心とは、幕府の天領(直轄領)である武州多摩郡八王子に配置された譜代旗本とその配下である。この頃は、日光東照宮の警備が主な任務だった。

 土方は勇太郎を別室へ誘い入れ、襖を閉めた。そして勇太郎に、宇都宮攻めで恐怖のあまり逃走しようとした兵を斬った、その者ために墓を建ててほしいと金を手渡す。この時、土方の目からは、人目をはばからぬ涙がこぼれていた。

 やがて二人は戻ってきた。土方の目は、薄暗い室内でもわかるほど赤く染まっていた。

(偉そうなことを言っていた男が涙か!)

 大和は、ちっぽけな優越感を胸に忍ばせた。だがこのとき、土方は勇太郎に故郷への言づてとしてこう告げていた。

 ――今度は帰ることはない—―

 その思いを大和が知ることはなかった。

 こうして土方一行は、会津へ向けて旅立った。


次回は16日更新です。

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