紅蓮仙途 【第151話】【第152話】 砂嵐に 星の扉ぞ 呼び覚ます
【第151話】星刻遺跡の扉
砂嵐が吹き荒ぶ荒野の中、三人はようやく遺跡の奥まった洞窟へと辿り着いた。
砂を含んだ風が外で獣の遠吠えのように唸り、狭い入口の岩肌を震わせている。
洞窟の中は、驚くほど静かだった。まるでここだけが時の流れから切り離されたかのように、空気は重く冷たい。
その奥に現れたのは、時を越えて眠り続けてきた巨大な石壁だった。
無数の亀裂が走り、苔のような鉱石の結晶が淡く光を放つ壁一面には、精緻を極めた彫刻が施されている。曲線と直線が幾重にも絡み合い、幾何学の迷宮を形作っていた。その中心には円が刻まれ、その中には点と線で描かれた空の地図――星座が広がっている。
ルナはしっぽをぴんと立て、小さく声を漏らした。
「……夜空の……星座?」
セリナは立ち尽くしたまま、その壁に吸い寄せられるように歩み寄る。彼女の金色の瞳は、彫刻に宿る古代の光を映していた。
「違う……これはただの星図じゃない」
その声は震えていたが、恐怖ではなかった。むしろ、何か懐かしいものを見つけた子供のような感情が滲んでいた。
蓮弥は彼女の横顔を見つめた。彼女の直感に何度も救われてきた。セリナの魔術師としての霊感か、あるいは血脈に刻まれた記憶なのか――理由は分からない。だが、彼女が「呼ばれている」と言うなら、それは真実なのだろう。
セリナは壁に指先を添えた。ひやりとした石の感触が伝わるはずなのに、そこにはかすかな温もりがあった。
「……星が呼んでる」
蓮弥は無言で彼女の肩に手を置き、深く息を吐いた。
「なら、進むしかないな。俺たちの行くべき道は、きっとここにある」
ルナは耳を伏せて彼らを見上げたが、やがて震える息を吐き、しっぽをぴんと立てる。
「……みんなと一緒なら、怖くない」
三人は壁の曲線をたどりながら奥へと進む。やがて現れたのは、神殿のような広間。その最奥にそびえ立つのは、高さ十メートルを超える巨大な扉だった。
石で造られたはずの扉は、まるで生き物のように圧倒的な気配を放っていた。表面には無数の星と、翼を広げた神獣が彫られており、その周囲には古代の文字が円環を描いて刻まれている。
ルナは思わず一歩退いた。
「……ただの扉じゃない。息をしてるみたい……」
扉からは大地の鼓動にも似た魔力の波動が漂っていた。長き眠りの中でも絶えず力を蓄え、この場所を守り続けているのだ。
セリナは杖を抱えたまま扉に近づき、掌をそっと当てる。冷たさの奥に感じる不思議な温もりに、心臓が早鐘を打つ。彼女が触れた瞬間、扉の紋様が微かに輝いた。
「……名前がある」
彼女の視線は扉の中央、円の中心に刻まれた古代文字に吸い寄せられていた。
「――『アストラリオンの門』」
蓮弥とルナが息を呑む。セリナ自身も、なぜその言葉が理解できたのか分からなかった。ただ、その意味が心に直接流れ込むように伝わり、自然と口からこぼれたのだ。
アストラリオン――星を紡ぐ者。
蓮弥は名を呟き、微笑を浮かべる。
「星を紡ぐ者の門……お前にこそ、ふさわしい扉だ」
セリナは唇を噛みしめた。恐怖はあったが、それ以上に胸を支配するのは確信だった。彼女は杖を握りしめ、瞳を閉じる。
次の瞬間、頭上の岩天井から差し込む光が星々の輝きとなって降り注ぎ、彼女の白銀の髪を淡く照らした。
「……開け」
囁くような声と共に、セリナは杖を扉にそっと押し当て、魔力を流し込む。
すると扉の古代文字がひとつ、またひとつと光を帯び、星座のような輝きを繋ぎ始めた。中心の神獣の紋章が鼓動のように脈打ち、青白い光が走る。
ゴゴゴゴゴ……ッ。
地鳴りのような音が響き渡り、何千年も眠り続けた石の巨門がゆっくりと動き出す。
その隙間から吹き出した風は、砂漠の熱風ではなく、澄み切った冷気だった。古代の時を越えて封じられていた未知の世界の空気が、三人の頬を撫でる。
ルナは蓮弥の袖を掴み、小声で囁く。
「ねぇ、蓮弥……向こうに、何があるの?」
蓮弥は微笑を浮かべ、瞳を細めた。
「わからない……だからこそ行く価値がある」
セリナは深呼吸をひとつし、二人を振り返る。瞳には星明かりが宿り、決意の炎が揺れていた。
「行こう。アストラリオンの門の向こうへ」
石扉が完全に開かれると、そこには暗黒の回廊が口を開けていた。闇の中、遠くで星のような光が瞬いている。
三人は互いに頷き合い、一歩を踏み出した。
その瞬間、背後の石扉は再び重々しい音を響かせて閉ざされ、彼らの退路を断った。
星々に導かれた旅路は、今や後戻りのできない運命の道へと変わったのだった。
【第152話】ミノタウロスの守護
アストラリオンの石扉が重く軋みをあげて開いた。三人は深い息を合わせるようにして足を踏み入れる。
眼前に広がったのは、まるで天空を地の底に閉じ込めたかのような円形の大空洞だった。天井は霞むほど高く、黒曜の壁には古代の紋章が点々と刻まれ、淡く脈動しながら星辰の光を思わせて瞬いている。空気はひどく澄みながらも、どこか胸の奥を圧迫するような重苦しさを孕んでいた。
その静謐を破ったのは、中央に立ち尽くす巨影であった。
牛の頭、鍛え上げられた鋼のような筋肉、そして大地を裂くほどの巨斧。黒砂が鎧のようにその全身を覆い、ただ立つだけで山の威圧を放つ。瞳は紅く燃え、呼吸一つで大気が震える。
ミノタウロス。
星刻遺跡を守るために創られた、砂牛頭人。
轟音とともにその咆哮が響いた。空洞全体が揺れ、壁に刻まれた星紋が振動し、砂塵が雨のように舞い落ちる。巨斧が一閃。衝撃で地面が裂け、石片が弾丸のように飛び散った。
蓮弥は一歩前に出て、腰の剣を抜き放つ。刃が霊光を帯び、雷のような脈動を刻む。真の修士として剣で挑む構えだった。
ルナの四尾は逆立ち、青白い狐火が尾の先で揺らめく。彼女の瞳は夜の湖のように冷たく光り、獲物を狙う獣の気配を纏う。
セリナはすでに魔力を巡らせていた。杖を掲げ、幾重にも重なる魔法陣を虚空に描き出す。彼女の周囲に漂う微細な氷粒と火花が、魔力の質を如実に示していた。
巨斧が振り下ろされる。
地鳴りと同時に三人は散開した。蓮弥は斬撃を繰り出す。
――《雷閃剣》。
稲妻のごとき剣光が走り、黒砂の鎧を裂いた。しかし刃は深く届かず、火花を散らすにとどまった。
その隙を逃さず、ルナが飛び込む。狐火が尾から奔流のように解き放たれ、蒼い炎が矢となって巨体の腕へ突き刺さる。肉を焼き、動きを鈍らせる。
セリナの魔法陣が輝きを増す。床に刻まれた氷紋から鎖が無数に伸び、脚を絡め取った。
――《氷鎖結陣》。
ミノタウロスの膝が沈む。巨体が軋みを上げた。
蓮弥は一気に距離を詰め、肩口を狙って剣を振り下ろす。黒砂が砕け、赤黒い瘴気が噴き出した。確かな手応え。しかし怪物は膝を折りながらも、荒々しい力で氷鎖を粉砕する。
怒声。巨斧が横薙ぎに薙がれた。ルナが跳躍し、セリナは魔力障壁を展開して衝撃を受け流す。だが背後に吹き飛ばされ、石壁に叩きつけられる。それでも彼女は立ち上がり、怯まず次の魔法を紡いだ。
――《雷氷交矢》。
雷と氷が混ざり合った矢が空間を覆い尽くすほど生み出され、嵐のように降り注ぐ。氷は鎧を砕き、雷は血肉を焼き焦がす。ミノタウロスの動きが鈍り、巨体がよろめいた。
ルナの狐火が視界を覆う。蒼白の炎が幕となり、怪物の目を灼く。
蓮弥は全身の霊力を剣に注ぎ込む。刃が雷鳴を宿し、空洞全体に轟音が響く。
――《雷破剣》。
一閃。剣光が巨体の胸を貫き、黒砂を粉砕した。
ミノタウロスは最後の力で吠え、巨斧を振り上げる。しかしセリナがその瞬間に魔力を解き放った。
――《氷刃結界》。
無数の氷刃が壁のように立ち上がり、斧の軌跡を阻む。その隙にルナが尾を振り下ろし、狐火の奔流で巨体を焼いた。
蓮弥の剣が最後の一閃を描いた。
刃は胸を裂き、瘴気を切り払い、巨躯が大地に崩れ落ちる。
轟音とともに砂が舞い上がり、やがてその体は粒子となって消えゆく。
静寂が戻った。
ただ砂煙の中に残るのは、三人の荒い呼吸と汗ばむ気配だけだった。
消えゆく巨影は最後に声を残した。
「……よくぞ我を破った。されど忘れるな……ここは星刻遺跡……進むは力ある者のみ……」
その言葉とともに、完全に消滅した。
三人は互いに目を合わせ、言葉少なに頷く。
剣、狐火、魔法。
異なる力が絡み合い、確かな絆を結んだ瞬間だった。
だが、道はまだ果てしなく続いていた。




