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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途 【第113話】【第114話】 苔間光 翠晶石の 脈打ちぬ

【第113話】聖山の門を越えて


 聖山――その名の通り、山そのものが淡い光を帯び、遥か古からの霊威を放っていた。


 遠くから眺めればただの山影に見えるが、実際にその麓に立ったとき、人は否応なく悟る。ここはただの山ではない。天と地の気脈が幾重にも交わり、精霊や魔物が住まう古代の聖域。生半可な修行者であれば、第一歩を踏み出す前にその威圧感に押し潰されるだろう。


 蓮弥は深く息を吐き、空気の重さを肌で感じた。筑基期に至った修仙者である彼でも、体の奥底にわずかな圧迫を覚える。体表に纏った霊力が自然と震え、周囲の気に同調しようとしているのだ。


 聖山の外縁には古びた石の門があった。高さ三丈を超える門は、無数の符文が刻まれた石板を組み合わせて築かれ、時の流れで表面は摩耗しながらも、未だ霊的な結界を保っている。


 門をくぐると、世界の色が微かに変わったような錯覚を覚える。森の緑はより濃く、澄んだはずの空気には魔力が溶け込んでいて、霧のように肌を撫でた。鳥や獣の鳴き声はほとんど聞こえず、代わりに葉擦れの音や風の唸りが奇妙な旋律を奏でている。


 カイルが背負った斧を握り直し、低い声で呟く。

「やっぱりただの山じゃねえな……入った瞬間から空気が違う」


 「魔脈が集まる場所だからね。人の手で踏み入れていい領域じゃないわ」

 セリナが銀杖を持ち直し、青白い光を周囲に漂わせた。魔法使いである彼女も、空気に含まれる魔力の密度に眉をひそめる。


 ミリアは弓を構えながら、視線を森の奥へ送った。

「足跡が……ない。獣や魔物がいてもおかしくないのに、妙ね」


 「それだけ強い気配に支配されてるんだろう」

 ジョルンが盾を肩に担ぎ、周囲を警戒する。その声には戦場を幾度も渡り歩いた男らしい冷静さがあった。


 ルナは蓮弥の足元に寄り添い、耳を立てて落ち着かない様子で辺りを見渡していた。白い毛並みが風を受けてふわりと揺れ、狐の瞳が一瞬、森の奥の闇を射抜くように光った。


 ――何かがいる。


 その直感が仲間たちの胸を締めつける。

 だが後退はない。蓮弥は足を進め、仲間も続いた。


 小川のせせらぎが聞こえたのは、それから間もなくのことだった。澄んだ水が岩肌を伝い、光を反射して揺れる。森の静けさの中で、その水音は妙に鮮やかに耳に響いた。


 「……あれを見て」

 ミリアが弓を下ろし、小川沿いの岩の割れ目を指さした。


 近づくと、そこには淡い光を放つ結晶が埋まっていた。苔むした岩の中から覗くそれは、呼吸するかのように微かに脈動している。


 セリナが慎重に掘り出すと、結晶は掌の上で淡緑色の光を放ち、魔力の波を静かに響かせた。

「……マナクリスタル。翠晶石ね」


 ジョルンが低く唸った。

「普通の翠晶石とは違うな。力が強い……山そのものが結晶を育ててる」


 蓮弥は視線を森の奥に送った。聖山には三種のマナクリスタルがある――古い書物で読んだ知識が脳裏をかすめる。


 一つ目は翠晶石。癒しの力を宿し、薬草代わりとして重宝される。

 二つ目は蒼晶石。魔力を安定させ、術者を支援する青白い宝石。

 三つ目は紅晶石。力を引き出す赤の結晶。だがその力は強大すぎ、未熟者には災いとなる。


 目の前の翠晶石は、明らかに通常よりも強い脈動を放っていた。

 その瞬間――森の奥から低いうなり声が響いた。


 「下がれ!」

 蓮弥の声と同時に、影が動いた。


 茂みから飛び出してきたのは、獣のような姿をした魔物だった。体長は人の背丈ほど、黒い毛並みと牙を備えたその魔物は、牙獣と呼ばれる低級魔物のはずだった。

 だが――。


 「二匹、いや三匹!?」

 ミリアの声に緊張が走る。牙獣は通常、単独でしか行動しない。それが三匹も群れているということは、この聖山の魔力が彼らを異常に活性化させている証拠だ。


 セリナが素早く詠唱を開始し、杖の先端から青白い光が弾けた。魔力の矢が牙獣の一体を撃ち、動きを止める。しかし、他の二匹は凶暴な咆哮を上げて突進してきた。


 「ジョルン、前へ!」

 蓮弥の声に応じ、ジョルンが盾を構えて前に出る。衝撃が盾に響き渡り、地面が震えた。カイルが脇から斧を振り下ろし、牙獣の足を狙う。鋭い金属音と共に血飛沫が上がった。


 「後方は任せて!」

 ミリアが矢をつがえ、素早く二射放つ。一本は牙獣の目を貫き、もう一本は肩口に突き刺さった。


 蓮弥は符を取り出し、霊力を流し込む。符が黄金色に燃え上がり、雷鳴が轟いた。

「――雷符!」

 放たれた雷が牙獣を包み、その巨体を黒焦げにする。


 「終わりじゃない!」

 セリナの叫びに、蓮弥はすぐに背後へと視線を向けた。

 森の奥で、さらなる赤い瞳がいくつも光り始めていた。


 「この山、魔物の巣窟になってる……」カイルが息を荒げながら呟く。


 蓮弥は仲間の顔を一人ずつ見回し、静かに決断した。

「まずは外縁を回ろう。深部に行けば、もっと強いのが出てくる」


 皆が頷いた瞬間、森を抜ける風が強く吹き抜け、木々の間で低いうなりがこだました。それはまるで、聖山そのものが彼らを試しているかのようだった。


 ――こうして、彼らは聖山の門を越え、未知の領域へと歩みを進めた。光と魔の狭間に揺れるその山で、待ち受けるのは栄光か、それとも死か。

 蓮弥の胸の奥で、鼓動が静かに高鳴った。



【第114話】牙獣の群れ


 森のざわめきが濃くなった。

 先ほどまで微かな風の音と水のせせらぎしかなかった聖山の森に、低く唸るような獣の声が混じり始める。


 葉の影が不気味に揺れ、気配が幾重にも重なり、まるで周囲の森全体が息を潜めているようだった。


 ――来る。


 蓮弥は符を指に挟み、霊力を巡らせながら木陰を睨んだ。その目にまず映ったのは、赤くぎらつく二対の眼光。そして、枝葉を押し分けて現れたのは三匹の異形の獣――牙獣であった。


 狼に似た灰色の体毛を持つが、その顎は異様に発達し、裂けた口の中には刀剣のような牙がぎらりと光る。爪も鋭く、一本でも掠れば肉を容易く切り裂くのがわかった。


 「三匹……いや、周囲にまだ気配がある!」

 蓮弥が叫ぶと同時に、カイルが重い斧を構えた。

 「ならまずは、目の前の奴らを片付ける!」


 咆哮と共に先頭の牙獣が地を蹴った。恐ろしい速さだ。獣の巨体が矢のように突っ込んでくる。

 だがその前に立ちはだかったのは、巨大な盾を構えるジョルンだ。

 「来いッ!」


 獣が激突し、轟音が響いた。盾ごと体が押し込まれ、ジョルンの足がわずかに地面を滑る。

 「重い……! こいつら、並じゃねえぞ!」


 その隙を突くように、ミリアの矢が空を裂いた。

 「――ッ!」

 放たれた矢は牙獣の肩口に突き刺さり、獣が痛みに低く唸る。しかし致命傷には至らず、獣は目を血走らせて暴れた。

 「動きが速すぎる……!」ミリアが歯を食いしばりながら呟く。


 蓮弥は瞬時に周囲を見渡した。獣の動き、仲間の位置、足場――頭の中で瞬時に戦況を組み立てる。

 「ジョルン、左に三歩! カイルは後ろに回り込め!」


 その声に二人が即座に応じる。ジョルンが獣の突進を受け止めつつ横に動き、カイルが死角へと回り込む。

 牙獣は動きを封じられ、短い一瞬の隙を晒した。


 「セリナ、今だ!」

 合図に応じて詠唱を終えたセリナが杖を掲げ、青白い雷光を放つ。


 「雷撃!」

 稲妻が牙獣の脚を直撃し、獣の巨体が痙攣して崩れた。

 そこにカイルの斧が唸りを上げ、渾身の一撃が獣の首を断つ。血が飛び散り、牙獣が地に沈んだ。


 だが残りの二匹が怒り狂ったように飛びかかってくる。

 「後ろに一匹、来る!」


 ミリアの声が響くより早く、蓮弥は符を投じた。

 「重力陣――!」

 足元の大地に小さな陣が浮かび上がり、二匹の牙獣の足取りが重く鈍る。

 「よし、今なら!」

 ミリアは二本の矢を同時につがえ、目にも止まらぬ速さで放った。

 一本が獣の首筋を貫き、もう一本が目を撃ち抜く。獣が絶叫し、血を噴きながら倒れた。


 残る一匹は狂ったようにジョルンに襲いかかった。巨大な顎が盾に噛みつき、金属の縁を噛み砕こうとする。

 「……っ、カイル!」


 ジョルンが歯を食いしばって押し返す。その背後を駆け抜けたカイルが跳び上がり、渾身の力で斧を振り下ろした。

 「おらぁッ!」

 骨の砕ける鈍い音。牙獣は頭蓋を割られ、力尽きて崩れた。


 森に静寂が戻った。

 あたりには三体の獣の死骸が転がり、血の匂いが濃く漂う。

 ジョルンが大きく息を吐き、肩の盾を下ろした。

 「……やるじゃねえか、蓮弥。お前の指示がなけりゃもっと手間取ってたな」

 蓮弥は周囲を見渡しながら、短く頷いた。

 「いや、皆が即座に動いたからだ。連携があったから勝てた」


 膝をつき、牙獣の牙を一本抜き取る。

 「……この牙、硬いな。普通の魔獣より魔力を帯びている。やはりこの山は異常だ」

 ルナが小さく鳴き、血の臭いを嫌うように蓮弥の足元に身を寄せる。白い毛並みがなお清らかに光り、仲間たちの心をわずかに落ち着かせた。


 「この程度でこの強さか……奥に行けば、どんな化け物がいることやら」

 カイルが斧を担ぎ直し、低く呟く。

 「恐れるなら、なお慎重に進まねば」

 セリナが血に濡れた杖を拭い、鋭い目で森の奥を見つめた。


 ミリアは周囲に目を配りながら言った。

 「気配が薄れたわ。ひとまずこのあたりの群れは片付けたはず。でも……」

 「奥には、もっと多い」

 ジョルンが彼女の言葉を継ぎ、重い声で断言した。

 蓮弥は仲間を一人ずつ見回す。疲労の色はあるが、皆の瞳には決意が宿っていた。


 「行こう。先は長い。気を抜くな」

 誰も異を唱えず、五人と一匹は再び森の中へと足を踏み出した。


 頭上の木々が風にざわめき、木漏れ日の隙間から淡い光が降り注いでいる。その光は美しいはずなのに、どこか緊張を煽る冷たさを帯びていた。

 ――聖山は、生者の訪れを決して歓迎していない。


 それでも彼らは進む。

 血の匂いがまだ残る獣道を、ただ前へ。

 その先に何が待ち受けていようとも、退くという選択肢はなかった。



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