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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途 【第61話】【第62話】 光雨や 魂の残滓 胸に沁む

【第61話】突破の余韻


 識海を満たしていた黒炎は、崩れ落ちるように形を失っていった。

 龍の姿を象ったそれは、もはや威容を誇る力を持たず、燻る煤のように薄らいでいく。その中心で、和尚の魂影が最後の力を振り絞り、蓮弥を睨み据えた。


 「……これが……お前の道か……」


 その声は驚愕や悔しさではなく、どこか悟りのような響きを帯びていた。

 和尚の影はゆっくりと崩れ、粒子のような光へと変わっていく。怨念でも呪詛でもない。修行の途上で積み上げられた知識と技の断片が、魂の残滓となって識海の中に散り、光の雨となって降り注いだ。


 ――チリ……チリ……。


 淡い光の欠片が蓮弥の中に吸い込まれていく。途端に、彼の心に異様な感覚が押し寄せた。


 炎を操るための呼吸法。

 水の流れを導くための静心の極意。

 気脈を巡らせる精緻な制御の理。


 そして――闇に潜み、敵を欺き、隙を突いて命を奪う術。

 魔仏山で磨かれた冷酷な功法、力を奪い己の糧とする魔功の片鱗までもが、彼の識海に刻み込まれる。


 あまりの情報量に、蓮弥の頭は割れるような痛みに襲われた。しかし彼はその痛みに抗いながら、ゆっくりと目を閉じる。


 「……ありがとう、とは言えないな。」

 心の中で呟いた声は冷静で、どこか哀しみを帯びていた。

 「だが――お前の積み重ねたもの、無駄にはしない。善も悪も、すべて俺の糧とする。」


 和尚の魂は完全に消え、識海は静謐を取り戻した。


 次の瞬間、意識が肉体へと戻る。

 世界は鮮烈な色彩に満ち、あらゆる音が耳に飛び込んできた。心臓の鼓動は轟音のように響き、全身の血が沸騰しているようだ。


 「ぐっ……!」


 蓮弥は呻き声を漏らし、全身を襲う熱と冷気に身を震わせた。霊力が皮膚の下を奔流のように駆け巡り、筋肉は隆起し、骨は音を立てて鳴動する。気脈は広がり、丹田は深淵のように無尽の力を湛えていた。


 袋の中から飛び出したルナが、蒼ざめた顔で叫ぶ。

 「れ、蓮弥っち……! 大丈夫……?」


 彼女の瞳に映る蓮弥は、すでに以前の少年ではなかった。

 白い蒸気のような霊気が体表を覆い、足元からは細かな光の粒子が舞い上がる。その姿は凡人ではなく、小さな仙人のような威厳すら漂わせていた。


 「……ついに筑基期か。」


 いつの間にか現れたシュウ廉が、蓮弥の姿を見て静かに頷いた。壺の中から覗く彼の瞳には、わずかな驚きと感嘆が混じっている。

 「だが――霊力が荒れている。このままではお前の身を壊すぞ。」


 蓮弥は荒い呼吸を整えようと目を閉じた。新たな力は暴れ馬のように駆け巡り、容易には従わない。丹田の奥から湧き上がる霊力は、制御を失えば自らの肉体をも内側から破壊しかねないほどだ。


 「……っ、制御……しないと……!」


 彼の額から汗が滴り、手のひらには青白い霊光が浮かんだ。全身の気脈が悲鳴を上げるように震える中、彼は必死に霊力を押さえ込もうとする。


 そのとき、識海に刻まれた和尚の記憶が閃いた。

 火と水を調和させるための呼吸法。

 気脈を安定させる術理。

 そして――「力を奪うために力を制す」という、魔功の本質。


 「……和尚。」


 蓮弥はその断片を組み合わせ、深く息を吸った。胸の中で炎と水の気を交互に巡らせ、互いを打ち消さずに調和させる。霊力は暴れ狂いながらも、次第にその流れを整え、一本の大河のような滑らかな循環へと変わっていった。


 「……できる。お前の功法も、盗んだ知識も、全部……俺が正しく使う。」


 言葉とともに、霊力が静まった。

 白い霧のような霊気が体から立ち上り、やがて消えていく。山道を吹き抜ける風は穏やかで、夜の静寂が再び辺りを包み込んだ。


 力の奔流が落ち着いた今、蓮弥は自身の変化をはっきりと感じていた。

 肉体の隅々にまで霊気が浸透し、骨は硬度を増し、筋肉は軽やかで力強い。視界はより鮮明に、気配は鋭敏に。まるで世界そのものの輪郭が変わったような感覚。


 筑基期――修仙者が初めて超える大きな壁。

 仙人への道を歩むための、確固たる基礎を得た者だけが立つ境地。


 「……ここまで来た。」


 彼は拳を握りしめ、深く息を吐いた。


 しかし、心の奥にはまだ熱が残っていた。それは単なる興奮ではない。和尚の遺した記憶の断片が、蓮弥の魂に静かに影を落としていたのだ。

 魔功の理、暗殺の術、闇の世界で培われた生き残りの知恵――それらは蓮弥にとって毒にも薬にもなるものだった。


 「善も悪も……俺の中で溶かし、道を作る。」


 夜空を見上げると、雲間から月が覗いていた。白い光が蓮弥を照らし、静かな山道を銀に染める。

 ルナは彼の肩に飛び乗り、不安げに見上げた。

 「ねえ……もう大丈夫?」


 蓮弥は微笑み、彼女の頭を優しく撫でる。

 「もう大丈夫だ。……これで、俺は前に進める。」


 シュウ廉もまた無言で頷き、静かに壺へ戻っていく。その表情には、弟子の成長を目の当たりにした喜びと、これから待つ険しい道への憂いが入り混じっていた。


 風が木々を揺らし、夜の静けさが広がる中、蓮弥は拳を握りしめた。

 和尚の死と引き換えに得た新たな力と知識――その重みを胸に抱き、彼は確かに次の段階へと足を踏み出していた。



【第62話】魔功と魔法


 夜明け前の空気はひどく冷たく、吐く息が白く揺れてはすぐに闇に溶けた。森を抜けた一行は、岩陰に小さな焚き火を起こし、肩を寄せ合うように腰を下ろしていた。夜明けの兆しはまだ遠く、空は墨を溶かしたように重い。燃える薪のぱちぱちという音だけが、静けさを切り裂く。


 蓮弥はその炎をじっと見つめながら、胸の奥にこびりついた昨夜の記憶を反芻していた。和尚の死。識海に侵入した際に垣間見た、血に濡れた修行の光景。そして、その中で何度も響いた言葉——“魔功”。


 「……シュウ廉、聞きたいことがある。」

 蓮弥の低い声が火の粉にかき消されそうに響く。

 「昨日、あの僧の記憶を見た。そこで“魔功”という言葉が何度も出てきた。あれは一体……何なんだ?」


 問いに応えるように、シュウ廉は炎に手をかざし、長く息を吐いた。その顔は焔に照らされ、古木のような深い皺が影を刻む。

 「魔功……それは禁断の修練法の総称だ。」


 低い声が夜気を震わせる。「多くは邪念や欲望を糧にするゆえ“邪功”とも呼ばれる。だが、必ずしも邪悪なだけとは限らぬ。己の血を削り、魂を削り、内に渦巻く気を極限まで研ぎ澄ませ、外敵すら圧する力を得る。それが魔功の本質よ。」


 蓮弥は焚き火の中に一本の薪を落とし、火の粉が弾けるのを目で追った。

 「……内に向かう修行。だが代償が大きすぎるな。」


 シュウ廉はうなずく。

 「その通りだ。魔功を選ぶ者は、ほとんどが切羽詰まった者だ。命を削ってでも力を欲する者、時間がない者、復讐に魂を捧げた者……そういう者だけがこの道を選ぶ。そして多くは破滅の果てに散る。」

 その声音には、かすかな哀れみと警告が混じっていた。


 焚き火の炎が揺らめく中で、シュウ廉はふと遠くを見るように語った。

 「東方の修仙界では魔功が恐れられているが、西方の大陸には“魔法”と呼ばれる術が存在したそうだ。魔功が己の内なる気を積み上げる術なら、魔法は天地の理を紐解き、呪文や儀式をもって外界から力を呼び込む道。似て非なる技よ。」


 「内か、外か……」蓮弥は呟き、目を閉じた。和尚の記憶に刻まれていた凄絶な姿が脳裏に浮かぶ。血を吐き、骨を削り、それでも術を練り続けたその執念。あれは確かに邪悪であったが、同時に人智を超えた覚悟の証でもあった。


 そのとき、小さな音と共にルナが袋を抱えて飛び出してきた。白い狐耳を揺らしながら、目を輝かせる。

 「見て! これ……和尚の持ち物だよね?」

 彼女が布包みを解くと、中から現れたのは黒い革表紙の古びた本と、柔らかな金光を放つ一粒の珠だった。


 「……これは……」蓮弥の息が止まる。


 シュウ廉は慎重に本を手に取り、ページをめくった。血で描かれた符、ねじ曲がった経脈図、命を削る修行の記録。

 「魔功の秘伝書だな。」彼の目が険しくなる。「だが完全なものではない。断章の寄せ集めだ。」


 蓮弥はその本を見下ろし、焚き火に投げ込もうとした。しかし手が震えた。知識の重みが、燃やすには惜しいと告げている。

 「使うつもりはない……でも、捨てるのも違う気がする。」


 ルナは耳をぴくりと動かし、真剣な眼差しを向けた。

 「危険だけど、知識として残すなら……蓮弥っちの判断に任せる。」


 蓮弥は小さくうなずき、本を袋に戻した。そして、次に目を向けたのは金色の霊珠だった。

 手に取った瞬間、珠は微かな脈動を放ち、周囲の空気が一層澄み渡る。珠の輝きは夜明け前の森を淡く照らし、草木すら息をひそめているようだ。


 「金霊珠……」シュウ廉が静かに名を呟く。「ただ持つだけで修行の助けとなる宝珠。だが比叡山の僧たちが血を流した理由も、この珠にある。」


 蓮弥は珠を手のひらで転がし、仲間を見やった。

 「どうする? 俺が持てば力になる。でも……また誰かが奪いに来る。」


 ルナの声は迷いがなかった。

 「返そう、比叡山に。この珠がある限り、争いは続く。」


 シュウ廉も深く頷く。

 「道は西だ。少し遠回りになるが、それが正しい選択だ。」


 蓮弥はしばし沈黙し、珠を握りしめた。

 「……わかった。俺たちで届けよう。」


 珠を袋にしまうと、空気の張り詰めた緊張がすっと解けるようだった。三人の心にはひとつの決意が宿る。

 焚き火がぱちりと鳴り、夜の闇は少しずつ薄れ、東の空がわずかに白み始めていた。

 新たな旅路には、また未知の影と光が待ち受けている。


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