紅蓮仙途 【第149話】【第150話】 孤独破れ 山鳴り響き 家族かな
【第149話】再会の喜び
山の奥深く、霧と魔気に覆われた禁忌の領域を抜けた一行は、薄明の空の下に出た。閉ざされた洞窟の闇から差し込む光はまぶしく、長い旅路の終着を告げていた。結界の裂け目を背にして立つ三人――蓮弥、セリナ、ルナ――そして、その足元には三匹の幼竜たちが、初めて見る広大な外の世界に目を輝かせていた。
霧を切り裂き、風が吹き抜ける。その風の向こうに、巨大な影があった。
漆黒の鱗を纏った竜が、峻険な岩峰の上で待っていた。ヴァルゼル――この地で最後の生き残りと呼ばれてきた古きドラゴン。その金色の瞳は、鋭さの中に深い感情を湛えて彼らを見つめていた。
その姿を目にした瞬間、子竜たちが小さな悲鳴を上げるように鳴いた。
『あ……!』
『あの竜……!』
彼らは迷いもなく駆け出した。小さな爪が岩肌を叩き、幼い翼が風を掴む。三匹は勢いよくヴァルゼルの巨大な前脚にしがみつき、泣き出すような声で鳴いた。
「ヴァルゼル様っ!」
「本当に、本当に……!」
「もう一人じゃない……!」
その声にヴァルゼルの瞳が大きく見開かれた。彼は長い年月、自らが最後の竜だと信じ、孤独の中で耐えてきた。人も魔も、竜という存在を恐れ、敬い、やがて忘れていった。彼自身も同胞は絶えたと悟り、ただ生き残った己の命に誇りを抱きながらも、心の奥では絶えず孤独を噛みしめてきたのだ。
だが今、目の前にいるのは血を分けた者たち――同胞の幼き命。彼らの温もりが、その冷え切った心に触れた瞬間、ヴァルゼルの胸の奥から熱い感情が込み上げてきた。
「……お前たち……本当に……」
低く震える声。その巨体が微かに揺れる。
紅い瞳を持つ竜の子が、勇気を振り絞って頷いた。
『はい! 僕たちもドラゴンです! まだ小さいけど……絶対に大きくなります!』
その言葉に、ヴァルゼルの瞳が潤んだ。次の瞬間、喉の奥から響くような咆哮が漏れた。それは威嚇の声ではない。喜びと感動を吐き出す、魂の叫びだった。
「――生きていたのだな! 我らの血脈は……途絶えていなかった!」
轟音のような声が山々に反響し、大地を震わせた。長い孤独の中で押し殺されてきた感情が、一気に解き放たれた瞬間だった。
幼竜たちは怯えるどころか、その咆哮に応えるように声をあげた。
『ヴァルゼル様!』
『もう一人じゃない!』
『一緒に飛ぼう!』
その声は幼くも確かな意志を帯びていた。長年、結界の中に閉じ込められ、己が存在に怯えていた竜たちが、今ようやく知った。――自分たちは異端などではない、堂々と胸を張るべき存在なのだ、と。
ヴァルゼルはそっと巨体を屈め、大きな翼で三匹を包み込んだ。鋭い爪や硬い鱗を持つその動きは信じられないほど優しかった。幼竜たちはその翼の下で身を寄せ合い、安心しきったように目を閉じる。
「……よくぞ……生きていてくれた。我にとって、お前たちの存在は奇跡だ。」
低い声には涙が滲んでいた。山の支配者と恐れられた竜の言葉は、今やただの家族を求める者の声にしか聞こえなかった。
ルナがその光景を見て、無意識に両手を握り締めていた。
「……こんな顔をするなんて……」
彼女の頬を一筋の涙が伝った。セリナもまた胸に手を当て、震える声で呟いた。
「……孤独だったんですね。ずっと……」
竜という存在は恐怖と畏敬の象徴であり、伝説の生き物であった。しかし、今彼女たちが目にしているのはただ一匹の竜の孤独と、その孤独が癒える瞬間だった。
蓮弥は静かに歩み寄り、その光景を見届けていた。
「ヴァルゼル。この子たちを……どうか、守ってやってほしい。」
その声には旅路で積み重ねた想いと、彼らを託す覚悟が込められていた。ヴァルゼルはゆっくりとその黄金の瞳を蓮弥に向け、深く頷いた。
「――無論だ。我が血を分けた子ら。命を懸けて守ろう。」
その誓いは山の峰々に木霊し、やがて谷底まで響き渡った。
幼竜たちは喜びに翼を広げ、ヴァルゼルの足元を駆け回った。彼らの姿は、長年絶望と孤独を抱えてきたヴァルゼルの胸に光を灯す。彼は翼を広げ、空を仰いだ。その眼差しには誇りと、未来への希望が宿っていた。
「……ありがとう、蓮弥。」
ヴァルゼルが低く呟く。
「お前たちが連れ帰ってくれなければ、我はこの喜びを知らぬまま……孤独に朽ち果てていただろう。」
蓮弥はその言葉に微笑みを返した。セリナとルナもまた、胸いっぱいの感動を抱え、その場の空気を壊さぬよう静かに見守る。
その時、吹き抜ける風が霧を払い、遠くの山々を照らす光が差した。幼竜たちはその光を見上げ、目を輝かせた。彼らの未来はもう閉ざされてはいない。禁忌の山での試練を越え、竜たちの新たな絆がここに誕生したのだ。
【第150話】砂嵐の遺跡
無限に広がる砂漠の大地を、一匹の巨大な砂トカゲが疾駆していた。炎のような陽光が降り注ぎ、砂は靴底すら焦がす熱を帯びている。その灼熱の中、獣は長い尾で巧みにバランスを取りながら砂丘を駆け上がり、しなやかな四肢で次々と砂を蹴散らした。
背中にしがみつくのは蓮弥、セリナ、ルナの三人だ。彼らはつい先日、ヴァルゼルと別れを告げ、再び東の地を目指して旅を続けていた。
凡人であれば、この砂漠に足を踏み入れた時点で命は風前の灯となる。方向を見失い、飢えや渇きに苦しみ、やがて砂に呑まれるのが関の山だ。
だが、修仙者たる蓮弥にとって、道を見定めることはさほど難しくない。天を巡る気の流れ、地脈のわずかな鼓動を読み取り、東方への方角を確かに掴んでいた。しかし、それでもなお砂漠は広大であり、越えるには計り知れぬ忍耐と時間を要した。
幸い、旅の序盤で彼らはこの巨大砂トカゲを捕らえることができた。人の背丈を優に超える巨体は砂漠の王ともいえる存在であり、乾きも嵐も恐れぬ脚力を持っている。頼もしき相棒にまたがり、彼らは休む間も惜しんで砂丘を越えた。
「東まで、あとどのくらい?」
セリナは布で口元を覆いながら声を張った。砂嵐の名残が風に混じり、砂粒が頬を叩く。
「……まだ数日はかかるだろうな。」
蓮弥は目を細めて地平を見据え、静かに答えた。筑基後期に至った今、その精神は一層澄み渡り、焦燥に呑まれることはない。しかし、同行する少女たちの疲れを考えれば、無理はできない。
そのとき――地平線が揺れた。
ゴオオオオォォォ――ッ!
黒雲のような砂塵が天を覆い、遠くで風が唸りを上げた。瞬く間に、太陽が砂の幕に隠れてゆく。地平を渡るのは、砂漠特有の巨大な砂嵐――砂を刃に変え、大地を削る災害だ。
「砂嵐だ!」
蓮弥の鋭い声に、セリナとルナは身を伏せた。砂トカゲも鼻を鳴らし、四肢を速める。しかし風は瞬く間に牙を剥き、黄金の砂塵が視界を覆い尽くした。
「蓮弥兄さま!」
ルナの声が掻き消される。彼女の小さな身体は暴風に煽られ、今にも飛ばされそうだった。
蓮弥は眉をひそめる。己だけならば護身の術で嵐を突っ切るのも容易い。しかし凡人に近い少女たちを連れては、その選択は危険すぎる。
「避けるぞ!」
蓮弥は気を放ち、周囲の地脈を探った。暴風の中、微かに感じたのは砂丘の影に隠れた空洞。自然のものとは思えぬ整った形――何らかの建造物の遺跡だ。
「そっちだ!」
手綱を操り、砂トカゲを導く。暴風に抗いながら走り抜け、彼らは半ば砂に埋もれた石門へ辿り着いた。崩れかけた柱が砂嵐を遮り、黒い影を落としている。
「中に!」
三人は砂トカゲと共に石門をくぐり、荒れ狂う嵐の音を背に内部へと逃れた。
遺跡の中は静寂に包まれていた。外の轟音が嘘のように消え、ただ砂が床に落ちる音だけが響く。古代の石造りの壁には不可解な文字が刻まれ、朽ちた柱が無数に立ち並ぶ。時間に磨かれた石の匂いが鼻をついた。
「……ここは?」
セリナは声を潜め、周囲を見回す。
蓮弥は答えず、指先から気を放った。奥から微かな霊気が漂っている。これはただの避難所ではない。修行者たちの拠点、あるいは封印の場だったのかもしれない。
「油断するな。砂嵐から逃れられたのは幸いだが、別の危険が潜んでいるやもしれぬ。」
その言葉に、セリナとルナは息を呑み、頷いた。砂トカゲも警戒心を剥き出しにして舌を鳴らす。
蓮弥は胸の奥に奇妙なざわめきを覚えた。筑基後期に至った自分でさえ、この場の気配に心を乱されている。ここはただの廃墟ではない。まるで、何かが彼らを呼び寄せたかのような気配。
――砂嵐も偶然ではなかったのではないか。
その思いが胸をよぎる。まるで誰かが彼らをこの場へ導いたかのように。
蓮弥は剣の柄に手を置き、深く息を吸った。
「……備えよ。ここから先、何も起こらぬとは限らぬ。」
砂漠を渡る旅路は、なお終わらない。安堵の影に潜む緊張が、再び彼らを包み込んだ。




