紅蓮仙途 【第139話】【第140話】 炎と氷 杖に宿る力 結晶光
【第139話】竜火と鍛造の儀
雪原に広がる光の結界は、まるで天と地を繋ぐオーロラの柱のように揺らめいていた。結界の中心で、黒き竜ヴァルゼルがゆるやかに身を起こす。巨大な翼が雪煙を巻き上げ、鋭い爪が氷を砕く音が響き渡った。その動きひとつで、この大地の支配者たる存在感が肌を刺すように伝わってくる。
竜の瞳は深い琥珀の光を帯び、まずルナを射抜いた。
「――狐の娘よ」
低く響く声は、大地の奥底から湧き上がる地鳴りのようだった。
「お前の尾には、稀なる火の因子が宿っているな。あれはただの狐火ではない。炎を纏う星の血脈……そうだな」
「えっ……? わ、わたしの狐火……?」
ルナは黄金の瞳を瞬かせ、三本の尾をそわそわと動かした。緊張に喉が詰まる。
ヴァルゼルはゆっくりと首を傾け、深い息を吸い込む。喉奥でごぅ、と炎が鳴った。次の瞬間、竜はその炎の一欠片を切り離し、宙へと吐き出す。真紅の珠が空気を灼きながら浮遊し、まるで命を持った心臓の鼓動のように脈動していた。
「これは我が焔の核の一部……『竜火珠』だ。これを喰らえ。お前の狐火と融合させよ。恐れることはない。我が焔は無限に生まれ変わる。だがこの火を受け入れられる者は限られている。狐の娘よ、お前の器を見せてみろ」
ルナの耳がぴんと立ち、尾が震えた。恐怖と畏敬が入り混じる表情で、それでも彼女は震える手を差し伸べた。
「……ありがとう。絶対に無駄にはしない」
珠が掌に触れた瞬間、炎は液体のようにルナの体へと流れ込む。胸の奥が焼け付くような熱に満たされ、尾の根元が震えた。狐火がぱっと燃え上がり、雪原を黄金と紅の輝きで包み込む。彼女の尾の一本一本に竜の焔が宿り、生命の鼓動を伝えてきた。
ヴァルゼルの視線は次にセリナへと向けられた。
「魔術師の娘よ。お前の力は澄んでいるが、未だ器がその才を閉ざしている。杖を……新たに鍛造してみるか?」
その言葉にセリナは驚きに息を呑む。
「竜が……わたしの杖を……?」
彼女の声には震えがあったが、瞳の奥には確かな決意が宿っていた。
その時、蓮弥が腰の袋から紅晶石と氷精石を取り出し、両手で差し出す。
「これを使ってください。俺たちが命を懸けて手に入れた、この地の力です」
ヴァルゼルは満足げにうなずき、己の背にある硬質の鱗を三枚、鋭い爪で剥ぎ取った。銀青に輝く竜鱗は氷を纏った鋼そのもののようだ。
「竜の鱗は天地の結晶。これを核に、お前たちの石を融合させる。見よ、人の子らよ――これが真の鍛造だ」
ヴァルゼルは爪で雪を抉り、炎を吐き出した。轟音と共に雪原の一角が溶け、岩肌が露出する。その炎は炉となり、周囲の空気を歪ませるほどの熱が渦を巻いた。紅晶石と氷精石、そして竜鱗を炎の中心に放り込み、ヴァルゼルは息を大きく吸い込み――。
――ごぉぉぉぉぉっ!
吐息は槌となり、炎の衝撃波が雷鳴のように轟く。融け合った石と鱗は眩い光を放ち、流れる星のように形を変えていく。紅と蒼の力が渦を巻き、そこに竜鱗の硬度が絡み合い、一本の杖が姿を現し始めた。
氷の紋様を刻まれた蒼の杖。その先端には紅と蒼の双つの光球が絡み合い、永遠に解けぬ結晶のように輝いている。
ヴァルゼルはその杖をセリナの前に置いた。
「受け取れ。これこそ〈紅氷の杖〉。お前の魔術を百倍に増幅し、天地を揺るがすだろう。ただし……その力に呑まれれば、お前自身が灰燼と化す」
セリナは杖を両手で受け取り、深々と頭を垂れた。
「必ずや、この力を正しく使います……ヴァルゼル、本当にありがとう」
竜は満足げに喉を鳴らし、次に蓮弥へと瞳を向ける。
「――そして人の子、蓮弥よ。お前に与えるものはない」
「……え?」
ルナもセリナも目を見開く。ヴァルゼルは続けた。
「お前の剣は己で鍛えろ。器や道具を求めるな。己の内なる刃を研ぎ澄ませ。お前の道は外にはない。血と修行を重ね、己の心そのものを刃に変えろ」
蓮弥はしばし沈黙したが、やがて静かに微笑んだ。
「……わかりました。俺は俺の手で強くなります。あなたにそう言われたなら、もう迷いません」
ヴァルゼルはその返答に満足したように瞼を閉じ、雪原に静かな風が流れた。
――それからの日々は、試練の連続だった。
竜の焔で築いた炉を中心に、三人とシィラの一族は力を合わせて結界を完成させていった。雪嵐が襲えばルナが竜火を用いて吹き飛ばし、氷の洞窟を掘ってはセリナが魔力で柱を形成し、蓮弥は黙々と剣を振り、身体と心を鍛えた。結界の要となる石を配置し、竜の息吹で封を刻む作業は一ヶ月にも及び、彼らの体力も精神も限界まで削られていく。
ある朝、ルナが眠りから目覚めた瞬間、彼女の尾が一本増えていることに皆が気付いた。
「えっ……!? わ、わたし……尾が……!」
四本の尾は鮮やかに輝き、狐火は以前の何倍もの力を持ち、竜火の色を帯びていた。
セリナは新たな杖を掲げ、冷気を吸い込みながら魔力を放つ。杖先から迸る雷光は雪原を割り、空を震わせた。
蓮弥も剣を握る手に力を込める。石も杖も持たないが、彼の瞳には迷いのない炎が宿っている。
「俺は……俺の力で、前に進む」
ヴァルゼルは彼らを見下ろし、低く笑った。
「よかろう。お前たちは確かに強くなった。だが試練はこれからだ。東の禁忌の地に足を踏み入れる時、真の答えを示してみせよ」
雪風が結界に沿って唸り、オーロラが天空に舞った。
新たな力を得た彼らの旅路は、今まさに伝説の領域へと踏み出そうとしていた――。
【第140話】禁忌の山へ
竜ヴァルゼルの背に乗って、1ヶ月を飛んでいた。
雪の大地は遥か下方に広がり、視界を覆うのは吹き荒ぶ白銀の嵐と、切り裂かれる雲の群れ。ヴァルゼルの巨大な翼が一度羽ばたくたびに、凍り付いた大気が唸りを上げて裂け、荒れ狂う雪雲すら彼の通り道を開ける。
氷原の空は、世界の終焉を思わせるほど静かで冷たい。だが、その氷の世界の果てに――異様な影が立ち上るのが見えた。
それは山だった。
いや、「山」という言葉では到底言い表せない。
黒曜石を思わせる黒い岩肌が天を貫き、雪と雲を呑み込みながら聳え立つその姿は、まるで大地に鎖で縛られた巨神の背骨のようであった。山肌には雪が積もっているはずなのに、冷気ではなく重圧のような「息吹」が感じられる。
「……あれが……禁忌の山……」
セリナが吐息を白く染めながら呟いた。両腕で抱き締めるように杖を胸に抱きしめ、その瞳は恐怖と畏敬の入り混じった光を宿している。
ヴァルゼルは無言で山を見据え、翼を大きく広げた。
「東と西を分かつ境界……〈カムイの峰〉。古より人も竜も越えることを禁じられた地。伝承では、この峰の内部には古の神々の骸が眠るとも言われている」
近づくほどに、彼らを包む圧は増していった。
吹き荒ぶ雪はヴァルゼルの鱗に触れた途端、まるで命を失ったかのように地に落ちる。空気そのものが異質だ。音も光も、山に近づくほど鈍くなり、世界がゆっくりと閉じていくかのよう。
ルナの耳と尾がぴくりと震えた。
「……生きてる……この山……」
狐火が尾先に灯り、かすかに揺らめいた。山はただの岩塊ではない。そこには意志がある。彼女の妖の血がそれを感じ取っていた。
やがて山の裾野に辿り着くと、竜の眼をもってしても測り切れぬ深淵が口を開けていた。裂け目の底からは青白い光が鼓動のように脈動し、そこから吹き上げる風は竜の咆哮にも似て鋭い。覗き込むだけで魂が吸い込まれそうな暗黒の谷――それが〈カムイの峰〉の入口であった。
「……ここを越えなければ、旅は終わる」
蓮弥が紅晶石の埋め込まれた胸元に手を置き、視線を上げた。雪に閉ざされた山肌の中腹には、不自然な緑がちらりと見える。極寒の地にあるまじき森。その木々は幹がねじ曲がり、枝が絡み合い、外界からの侵入者を拒むように立ち塞がっていた。
ヴァルゼルは翼をたたみ、雪原に着地した。雪煙が竜の巨体を包み、やがて静まると彼は三人を見下ろすように首を垂れた。
「今すぐ山頂を目指すのは無謀だ。この峰はただの山ではない。挑む者を試し、拒み、時に呑み込む意思を持つ。お前たちはまだ、その覚悟を定めきれていない」
セリナが一歩前へ出た。
「でも、進むしかない……」
彼女の声には恐怖が混じるものの、その瞳には諦めはない。
ヴァルゼルは瞼を閉じ、吐息をひとつ漏らすと再び視線を落とした。
「忘れるな。この山はお前たちを殺すための試練ではない。真に道を進む者を選ぶための関門だ。だが……耐えられなければ、それまでだ」
その言葉に蓮弥は拳を握りしめた。
「ならば、試されよう。俺はここで立ち止まらない」
ルナは尾を四つひるがえし、狐火を灯した。
「一緒なら、必ず超えられる」
セリナも杖を胸の前に掲げ、小さく頷く。
「禁忌でも、何が眠っていようと、わたしたちは進む」
竜の目がゆっくりと細められた。その瞳の奥に、どこか誇らしげな光が宿る。
「よかろう。今宵はここで休め。夜明けにお前たちを試練の門まで導こう」
夜が訪れると、天空には淡い光の帯が流れた。
青や紫のオーロラが山の斜面を照らし出し、その巨体を神域のような色彩に染め上げていく。光は静かに揺らめきながら、峰をまるで眠れる巨人の鎧のように覆っていた。
その神秘的な光景に、三人の胸には言葉にならぬ感情が渦巻いた。
期待と恐怖、畏敬と昂ぶり――すべてを飲み込み、彼らは無言のまま竜の傍らで身を寄せた。
雪風が遠くで吠える。
〈カムイの峰〉はただそこに在るだけで、世界を圧倒する力を示していた。
――古の禁忌。
そこには、誰も知らぬ真実が眠っている。




