表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

98/207

紅蓮仙途 【第195話】【第196話】 茶湯立てる 黄泉の女微笑む 光芽生ゆ

【第195話】茶を点てる黄泉醜女との邂逅


 闇の底を歩いていたはずだった。

 血と腐臭に満ち、亡者の呻きが響く黄泉の道。

 だが、蓮弥たち三人が幻の試練を脱した瞬間、その世界はまるで反転するかのように色を変えた。


 目を開けると、そこには静かな座敷が広がっていた。

 畳は青く香り、障子から柔らかな光が差し込んでいる。

 先ほどまで聞こえていた亡霊の叫びも腐臭もなく、ただ湯が煮立つ音と茶葉の清らかな香りが漂っていた。


 「……ここは……?」

 セリナが呆然とつぶやく。

 ルナは狐の姿から人に戻りつつあり、四尾を揺らして周囲を警戒していた。


 座敷の中央、黒漆塗りの台の前に一人の女が座していた。

 黒髪は絹のごとく艶やかに流れ、白磁のような肌に薄紅をさした唇。

 着物は深緋に金糸の文様が織り込まれ、動くたびに花が揺れるように見える。

 その姿は、これまで彼らが戦ってきた「黄泉醜女」の醜悪な姿とは似ても似つかない。


 女は茶筅を手に、静かに茶を点てていた。

 しゅん、しゅんと湯をかき混ぜる音が座敷に響き、心を落ち着ける。


 「……黄泉醜女……?」

 蓮弥が警戒の色を濃くして声を漏らすと、女はふと顔を上げ、優美に微笑んだ。


 「ようこそ。あなたたち三人……試練を超えて、よくここまで来ました」


 その声音は鈴の音のように澄んでいて、しかし背筋に冷たいものを走らせる神秘があった。


 「試練……?」

 セリナが眉をひそめる。

 女はこくりと頷き、用意していた茶碗を一つ、蓮弥の前に置いた。


 「そう。あなた方が見てきたものは幻。己の弱さを突かれる幻を越えられぬ者は、この先に進むことはできません」


 蓮弥は黙って茶碗を見つめた。

 翠玉のように澄んだ抹茶が湯気を立て、わずかな苦みと甘みを予感させる香りを漂わせる。


 「……なぜ茶など……」

 ルナが訝しげに言うと、女は微笑みながら答えた。

 「茶は心を映すもの。黄泉で真の姿を隠し続けてきた私が、こうして茶を点てるのは、あなた方に祝福を告げるため」


 「祝福……?」

 蓮弥の胸にざらついた感情が湧いた。


 祝福など、自分のような者が受ける資格があるのか。

 金丹を砕かれ、仲間すら守れず、ようやく幻から逃れただけの弱者に――。


 女はその心の揺れを見透かすように、柔らかに視線を注いだ。

 「あなたは自らを弱いと思っている。それは間違ってはいない。けれど、弱さを受け入れ、なお前に進もうとする者にしか、この茶は口にできないのです」


 蓮弥の喉が鳴った。

 茶碗を手に取ると、熱が掌に伝わる。

 口に含むと、苦みがまず舌を刺し、やがて柔らかな甘みが広がった。


 「……これは……」

 体の奥に沁みわたり、崩れた丹田の周りに微かな灯がともる。

 砕けた金丹の破片が、再び寄り集まり、細い糸のような真気を結び始めていた。


 「再結丹……?」

 セリナが驚きに目を見張る。


 女は静かに頷いた。

 「そう。金丹は一度砕ければ、再び築くのは至難。だが、あなたの心に芽生えた『守りたい』という願いが、再生の火種を呼んだ」


 蓮弥は深く息を吐いた。

 己の内側に、確かに再び生まれつつある光を感じる。

 まだ微かな兆しに過ぎない。だが、それは絶望の闇を裂く小さな焔だった。


 「……俺は……」

 彼は拳を握り、仲間を見やった。

 セリナは微笑んで頷き、ルナは四尾を揺らして「行こう」と告げるように見返していた。


 女は二人にも茶を差し出した。

 セリナは迷わず口に含み、張り詰めていた魔力の乱れが落ち着くのを感じた。

 ルナは香りを嗅いでから舌先で味わい、九尾を失った記憶の痛みがわずかに和らぐのを覚えた。


 「……幻を脱したことを祝福します。あなた方は次の道へ進むことを許される」

 女はそう告げると、茶筅を静かに置き、立ち上がった。


 次の瞬間、座敷の障子が音もなく開く。

 そこには深い闇と、遠くに淡い光を放つ道が続いていた。


 「行きなさい。次なる試練が待っています」

 女の声音は優しさと同時に、試練を課す者の冷徹さを含んでいた。


 蓮弥は振り返る。

 女の姿は再び霞み、どこか悲しげに揺らめいていた。

 もしかすれば――彼女こそ、黄泉に縛られ、美しい姿を見せることの叶わなかった「真の黄泉醜女」なのかもしれない。


 だが、問いかける前に、扉は闇に閉ざされていった。


 三人は無言で互いを見やり、そして歩き出した。

 新たな光の方へ。

 蓮弥の胸の奥で、砕けた金丹の破片がかすかに脈打ち、再び力を求めて形を変え始めていた。




【第196話】鬼と蒼汰の残響


 黄泉の道は果てしなく続いていた。

 空は墨を流したように黒く、地平のどこにも光がない。歩を進めるごとに、足下から「ずるり」と何かを引きずる音が響き、腐敗臭が鼻腔にまとわりつく。


 蓮弥は前を行く二人に目を向けた。セリナは顔色を強ばらせ、何度も額を押さえている。黄泉の瘴気が彼女の魔力を圧迫しているのだろう。ルナも尾を膨らませ、耳を鋭く立てて警戒していた。


 「油断するな……この道に踏み入った者は、誰も安全じゃない」

 蓮弥の声は低かった。彼自身も、砕けた金丹の代償として、内に渦巻く虚脱感を抱えている。だが、止まるわけにはいかなかった。


 その時だった。

 ――ドンッ。

 地の奥底から鼓動のような衝撃が走り、地面が震えた。暗黒の彼方から、巨大な影が立ち上がる。


 「グォォォオオオ!」

 咆哮とともに現れたのは、背丈三丈を越える鬼。皮膚は煤けて裂け、筋肉から黒い血が滴っている。両の瞳は血走り、ただ生者を引き裂くためだけに存在していた。


 「来たな……!」

 蓮弥は拳を構えた。


 セリナが即座に詠唱を開始し、雷の弧を描く。ルナの尾が炎を纏い、舞うように前へ飛び出す。三人の連携が形を成すより早く、鬼の腕が地を薙ぎ払った。衝撃で岩が砕け、砂塵が巻き上がる。


 蓮弥は身を翻し、鬼の膝へと拳を叩き込んだ。

 「はぁッ!」

 金丹を失ってなお、彼の肉体は「金鋼経」の修練によって強靭だった。拳は石を砕く鋼の如く重く、鬼の関節を軋ませた。


 その隙を逃さず、セリナの雷撃が鬼の肩を焼く。続けてルナの尾が炎を巻き、黒き肉を焦がした。


 「オオオオオ!」

 鬼は吠え、暴れ狂う。凄まじい力が襲い掛かり、蓮弥は幾度も拳を交わした。衝撃で皮膚が裂け、血が飛ぶ。だが退かない。


 数合の攻防の末、ついに鬼は崩れ落ちた。荒い息を吐きながら、三人は互いの無事を確認した。

 しかし――その瞬間、倒れ伏した鬼の姿が変わり始めた。


 肉が縮み、輪郭が人の形を取り戻していく。

 「……っ!」

 蓮弥の目が揺らぐ。現れたのは、かつて共に戦った青年の顔。


 「……蒼汰……?」


 血に濡れた顔がゆっくりと開き、かすかな笑みを浮かべた。

 「……蓮弥……か……」


 心臓を握り潰されるような感覚だった。蒼汰。かつては共に修行し、秘境に挑み、背中を預け合った戦友。だがある時を境に、それぞれの道を歩んだのだ。


 「……お前……生きていたはずじゃ……」

 蓮弥の声は震えた。


 蒼汰は苦しげに息を吐く。

 「いや……俺はもう、生者じゃない。あの後、別の仲間と共に深層の秘境に挑んだ。そこで……俺は死んだ」


 その言葉は、刃となって蓮弥の胸に突き刺さる。


 「俺たちは力を得たつもりで……慢心した。だが修仙の道は……そんな甘いものじゃなかった。ひとつの油断が仲間を殺し、俺をも殺した。屍の山の中で、俺は何もできず……ここに堕ちた」


 セリナが息を呑む。ルナの尾がかすかに震えた。

 修仙の道は栄光だけではない。大多数は途中で倒れ、名も残さず土に還る。


 蒼汰はそれを、自らの姿で証明していた。


 「蓮弥……お前は俺と違って生きている。進め。俺のように道半ばで倒れるな。修仙とは……屍を踏み越えて進む道だ」

 その言葉は残酷で、しかし紛れもなく真実だった。


 蒼汰は震える手で懐から小さな包みを取り出した。

 「……これを……親に届けてくれ。俺は……果たせなかった。せめて、親にだけは……」


 蓮弥の手が震えながらそれを受け取る。

 「必ず届ける。お前の想いを……俺が繋ぐ」


 蒼汰は安堵したように笑った。

 「……それでいい。俺にはもう未練はない。蓮弥……強く生きろ。甘さは……死を招くだけだ」


 その体が光に包まれ、少しずつ崩れていく。

 「俺は……輪廻転生へ行く。お前は……ここで立ち止まるな……」


 最後の声を残し、蒼汰は光の粒となって消えた。


 残されたのは小さな包みと、胸を焼く虚しさ。


 蓮弥は拳を強く握った。

 「修仙の道は……非情だ。夢を追い、力を求め……だが誰もが生き残れるわけではない。蒼汰、お前の死を無駄にはしない」


 セリナは震える声で言った。

 「あなたたちの修仙の世界は……本当に、あまりに残酷……」


 ルナも尾を垂れ、低く呟いた。

 「……だからこそ、前に進む者は強くならねばならない……」


 蓮弥は二人を見やり、強く頷いた。

 「俺たちは進む。この道を……どれほど血で汚されようとも」


 三人は再び歩き出す。

 背後に残されたのは、黄泉に散ったひとつの魂の余韻と、修仙の道の無慈悲な現実だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ