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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途 【第91話】【第92話】 偽りの瞳 風と杖に溶け 街を行く

【第91話】偽装


 捜魂術を終えた蓮弥の前で、魔法使いは白目を剥き、泡を吹いて倒れ伏していた。

 その胸はまだわずかに上下しているが、意識が戻る見込みは薄い。魂を無理やり抉られた記憶は焼き切れ、二度と人としての言葉を紡げぬかもしれない。


 ――捜魂術。

 それは、魂そのものへと触れる禁忌に近い術だ。


 本来、熟練の修士が慎重に行えば、魂を撫でる程度の干渉で済む。だが、力ずくでこじ開けた結果、相手の心は耐え切れず壊れてしまう。

 蓮弥は目を伏せたまま、冷たく呟いた。


 「……甘さは、命を落とす理由になる」


 黒髪黒眼の異邦人――それだけで、彼はこの大陸で「異教徒」とされる。狩られる側に慈悲をかける余裕などない。戦場で剣を振るうよりも、こうして術で命を奪うほうが、時に残酷で冷たいのだと知っていた。


 必要な情報は手に入った。

 蓮弥は魔法使いを見下ろす視線を切り、夜の庭を後にする。月は高く、石畳の道が白く浮かび上がっていた。彼は黒衣を翻しながら歩みを進める。


 ――次は、この地の心臓部。

 情報の中心であり、権力の巣窟であるアルディアの大都市へ向かわねばならない。

 しかしその前に、準備がある。


 この大陸で目立たず歩くには、ただ力を持つだけでは足りない。自らの姿と術の在り方を、この世界に馴染むよう偽装せねばならなかった。


 蓮弥は林の奥で立ち止まった。

 人目のない森の中で、腰を下ろすと背嚢から削りかけの黒檀を取り出す。修仙の世界では剣が尊ばれ、術者の象徴でもある。だが、この地で術を行使する者たちは剣ではなく杖を持ち、長い詠唱で魔法を行う。


 ――剣を振るえば異端、杖を掲げれば同胞か。

 嘆かわしい文化の違いだが、生き残るためには適応が必要だ。


 蓮弥は丹田に気を溜め、指先で符文を描きながら木を削っていく。黒檀の木肌は硬いが、霊気を帯びた刃のごとき指先がそれを滑らかに削り出す。


 やがて、一振りの杖が夜闇に現れた。装飾は控えめだが、柄には精緻な符紋が刻まれ、魔法使いの道具と見まがうほど自然な仕上がりだった。


 蓮弥は杖を手に取り、立ち上がる。

 指先に霊気を集め、炎を生じさせようとすると、掌に淡い火の珠が灯る。普段なら符を使わずとも一瞬で炎を操れるが、今回は違う。

 杖を高く掲げ、低く呟いた。


 「……炎よ、敵を焼け」


 その瞬間、炎の珠は杖の先から迸り、近くの岩を焦がした。術の原理は何も変わらない。だが、杖の所作と声の響きが加わるだけで、それはまるでこの世界の「魔法」に見える。


 蓮弥は続けて風を操り、足元に舞い上がる空気の流れを試す。

 「風よ、我を運べ」

 杖を振るたび、足元に霊風が巻き起こり、彼の身体を軽々と持ち上げる。

 ――問題ない。偽装の術は完成した。


 次は容貌だ。


 蓮弥は木の枝に腰を下ろし、鏡代わりに水面を覗いた。

 黒髪に黒眼――この異国では即座に「異教徒」として処刑される要素でしかない。


 彼は目を閉じ、意識を丹田に沈める。

 呼吸がゆっくりと深くなり、霊気が体内を巡る。


 次第に髪の色が淡く変わり始めた。漆黒が溶けるように褐色へと移ろい、やがて陽光を浴びた麦のような淡栗色となる。

 瞳もまた、深い闇色から透き通る蒼へと染まった。


 ――修仙者が得意とする変容術。

 魔法の幻術よりも自然で、霊気を消費しない限り長く維持できる。


 水面に映る自分を見て、蓮弥はひとつ頷いた。

 もはや異端の象徴である黒髪黒眼の面影は消え、青い瞳の青年がそこに座っていた。


 「……これでいい」


 蓮弥は立ち上がり、杖を握り直す。

 森を抜けると、遠くに巨大な城壁が見えていた。

 白い石で築かれたその城塞都市は、夜空に聳える灯火の群れを纏い、塔の頂には星々のごとき光が瞬いている。


 ――アルディアの中心。

 金髪碧眼の者たちが支配を誇り、異端を狩り尽くす国の心臓部。


 蓮弥の胸に、怒りにも似た熱がこみ上げる。

 しかしその感情を、彼はすぐに冷たく押し殺した。


 「生き延びるために偽るだけだ……だが、必ず、この地の理を覆す」


 青い瞳に宿る光は冷たく、鋭かった。

 風が吹き抜け、栗色の髪が闇に揺れる。

 蓮弥は杖を手に、夜の街道へと歩み出した。


 異端者として追われる少年は、今や完璧な「魔法使い」の仮面を得た。

 その仮面の奥に燃える決意は、冷たくも静かに、しかし確実に世界を揺るがす炎となっていくだろう。




【第92話】分断の理


 雪山を下りて幾日、蓮弥はついに大都市――エルンディアの城門前へ辿り着いた。

 その光景は圧巻で、山中の静謐な庵で五十年を過ごした彼の心にすら重みを感じさせた。


 灰白色の巨石を積み上げた城壁は、数世紀にもわたる歴史の重みを纏い、山岳の岩壁にも似た威圧感を放っていた。見上げれば、塔楼には鋼の兜を被った兵士が立ち並び、槍の穂先が陽光を反射して光る。その姿は異邦者を寄せ付けぬ守り神のようでありながら、同時に獲物を睨む猛禽の冷たさを持っていた。


 門の前には数十台の荷馬車が列をなし、交易の香りと人々の喧騒が溢れている。荷駄の山からは香辛料の芳香、染料の刺激臭、干し肉や獣皮の匂いが混じり合い、城門の周囲を一種の混沌とした市場のようにしていた。


 蓮弥はフードを深く被り、静かに列へ加わる。栗色の髪と青い瞳へと変じた彼の姿は、もはや「異端」を示す特徴を失っていた。門番は彼を一瞥しただけで通した。


 ――門をくぐった瞬間、世界が一変した。


 石畳の街路は幅広く、馬車が二台並んで通れるほどの広さがあった。両脇には木組みの家々や石造りの館が整然と立ち並び、赤や青の瓦屋根が陽光を浴びて煌めく。窓辺には花々が咲き誇り、香りを風に乗せて漂わせていた。


 行き交う人々の衣服は鮮やかで、商人は上質な毛織物のマントを羽織り、貴婦人はレースのついた帽子を被って街を闊歩している。大道芸人の声や楽器の音色が響き、香ばしいパンや甘い菓子の香りが路地裏から流れてきた。鉄を打つ鍛冶屋の槌音、車輪のきしむ音、人々の話し声が街を満たし、活気の奔流が城門の外の世界と隔絶しているかのようだった。


 蓮弥はその光景に足を止めた。

 ――そこにいたのは、金の髪と青の瞳を持つ者ばかりではない。


 黒髪黒眼の人々が、当たり前のように暮らしている。

 露店で果物を買う母親、書物を抱えて歩く学者風の男、槍を手に巡回する兵士の列の中にも、黒髪の者が混じっている。

 彼らは差別されるどころか、ごく自然に市民として息をしていた。


 「……どういうことだ?」

 蓮弥は呟きながら、すれ違う人々の会話を耳に傾けた。五十年の修行と捜魂術で得た知識のおかげで、この国の言葉は既に自在に理解できる。


 断片的な会話が耳に届くたび、街の事情が少しずつ繋がっていった。


 南部の辺境――そこで黒髪黒眼の者は異教徒として蔑まれ、狩りの対象とされる。

 だが北部や交易都市では事情が異なる。多様な民族が行き交うこの地では、血筋の違いは力と富の前では色褪せ、実利を優先する風土が育っていた。


 さらに、この街エルンディアは北部最大の交易拠点であり、帝国に匹敵する自治権を持つ都市国家だという。

 文化と思想が交わるここでは、宗教的な偏見すら薄れつつあるらしい。


 「……同じ地でも、理がここまで違うのか」

 蓮弥は胸の内で呟いた。


 捜魂術で覗いた記憶の中の「異端狩り」は真実であったが、それは南部の閉ざされた地における現実であり、この世界全てを語るものではなかった。

 彼は己の浅慮を悟る。見聞きした断片を「絶対」と信じ込むのは、修仙者として愚かな行為であった。


 ――理は一つではない。

 場所が変われば、正義も悪も、信仰すらも形を変える。

 山で五十年を修行し、天地の気と向き合った蓮弥でさえ、世界の広さをまだ理解しきれていないのだ。


 夕刻、蓮弥は石畳の大通りを進みながら、大聖堂の尖塔を見上げた。

 黄金の十字架が夕陽に照らされ、神の威光を象徴するかのように輝いている。その下で、黒髪の神官が信者に祈りを授けていた。


 「……分断されし理」

 蓮弥は小さく呟いた。


 同じ神を祀る者たちの間でも、この街と南部の村落では信仰の在り方が異なり、異端の定義すら揺らいでいる。

 そして、その曖昧さが戦乱や迫害を生む土壌となるのだろう。


 彼は路地裏の安宿に入り、二階の窓辺に腰を下ろした。

 夕暮れの光が街路を照らし、人々の影が長く伸びる。その光景を見ながら、蓮弥は思索に沈む。


 この世界は広い。理は一つではなく、無数に枝分かれし、絡まり合い、時に対立し、時に融合する。

 修仙の道は、天地自然の理を追い求める道だ。ならばこの混沌もまた天地の姿の一部であり、学ぶべき真理の一端であった。


 「……ならば、見極めるまでだ」


 蓮弥の青い瞳が細められた。

 彼の旅は、己の故郷へ帰るためだけのものではない。

 この世界を覆う理の網を一つひとつ解きほぐし、自らの道を築くための試練なのだと、彼はようやく悟り始めていた。


 その夜、街の灯火が星のように瞬く中、修仙者の少年は窓辺で静かに瞑目した。

 ――そして次なる一歩を踏み出す覚悟を胸に、明日を待った。


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