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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途 【第81話】【第82話】 裂け目に 尾握る小手 闇潜む

【第81話】追撃者


 青空が果てしなく広がり、風が緑の草原を柔らかく撫でる。蓮弥、ルナ、そして淡く霊光を帯びるシュウ廉の三人は、束の間の安寧を噛みしめながら歩んでいた。


 草葉が揺れるたびに花の香りが漂い、ルナは小さな足で駆け回り、尾を揺らして蝶を追い、蓮弥の足元に戻ってくる。シュウ廉は霊体を軽やかに揺らし、微かな笑い声を立てて蝶を追う。ここに生まれる静かな調和は、長き逃亡の疲労を忘れさせるひとときだった。


 「ようやく……少しは静けさを取り戻せたな」


 蓮弥は空を仰ぎ、深く息を吐く。久しぶりの安堵。追われる日々の重圧から解き放たれ、ただ青空の下を歩む喜びが胸を満たす。しかし、その胸中には戦いの影も消えてはいなかった。魂の奥底に刻まれた傷は、まだ完全に癒えていない。


 ルナは尾を揺らしながら草むらを駆け回り、シュウ廉もまた霊光で蝶の姿を形作り、追いかける。蓮弥はその光景を静かに眺め、微笑を浮かべる。だが、その平穏は、突如として破られる。


 風が一瞬止まり、空気が震える。大地が微かに轟く。振り返った瞬間、黒衣の修士が大地に降り立った。結丹期の修士――魔仏山の追撃者である。鋭い赤眼が三人を貫くように光り、霊脈の波動が蓮弥の体を突き抜ける。目に見えぬ力が、草原を震わせ、周囲の風景を歪める。


 「魂の記号……やはりこれで辿れたか」


 修士は静かに言い、ルナとシュウ廉の体に刻まれた痕跡を指差す。かつて囚われた時に魂に刻まれた追跡印――その紋が微かに赤く揺らめく。蓮弥は瞬間、胸の奥が締め付けられるのを感じた。追跡者の力を甘く見るわけにはいかない。筑基期の彼では、結丹期の修士と真正面から戦うことは、ほぼ自殺行為に等しい。


 ルナが低く唸り声を上げ、シュウ廉の霊光が揺らぐ。恐怖が彼女たちを包み込み、瞬間的に動きを止める。


 「ルナ、シュウ廉……俺を信じろ!」

 蓮弥は剣を抜いた。手元に感じる霊力は、結丹期の修士には届かない。斬撃は軽く弾かれ、霊圧の奔流に押し返される。幾度も切り込むが、敵の操る天地の気に抗えず、血が口端を濡らした。地面に深く踏み込むが、風圧で体勢を崩し、倒れそうになる。


 「勝ち目は……ない……!」

 歯を食いしばり、蓮弥は声を震わせた。だが、その眼には揺らぎがない。守るべき仲間を逃がすため、ただ走らせるために。


 「今だ、走れ!」

 ルナとシュウ廉を前に押し出す。ルナは小さな手を蓮弥の手に触れ、うなずいた。シュウ廉も淡く光を強め、蓮弥の前に立ちはだかる敵を見据えたが、動く力は微かで、逃走の手助けしかできない。


 蓮弥は己の体を盾に、追撃者の前に立ちはだかる。結丹期の修士の攻撃は圧倒的だ。草原の大地が裂け、風が渦を巻き、霊圧の波が襲いかかる。蓮弥は剣を握りしめ、宙を舞うように斬り上げる。


 だが斬撃は敵の霊圧に押し戻され、再び体勢を崩す。砂埃が舞い、刃の光は霧散する。力の差を痛感しつつも、蓮弥は決して後ろを向かず、仲間を逃すことだけを考えた。


 背後では、追撃者の足音と、振動する霊光が迫る。ルナは小さく震え、シュウ廉も光を揺らす。だが蓮弥は、恐怖を顔に出さず、前に進む道を開く。草原を裂き、森を駆け抜ける。息は荒い。筋肉は痛み、霊力は消耗していく。結丹期の修士の追撃は容赦なく、風を巻き、木々を揺らし、追走する。


 「ここで諦めるわけには……いかない!」

 蓮弥は己に言い聞かせる。筑基期の体躯で結丹の力を凌ぐことはできぬ。しかし、策略と勇気、そして仲間を思う心だけは、敵に勝る。茂みや地形を利用し、ルナとシュウ廉を守りながら、草原を駆ける。


 やがて、森の縁に差し掛かる。樹影が濃く、追撃者の視線を遮る。蓮弥は全力で押し、ルナとシュウ廉を奥深くへと導いた。背後で修士の怒声が響き、霊光が木々の間を揺れる。蓮弥の体は限界に近く、息は荒いが、仲間が安全圏に入ることを確認して初めて、かすかに安堵した。


 「……まだ終わりではない……しかし、今は逃げろ」

 蓮弥は低く息を吐き、シュウ廉とルナに振り返ることを許さず、森の奥へと走り続けた。


 青空の下、風が再び草原を撫でる。しかし、その風はもはや平穏のものではない。追撃者の存在は、蓮弥の筑基の限界を突きつけ、魂に重くのしかかる。だが、仲間を守るための覚悟と策は、彼を走らせ続けた。恐怖と痛みを背負いながらも、蓮弥は確かに、逃げ延びるための一歩を刻み続けていた。




【第82話】空間の裂け目


 荒れ果てた古戦場に、黒紫の瘴気が渦巻く。蓮弥は必死に走った。草木を蹴散らし、崩れた土を踏みしめる足音が乾いた風に消される。後方では結丹期の修士が追撃の手を緩めず、蓮弥の背筋に冷たい圧力を押しつける。筑基期の彼には到底抗しきれぬ力。しかし、仲間を守るため、前に進むしかなかった。


 「ルナ、シュウ廉、離れるな!」

 ルナの小さな手を握り、シュウ廉の霊光に導かれながら、足を速める。だが、慌ただしい逃走の末、彼らは視界の広がる古戦場に踏み込んでいた。


 かつての戦乱の爪痕は、黒く焦げた土、砕けた甲冑、折れた槍、砕けた石碑として、時間を止めたかのように荒涼と広がっている。風が吹くたびに、地中から遠い兵の叫び声が蘇るかのように響き、蓮弥の胸を締め付ける。


 「……ここは……」

 息を切らせながら呟く。目に映る光景は、ただの戦場ではなく、怨念が形を持って漂う場所のようだった。シュウ廉の光がかすかに揺れ、ルナが尾を膨らませて震える。


 追撃者の結丹修士は、蓮弥たちの気配を察知し、荒れた大地を踏みしめながら迫る。赤く光る瞳が、魂に刻まれた追跡印を頼りに居所を示していた。


 「蓮弥、後ろ!」

 シュウ廉が叫ぶが、言葉が届く前に地面が激しく揺れた。大地が裂ける轟音。蓮弥の足元で土が崩れ、亀裂が闇を孕んで開く。黒紫の瘴気と怨念が渦を巻き、亀裂の中から未知の圧力が迫る。


 「くっ……!」

 蓮弥は反射的に跳ぼうとしたが、足は裂け目の縁で滑り、重力でも瘴気の力でもない、ねじれる力に引き込まれる。ルナも悲鳴を上げ、蓮弥の腕を必死に掴む。だが裂け目の吸引は容赦なく、二人を闇の底へと引きずり込んだ。


 「ルナ!」

 蓮弥は咄嗟に手を伸ばす。空間のねじれに抗い、全身の霊力を限界まで高めるも、虚空しか掴めない。二人は瞬時に裂け目の闇に呑まれ、光景は歪み、視界が断絶する。足元の地面も、追撃者の存在も、すべてが闇に溶けた。


 その刹那、シュウ廉が駆け寄ろうとする。霊光を強め、蓮弥を抱きとめようとした瞬間、結丹修士の法力の鎖が伸び、シュウ廉を捕らえる。鎖の力に翻弄され、彼の霊体は一瞬揺らぐ。蓮弥は裂け目に落ちていくルナを抱え、シュウ廉を守れぬまま闇に飲まれる。


 裂け目の内部は異界のように歪み、空間が螺旋状にねじれる。重力は不安定で、足は踏み込むたびに滑り、瘴気が体を締め付ける。闇の中に漂う感覚は、恐怖そのものだった。黒紫の光が筋となって走り、触れれば魂を乱す。蓮弥は心を集中させ、筑基期の霊力で体を安定させるが、それでも抗える力には限界があった。


 ルナは恐怖で体を震わせながらも、蓮弥の胸にしがみつく。彼女の小さな手に込められた信頼を感じ、蓮弥は拳を握る。「絶対に守る……!」。声には力が宿り、震える体を支える糧となった。闇の渦に引き込まれながらも、蓮弥は精神を研ぎ澄まし、霊力の流れを足先に集中させる。


 古戦場に残されたシュウ廉が結丹修士の鎖に絡め取られたまま揺らいでいる。亀裂はなおも軋む音を立て、瘴気を吸い込みながら不気味に光を放つ。裂け目はただの空間の破れではなく、未知と危険の象徴であり、蓮弥たちの運命を大きく変える試練となった。


 闇の底に落ちた蓮弥とルナは、互いの存在を確かめながら、空間の混乱を耐え抜く覚悟を固める。筑基期としての限界を知りながらも、仲間を守り、未知の深淵を生き抜くため、二人は闇に身を委ねた。


 裂け目の内部は、ただ絶えず歪む空間と瘴気、そして遠くで揺れる光の残滓があるだけ。だが蓮弥は胸中で誓った――どんな困難が待とうとも、仲間を救い、再び光の下に出るのだと。


 黒紫の闇に飲まれた古戦場の裂け目は、ただ無情に軋み、蓮弥たちを未知の世界へと運び続けた。


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