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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途 【第57話】【第58話】 黒雲を 裂きてひとすじ 魂光

【第57話】魂の光


 識海――それは魂魄の根源が広がる内なる世界。その世界は今、荒れ狂う嵐の只中にあった。

 空は黒雲に覆われ、紫電が走るたび稲妻が海を照らす。足元の大海は暗黒の奔流と化し、巨大な渦がいくつも巻き起こっては轟音を立て、波濤が識海の果てに叩きつけられている。


 その中心に、蓮弥と和尚の魂が対峙していた。


 和尚の魂は、すでに人の形をしていなかった。法衣を纏った影は巨大化し、無数の腕を持つ魔像のごとく姿を歪めている。額には血のような赤い光が灯り、背には黒炎の翼が生え、地獄から顕現した魔神を思わせる威容を放っていた。

 「逃げ場はない……貴様の魂はここで潰えるのだ!」

 その声は雷鳴のように轟き、識海そのものを震わせる。


 蓮弥はその圧倒的な威圧感に押し潰されそうになっていた。魂の身でありながら息が詰まり、胸が締め付けられる。全身を鎖で縛られたように動かず、意識は暗闇に沈みそうになる。

 必死に手を上げて霊力を練るが、掌に灯った火花は、和尚の吐く黒い風に吹き消された。

 「……ちっ!」

 さらに水を呼ぼうとするも、滴が生まれる前に暗黒の波に呑み込まれ消えていく。

 魂力の差は絶望的だった。和尚は筑基期、蓮弥は錬気期。まるで大人と赤子の戦いだ。


 「無駄だ……!」

 和尚は魔像のような巨体で識海を踏み抜き、波が爆ぜる。次の瞬間、黒い掌が空を裂いて迫り、蓮弥の魂を掴もうと伸びる。


 「お前の体はもはや我がもの……魂はこの闇に沈め!」

 恐怖のあまり足が竦み、蓮弥の膝は折れ、海水のような識海の床に沈んだ。冷たい暗黒が全身を飲み込み、意識が遠のいていく。


 ――駄目だ、このままじゃ……。


 闇に沈みかけたその瞬間、胸の奥で小さな囁きが響いた。

 ――火と水を、同時に。

 それは幻聴のような、けれど確かな声だった。

 「火と……水を……?」

 自分の声で呟くと、霧のような記憶が脳裏に蘇った。修練の最中、幾度も失敗した実験。火と水を同時に呼び出そうとしては打ち消し合い、爆ぜ散って終わったあの日々。

 ――でも、今は……。


 蓮弥は両手を前に掲げた。右に火、左に水をイメージする。

 まず、右手に小さな火球が揺らめいた。炎は風に煽られる蝋燭のように頼りなく、今にも消えそうだった。左手には水の雫が震えながらも浮かび、互いの力が反発しあっている。和尚の影は嗤った。


 「戯れ事だ! 火と水は相反する。お前ごときが扱えるはずもない!」

 しかし蓮弥は耳を貸さない。

 「俺は……まだ終わらない!」

 両手をゆっくりと近づける。火と水の間には絶えず霧が生まれ、触れ合う瞬間にはじける。だが彼は諦めず、震える両腕に全ての意識を注いだ。


 「――っ!」

 火と水が重なった瞬間、ジュッという音と共に、白い霧がふわりと生まれた。それはただの蒸気ではなかった。霧は白光を放ち、識海の黒雲を一瞬だけ切り裂く。和尚の魔像の目が驚愕に見開かれる。

 「なに……っ!?」


 その霧は柔らかい光を放ちながらも堅牢な壁のように広がり、迫りくる黒い掌を弾いた。重苦しい闇を押し返し、周囲の波を鎮めていく。


 「これが……俺の……」

 蓮弥の声は震えていたが、その目は光を宿していた。


 和尚が吠える。

 「馬鹿な! 錬気期でそのような術を……!」

 怒りに満ちた魔像の姿がさらに肥大し、天を覆うほどになった。黒炎の翼が羽ばたき、識海全体が崩れそうな衝撃波が広がる。


 「その程度で俺に勝てると思うなあああっ!」

 闇が再び押し寄せる。海が割れ、足元の床が裂け、蓮弥は吸い込まれそうになった。


 だが霧は消えなかった。むしろ光を増し、黒雲を裂き続ける。霧の一片が蓮弥の体に触れるたび、恐怖で震えていた心が落ち着きを取り戻していった。

 ――火も水も、相反するものではない。

 ――陰と陽が交わることで、力は生まれる。

 それは師の言葉でもなく、本で読んだ知識でもなかった。自らの魂が導き出した答えだった。


 和尚の影が苛立ちに震える。

 「小僧ォ……貴様、まさか……!」

 声は怒りと恐怖が入り混じり、魔像の巨体に走る亀裂が白光を反射する。


 蓮弥は両の掌を合わせ、全霊を注いだ。

 火と水が融合し、光の霧は嵐の中心で輝きを増す。それは剣ではなく盾でもない。ただ柔らかく、しかし決して壊れない魂の壁だった。

 黒雲が裂け、頭上に淡い星の光が差し込む。その瞬間、和尚の動きが鈍った。


 「俺は……終わらない!」

 蓮弥の叫びが識海を震わせる。霧が一気に爆発するように広がり、嵐を吹き飛ばした。和尚の影は咆哮を上げ、後退する。

 「な……なぜだ……! 錬気期の小僧ごときに……っ!」


 識海の大海は荒れ狂いながらも徐々に静まり、黒雲の合間から青空が覗く。光に照らされた和尚の魔像は苦悶の表情を浮かべ、闇の瘴気がその体から剥がれ落ちていった。


 「まだ……倒せはしない……だが……」

 蓮弥の息は荒く、魂の体は限界に近い。それでも彼の中には、もう恐怖はなかった。闇の中に、確かな希望の灯がともったのだ。



【第58話】揺らぐ霧


 識海を覆う白霧は、かすかな光を孕み、薄明かりのように漂っていた。火と水――相反する二つの力を重ね合わせた、その一瞬の奇跡が生み出した産物。しかしその霧はまだ幼子の吐息のように脆弱で、不安定で、触れればすぐに消えてしまいそうなほど儚かった。


 「小僧……」

 和尚の魂影は、巨大な黒い法衣をまとった怪異のような姿で、識海の空にそびえ立っていた。顔は闇に沈み、目だけが血のような赤で爛々と輝いている。

 「まさかこの段階で調和の兆しを掴むとはな。だが所詮は幻。そんな脆き霧、我が一撃の前には雲散霧消よ!」


 和尚の咆哮は雷鳴のごとく響き、識海全体を震わせた。瞬間、嵐が渦を巻き、巨大な黒き掌が天を覆った。その一撃が叩き下ろされると同時に、轟音が鳴り響き、海原のような識海が波立つ。

 白霧は揺れ、ひび割れるガラスのように裂け、瞬く間に薄らいでいく。


 「くっ……!」

 蓮弥は呻き、膝を折りかけながらも両手を突き出した。意識を集中し、右手には火の気を、左手には水の気を集める。しかし、二つの気は反発し、弾けては消えてしまう。


 「見ろ、この有様よ!」

 和尚の口元が歪む。

 「火と水は天地の理において相克。お前の未熟な魂魄では繋ぎ止められるはずもない! その霧もすぐに消え去る……」


 言葉と共に押し寄せる圧力は、肉体を持たぬ識海の中でも重く、蓮弥の肩を押し潰すようだった。霧の輝きはさらに弱まり、足元から崩れ落ちる感覚が彼を襲う。


 ――やはり無理なのか。


 闇が忍び寄り、心を呑もうとする。背後には終わりなき深淵、前には迫り来る魔の影。希望などなかった。


 だが――。


 脳裏に、師匠の厳しい叱責が蘇った。修練の度に汗を流し、幾度も失敗しては立ち上がった日々。南の地で手に入れた霊草を丹に練り、己の道を求めて歩いた旅路。ルナやシュウ廉の笑顔、仲間の存在――それら全てが彼の心の奥で燈火となり、絶望の闇に抗うように光を放った。


 「俺は……まだ終われない!」


 蓮弥は唇を噛み、震える手を再び広げた。意識の奥底から呼び寄せた火と水は、互いに反発しながらも、彼の執念に応じるように微かに揺らめく。赤と青、二つの光が交錯し、弾けた瞬間、霧が生まれる。


 それは一瞬で消えるはずの小さな蒸気。しかし今回は違った。蒸気は淡く輝きを宿し、細い糸のように結びついていく。蓮弥の心の熱と静寂、その両方を糧に、霧は震えながらも広がった。


 「なに……?」

 和尚の赤い瞳が揺らぐ。その瞬間、彼の掌が放つ霊力の奔流が霧に触れた。だが霧は消えなかった。むしろ押し返すように、柔らかな光が和尚の力を弾いたのだ。


 「俺はまだ負けない!」

 蓮弥の声が響く。霧は震え、なお不安定ではあったが、確かに力を帯びていた。


 和尚は低く笑った。

 「面白い。だが、まだまだだな。霧は所詮、掴めぬ煙。形も力も定まらぬ!」


 黒い風が再び吹き荒れた。嵐のような霊圧が識海を揺らし、白霧は波打つように後退する。蓮弥の視界は一瞬にして闇に覆われ、全身が沈むような重みを覚えた。


 ――そうだ、和尚の言う通り、この霧はまだ不安定だ。


 だが、それでも――。


 蓮弥は震える両手を前に突き出し、火と水の気をさらに練り上げる。霧はかすかに揺らぎ、消えそうになりながらも、その光を絶やさなかった。


 「まだ消えない……俺は諦めない!」


 彼の胸に灯ったのは、修練を重ねる中で培った信念だった。小さな光でも、道を示すには十分だ。


 白霧は彼の気迫に呼応するように光を増し、嵐の黒雲を押し返す。和尚の影がわずかに後退した。


 「ふむ……やるではないか。小僧……だが、これで終わりだ!」


 和尚が掌を掲げ、識海全体を覆うほどの漆黒の波動を放つ。空間が軋む音が響き、蓮弥の足元が砕け散った。


 それでも彼は一歩も退かない。火と水の気が胸の奥で渦を巻き、呼吸の度に混ざり合い、霧の輝きを少しずつ強めていく。


 「霧は……煙でも幻でもない。俺の魂そのものだ!」


 彼の叫びに呼応し、白霧は広がった。今までのような頼りない光ではない。小さな燭台の炎が嵐の中で燃え続けるような、確かな意志の光だった。


 和尚は低く唸った。

 「……面白い。だが、この力を制御できぬままでは、いずれお前をも焼き尽くすぞ。」


 蓮弥は答えなかった。ただ歯を食いしばり、震える霧をさらに広げていく。闇と光がぶつかり合い、識海は揺れ続けた。


 白霧はまだ形を持たず、今にも崩れそうでありながら――確かにそこに存在し、和尚の猛威を退ける唯一の盾となっていた。


 その姿はまるで、修行の途上にありながらも己の道を求めて足掻く蓮弥そのものであった。



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