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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途 【第183話】【第184話】 封じられし 手紙に宿る祈り 夜空仰ぐ

【第183話】母の手紙


 仙山の庭院に漂う霊気は、時間を忘れさせるほど澄み渡っていた。

 蓮弥は資質の測定を終え、胸に重い影を落としたまま、広場の片隅に立ち尽くしていた。


 風牙は修士たちに囲まれ、次代の俊才として称えられている。セリナは外客として受け入れられ、ルナは妖として特別な立場を得た。

 だが、蓮弥だけは「下下」と烙印を押され、誰からも期待されぬまま取り残されていた。


 そのとき、庭院の奥からもう一人の修仙者が現れた。

 先ほどの壮年とは異なり、柔らかな面立ちをした中年の修士である。

 彼は静かに歩み寄り、蓮弥の前に立った。


「蓮弥殿、と申したな」

「……はい」

 蓮弥は緊張の面持ちで応じた。


 修仙者は袖の中から一通の巻簡を取り出した。

 古びてはいるが、封は光を帯びており、霊気を孕んでいるのがはっきりと分かる。


「これは、おぬしに託されたものだ。仙山に残るものとして、我らは長きにわたり守ってきた」


 そう言って、彼は巻簡を蓮弥に手渡した。


 震える手で封を解くと、中から淡い香りが漂った。

 墨跡は不思議なほど新しく、書き手がつい先ほど記したかのように鮮明であった。


 そこには、こう記されていた。


――

蓮弥(弥太郎)へ。


 この手紙を読む頃、母はすでにこの人界を去っていることでしょう。

 母は丹心宗の外門に生まれ、やがて仙山に招かれ、修行を重ねて化神期に至りました。

 その先には、さらに広き霊界の道が開けておりました。


 けれど、母にはおまえという子がいた。

 幼き蓮弥を置いて行くことは、心引き裂かれる思いであった。

 それでも、霊界の縁を拒めぬのもまた修仙者の定め。


 せめて――母の血を受けたおまえが、この仙山で修行の道を歩むことを願い、唄を残しました。

 その唄が、おまえを呼び寄せる。

 「風よ、静らかに。眠りを守れ」

 その調べは母の祈り。おまえを導くための道標。


 資質の優劣に惑わされてはならない。

 才は天より与えられるが、志は己が選ぶもの。

 おまえが歩むならば、仙山の門は必ず開けよう。


              ――母より

――


 読み終えた瞬間、蓮弥の胸に熱いものが込み上げた。

 ずっと知らぬままだった母の存在。

 そして彼女が、自分のために唄を残し、この仙山に託してくれていたこと。


 涙がこぼれそうになったが、彼は必死に堪えた。

 唇を噛み、背筋を伸ばす。


「……母上……」

 その小さな声は、誰にも聞こえなかった。


 傍らの修仙者は、蓮弥を見据えて言った。


「本来であれば、資質の浅き者を弟子として迎えることはない。しかし――汝の母は仙山において尊き存在であり、化神に至りし方。その言葉を我らは無視できぬ」


「つまり……」蓮弥が顔を上げる。


「汝は母の縁により、この仙山に留まることを許される。弟子として修行を積む資格を与えよう」


 その言葉に、周囲の修仙者たちはざわめいた。

 中には不満を露わにする者もいたが、母の名を口にした瞬間、誰も反論できなくなった。


 風牙が駆け寄ってきた。

「蓮弥! よかったじゃねえか! これで一緒に修行できるんだな!」


 その顔は心からの喜びに満ちている。

 資質の差を意識している様子もない。


 蓮弥はうなずき、苦笑を浮かべた。

「……ああ。でも俺は、母のおかげで残れただけだ。風牙みたいに、実力で認められたわけじゃない」


「そんなの関係ねえさ」風牙は笑い飛ばした。

「結局はこれからどう生きるかだろ?」


 その言葉は、蓮弥の心を支える光となった。


 セリナとルナも近づいてきた。

 セリナは微笑み、軽く肩を叩く。

「やっぱりね、あんたは選ばれた子だったのよ。お母様が残してくれた唄、それが証明しているわ」


 ルナは尻尾を揺らしながらにっこりと笑った。

「蓮弥、母の声って……あったかいんだね。だから私も、蓮弥を守りたいんだ」


 蓮弥は二人の言葉を胸に刻んだ。


 こうして――

 風牙は資質の高さから正式な入門弟子として迎えられ、

 蓮弥は母の遺命により仙山に残ることとなった。


 道は異なれど、二人は同じ門をくぐった。

 だが、その先に待ち受ける修行と試練は、想像を超えるものであることを、まだ知る由もなかった。




【第184話】母に至る道


 仙山の修士から渡された手紙を読んだ夜、蓮弥の心は激しく揺れた。


 母は生きている――それもただの生ではなく、化神を果たし、人間界を超えて霊界へと昇ったのだ。

 この人間界の上には霊界がある。そこは選ばれた修仙者のみが至れる修行の地。さらにその上に、仙界があるという。仙界こそ、真に「仙人」と呼ばれる存在が暮らす世界。


 しかし――この人間界には、本当の仙人はひとりとして存在しない。

 霊界へ昇るのは、ただ一握り。化神に到達し、天命に認められた者だけ。


 母はすでに霊界にいる。

 だが蓮弥はまだ結丹を成したばかりで、化神どころか元嬰にも遠い。

 その差を思うと、嬉しさと同時に重苦しい焦燥が胸を締めつけた。


 夜更け、彼は高台に立ち、星を仰いだ。

 子守唄が静かに響く。


「かぜよ。しずらかに。ねむりをまもれ……」


 その声は、他の誰にも届かぬ。蓮弥だけのために歌われている。

 胸の奥で震える温もりは、幼き日の記憶を呼び覚ました。

 ――母の腕に抱かれ、眠りに落ちる寸前に聞いたあの調べ。


「母上……会いたい。けれど、この人界では、もう」

 蓮弥の声は夜に溶け、決意へと変わる。

「ならば、私は必ず化神に至り、霊界へ昇る」


 翌朝、仙山の修練場。

 蓮弥は夜明けと同時に座を組み、呼吸を整え、結丹の丹田を練り上げていた。

 だが、周囲から向けられるのは羨望ではなく、嘲笑である。


「ほう、凡庸な丹田を磨き続けているのか」

「資質の測定で最低を記したのに、まだ諦めないとは」

「母が偉い修士だったからといって、子が同じとは限らぬ」


 囁きは耳に入る。だが蓮弥は無視した。

 霊界に昇り、母に会う。そのために歩みを止める理由はない。


 セリナは雷を操り、仙山の修士たちをしばしば驚かせていた。

 「外から来た魔法使い」という立場で彼女は資質を測られる必要もなく、自由に術を振るえる。

 彼女が放つ稲光は、時に修士たちの術を凌ぎ、羨望の視線を集める。


 一方、ルナは四尾の妖狐として、霊火を丹炉に注ぎ続けていた。

 その炎の精妙さは、仙山の炉を守る修士さえ舌を巻くほどだった。

 「妖狐の霊火は神秘だ」「人間の修士には真似できぬ」――そう囁かれる。


 仲間が認められてゆく中で、ただ蓮弥だけが「凡庸」と見なされる。

 それは、胸に小さな棘のように突き刺さった。


 ある夕暮れ、修練を終えた蓮弥は独りで山道を歩いていた。

 風が冷たく、夕陽が長い影を落としている。


 背後から、数人の修士の声が聞こえた。

「なあ、あいつがあの『偉大な修士の子』か?」

「母親が霊界に昇ったってだけで特別扱いされて……」

「結丹は仙山の外では強いが、ここは弱ものだ。」

「資質が下の下。弟子に混じって恥を晒すとはな」


 笑い声が広がる。

 蓮弥は拳を握りしめたが、振り返らなかった。

 彼らに応じる時間は、自分を強くするために費やすべきだからだ。


 それでも、胸の奥に熱い痛みが走る。

 ――これが現実。凡庸な才は嘲りの種でしかない。


 夜。

 再び、子守唄が聞こえた。


「つきよ。てらしませ。やさしきひかり……」


 母が自分を呼んでいる。

 その声だけが、蓮弥の心を支えていた。


「母上……私は必ず行きます。必ず霊界へ」

 星空を仰ぎ、彼は小さく誓った。

 人間界に留まるだけでは終わらない。

 霊界を目指し、仙界へ――母が見た景色を、自分も追い求めるのだ。


 こうして、蓮弥の仙山での修行の日々は始まった。

 だがその背に、すでに影が迫っていた。

 凡庸と軽んじられる者は、やがて標的にされる。


 母の声が灯火となり、蓮弥を導く。

 しかしその道は、平穏では終わらない――。


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