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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途 【第93話】【第94話】 竜の伝承 符に託す夜の声 石畳歩む

【第93話】帰郷の道


 エルンディアの街の一角。石畳の通りを抜けた先に、その建物はあった。


 厚い石の壁に囲まれた二階建ての館。その入口には錆びた鉄製の看板が掛けられ、くすんだ文字で「情報所」と刻まれている。旅人や傭兵、商人が絶え間なく出入りし、昼間にもかかわらず薄暗い空気が漂っていた。


 蓮弥は栗色の髪と青い瞳の偽装を整えたまま、重い扉を押し開ける。途端に、羊皮紙の匂いと古い蝋燭の焦げた臭気が鼻を刺した。


 内装は質素だが整然としており、壁には広大な大陸を描いた地図や各地の交易路を示す掲示板がずらりと並ぶ。奥の机では、羽根ペンを走らせる職員が忙しなく紙を整理し、周囲では旅人や傭兵が低い声で情報をやり取りしていた。


 蓮弥は受付の机に歩み寄り、淡々と告げる。

 「……東方へ帰る手段を探している。」


 応対したのは初老の男で、無精髭を生やした疲れた顔をしていた。男は蓮弥を値踏みするようにじろりと見た後、机の上にあった分厚い書簡を一つ取り出した。


 「……東に渡る方法か。ふむ、選択肢は三つある。」

 その声には諦念の響きがあり、次に出てくる言葉の重さを予感させた。


 一つ目――徒歩で東方を目指す道。


 男は壁にかかる大陸地図を指差し、蓮弥の目の前に広げた。


 「この道は単純だ。南北を縦断する氷雪の山脈を越え、果てしない砂漠を抜け、さらに密林や魔獣の群れを避けながら進む。途中の補給地点はほとんどなく、旅の半ばで力尽きて骸をさらした者は数知れん。」


 指で示されたルートは、まるで鋭い刃物で地図を切り裂いたかのように長く、遠い。


 蓮弥は険しい山岳の連なりや、広がる砂漠の印を目にし、思わず息を詰めた。修仙者としての修行で険しい山を越えた経験はあるが、この道程は桁違いの難度だった。

 ――ここを選ぶのは、命を捨てる覚悟がある者だけだ。


 二つ目――艦船を利用する方法。


 男は次に、青いインクで塗られた海域を指差した。

 「王国直属の大船団が大陸横断航路を運行している。安全かつ迅速に東方へ至れる唯一の現実的な手段だ。」


 しかしその口調には、すぐさま現実を突きつける冷たさがあった。

 「乗船権を得るには、王家への忠誠を誓い、黄金千枚を支払うことが条件だ。一般人は到底手の届かぬ贅沢だな。」


 蓮弥は小さく首を横に振った。

 千枚――修仙界の霊石に換算すれば、まるで宗門の宝庫を空にするような額だ。今の蓮弥にそんな余裕はない。


 三つ目――ドラゴンを降伏させ、その背に乗ること。


 男が口にしたその瞬間、館の空気が一変した。

 近くの席で酒をあおっていた傭兵たちが鼻で笑い、口々に冗談めかした声を漏らす。

 「馬鹿げてる」「昔話だろ」「竜に近づいたら灰も残らん」


 だが、男の瞳には笑いはなかった。


 「だが虚構ではない。北の火山地帯や南の荒野には古き竜が棲むとされる。極稀に、命を賭けた交渉の末に契約を結ぶ者もいるそうだ。……お前が命を懸ける覚悟があるなら、探してみる価値はあるかもしれん。」


 静かな声が、重い現実を突きつける刃となって蓮弥の胸に刺さる。


 蓮弥は地図を見つめながら、心中で選択肢を反芻した。

 徒歩の道はほぼ自殺行為。船を使うには莫大な資金が必要。そして竜は――想像を絶する危険が伴うが、唯一自由を得られる道でもあった。


 「……まずは資金を得ること。そして竜の伝承を探ることだな。」

 自らの心に言い聞かせるように呟いた。


 情報所を後にすると、夕暮れの陽光がエルンディアの石畳を赤く染めていた。高層の尖塔の影が長く伸び、街路の喧騒が遠くから響いてくる。


 市場の喧噪、露天商の掛け声、荷馬車の車輪の軋む音……異国の都市の活気の中を、蓮弥は栗色の髪を揺らして歩く。


 心の奥底で、焦燥と興奮がせめぎ合っていた。

 ――シュウ廉が待っている。

 ――だが、この大地の理を知らねば、故郷へは戻れぬ。


 「険しい道こそ、修行の試練に相応しい。」

 己の信念を胸に刻み、蓮弥は歩を進める。


 次に目指すは――大金を得る術と、伝説の竜を巡る情報。

 帰郷への道を探す旅は、いよいよ修仙者としての真価を試す新たな段階へと進もうとしていた。




【第94話】役割分担


 宿に戻った蓮弥は、窓際の机に腰を下ろした。古びた机の上では蝋燭が細く揺らめき、油の匂いと焦げた芯の香りが部屋に漂う。夜の帳が下りたエルンディアの街は、遠くから馬車の軋む音や人々のざわめきが微かに届く程度で、宿の一室は静かだった。


 机の向こうで狐のルナが寝そべり、尾を丸めて小さな顎を毛並みに埋めている。その黄金色の瞳は、夜目にも鮮やかに光り、油灯の灯火を反射してきらきらと輝いていた。


 「ルナ。」


 蓮弥の低い声に、ルナは尾をふわりと揺らし、顔を上げた。狐の姿のままでも、五十年の修行で培った妖力が漂い、彼女の動きはどこか神秘的だった。


 「お前に、頼みたいことがある。」


 蓮弥の声には重みがあった。ルナはぱちりと瞬きし、小首を傾げた。

 「わたしに?」


 蓮弥は頷く。

 「街の図書館や書店、特に古書や遺物を扱う商館を巡ってほしい。探すのは――ドラゴンにまつわる記録や伝承だ。」


 ルナの耳がぴんと立ち、瞳に緊張の色が宿る。この街には異邦人を警戒する者が多く、狐の本性を隠したまま動くことには危険が伴うのだ。


 その気配を察した蓮弥は、懐から一枚の薄い符を取り出した。符は淡い青光を帯び、表面には細やかな符紋が流れるように刻まれている。


 「これは伝音符だ。危険を感じたら霊力を込めて放てば、俺に届く。お前の位置もすぐにわかる。」

 ルナの瞳が少し揺れた。「ほんとに?」

 「ああ。符は俺が直接刻んだものだ。お前がどこにいても、声も心も届く。」


 ルナは胸元に符を抱きしめ、真剣な表情で頷いた。

 「わかった。がんばる。」


 赤い毛並みの中で、妖力がふっと揺らぎ、彼女の体は淡い光に包まれた。瞬きの間に、そこには人間の少女の姿が現れていた。


 腰まで伸びた黒髪を後ろで束ね、白地の衣を纏った姿は、まだどこかぎこちない。しかし街に紛れるには十分だった。狐耳は隠され、尾も消え、そこには儚げで美しい少女の姿だけがあった。


 蓮弥は微笑を浮かべ、彼女の肩にそっと手を置いた。

 「お前ならできるさ、ルナ。お前の目は俺よりも鋭い。」

 ルナはその言葉に小さな笑みを浮かべ、踵を返して扉の方へ向かう。


 扉が開き、石畳の路地に夜風が流れ込む。ランタンの光が彼女の白い衣を照らし、その背は軽やかに闇へと消えていった。


 一人残された蓮弥は机に腰を掛け直し、深く息を吐いた。

 ――ルナには情報収集を任せ、自分は別の課題に集中せねばならない。


 船を使うにせよ竜を探すにせよ、まずは莫大な資金が必要だ。それは避けて通れない現実であった。


 「資金、か……」


 宿の窓を開けると、夜の街のざわめきがよりはっきりと耳に届く。遠くの酒場から笑い声が響き、路地では行商人が荷を片付けている。そんな中、ふと耳に飛び込んできたのは、二人組の男たちの会話だった。


 「冒険者ギルドの掲示板、新しい依頼が貼られたらしいな。」

 「魔獣退治に遺跡探索か。稼ぎ時だ。」


 ――冒険者ギルド。


 その名は、この世界に来て以来耳にしていた。旅人や傭兵が身分を問わず集まり、討伐や護衛、探索といった依頼を請け負う組織。実力があれば大金を得ることも夢ではないという。


 蓮弥の心に決意が宿る。

 「……あそこか。」


 修仙者として築き上げた力を隠し、この地では魔術師を装う。杖を手にし、術を唱え、慎重に立ち回れば、余計な疑いを招くことはないはずだ。むしろ修仙者の技を駆使すれば、普通の冒険者よりも遥かに高い成果を挙げられるだろう。


 翌朝、蓮弥は栗色の髪と青い瞳のまま、杖を手に宿を出た。

 朝の光が石畳を照らし、街路には香ばしいパンの匂いや香辛料の香りが漂っている。商人たちが荷馬車を並べ、子供たちが駆け回り、活気に満ちた声が空に響いていた。


 その喧騒の中を歩き、やがて視界に入ったのは、一際大きな石造りの建物だった。分厚い扉の上には鉄製の看板が掲げられ、古い文字で「冒険者ギルド」と刻まれている。


 扉の向こうからは賑やかな声と、金属が擦れる音、酒の匂いが漂ってくる。まるで修仙界の雑多な宗門の集会所を思わせるが、そこには異国特有の文化と空気があった。


 蓮弥は深く息を吸い、己の胸中に言葉を刻む。

 「ここから始まる――この異世界での、新たな修行が。」


 杖を握る手に力を込め、彼は重い扉を押し開けた。

 陽光が差し込む広間の中で、無数の視線が一斉に彼を迎えた。


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