紅蓮仙途 【第117話】【第118話】 蒼晶の 光脈打ちつ 血に染む
【第117話】蒼き輝きと血の代償
戦いの残響を背に、蓮弥たちはゆっくりと聖山の奥へ進んでいた。深呼吸をしても肺に入る空気はひどく冷たく、鋭い岩壁の間を抜けるたびに、切り裂くような風が吹き抜けていく。ここまでの戦闘で全員が疲弊しており、傷や擦り傷も少なくなかった。
それでも彼らは立ち止まらなかった。翠晶石を手に入れたことで、この先にさらなる「核心」があることを直感していたからだ。
足元の道は次第に細くなり、岩盤には淡い蒼の光を帯びた結晶の欠片が散らばっていた。その光は月明かりのように穏やかでありながら、魔力を帯びており、洞窟内の空気を澄んだ水のように清らかにしていた。
「……見えるわ、あれが……」
セリナが小さく息を呑んだ。その指先が示した先――洞窟の奥の広間で、ひときわ大きな光が脈動していた。それは心臓の鼓動のように一定のリズムで輝き、周囲に淡い蒼光を放ち続けている。
「蒼晶石……!」
彼女の声はわずかに震えていた。
洞窟の中央には、まるで地底から噴き出した泉のように、透き通る蒼の結晶が隆起していた。高さは人の背丈を優に超え、澄んだ光を通した魔力の流れは、広間全体の空気を揺らしている。その清浄な気配は、ただの宝石や鉱物ではないことを物語っていた。
「でけぇ……! こんなもん、王都の競売にでも出せば城一つ買えるんじゃねぇのか?」
カイルの声には驚愕と興奮が混じっていた。
「いや……これは市場で扱えるようなものじゃないわ」
セリナは魔力の流れを読み取り、瞳を細める。「生きている。自然の精気を集め続ける核のような存在よ。こんなものが、なぜここに……」
その言葉に答えるように、洞窟の奥の闇が微かに動いた。
風が止まり、空気が張り詰める。
――低いうなり声が響いた。
闇の中から現れたのは、巨大な影だった。全身を漆黒の毛皮に覆われ、四肢は大岩をも砕けそうな太さを誇る。肩からは黒鉄のような骨の棘が突き出し、額には蒼晶石の欠片が埋め込まれ、淡い光を放っていた。その光は洞窟の光と共鳴し、獣の眼に狂気と知性の両方を宿らせている。
「……守護獣か」
蓮弥は思わず呟いた。
この地の精気が結晶となり、それを守るために生まれた存在――伝承でしか知らなかった存在が、今、目の前にいる。
次の瞬間、獣が咆哮した。その声は大地を揺らし、頭蓋骨を震わせるような衝撃を伴っていた。
「くるぞ!」
ジョルンが叫ぶと同時に盾を構えた。次の瞬間には獣の巨体が稲妻のように走り、岩盤を砕きながら突進してくる。ジョルンは盾で正面から受け止めたが、衝撃は想像を超えていた。重い金属の音と共に、彼の身体が地面を滑り、岩壁に叩きつけられる。
「ジョルンっ!」
セリナの声が響くが、獣は間髪入れず爪を振り下ろした。
カイルが斧を構え、渾身の力でその一撃を受け止める。火花が散り、金属が悲鳴を上げる。しかし、衝撃で彼の腕には深い裂傷が走った。
「……ぐっ……重てぇッ!」
カイルの呻きが響く。
ミリアが即座に矢を放った。矢は獣の肩に突き刺さったが、分厚い毛皮に阻まれて深くは入らない。
「効かない……っ!?」
「弱点を探せ!」
蓮弥は冷静さを保ちつつ、符を握りしめた。獣の動きを観察し、額の結晶が光る瞬間、動きが一瞬だけ鈍ることに気づく。
「額の結晶だ! そこが奴の急所!」
鋭い声が洞窟に響き、仲間たちの視線が一点に集中した。
セリナが雷の呪文を唱える。青白い稲光が額の結晶に走り、獣が一瞬のけぞった。その隙を見逃さず、カイルが叫ぶ。
「今だああっ!」
彼の斧が閃き、結晶を砕かんばかりの一撃が炸裂した。しかし、完全に砕くには至らず、逆に獣の怒りを買った。咆哮が洞窟を満たし、反撃の爪がカイルの肩を裂いた。鮮血が飛び散る。
「カイルッ!」
ジョルンが盾を構えて飛び出すが、獣の巨腕が彼を薙ぎ払う。硬い鎧を着た彼の体が宙を舞い、岩の上に叩きつけられた。呻き声が響く。
「まずい……っ!」
セリナの顔から血の気が引く。
だが蓮弥は必死に思考を巡らせ、素早く符を地面に放った。光の陣が走り、獣の足元で発動する。重力を計算し尽くした法陣が脚を絡め取り、獣の動きを一瞬止める。
「ミリア、今だ!」
「っ……!」
ミリアが震える手で矢を番え、放った。その矢は真っ直ぐに飛び、見事に額の結晶へ突き刺さる。
「カイル!」
「任せろおおっ!!」
血まみれの肩を押さえながらも、カイルが渾身の力で斧を振り下ろした。轟音と共に結晶が粉々に砕け散る。
獣は苦痛に満ちた叫びをあげ、全身を震わせると、蒼い光を散らしながら崩れ落ちた。
洞窟には静寂が戻った。
しかし、その代償は大きい。カイルの肩は血で真っ赤に染まり、ジョルンの脇腹からも赤が溢れ出している。ミリアも矢避けの際に足を切り裂かれ、顔をしかめていた。
「……すまない、俺の判断が遅れた」
蓮弥は唇を噛み、悔しそうに呟く。
「違う……」
ジョルンは苦しそうに息を吐きながら微笑んだ。「お前の声があったから……勝てたんだ」
セリナが涙をこらえながら治癒の魔法を施す。その隣で、ルナが仲間に寄り添い、白い尾を揺らして癒しの光を放った。暖かな光が洞窟を満たし、血の匂いの中にわずかな安らぎをもたらす。
中央に鎮座する蒼晶石は、まるで戦いを見守っていたかのように静かに輝いていた。その光は美しくも冷たく、手にした者の覚悟を問うかのように淡い脈動を続けていた。
彼らは宝を得た。しかし、その輝きは血の代償と共に刻まれた――。
【第118話】計算尽くの勝利
聖山の斜面には、つい先ほどまでの激戦の余韻が色濃く残っていた。
岩肌は剥がれた結晶の欠片に覆われ、草木は焼け焦げ、血と鉄の匂いが風に混ざり漂っている。霧が立ち込め、月明かりを反射しながらゆらゆらと揺れていた。その光景はまるで山そのものが戦いの緊張を吐き出しているかのようだった。
カイルは肩に深い裂傷を負い、鎧は血で重くなっていた。ジョルンも脇腹を押さえ、岩に背を預けて息を荒げている。ミリアは片膝をつき、足に包帯を巻きながら矢筒を確認していた。その手は疲労で小刻みに震えている。セリナも額に汗を浮かべ、治癒術を施す指先がかすかに震えていた。
「……これ以上は無理ね。せめてここで――」
セリナの声がかすれる。その瞬間、山肌を震わせる乾いた杖の音が響いた。
カツン……カツン……
不吉な音が霧の奥から近づいてくる。やがて霧を割り現れたのは、かつて古物商を名乗っていた老人だった。しかしその顔には、もうあの穏やかな笑みはない。冷たい眼差しは獲物を狩る猛禽のようで、その背後には二人の修仙者が影のように控えていた。
漆黒の法衣に包まれた彼らの霊圧は、まるで大気そのものを押し潰すかのように重い。
「やはり……ここまで辿り着いたか」
老人は唇を歪め、杖を石に突き立てる音が静寂を切り裂く。
「だが、これで終わりだ。傷だらけのお前たちなど、我らの前では塵に等しい」
三人は筑基中期の修仙者。その言葉ひとつで常人の軍勢など容易く屠れる存在であることは明白だった。
蓮弥は仲間の前に立ち、符袋に手をやった。その瞳には恐怖ではなく、鋭く計算された光が宿っている。
「俺が相手をする。みんなは援護に回ってくれ」
仲間たちは蓮弥の正体をすでに知っていた。誰も驚かず、彼を信じる眼差しだけが注がれる。
次の瞬間、戦いの幕が上がった。
三人の修仙者が同時に襲いかかる。
一人は掌をかざし、空気を焦がす火炎弾を放った。もう一人は剣を振り抜き、剣気が刃のように空間を裂いて飛ぶ。老人は雷を纏った杖を掲げ、空を切り裂く稲妻を放った。
天地そのものが敵に回ったかのような猛攻。しかし蓮弥は一歩も動かず、冷静にその全てを計算していた。
「この角度、この速度、この間合い……」
彼の脳裏で、術式と魔法の軌道が数式のように構築されていく。防御陣を張る位置、反射の角度、符の起動タイミング――その全てを刹那で導き出した。
迫る炎弾の前に、蓮弥は符を投げた。符は空中で陣を描き、火球を正面から受け止め、衝撃を利用して軌道を逸らす。炎弾は山肌の岩壁に激突し、轟音と共に爆ぜた。
「今だ、ジョルン!」
蓮弥の声に応じ、ジョルンが短剣を投げ放つ。矢のように飛んだ刃は、術の反動で動きが鈍った修仙者の肩を裂き、赤黒い血が飛び散った。
もう一人の剣士が斬り込むが、蓮弥はすでに重力陣を展開していた。修仙者の足がわずかに沈んだ瞬間、カイルが槍を突き出す。
「はあっ!」
渾身の突きが相手の鎧を貫き、うめき声が響いた。
老人の瞳に怒りの光が宿る。
「若造が……この儂を侮るな!」
杖から迸る雷撃は、先ほどの比ではなかった。紫電が空気を裂き、山を震わせる。しかし蓮弥は複数の符を同時に展開し、雷の流れを計算通りの角度で逸らす。符陣の光が弾け、稲妻が反射されて逆流した。
「終わりだ!」
雷は老人の体を直撃し、閃光と共に彼の悲鳴が木霊した。杖は焼き切れ、彼の身体は黒焦げになって崩れ落ちた。
残った二人の修仙者は恐怖に顔を歪める。しかし逃げる間もなかった。
ミリアが鋭く矢を放つ。矢羽が唸りを上げ、敵の脚を正確に貫いた。悲鳴と共に動きが鈍る。
「セリナ!」
ミリアの声に呼応し、セリナが両手で杖を掲げた。彼女の周囲に淡い光の輪が広がり、そこから雷の槍が降り注ぐ。紫電が敵の身体を貫き、痙攣した隙に蓮弥の符が炸裂した。
光と風が交錯する中、最後の修仙者たちは崩れ落ち、血と煙だけがその場に残った。
――静寂。
戦いが終わったことを、血と焦げた臭いが告げていた。
蓮弥は息を荒げ、符袋を握り締めたまま仲間たちを振り返る。
「……みんなのおかげで勝てた」
セリナは疲れ切った顔で微笑み、ミリアも小さく頷く。カイルとジョルンも深い傷を抱えながらも、達成感の色を浮かべていた。
ルナが白い尾を揺らし、仲間たちの足元を回る。その尾先から放たれる霊光が疲労を和らげ、冷たい山の夜にかすかな温もりをもたらした。
蓮弥は静かに仲間を見渡し、この勝利を胸に刻む。
――計算と連携、そして仲間への信頼。それこそが、何よりも強い力だ。




