第11話 慶応4(1868)年閏4月19日 今市前哨戦
田島宿での軍の再編と休息を終えた会幕軍は、今市宿奪取を目指して動き出した。
閏4月14日、山川大蔵が率いる第三大隊300人が先発し、翌15日には大鳥圭介の第二大隊350人と諸隊50人が続いた。会津西街道を南下し、前進拠点とする藤原宿へ。大和も永倉と共に14日に田島宿を発った。
15日、会津藩は新政府が示した降伏条件を正式に拒絶した。これまで会津藩は、表面的には新政府に対して恭順の意を示し、表立った軍事行動を行ってはいなかった。しかし、これ以降、会津は表裏なく徹底抗戦の道を選ぶこととなる。
もはや戦いから退く術はない――その覚悟を胸に、兵らは黙々と草鞋を進めていった。
16日、山川は第三大隊の一部の部隊に、本隊に先駆けて更なる前進を指示。地元で募った猟師たちの狙撃部隊と共に、藤原宿の南、鬼怒川東岸・高徳宿の峠筋と西岸・柄倉村の山間に兵を潜ませた。
会津西街道は、高徳宿の南・大桑宿のある大桑村の北部から隘路が連なる。つまり、南下する会幕軍の進路は、大桑村が隘路の出入口となる。今市宿への作戦行動のために隘路の出入口を押さえ、その後の南下の道を確保するための部隊配置であった。
17日、第三大隊、藤原宿到着。山川は、この日から翌日にかけて、大桑宿周辺の動向を探るため斥候を放った。
18日、斥候が大桑村近くで新政府軍と遭遇。少しの銃撃戦に臨んだ後に山川の指示に従って藤原宿へ撤退した。報せを聞いた山川は頷き、第三大隊本隊を率いて藤原宿から出発。鬼怒川を渡って、西岸の小佐越村に陣を敷いた。ここまでは山川の戦術とおりに事が運ぶ。
一方の今市宿に滞陣する新政府軍――斥候が大桑宿で会幕軍と遭遇したという報告を受けて、対応に迫られていた。先制攻撃と今市宿での専守防衛。戦術をめぐり紛糾する軍議。総指揮官の板垣は、大桑村以北の隘路を危険視し、限りのある兵力の消耗を避けるべきとの理由で今市宿での待機を主張した。だが、進軍を強く求める多くの将兵の主張に折れた。
19日未明。白み始めた空の下、土佐兵200余人が今市宿を出発した。しばらくすると日光駐留の彦根兵約100人が合流して総勢300。軽装に赤い『しゃぐま』を頭にかぶせた土佐藩将校に率いられ、足早に北を目指す。この時、土佐兵の銃弾はわずか一人十発ほど。隊を率いる板垣の副官・谷干城は、会幕軍を侮り、朝駆けの奇襲で勝負を決めるつもりであった。
高徳宿と大桑宿のほぼ中間に位置する鬼怒川西岸の栗原村。村の南側を西から東に流れる砥川。川を渡る湿った風が吹き抜ける。砥川の北側には永倉新八率いる靖兵隊が潜んでいた。その数40。その役目はただ一つ――新政府軍を隘路へ誘い込むこと。大和も付き従った。
「来たか……」
永倉が呟いた瞬間、川の南岸からざわめきが近づいてくる。新政府軍300の姿が視界に広がった。数の差は歴然。大和の背筋に冷たい汗がつたった。初めての本格的な戦闘だった。
正面からぶつかれば全滅は明らか。永倉にも緊張が走る。
「今度は赤いもじゃもじゃか、薩長め」
永倉が吐き捨てる。しゃぐまの鮮烈な赤が、朝もやの中で異様に揺れていた。
「……相手は土佐ですよ」
「いいんだよ。先に仕掛けてきたのは薩長だからな」
大和は笑いを堪えきれず、小さく噴き出した。
(まったく、あいつと同じことを言ってる……)
やがて永倉の合図で銃声が響いた。砥川を挟み、火花が散る。乾いた発砲音と火薬の匂いが鼻を突き、山肌に反響した。しかし、程なくして新政府軍の銃声が途絶えた。弾が尽きたのだ。赤い頭を揺らした土佐兵が刀を抜き、橋を駆け渡る。これに続く兵たち。橋を渡り終えた人影が、まるで銃口から放たれた火花のように広がり、黒い波となって押し寄せる。永倉は即座に退却を命じた。
しばらくして隘路に入ると、永倉は足を止めた。
「かかったな」
振り返った永倉の目に、隘路へ進み込む新政府軍の姿が映った。永倉たちは、そのまま本隊の待つ小佐越方面へと退いて行った。
新政府軍を指揮する谷は、撤退する会幕軍の追撃を命じた。板垣の反対を押し切って進軍を選んだ以上、何としても戦果を挙げねばならない――谷の胸奥には焦りが渦巻いていた。
砥川を越えて栗原村を事実上占領すると、谷は兵を三つに分けた。
一隊は谷指揮の土佐隊がそのまま北上、別の土佐隊が鬼怒川西岸沿いを進んでそれぞれ小佐越村へ向かう。そして残る彦根隊に鬼怒川東岸の会津西街道を北上させた。小佐越村の会幕軍の側面を衝くためである。
慎重に前進する谷率いる新政府軍。だがその進軍を嘲笑うかのように、山々から銅鑼とラッパが鳴り響く。音が反響し、あたかも大軍に囲まれたかのような錯覚を生む。
「脅しだ! 構わず進め!」
谷の声が響く間ももなく、直後に周囲から銃弾が飛んだ。狙撃により兵が倒れる。猟師隊の仕業だった。彼らの銃は古い火縄銃だが、自らの銃の特性と山を知り尽くす猟師の腕前は恐ろしく正確だった。
鬼怒川西岸を進んでいた二部隊の土佐兵は、木陰に身を潜めるしかない。だが、銃撃が止むのを待っている暇はない。撤退した会幕軍がきびすを返して迫ってきていた。退却していったときより人影が濃い。永倉の兵と本隊から派遣された兵が合流して攻め寄せてきたのであった。
「赤毛をすべて残らず引き抜いてやる!」
永倉が叫ぶ。子供じみた言葉に大和は心中で苦笑するしかなかった。
(戦の最中だというのに……やはり新選組の生き残りは異様だ)
一方、鬼怒川東岸に渡った彦根隊も、高徳宿後方の山からの銃撃を受けて街道の北上が困難となり、来た道を引き返して西岸へ戻ることになっていた。
しばらくすると、東岸から聞こえていた銃声が消えた。不思議に思う谷の元に彦根隊からの伝令が銃撃をかいくぐりやってきて伝えた。
「東岸の敵が川を渡って後方の大桑村へ進出する動きあり」
谷は敗北を悟った。このままでは四方を会幕軍に囲まれ袋の鼠である。
「退け! 退けい!」
谷は急いで全軍に後退の指示を出した。
その頃、本隊が待機していた小佐越村では、新政府軍が策にはまって鳴り響く銃声の音を合図に全軍が移動を開始していた。
新政府軍は、会幕軍の包囲を破り、辛うじて大桑宿にたどり着いた。
谷は退却の際、栗原村から大桑村に続く道の左右に一部の部隊を潜ませた。この部隊は、追撃してくる会幕軍が近づくと数少ない弾丸を使って銃撃を行った。これに驚いた会幕軍は、陣形を整えるべく一度後方に退き、この間に新政府軍は大桑宿に退却したのであった。
明け方からの作戦行動で疲労困憊。負傷者も多く、弾薬も尽きた。戦闘継続の是非を迷った谷は、恥を忍んで事の次第を今市宿の板垣に報告するため伝令を走らせた。
新政府軍を大桑村まで後退させた会幕軍は、態勢を立て直すと再び砥川を越えて大桑宿の新政府軍への攻撃を開始した。劣勢に立たされる新政府軍。しかし、昼八ツ(午後2時)頃に今市宿から板垣率いる援軍が到着すると、戦局は新政府軍優位に傾いていった。
そこに、今度は山川率いる第三大隊が小佐越村から到着して戦闘に加わった。数で勝る会幕軍が優位に戦闘を進めていく。不利を悟った板垣は、夕七ツ(午後4時)頃に今市宿への転進を指示。会幕軍の追撃を抑えるために大桑村に放火して今市宿に引き揚げた。この放火によって進路をふさがれた会幕軍も新政府軍の追撃を断念、小佐越村の陣に引き返していった。
板垣も今市宿の戦略上の重要性を理解していた。限られた兵力で今市宿を防衛しなければならない中、この戦闘の敗北により、想定外の損害を出してしまった。こうして今市宿の北を流れる大谷川を越えて攻勢に出る選択肢を失ってしまったのであった。
他方、会幕軍は、大谷川の北側地域での自由な作戦活動が可能になった。
土方の描いた今市宿の確保。これに至る道筋が明確になったのである。
この日の夕方、大鳥率いる第二大隊も小佐越村に到着した。そして、戦闘に勝利した気運をもって今市宿総攻撃が21日に決定された。




