紅蓮仙途 【第145話】【第146話】 虚空にて 眼差し問いし 存在かな
【第145話】核心への道
祭壇の崩壊とともに、石の広間の奥へと続く巨大な扉が軋む音を立てて開いた。
吹き込む風は冷たく澄み切り、三人の肌を刺すように撫でる。霊力の粒子が空気に漂い、微かに震える光を纏った。
扉をくぐると、そこはもはや現世ではなかった。視界を満たすのは漆黒の空間。上下の感覚は消え去り、足元の大地は幻のように透き通っている。空気は重く、呼吸をするたびに肺の奥が圧迫され、魂の奥底まで押し込まれるような感覚に襲われた。
遠くに浮かぶ巨大な結晶群が淡い光を放ち、鼓動のように脈動している。まるで禁忌の山の心臓が生きているかのようだった。光からは冷気でも熱でもない、純粋な圧力が漏れ、三人の霊識を押しつぶす。蓮弥は胸に手を当て、真気の流れを整え、刹那の隙をも逃さぬよう全身の感覚を研ぎ澄ませた。
結晶のひとつが震え、空間から直接響く声が広がった。
『ここまで辿り着いたか……だが核心に触れることは許されぬ。最後の試練を越えし者のみ、禁忌を知る資格を得る』
声は大地や空気を介さず、魂そのものに直接干渉する。心拍が乱れ、全身の血液が逆流するような感覚が走る。
結晶群の間に三つの光の道が現れた。それぞれ別の方向へ伸び、深淵の闇に溶けていく。道の気配を探ると、炎のような熱圧、凍てつく冷気、そして何も感じない虚無の三種が存在していた。
蓮弥は真気を巡らせ、気配の流れを読み取る。紅炎の道は肉体を焼き焦がす圧力、蒼氷の道は精神を削る冷気、残る虚無の道には感覚のかけらもなく、恐怖が存在そのものを押し潰すように漂っていた。
三人は迷いなく、虚無の道へと歩を進めた。すべての感覚が凍りつき、空間は無限の闇に変わる。音も光も時間の概念も、まるで存在しないかのように消え去った。
闇の中で、再び声が響く。
『よくぞ選んだ。汝らに与えられる最後の試練は――“存在の根源”を問うもの』
空間が震え、闇の奥底から何かが目覚める気配が伝わってきた。目には見えぬが、魂に直接押し付けられる力の奔流。重力のように、真気の流れを逆巻かせる圧力が襲い掛かる。
蓮弥は剣を握りしめ、全身の真気を一点に集中させた。杖を抱えたセリナの手の先で紅蒼の光が渦を巻き、微かな振動が彼女の霊圧に共鳴する。ルナの四尾が微かに震え、蒼炎の光が暗黒を切り裂いた。三人の霊力が重なり合い、闇をかき分ける感覚があった。
虚無の道はあらゆるものを拒む。視覚も聴覚も、感覚すべてを消し去ろうとする。しかし、それを受け止めながら歩を進める三人の内面は冷静そのものだった。恐怖を力に変え、魂の核に集中する。互いの存在を確かめ合うことで、虚無の圧力に押し潰されずに前進を続けた。
やがて光の道は尽き、完全な暗闇に包まれた。闇の中心で、存在の根源を問うような、無形の圧力が三人を取り囲む。息をするたび、心臓が逆流する感覚が走る。
蓮弥は視界の暗闇に意識を集中させ、セリナとルナの気配を捉える。互いの真気が絡み合い、虚無の圧力を一点に分散させる。身体に走る痛みと戦いながらも、三人の意志は一つに固まった。
セリナの杖先で紅蒼の光が光条を描き、微かな振動が暗黒に拡散する。ルナの尾の蒼炎が周囲の闇を切り裂き、蓮弥の剣が真気の閃光を放つ。三つの霊力が重なり合い、虚無の中心に到達した瞬間、暗闇は微かに震え、内部から根源を示す輝きが滲み出す。
その光は圧力ではなく、存在そのものを映し出すものだった。魂の核に触れるかのように、三人の内面の覚悟を試す光。恐怖を超え、犠牲を拒んだ者たちだけに見える核心。
三人は沈黙のまま光の中に足を踏み入れる。虚無の試練を越えた者だけに許される、禁忌の山の核心。そこには、言語では表せぬ“存在の真理”が待ち受けている。
視界の奥で、揺らめく光が三人を迎え入れる。冷たくも暖かい風が肌を撫で、魂を揺さぶる圧力が少しずつ和らいでいった。三人は互いに視線を交わすことなく、ただ足を進める。
――禁忌の核心、その向こうで何が待つのか。すべてを超える試練の先に、答えは必ずある。
深い闇の中で、三人の影が一つに溶け込み、核心への道を歩み続けた。
【第146話】存在の根源を問う試練
――足を踏み出した瞬間、世界は反転した。
先ほどまでの闇は一瞬で消え、三人は何もない虚空の上に立っていた。足元には大地など存在せず、代わりに淡い光の粒子が靄のように渦を巻いている。空もなく、上下の感覚さえ曖昧だ。
ただ一つ、この世界の中心に在るものが目に映る。
――巨大な眼。
漆黒の虚空に浮かぶそれは、星々を閉じ込めたかのように輝き、瞳孔は何も映さず、ただ三人を見据えている。
視線を向けられた瞬間、蓮弥の胸が強く圧迫された。呼吸が浅くなり、心臓が強張る。
その眼差しは善悪を超越しており、生き物ではない何かの意志そのものだった。
『――在る理由を示せ』
声ではない“圧”が世界を満たす。耳を塞いでも意味はない。それは魂に直接刻まれる問いかけだった。
同時に、世界のあちこちから白い糸のようなものが伸び、三人の身体を絡め取った。糸はただの束縛ではない。生命の核――魂の奥にある「存在」を引きずり出そうとしている。
セリナが苦悶の声をあげた。
その手の中の杖が軋み、魔力が勝手に吸い上げられていく。ルナも尾をばたつかせ、狐火を散らしながら必死に耐えていた。
蓮弥は全身を走る寒気を押し殺し、座禅を組むように目を閉じる。
ここで力を振るっても意味はない。この糸は肉体ではなく魂を縛っている。
彼は丹田に意識を集中し、体内を巡る真気を整えた。
――この問いは、単なる試験ではない。
生きる理由を見失えば、この糸に魂を解かれて消える。
目を開いたとき、周囲の光景が変わっていた。
光の糸は巨大な樹となり、枝葉の先で無数の“自分”が垣間見える。
一人は孤独に修練し、誰も寄せ付けず仙人となった蓮弥。
一人は戦場で血に塗れ、敵を薙ぎ払い続ける蓮弥。
一人は病に伏し、力を持たずに終わった蓮弥。
数えきれないほどの可能性が、枝の先で揺れている。
セリナとルナの周囲にも、同じように無限の可能性が広がっていた。
それらの幻影はまるで現実のようで、ひとつ選べばその人生に“定着”してしまいそうなほど鮮明だった。
蓮弥は深く息を吸い、指先を握った。
「……俺は選ばない」
声が虚空を震わせた。
「未来のどれも正解じゃない。俺は今ここで、仲間と共に生きている。それ以外は全部偽りだ」
その瞬間、蓮弥を絡めていた糸が弾け、光が迸った。
彼の足元には一本の道が浮かび上がる。
セリナも歯を食いしばり、杖を地に突き立てた。
杖先から走る魔法陣が彼女を中心に展開し、可能性の枝が次々に燃え落ちていく。
彼女の目は恐怖で潤んでいたが、その瞳には迷いはなかった。
「私は……一人じゃない。この道を共に歩む仲間がいる」
ルナの尾が炎となり、四方の糸を焼き尽くした。
彼女の小さな体から放たれる光は、涙と決意の色を帯びていた。
「どんな未来であっても、今は私が守るのはこの二人だ!」
三人が同時に叫んだ瞬間、虚空が崩れた。
無数の枝と幻影は砂のように散り、ただ一本の道だけが残った。
目の前に浮かぶ巨大な眼が、静かに瞬きをした。
『在る理由を認める。進め――』
世界が再び反転し、彼らの足元に石畳が現れる。
その先には、漆黒の扉がそびえ立っていた。扉から放たれる圧力は、先ほどの眼をも凌駕している。
ルナが小さく震えながらも尾を広げた。
セリナは杖を強く握りしめ、蓮弥の背中を見つめる。
蓮弥は一歩、扉へと近づいた。
背筋を貫く緊張は、これまで味わったどの戦いよりも鋭い。
――ここから先が、本当の試練だ。
三人は無言のまま互いを見交わし、足並みを揃えて扉を押し開いた。
世界が裂けるような音が響き、彼らは“禁忌の核心”の最終領域へと足を踏み入れた。




