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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途 【第143話】【第144話】 鏡影に 裂かれし心 炎舞う

【第143話】絆を裂こうとする幻影


 氷の巨兵が崩れ去った広間の奥に、静かに佇むもう一枚の扉があった。蓮弥、セリナ、ルナは互いの傷を確かめ合い、息を整えてから慎重にその扉を押し開ける。


 ――途端に、肌を刺すような寒気は薄れ、世界は静謐に包まれた。


 足を踏み入れた空間は、先ほどまでの荒々しい氷の試練場とはまるで別世界だった。天井も壁も床も、すべてが水晶のように透き通る氷で構成され、まるで巨大な氷の宮殿に迷い込んだようだ。だがその美しさはどこか不自然で、胸の奥をざわつかせる。


「……氷壁?」

 セリナが眉をひそめ、杖を構える。


 ルナの耳がぴくりと動き、尾がざわめいた。

「違う……これ、鏡だ。わたしたちを映してる」


 ルナの言葉通り、前方の氷壁には三人の姿が鮮明に映っていた。しかし、それはただの反射ではなかった。氷面に映る影は、わずかに波紋のように揺らめき、不気味な生命感を帯びている。


 ――そして次の瞬間。

「……俺?」


 蓮弥の目の前に立っていたのは、赤黒い真気を纏った自分自身だった。血に塗れたような衣をまとい、口元には冷酷な笑み。


『仲間など不要だ。力さえあれば全てを手にできる。お前は仙王となり、天をも踏み越える。なのに……なぜ彼女たちに縛られる?』


 低い声が心の奥底を抉るように響く。


 セリナの前にも、影が現れた。氷の杖を持ち、血の涙を流す自分自身。

『杖に縋るお前は弱い。蓮弥もルナも、お前を利用しているだけ。最後には置き去りにされ、独りで凍えるのだ』


 セリナの手が震え、杖を握る指先から血の気が引く。


 ルナの前には、四尾の狐火を暴走させ、仲間を焼き尽くすもう一人の自分。

『お前は呪われた狐。炎は災いを呼ぶ。やがてお前の火は彼らを殺すだろう。そうなる前に、消えろ』


 ルナの耳は伏せられ、尾の毛がざわめく。恐怖がその瞳に浮かんでいた。


「……やっぱりな。心を試す幻影か……」

 蓮弥が低く唸る。


 だが、氷壁の力は彼らの想像を超えていた。

 ――氷壁が波打つ。


 鏡の中の影たちは一歩、また一歩と現実へと滲み出し、やがて完全に実体を得た。氷の床を踏みしめ、同じ気配、同じ術、同じ武を持つ「もう一人の三人」が彼らの前に立ち塞がる。


「っ!?」

 セリナが息を呑む。


 赤黒い真気を纏った蓮弥の影は、嘲笑を浮かべながら拳を振りかざす。その気配は本物の蓮弥と寸分違わず、真っ向からぶつかれば命を奪い合うしかない。


『俺を殺せるか? 仲間を守るためだと? だが、お前は一番信じていない。誰も――お前自身すら』


 囁きが耳を刺し、心臓が締めつけられる。


 セリナの影も冷たい笑みを浮かべ、氷と雷を同時に解き放った。


 ルナの影は狐火を荒れ狂わせ、本物のルナへと襲いかかる。


「こいつら……本物みたいに強い!」


 セリナが叫ぶ。雷が壁を焦がし、氷の破片が飛び散る。

「仲間を殺すために作られてる……!」


 ルナが必死に狐火で防御するが、炎と炎が衝突し、空気が爆ぜる。


 蓮弥は赤黒い自分と拳を交わした。衝撃が骨に響く。


「……俺は、お前なんかに負けない!」


『負ける? 違う。俺はお前だ。お前の心の闇――孤独を望むお前自身の姿だ』


 心に刃を突き立てられるような感覚。蓮弥の拳が一瞬揺らぎそうになったその時――


「蓮弥ッ!」

 セリナの悲鳴が響いた。彼女は血を吐きながらも幻影の雷を受け止め、必死に蓮弥を見ている。


「信じて……! 幻影は、私たちの絆を裂こうとしてるだけ! 蓮弥が揺らいだら……だめ!」


「セリナ……」

 さらにルナが叫んだ。炎に包まれながらも、瞳は強く輝いている。


「わたしたちを信じて! わたしたちは……蓮弥を一人にしない!」

 その声が、胸の奥で何かを打ち砕いた。


「……そうか。俺は……仲間を信じてる!」


 蓮弥は丹田から真気を爆発させた。青白い光が体を包み、掌から奔流となって赤黒い自分を吹き飛ばす。

「俺はもう孤独じゃない! 仲間と共に進む仙者だッ!」


 光が幻影を焼き尽くす。


 セリナもまた、杖を掲げて雷と氷の魔法を同時に放った。


「私は道具じゃない! 仲間と共に歩む魔導師よ!」


 稲妻が幻影を貫き、氷片が宙に散る。


 ルナも尾を燃やし、幻影の自分を抱きしめるように狐火で包み込む。


「わたしの炎は呪いなんかじゃない! 仲間を守るために燃えるんだ!」


 三人の力が共鳴し、幻影たちを押し潰す。


――パァンッ!

 水晶のような氷壁が砕け散り、幻影は粉々になって消えた。


 静寂が戻る。


 蓮弥は膝をつき、荒い息を吐いた。

「……危なかった……心を裂かれるところだったな」


 セリナは微笑み、震える手で蓮弥の肩を支えた。

「でも、もう大丈夫。揺らいでも……必ず誰かが支えてくれる」


 ルナも頷き、柔らかな笑みを浮かべた。

「わたしたちは三人で一つ。絆を裂こうとするものなんて、絶対に越えてみせる」


 その時、氷の宮殿の奥の扉が静かに開いた。

 淡い光が差し込み、次なる試練への道を照らす。

 三人は互いの手を取り合い、深呼吸して前へと歩み出した。




【第144話】犠牲を強いる声


 淡い光の幕を抜けた瞬間、空気が変わった。


 そこは巨大な石造りの広間。天井は闇に溶けて姿を見せず、足元には血管のような赤黒い紋様が刻まれ、脈動するたび広間全体が生き物の体内のように微かに震えた。漂う瘴気は霊気を鈍らせ、肺に流れ込むだけで命の根幹を削られていくような圧迫感があった。


 セリナは紅氷の杖を両手で握り、息を殺して気配を探った。冷気と熱を同時に孕む霊力が杖の先に絡みつき、空気が凍りつくような張り詰めた静寂が広がる。


 やがて、骨の芯を直接撫でるような声が響いた。

『ここは“生死を分ける祭壇”。進みたくば、三人のうち一人を供物として捧げよ』


 その声は壁を震わせることもなく、鼓膜を通らず、魂に直接染み込む。逃れられぬ宣告のような冷たさに、空気が凍り付いた。


 次の瞬間、床の紋様が血のように赤黒く輝き、広間の中央から黒い霧が渦を巻き上げた。霧の中心で、鎧に覆われた巨影が現れる。


 三つの蛇の頭を持つ異形の武者。六本の腕に握られた刃と槍、鎖はすべて呪符で覆われ、淡い妖光を放つ。立っているだけで空間が歪み、霊圧の奔流が石壁をきしませた。


 刹那、鎧武者が踏み出した。その一歩だけで広間全体が鳴動し、赤黒い符が地表を走る。六本の腕が同時に動き、刃の一閃が空間を裂いた。


 蓮弥が剣を抜き、霊力を極限まで練り上げる。白銀の刃が瞬き、迫る鎖を一撃で断つ。しかし、その重量は想像を超えており、衝撃だけで全身の骨が軋む。


 別の腕が放った槍の突きが蓮弥の胸を狙う。彼は身をひねって受け流すも、鎖の一撃が背中をかすめ、爆符が炸裂した。血飛沫が舞い、彼の身体が宙を舞う。


 同時に、ルナの狐尾が広がった。尾先に灯る蒼炎が広間の闇を切り裂き、蛇頭の一つを焼き裂く。だが、異形は怯まない。別の腕が彼女を薙ぎ払い、衝撃でルナの身体が床を跳ねた。尾が盾のように広がり衝撃を軽減したが、彼女の唇から赤がこぼれる。


 広間には刃鳴りと爆ぜる符の光、血の匂いが満ちていた。


 セリナの瞳が怒りに燃える。杖の先で紅と蒼の光が渦巻き、霊力が圧縮されていく。足元に浮かぶ魔法陣が凍り付いた石床を割り、冷気が竜巻のように広がった。


 鎧武者が吼え、六本の腕が暴風のように襲い掛かる。刃の乱舞は暴雨のごとく、ひと振りごとに床が砕け、衝撃波が壁を抉った。蓮弥は血に濡れた剣を振るい、必死に応戦するが、攻防は一方的だった。


 ルナが狐火を解き放ち、青白い炎柱を鎧武者に叩き付ける。炎が鎧を焼き裂き、腕一本を焦がして落とした。しかし敵は怯まず、残る五本の腕で攻撃を加速させる。


 紅と蒼の光が極限まで凝縮され、セリナの魔力が爆発寸前に達した。

 杖を天に掲げ、彼女は詠唱を叩き付ける。

「――《氷嵐陣・紅蒼双華》!」


 広間を満たす霊力の奔流。紅炎を抱いた無数の氷槍が嵐のように出現し、鎧武者を包囲した。氷と炎、相反する霊気の衝突が極限の冷熱を生み、空気そのものが悲鳴を上げる。


 鎧武者は槍と刃を振り回し、次々と氷槍を弾く。しかし数は止まらず、一本、また一本と鎧を穿ち、凍結と爆炎が同時に爆ぜる。蛇頭の一つが砕け、二つ目が崩れ落ちた。


 セリナは歯を食いしばり、さらに杖を握る手に力を込めた。陣から迸る光が集中し、一条の紅蒼の柱となって鎧武者を直撃する。轟音とともに敵の動きが一瞬止まった。


 「今だ!」


 蓮弥が叫び、霊力を剣に流し込む。白雷のような刃が走り、鎧武者の胸甲を貫いた。亀裂が広がり、内部から邪気が噴き出す。


 ルナが跳躍し、尾先に宿した蒼炎を亀裂へ叩き込む。青白い炎が鎧の内側を舐め、爆ぜる音が轟く。


 鎧武者の三つの蛇頭が絶叫した。巨体がのたうち、鎖が暴風のように広間を薙ぐが、セリナは退かず杖を再び掲げる。


 紅と蒼の光が最終の一撃となり、光柱が広間を貫いた。

 咆哮が途切れ、鎧武者の身体は氷と炎の花弁となって砕け散った。


 瞬間、床の赤黒い紋様が音もなく崩壊し、鎖も霧散する。広間を満たしていた重苦しい圧力が嘘のように消えた。


 セリナは杖を支えに膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。魔力の消耗で視界が滲む。

 蓮弥が血を拭いながら彼女の肩を支え、ルナもふらつきながら寄り添った。


 誰も犠牲にならなかった。

 血と炎にまみれた三人は互いに視線を交わし、次の試練を迎える覚悟をその瞳に宿す。


 奥の扉が軋む音とともに開いた。

 冷たくも柔らかな風が吹き抜け、闇の向こうでさらなる脅威が待っていることを告げていた。

 三人は無言のまま、傷ついた体を支え合いながら、その先の闇へと足を踏み出した。



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