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戊辰役秘録4 山河を駆ける  作者: 氷乃士朗
第一部 今市
13/68

第12話 慶応4(1868)年閏4月21日 今市宿攻防戦①

 閏4月20日夕刻。

 夕闇が山間を覆う頃、大鳥は小佐越村の本営に各隊の指揮官を集めた。囲炉裏の火の赤い影が土間に揺れる中、大鳥は斥候や土地の者から得た情報をもとに策を語り始めた。

 攻撃は二正面。東、宇都宮側の下木戸、西、日光側の上木戸を同時に衝く。

 出発は明日の明け方、攻撃開始は朝五ツ(午前8時)。

 作戦を告げる大鳥の声は落ち着いていたが、その背に漂う緊張は否応なく伝わってきた。対照的に、前日の栗原村での勝利の余韻漂う部隊長の熱気はひしひしと伝わってくる。

 今市宿の北を流れる大谷川の橋を渡れば、一気に宿内になだれ込むことができる。だが、今回は選択肢から外れた。川沿いに新政府軍が布陣しているとの報せ。身動きの取れない橋の上では、雨のような銃弾を浴び、格好の餌食になる。

 そこで、栗原村で隊を三手に分ける。

 一隊は山川率いる170人。南下して荊沢(おとろざわ)村の橋を渡って大谷川を渡河。下木戸東の森友村で待機し、攻撃開始時刻に合わせて下木戸を衝く。

 もう一隊は沼間慎次郎率いる230人。南西に進んで瀬尾村付近で大谷川を渡渉。そこで、さらに隊を二手に分け、80人を日光の彦根兵への備えとしてその場に配置し、150人が攻撃開始時刻に合わせて上木戸を衝く。

 最後の一隊は300人。栗原村の西方、今市宿から約1里(4km)の小百村に残し、背後を守らせる。

 また、これとは別に今市宿北の茶臼山には猟師隊を配し、大鳥は、最低限の兵と共に小佐越村の本営に留まるというものであった。

 大鳥の説明に異議はない、と思われた時、ざわめきが広がった。

「全軍を一点に集めるべきだ」

 上木戸を任された沼間が声を荒らげる。分散は数的優位を自ら捨てるに等しい、と。数名がこれに同調した。

 沼間慎次郎――幕臣の家に生まれ、フランス陸軍士官からフランス式兵法を学び、早くから西洋式戦術に通じていた。

 大鳥は顔色一つ変えなかった。

「敵は広く兵を割いている。今市は平地で守りに向かぬ。こちらが分けても、なお数で勝る」

 沼間も引き下がらない。

「敵が兵を分けているのなら、なおさら全軍一点に集中して圧倒的な数的優位で敵をせん滅すべきだ」

 議論は平行線をたどる。

「戦況に応じて小百の部隊が今市を衝けば、沼間殿の言う数的優位は十分に確保できる」

 現場指揮官による戦術批判は作戦に影響する。沼間は自ら一歩引いた。

 大谷川渡河の違いも議論になった。

 橋を渡る下木戸隊と歩いて渡る上木戸隊。渡河に要する時間に差異が生じる可能性が十分にある。仮に上木戸隊の渡渉が遅れた場合、下木戸隊は、森友村付近での待機を余儀なくされる。長時間の待機は、新政府軍に発見される可能性が高まる、という意見である。

 これに対して大鳥は、大谷川の渡河に支障がないとの報告があり、同時攻撃に問題はないこと、上木戸隊の渡渉が若干遅れることを見越した作戦立案である旨を説いた。

 沼間をはじめ、居並ぶ指揮官はおおむね同意し、大鳥が示した作戦で翌日の戦闘に臨むことが決定した。

 各隊の指揮官を相手に論陣を張った大鳥。その大鳥の言葉は、終始、理路整然としていた。しかし、大鳥の胸の奥では迷いが燻っていた。

 およそ1ヶ月前、壬生・安塚の戦い――。大鳥は今回と同様の作戦で臨んだ。二つの部隊による正面と背後からの両面攻撃。しかし、作戦当日の豪雨。背後を衝く迂回部隊が道を失い、正面の兵が孤立して敗れた。敗北の苦い記憶が甦る。

 総大将が不安を見せてはならぬ。あの時の天候は予測できなかった。明日は違う。天候も踏まえた作戦である。大鳥は己にそう言い聞かせた。

 その夜。

 軍議から戻った永倉が、大和に作戦を伝えた。二人は山川隊に加わり、下木戸を攻める。

 作戦に口を挟む余地は大和にはない。だが胸の奥に小さな棘が刺さっていた。二手に分かれた部隊はどうやって連絡を取り合うのか。刻一刻変わる戦場で、誤報や伝令の遅れが命取りになる――。ふと思い出される土方の言葉。

「……大丈夫か?」

 永倉は、思案に暮れる大和に声を掛けた。

「いくら数が多いとは言え、本当に部隊を分けてよいのでしょうか?」

 永倉は答えた。

「お前の心配も分かる。壬生攻めのとき、俺は正面から攻め込んだが、一向に別動隊が現われなくて、さすがに俺も覚悟した。だから、今回は、俺の配下に命じて周辺を探らせた。大鳥さんの策は間違いない」

 そして、永倉は大和に顔を近づけて声を潜めた。

「板垣が、今市にいねぇらしい」

 その名に大和は息を呑んだ。土方が警戒していた男。その男が不在ならば、と心が軽くなる。安易な安堵であることは分かっていながらも、大和は明日に備えて眠りにつこうと目を閉じた。

 外は深い闇に包まれていた。

 ただ一つ、誰も気づかなかったことがあった。――夕刻、日光の山々が白い霧に沈み、その姿をすっかり隠していたことを。


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