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戊辰役秘録4 山河を駆ける  作者: 氷乃士朗
第一部 今市
11/68

第10話 慶応4(1868)年閏4月10日 鬼の背

 閏4月10日。若松の町並みに、朝靄がうっすらと垂れていた。

 大和は間をおかず、軍医・松本良順と共に土方のいる清水屋旅館を訪ねた。


 大和が会津に入った4月29日、大鳥率いる旧幕府軍は今市宿近郊での小規模な戦闘で新政府軍に敗北した。その後、日光山間部の隘路を抜けて閏4月4日に田島宿に到着、会津軍と合流した。同じ日に若松を発った大和も、その日の夜には田島宿に到着して会津・旧幕府連合軍に加わった。

 久方ぶりに休息に浸る兵たち。その一方で、大鳥たち幹部は連日軍議を重ねた。軍議の中、山川は土方に授けられた戦略を示す。議論の末、この戦略を軸として進軍目標・全軍の再編成が行われた。宇都宮以降戦功に乏しい大鳥は、これに従わざるを得なかった。

 第一大隊――450人。会津中街道を那須三斗小屋方面。

 第二大隊――350人。会津西街道を今市方面。

 第三大隊――300人。会津西街道を今市方面。

 第四大隊――200人。那須方面及び白河方面。

 大和が若松で山川がしたためた書状を差し出すと、第三大隊への配属を命じられた。総督・大鳥、副総督・山川の指揮の元、第二・第三大隊にその他の諸隊を加えて総勢700人で今市を目指す。

 大和は一人の士官の元へ案内された。士官は、一通り鋭い視線を大和へ向けると一言だけ発した。

「ついてこい」

 士官は、大和に背を向けると歩き出した。右手には手紙のようなものを握り締めながら。

「あの人は?」

 大和が近くにいた兵士に声を掛けると、その答えが小声で返ってくる。

「靖兵隊の永倉新八殿、元新選組の……」

(また新選組か!)

 元新選組二番隊組長・永倉新八――。新選組最強と謳われた男である。大和と同じ神道無念流の免許皆伝の使い手であり、新選組結成前からの古参の幹部隊士であった。しかし、勝沼での敗戦後に近藤たちと袂を分かち、新たに靖兵隊を結成して大鳥軍に合流していた。

 その日から、田島滞在中に永倉は大和に剣術の稽古をつけた。時に厳しく、時に静かに。大和は必死に食らいつく。土方に刀さえ抜かせることができなかった己の未熟さを払拭するために。

 ある日の明け方、大和は一人で川原へ向かった。そして、刀の鞘の先端で水を掻き揚げては突きを入れる、例の動作を繰り返した。

「何をしている?」

 大和が振り向くと、視線の先には険しい顔の永倉が仁王立ちしていた。集中するあまり気配に気付かなかった。否、それが永倉という男なのかもしれない。

「これは……」

 言葉に詰まる大和。

「あの人の『お遊び』か……」

 永倉の頬がわずかに緩んだ。

「貸してみろ」

 永倉が差し出す左手に、大和は刀を置いた。永倉が刀を握った次の瞬間だった。大和の顔に水しぶきがかかる。と当時に、鞘の先端が目の前に突きつけられる。その神速と言える動きに、大和は尻餅をつく。

 呆然とする大和に永倉の厳しい視線が注がれる。

「お遊びは基本ができてからだ。上辺だけなぞるな」

 その日を境に稽古はさらに苛烈を極めた。

 その数日後だった。軍医・松本良順の一行が若松に向かうこととなり、軍議の結果の報告も兼ねて大和は護衛を命じられた。剣の修練を続けたい気持ちと、結に再び会えるかもしれぬ思いが胸中で揺れ動く。


 大和は松本と共に清水屋の暖簾をくぐった。

「久しぶりだな。君が宇都宮城を落とした話が伝わると、江戸は大騒ぎだったよ。戦えば勝てる、とね」

 松本の言葉に対し、土方は不機嫌そうに返した。

「結局、宇都宮城は薩長に奪われ、俺はこの有り様だがね」

 松本良順――。佐倉順天堂の創始者・佐藤泰然の次男で、江戸城の奥医師、西洋医学所頭取、幕府軍軍医を務めた。土方とは京都以来の旧知の仲であった。

 松本は早速、土方の足の傷の診察を開始した。思いのほか傷が深いことに戸惑ったが、それ以上に的確になされた傷の手当てに驚きを隠せなかった。

 しばらくして、宿の奥から結が現れる。姿が見えないことに不安を抱えていた大和の胸に安堵が広がる。

「君は確か、壬生の……」

 結を見つけた松本が微笑む。

「先生、ご無沙汰しております」

 結の父とは長崎で医学を学んだ頃からの縁――。互いに日本の医学を語り合った友であり、娘である結とも面識があった。

「君がいるなら安心だ」

 そう告げると、松本は土方に人払いを依頼した。閉ざされた座敷に緊張が満ちる。土方の前で座り直した松本は、神妙な面持ちで話し始めた。

「近藤君が板橋で斬首された。半月ほど前だ。沖田君の容態も悪い。もう長くないだろう」

 言葉の重みが室内に沈む。土方はただ目を閉じ、動かない。松本はそれ以上何も言わず、静かに座を辞した。

 わずかに開いた襖の隙間から見える土方の背中。その背は小さく震えていた。――それは鬼の副長ではなく、友を失った一人の男の姿だった。

 しばらくして大和と結が部屋に入ると、土方は縁側近くに腰を下ろして外を眺めていた。結が湯呑を片づけ始め、土方は背を向けたまま大和に報告を促した。田島での軍議、道中の見聞。大和は細心の注意を払いながら語る。

「ほかに何かあったか?」

「強いて言えば、農民が武器を持って歩き回っていました」

「農兵か……。会津は戦に備えて集めていると聞いていたが……。侍の喧嘩に農民を巻き込むとは情けねぇ話だ。だが、それだけこの国は疲弊してるってことか」

 土方の声には苦みが滲んでいた。

「……それと、最近は曇りや雨が多くなっています」

「長雨の季節か。そういえば今市宿の脇に川が流れていたな……」

 背中を見せたまま呟く土方。大和には、その横顔をうかがうことはできなかった。

 やがて、結が淹れたての茶を二人に出し、部屋の隅に腰を下ろした。促されるように土方は振り返り、大和に声を掛けた。

「ここから(たつみ)(東南)へ1里(約4㎞)言ったところに、傷の療養に通っている温泉がある。今日はそこに泊まるか? なかなかいい湯だぞ」

 軽口めいた調子の中にも、どこか無理をしている響きがあった。

「結のそばにいたいのなら、無理にとは言わねぇがな」

 挑発めいた言葉に大和は即答した。

「本日はそちらにお世話になります」

 そこまで言われてここに泊まるとは言えない。大和が横目で結を見る。結は感情を見せず、ただ静かに座していた。

 土方がしたためた書状を手に、温泉宿へ向かう大和の胸中に去来する。

(今日のあいつ……無理をしていたな)

 温泉の湯に身を沈めながらも、大和の脳裏には、震える背を見せた鬼副長の影が焼き付いて離れなかった。

(本当にいい湯だ……)

 翌日早朝、大和は田島へと戻っていった。


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