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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途 【第79話】【第80話】 山裂けて 狐を抱きしめ 月の道

【第79話】救出と逃走


 黒煙と怒号が渦巻く魔仏山の奥深く、混乱はすでに極みに達していた。


 空は裂けるような轟音と共に赤黒い光を放ち、山を覆う霊脈は乱れ、瘴気が逆巻きながら迸る。結界はひび割れ、堂宇は崩れ落ち、修行の地は地獄そのものと化していた。


 蓮弥は息を殺し、石壁の陰から様子を窺った。隣には僧衣を翻す明覚が立ち、手にした錫杖から微かな浄光を溢れさせている。互いに目配せを交わし、同時に駆け出した。


 囚われの間を覆う結界は、瘴気により歪んではいたが、なお強固な封印の力を保っていた。蓮弥は腰の剣を抜き放つと、全身に気を巡らせ、一息に斬りつける。白刃が結界を断ち割り、眩い光と共に裂け目が走った。


 その中から現れたのは、鎖に繋がれた半霊の狐――ルナ。

 小柄なその身は疲弊に震え、ふわふわだった尾は泥にまみれて萎れていた。その瞳には怯えと疲れの影が深く刻まれている。しかし、二人の姿を認めた瞬間、涙が溢れた。


「遅れてすまない……今度こそ、助けに来た」

 蓮弥の声は震えを帯びながらも真っ直ぐだった。


 ルナは嗚咽をこらえ、小さく頷く。鎖が砕かれると、その細い腕が蓮弥の胸に縋りついた。


 続いて結界の奥から姿を現したのは、淡く揺らめく霊光に包まれた人影――シュウ廉であった。

 すでに肉体を失い、魂のみの存在と化した彼の姿は、燃え尽きる寸前の焔のように儚い。それでもなお、その眼差しには威厳と誇りが宿っていた。


 彼は一歩、蓮弥に近づき、肩に手を置こうとした。だがその指先は虚空を透き抜け、影だけを残す。


「……まだ共に行ける。力は微かだが、足手まといにはならん」

 その声音には優しさと覚悟が滲んでいた。


 三人を解き放つと同時に、堂宇の外から喚声が轟いた。修士たちが異変に気づき始めたのだ。蓮弥と明覚はルナを守りながら、闇に紛れて山道へと駆け出す。


 背後からの追撃は思いのほか遅れていた。

 理由は明白だった。


 霊脈の暴走によって山全体にあふれ出した瘴気は、修士たちの内側を容赦なく蝕み、激しい下痢と嘔吐に彼らを苛んでいた。呻き声と共に地に伏す者、川辺へと走り込みそのまま崩れ落ちる者……。阿鼻叫喚の声は夜を震わせ、敵であるはずの修士たちの威容は見る影もない。


 さらに暴走した霊獣たちが修行場を荒らしまわっていた。黒狼は血眼で吠え、空を翔ける霊鷲は人影を見境なく襲う。檻を破った鉄牙猿が棍棒のような腕で建物を打ち砕き、火の粉が夜空に舞った。


 蓮弥は駆けながら一度だけ振り返った。

 そこに広がるのは、敵の滅び。勝利の歓喜などなく、ただ胸に広がるのは虚しさであった。


「……これも因果の報い、か」

 明覚が低く呟く。汗で濡れた額を拭いながらも、その眼差しは前を見据えていた。


 やがて、暗い山道の先に月明かりが差し込み始めた。出口が近い。木々がざわめき、夜風が四人を迎え入れる。


 蓮弥は荒い息を吐きながらも、ルナの手を握りしめた。

「もう大丈夫だ。ここから先は俺たちの道だ」


 ルナは涙を拭い、白銀の尾をわずかに揺らして微笑んだ。その笑みは弱々しくも確かな光を帯びていた。


 その背後で、シュウ廉の霊体がふと明滅する。淡い光が四人を包み込み、まるで未来への道標のように揺らめいた。


 こうして彼らは、混乱と崩壊に沈む魔仏山を後にし、新たなる逃走の旅路へと踏み出したのであった。




【第80話】残心


 夜の帳はすでに山を覆い、魔仏山の麓に広がる村は、まるで息を潜めたように沈黙していた。


 わずかに灯る篝火の赤が、荒れ果てた土道や崩れかけた家屋の影を伸ばしている。その中を、蓮弥と明覚は足音を殺して進んでいた。背には重く膨らんだ袋を背負い、腰には戦いで鍛えられた霊気の刃が眠っている。


 袋の中には、魔仏山の宝物庫から奪い取った金銀財宝が詰まっていた。それは戦いの戦利品ではなく、償いの証である。

 二人は家々を一軒ずつ巡り、庭先へと金銀を投げ入れていった。


 硬貨が石畳に当たる乾いた音が、夜の静けさを切り裂く。袋の口が揺れ、白銀の粒が月光を受けて煌めいた。


 その光景は、戦場の残酷な記憶を抱える二人にとって、ひどく異様でありながらも、わずかな救いをもたらす行為であった。


「……これで、少しは償いになるだろうか」

 明覚が低く呟いた。


 僧衣の袖にまみれた血は乾き、淡い香の匂いと共に夜風に溶けている。彼の顔は疲労に青白く、しかしその眼差しには僅かな慈悲が宿っていた。


 蓮弥はその顔を見つめ、淡く首を振る。

「始まりは、この村を利用し、害する策であった。どれほどの金銀を与えようと、過ぎた痛みを消すことはできぬ。……それでも、彼らの暮らしが少しでも潤えば、意味はある」


 その声は冷静だったが、胸の奥には痛みがこびりついていた。

 自分が選んだ策であり、魔仏山を混乱に陥れた計画は成功を収めた。しかしその代償として、この村は怯え、疲弊し、血と涙に濡れたのだ。


 蓮弥は最後の袋を手に取った。

 手の中で金貨の重みがずしりと響く。それを庭先の草むらへと静かに投げ入れた。


 袋の口が少し開き、白銀の粒が草葉に散らばる。それは露の雫のように月明かりを反射し、夜闇の中で淡く輝いた。


 やがて荷はすべて空になった。

 蓮弥と明覚は無言で立ち上がり、互いの視線を交わす。霊草や霊宝は懐に残していたが、金銀財宝の類は一つも手元に残さなかった。彼らが得るべきものではないと、蓮弥も明覚も理解していた。


 背後にはまだ魔仏山の残骸から立ち昇る黒煙と、呻き声の余韻が響いていた。

 だが、彼らは振り返らなかった。


 ルナが蓮弥の袖を小さな手で握りしめていた。その耳は疲労で垂れ気味になり、白銀の尾も重く揺れている。


 シュウ廉の霊体は淡い青光を放ちながら、静かに四人の進むべき道を照らしていた。夜風が彼の姿を揺らし、魂の灯火のような気配を漂わせる。


 四人は村を抜け、夜闇の森を抜け、西へと足を進めていた。


 やがて明覚が足を止めた。

「ここで、俺は別れよう」


 蓮弥とルナは振り返り、彼を見つめた。

 月明かりの中で明覚の顔は影を帯びていたが、その眼差しには揺らぎのない決意が宿っていた。


「比叡山に戻らねばならぬ。今回の策は成功したが、俺にはまだ師へ報告すべき務めがある。そして、比叡山の修行僧としての道を捨てることもできぬ」


 ルナは唇を噛み、蓮弥はただ静かに頷いた。

「恩は忘れぬ。必ずまた会おう、明覚」


 「お前の修行の先に、必ず道は繋がっている」

 そう言い残し、明覚は深く合掌すると、山道を一歩ずつ進んでいった。

 その背は夜の闇に溶け、やがて完全に見えなくなった。


 三人だけとなった小さな隊は、森を抜けた先で立ち止まった。

 西の空には、薄雲の隙間からかすかな明星が瞬いていた。夜露の匂いが漂い、疲弊した体を冷たい風が撫でる。


 蓮弥はルナの手をそっと握った。

「もう大丈夫だ。ここから先は俺たちの道だ」


 ルナは疲労で顔色が悪かったが、小さく微笑んだ。狐の耳がかすかに動き、尾が弱々しく揺れた。その笑みは弱々しくも確かな温もりを帯び、蓮弥の胸に広がった焦燥を少し和らげた。


 シュウ廉は黙って彼らを見守り、その霊光をさらに強める。淡い光が夜闇の中で彼らを包み込み、まるで未来を示す道標のように輝いた。


 しかし蓮弥の胸中は晴れなかった。

 計画は成功し、仲間を救い、償いも果たしたはずだ。

 それでも彼の魂は安らがず、胸の奥には不安の影が残っていた。


 ――戦いの最中、魂魄の揺らぎを幾度も感じた。霊気を使うたびに精神が軋み、肉体はまだ耐えられたが、魂の奥にひびが入ったような感覚がある。

 このままではいずれ、取り返しのつかぬ破綻を招く。


 蓮弥は立ち止まり、星空を仰いだ。

 冷たい月光が頬を照らし、森の匂いが胸に広がる。心に宿るのは勝利の安堵ではなく、さらなる鍛錬を求める焦燥と決意であった。


 ――戦いは終わった。しかし修行は、なお続く。


 こうして計画は幕を閉じた。

 だが、蓮弥の魂の旅路は、まだその始まりに過ぎなかった。


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