紅蓮仙途 【第15話】【第16話】
【第15話】仙道の段階
城下町の市は、朝から賑わいを見せていた。石畳の通りには色とりどりの布が張られ、香辛料の匂いと焼き立ての菓子の甘い香りが入り混じって漂う。人々の声が重なり合い、遠くでは楽器の音まで響いてくる。商人たちは声を張り上げ、旅人や町人を呼び止め、珍しい品々を手に取らせていた。
蓮弥は山から持ち帰った薬草を包みから出し、薬屋の老主人に見せた。老主人は一本一本を鼻先に近づけて香りを確かめ、にやりと笑って銀貨を差し出した。手にした銀貨の重みは、山の寒さと汗の結晶だ。蓮弥はその銀貨で護符と隠れ符を買い求める。護符は邪気を退け、隠れ符は人目を避けるためのものだと店主は胸を張って説明した。
市の奥へ進むと、小さな露店が目に入った。屋根代わりの布の下、古びた木箱の上に何十冊もの本が積まれている。表紙の革は色あせ、角は擦り切れ、いくつかは虫食いの跡まである。それでも、その並びには妙な力を感じた。蓮弥は一冊、黒い表紙に金の文字が刻まれた本を手に取った。題は『仙道四段階の法』。
火の巻を手に入れて以来、蓮弥は他の術を学ぶこともなく、仙道の体系についてもほとんど知らなかった。銀貨を渡し、露店の隅に腰を下ろしてその場で読み始める。
そこにはこう記されていた。
──仙道には四つの段階がある。
第一段階、「錬気」。天地の気を吸い込み、体内で練り上げることで、己の力として扱う術。
第二段階、「鍛体」。体内の穢れを排し、筋骨と血脈を鍛え、凡人の体を仙人の器へと変える。
第三段階、「結丹」。練り上げた気を実体化させ、下腹の丹田に丸い丹を生み出す。これが仙道の基盤となる。
第四段階、「結嬰」。丹をさらに育て、人の胎児のような形を成す。これは新たな命、己のもう一つの魂とも呼ばれる。
ページをめくるごとに、蓮弥の胸の奥に何かが灯っていく。今までの修行は、ただ火の巻の力を借りるだけの不完全なものだったのだと気づく。道は遠く、しかしその先に何があるのかを垣間見た気がした。
市の喧騒は相変わらず賑やかだ。だが蓮弥の耳には、風が運んでくる天地の気のざわめきが、はっきりと聞こえていた。
【第16話】成仙
蓮弥は、露店の隅で膝を抱えたまま、本の続きを読み進めた。紙はところどころ黄ばんでおり、筆跡のかすれた文字が古の知を語っている。
──仙道の各段階には、それぞれ初期・中期・後期の三つの小段階がある。
「錬気」の初期は、天地の気を感じ取ることすら難しく、呼吸一つにも工夫がいる。中期になると、気を自在に巡らせ、武技や術に転化できる。後期に至れば、ただ座しているだけで周囲の気が集まり、自然と体内に満ちるという。
「鍛体」も同じだ。初期は体を清めるだけで精一杯。中期になれば筋骨が鋼のごとく鍛えられ、後期では老いすら寄せつけない。そして「結丹」や「結嬰」も、小段階を上るごとに天地の隔たりのような力の差が生まれるという。
──大段階の差は言うまでもない。段階を越えての戦いで勝つことは、古の伝説にしか存在しない。
その一文に、蓮弥は息を呑んだ。五十年、山奥で火の巻を頼りに修行してきた自分は、せいぜい「錬気」の後期に足を踏み入れたかどうか。仙道という道のりの、まだ入り口に立っているだけだったのだ。
さらに最後のページには、こう記されていた。
──結嬰は仙道の最終段階ではない。この著者も、その先は知らぬ。ただ、仙人が住む仙界に昇るには「成仙」が必要だという。結嬰から成仙まで、なおいくつかの段階が存在するらしいが、それらは伝承の霧に包まれ、知る者はいない。
「仙界」に対し、この地は「凡人界」、あるいは「下界」と呼ばれる。そこには限りない苦難と束縛があり、仙界はその全てを超越した場所だと記されていた。
蓮弥は、じっと本を閉じた。露店のざわめきが遠のき、自分の心臓の鼓動だけが耳に響く。
──自分はいかに無知で、そして道がどれほど遠いか。
五十年の修練を重ねても、まだ階段の最初の数段を上がったに過ぎない。あの白衣の女性──仙人のような存在に再び会うためにも、自分はもっと先へ行かねばならない。
蓮弥は本を懐にしまい、立ち上がった。市の喧騒が再び耳に戻り、陽光が石畳にきらめく。その光は、これから歩む果てしない道の輝きにも見えた。