紅蓮仙途 【第157話】【第158話】 金銀髪 水晶に映る 新しき
【第157話】守護と誕生
星光の祭壇に、深い静寂が訪れた。
だがその静けさの下で、セリナの胸奥に宿る「精神の結晶」は、なお震動を続けていた。水晶の器に無理やり詰め込まれた嵐のように、不安定な脈動を繰り返し、今にも彼女の肉体を内側から破壊しかねない。
蓮弥は印を組み、霊力を叩き込む。青白い光が波紋のように広がり、祭壇全体を覆う護法結界へと変わった。透明の壁は幾重にも重なり、外界からの干渉を遮断する。
一方、ルナは四本の尾を広げ、尾先に淡い狐火を灯した。炎は烈火でありながら静謐を湛え、祭壇に充満する余剰の力や邪気を焼き払う。結界と炎が二重の守護となり、セリナを包み込んだ。
中心に浮かぶ彼女の身体は、星光の奔流に貫かれ、時折苦痛に震えていた。胸の奥で結晶が砕けるかのように響き、その度に体表を裂く光が走る。肌は白炎に灼かれ、髪は星屑を纏うように散乱する。
セリナの意識は、光と闇の狭間に漂っていた。
無数の声が心を叩く。――お前は受け入れられぬ者。――魔種の烙印を背負う者。――孤独こそが定め。
それは過去に囁かれた恐怖の残響。彼女の中で未だ消えぬ呪いだった。
だが、護る者の気配が確かにあった。結界を維持し続ける蓮弥の霊力、邪を払うルナの狐火。その存在が、心を照らす灯火となる。
(私は……逃げない。闇も光も、私自身。ならば、この力すら抱きしめて前へ進む)
決意が結晶に注がれる。砕けかけていた核が、ひとつの律動を取り戻し始めた。
瞬間、祭壇全体が震え、爆ぜるような光が迸った。
蓮弥は歯を食いしばり、結界をさらに強化する。ルナは尾を旋回させ、狐火を渦へと変えて防壁を築く。二人の守護がなければ、光は外へと暴走し、大地すら焼き尽くしただろう。
だが彼らの献身は、セリナの内なる融合を最後まで支えた。
結晶はついに完全な形を結び、心臓の鼓動と同調して静かな律動を刻む。波はもはや刃ではなく、柔らかな温もりとなって全身を満たしていく。
祭壇の中心に立つ彼女の姿が、ゆるやかに変貌を遂げた。
金の髪は銀光を帯びて長く流れ、夜空を切り取ったかのように輝き散る。少女の面影だった容貌は、瑞々しさを残しながらも端正な輪郭へと磨かれ、目を奪うほどの気高さを備えていく。瞳は深い碧のまま星を映し、澄み切ったその光は、覗き込む者の心を清めるようだった。
背丈は伸び、華奢だった肢体はしなやかな力を帯びる。白磁のような肌には星光が滲み、衣の裾からは清冽で荘厳な気配が溢れ出る。まるで人の形を借りた星そのものが、そこに立っているかのようだった。
それはもはや「若き魔術師の少女」ではなかった。
一人の青年少女――光と闇を抱き、星光の魔種を宿す者として新たに生まれ落ちた存在。人の世の美を超えた神秘的な美しさが、その全身を覆っていた。
蓮弥とルナは、その変貌を前に息を呑み、言葉を失った。
彼らの前に立つのは、仲間であるはずのセリナ。しかし、纏う気配は人の領域を超え、精霊と魔の調和を体現したかのような美しさと威厳を放っていた。
祭壇を包む光が静かに収束すると、彼女の姿は一層際立った。胸奥の結晶が淡く脈動し、そのたびに空気が震える。
セリナはゆっくりと目を開いた。星を宿す瞳は静かでありながら、見る者を圧倒する力を示していた。その微笑は、凍てついた冬を溶かす春光のように柔らかく、しかし抗い難い気高さを併せ持っていた。
蓮弥はただ立ち尽くすしかなかった。彼の中で知るセリナは、傷つき、迷い、それでも歩み続ける少女の姿だった。だが今、目の前に立つ存在は、それを超えた美と力の化身だった。
ルナもまた、狐火を消しながら呆然と見つめていた。胸に込み上げる感情は言葉にできず、ただ尾を震わせることで示すしかなかった。
――セリナは、生まれ変わった。
彼女の口元に浮かんだ微笑みには、孤独に怯えていた少女の影はなく、ただ新たな誕生を告げる女神のような輝きだけがあった。
祭壇に再び静けさが戻る。だがその静けさは、死の沈黙ではなく、新たな誕生を祝福する静寂だった。
蓮弥とルナは、互いに視線を交わす。二人の胸には同じ思いがあった。
――これからの旅は、もう昨日までの冒険ではない。
セリナが得た力と美は、この先の道を切り開く灯火となるだろう。だが同時に、それは新たな試練を呼び込むに違いない。
それでも、彼らは恐れなかった。
互いを支え、信じ合える仲間がここにいる。
その絆こそが、何よりの守護であり、何よりの力なのだから。
【第158話】砂漠の子守唄
昼の砂漠は、まさしく灼熱の地獄であった。
砂丘の一粒一粒が灼け石のように熱を帯び、踏み出すごとに靴底を通じて容赦ない熱が身体を蝕む。太陽は剣のような光を突き立て、どこにも逃げ場はなく、旅人をじりじりと焼き尽くしていく。
だが、夜が来れば景色は一変する。
太陽が沈んだ途端、熱は奪われ、砂は氷の床のように冷たくなった。空には無数の星が降り注ぎ、砂漠という大海の上に天の川が流れる。夜の砂漠を歩む者は、星の下に立つ己の小ささを否応なく悟る。
その夜。
星光の祭壇を離れた蓮弥たちは、風を避けられる砂丘の影に小さな焚き火を起こしていた。赤い火は砂に映えて揺らぎ、冷えきった空気をかろうじて和らげていた。
巨大な砂トカゲは、仲間のようにそばに身を横たえている。厚い鱗に覆われた巨体は砂の上に伏し、ゆるやかな呼吸を繰り返していた。その体温は夜気に染み渡り、まるで暖炉のように一行を包んでいる。
焚き火を見つめていたルナが、ふっと肩を落とした。
「……やっぱり、人の姿は疲れるの」
次の瞬間、彼女の身を覆っていた幻のような光が揺らぎ、少女の姿は解けた。代わりに現れたのは、月光を受けて輝く白狐だった。四本の尾が炎のように揺れ、砂漠の闇の中で淡く光を散らす。
ルナは焚き火のそばに身を丸め、尾をふわりと体に巻きつける。
「ごめんね、蓮弥。せっかくの旅なのに、私……すぐ疲れちゃう」
蓮弥は火に枝をくべながら首を振った。
「気にするな。無理に人に化ける必要はない。お前が楽でいられる姿でいい」
その言葉に、セリナも穏やかに微笑む。
「そうよ、ルナ。私たちは仲間だもの。隠す必要なんてないわ」
ルナは「くぅん」と小さく鳴き、安堵したように瞳を閉じた。焚き火の赤、月光の銀、星の蒼。その三つの光に照らされて眠る白狐は、どこか神話の一場面のように美しかった。
火はぱちぱちと音を立て、やがて砂漠の夜は深い静寂に包まれていく。蓮弥は背を砂に預け、広大な星空を仰いだ。
そのときだった。
――耳に、風の音とは違うものが混じった。
最初は幻聴かと思った。だが、それは確かに「言葉」を帯びていた。
――かぜよ。しずらかに。
蓮弥は眉をひそめ、もう一度耳を澄ます。砂漠の夜風が頬を撫でる。焚き火の炎が小さく揺れる。そして――。
――かぜよ。しずらかに。
同じ旋律が、確かに繰り返された。柔らかく、どこか懐かしい響き。子守唄のように心を包み込む、不思議な声。
「……歌?」
思わず漏れた声に、セリナが振り向いた。
「蓮弥? どうしたの?」
「いや……今、歌が聞こえたんだ」
セリナは首を傾げ、周囲に視線を巡らす。
「歌? 私には……何も」
ルナも耳をぴんと立てたが、やがて首を横に振った。
「私にも聞こえない。蓮弥だけ?」
「ああ……」
蓮弥は短く答え、目を閉じた。すると――。
――かぜよ。しずらかに。ねむりをまもれ。
さきほどより長い。旋律は流れるように耳へ届き、心を揺さぶる。東の彼方から響いてくるようで、聞くほどに鮮明になり、言葉も増えていく。
夜はさらに更けていった。
セリナは焚き火のそばで眠りに落ち、ルナも丸まって浅い呼吸を繰り返している。砂トカゲも静かに砂に沈み込み、巨体を微動だにさせない。
だが蓮弥は眠れなかった。
――かぜよ。しずらかに。ねむりをまもれ。
――つきよ。てらしませ。やさしきひかり。
歌声は途切れることなく、夢と現の狭間で彼を包み込む。
旋律は優しく、同時に切なさを帯びていた。幼きころ、母が子に歌うような響き。だが蓮弥には母の記憶などない。修仙の道に足を踏み入れて以来、そんな温もりに触れたことはなかったはずだ。
胸の奥で何かが疼く。記憶になくとも、魂は覚えているのか――そんな感覚。
「……一体、誰なんだ」
呟いても返答はない。ただ星々が瞬き、砂漠の夜風がその歌を運ぶだけだった。
やがて夜が明ける。
眠れぬまま朝を迎えた蓮弥だったが、不思議と疲労はなかった。むしろ、胸の奥に新たな力が芽吹いたような、澄んだ感覚があった。
歌はまだ耳に残っている。
――そして直感する。東へ進めば、さらに多くの言葉が歌に加わる、と。
それが何を意味するのかは分からない。だが、その子守唄は確かに彼を導いていた。
三人と一匹は再び砂の海へ歩みを進める。
歌が待つ先に眠る真実を知らぬままに。
だが蓮弥の胸には確信があった――この歌は、旅路を変える。いや、彼らの運命すらも変えるだろう、と。




