紅蓮仙途 【第173話】【第174話】 霊火散る 師の夢胸に 春の炉
【第173話】別れと継承
密室を裂く爆音の余響が、耳の奥で長く残った。青白い光と黒紫の雷火がぶつかり合い、空間が押し潰されるような力を生んでいる。
「兄上ォォォ!」
シュウ瑛の叫びが床を震わせ、黒炎を纏った剣が振り下ろされた。その刃は家名の呪縛を断ち、自らの欲を貫こうとする執念そのものだった。
「瑛……。迷いは、ここまでだ」
シュウ廉の魂が淡い蒼炎を湛え、掌から清浄な丹火を生む。死してもなお煉丹の核心を失わぬ師は、魂の身で弟の刃を受け止める。刃鳴りが空気を裂き、二つの力がぎりぎりで均衡した。
だが、魂の器に過ぎぬ彼には限界がある。光は細り、霊力は削がれ、時間が冷たく迫っていた。そのとき、蓮弥の胸の奥から熱が噴き上がる。
「師匠を……これ以上、傷つけさせるものか!」
剣を抜き放ち、残る霊力を全て刃に込めて突き出す。刃先は師の背を守るようにして、シュウ瑛の懐を貫いた。
「ぐ……っ!」黒血が口元を濡らし、弟の目が驚愕に見開かれる。なお手を伸ばす兄に、押し付けるように蓮弥は身を据えた。シュウ瑛は苦笑を浮かべ、吐き捨てるように言葉を零した。「……兄上……。私が……欲したのは……ただ……」その言葉は血とともに消え、体は炎に呑まれて消えた。
勝負は終わった。しかし光もまた儚い。シュウ廉の魂は薄れ、風に揺れる火の粉のようだ。蓮弥は膝をつき、壺を抱える手が震えた。セリナ、ルナも静かに見守る。悲しみと怒りと安堵が入り混じる中、師がゆっくりと口を開く。
「もう……時は尽きた。だが、最後に伝えるべきことがある」
声は小さいが確かだ。指先から淡い光が流れ、蓮弥の額へと注がれる。熱が脳裡を走り、長年の試行、火候のさじ加減、草木の気を取る術理が一気に押し寄せる。蓮弥の意識は揺れ、身体は耐えるのがやっとだ。
「蓮弥。お前に丹心宗を託す。わが一生の学び――煉丹の理を、今ここで伝える」
情報が流れ込む痛みに顔を歪め、蓮弥は歯を食いしばる。背でセリナとルナの手が支え、兄弟子たちの励ましが耳に届く。声が震えても、蓮弥は受け止める。
「師匠の願いを……受け止めます!」セリナが叫び、ルナが小さく頷く。仲間の声に支えられ、蓮弥は光の奔流を内へと沈めた。
シュウ廉の表情に安堵が広がる。「良い弟子を持った……これで丹心宗も、滅びずに済むだろう」その手はもう力を保てない。蓮弥は必死に呼びかける。「師匠、まだ……まだ消えないでください!」
だが師は穏やかに首を振り、静かに言う。「人の命運は逆らえぬ。されど、希望はお前たちの手にある。蓮弥、セリナ、ルナ……共に歩め。」
その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、淡い光はほろほろと崩れ、室内に静寂が降りた。師は、確かにそこにいたが、もういない。空気が一段と重く、胸の奥にぽっかりと穴が空く。
蓮弥は膝に落ちた涙を拭い、ゆっくりと立ち上がる。壺を抱きしめる手は固く、背負うべき重みを初めて実感する。
「師匠の遺志、必ず継ぎます」声は震えたが、揺るがない。丹心宗を守り、煉丹術を極める。師の願いに応えるための道を、これから彼らは歩むのだ。
セリナは静かに頷き、ルナが狐火で小さな灯を立てる。それは消えた魂を弔う焔であり、同時に新たな誓いの灯でもあった。
兄と弟の因縁はここで終わった。だが、師の知は蓮弥の胸に宿り、弟子たちの旅路は、これから始まる。静かな決意が三人の胸で燃え上がった。
【第174話】新たなる宗主
丹心宗の山門に、朝日が差し込んでいた。
かつてこの宗を導いた掌門――シュウ廉はもういない。だが、その遺志は弟子である蓮弥に受け継がれ、いまや彼は新たな宗主として立たされていた。
山中に張り詰めた空気の中、幾千の弟子たちの視線が蓮弥へと注がれる。白布の長衣を整え、彼は静かに一礼した。
「師の志を継ぎ、この丹心宗を守り抜く。至らぬ身ではあるが、皆の力を借りて、必ずや宗門を栄えさせてみせる」
声はわずかに震えていた。だが、その瞳には迷いのない炎が燃えていた。
弟子たちの間に静かなざわめきが広がり、やがて一斉の拝礼へと変わる。
――新たなる宗主、蓮弥の誕生であった。
しかし宗を継いだからといって、彼に安穏はなかった。
シュウ廉が託した「錬丹術」の記憶はあまりにも膨大であり、その深奥を自らのものとするには血を吐くほどの研鑽が求められた。
ある夜。
蓮弥は宗門の奥にある丹房に籠り、ひび割れた古炉を前に座していた。師が生涯を共にした炉だ。
「……師匠、見ていてください。必ず、あなたの術を完成させます」
指先を組み、炉に霊力を注ぎ込む。だが火は安定せず、草木の精気は揮発し、丹は黒ずんで崩れ落ちる。
失敗の煙が立ち上がるたび、蓮弥は唇を噛んだ。
「まだ……足りないのか」
焦燥に胸を焼かれ、掌は火傷で赤くただれた。それでも彼は炉に向かい続ける。
その背へ、温かな気配が寄り添った。セリナだ。
「蓮弥、無理をしては駄目。師匠の教えは、一夜で得られるものではないわ」
柔らかな声に張り詰めた心がほどける。
「……分かってる。でも、俺は――」
「分かるわ。あなたは宗主として師の志を背負ったもの。けれど、背負うからこそ焦らずに」
セリナは香を焚き、丹房に清らかな霊気を満たす。その澄んだ香気が、蓮弥の焦燥を静かに鎮めた。
日々は失敗の連続で過ぎていった。
転機はルナの提案によって訪れる。
「蓮弥殿。わたしの狐火をお使いなされ」
白銀の尾を揺らし、ルナは告げた。彼女の狐火は妖族に伝わる秘炎――魂そのものを燃やす火。清浄かつ鋭利で、あらゆる霊火よりも精妙だ。
「狐火を炉に宿せば、草木の精気も乱されず、濁りなく凝縮できましょう」
蓮弥は一瞬ためらった。妖火を用いるなど、かつてなら異端と糾弾された。
だが、胸奥で師の声がよみがえる。――「迷うな。正しき道は常に一つではない」。
「……頼む、ルナ」
彼は深く頭を垂れた。
儀式の日。
丹房に結界が張られ、セリナは四方に霊符を掲げ、気の流れを整える。ルナは炉の前に座し、尾を広げて蒼白き狐火を吹き出した。
「狐火――幽玄照命!」
火は炉に宿り、蒼炎が揺らめく。かつて得られなかった均衡が一瞬にして訪れた。
「今だ……!」
蓮弥は草木の霊液を注ぎ、次々と印を結ぶ。
狐火は素材の濁りを焼き尽くし、黄金の粒子が炉の内で渦を巻く。
「結べ――丹成!」
最後の印と共に轟音が響き、蒼光が丹房を満たした。
蓮弥の掌に収まったのは、真珠のごとき光を放つ丹薬。
修士を「結丹期」へと導く至高の一品であった。
静寂が戻った丹房で、三人は顔を見合わせる。
セリナは微笑み、ルナの尾は安堵のように揺れる。
「……やったのね、蓮弥」
「これで、道は開けましたな」
蓮弥は丹を見つめ、深く息を吐く。
「……師匠。あなたの夢を、俺が形にしました」
胸の奥が熱で満たされ、涙がにじむ。だが拳を握り、彼は未来を見据えた。
その後の日々は、嵐の後の静けさのように穏やかだった。
蓮弥は宗主として宗を導き、炉に向かい続ける。
セリナは符術と陣法で補佐し、ルナは狐火を貸し、時に厳しく叱咤した。
三人の絆は深まり、新しい丹心宗はかつてない活力を帯びていった。
夜、山門から見上げる空は、星々が澄み渡っていた。
丹炉の灯を背に、蓮弥は仲間と共に誓う。
「ここから始めよう。俺たち三人で、師匠の夢を――そして俺たち自身の夢を」
その声は夜空に溶け、流星のようにきらめいた。
こうして丹心宗は再び歩みを始めた。
新たなる宗主・蓮弥のもとで、修士たちの未来は確かに紡がれていくのだった――。




