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紅蓮仙途 ―少年と龍狐と星の誓い―  作者: 紅連山


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紅蓮仙途【第47話】つかんだ霧 【第48話】掴めぬ均衡

【第47話】つかんだ霧


 夜明け前の山間の川は、まるで鏡のように静かだった。

 川面を撫でる風はほとんどなく、わずかに揺らめく水面が、空に浮かぶ淡い月光を映し返している。濃い森の匂いと湿った土の香りが漂い、虫の鳴き声すら遠く、世界そのものが息を潜めているかのようだった。


 その静寂の中心で、蓮弥は岩の上に胡座をかき、深く呼吸を整えていた。


 胸の奥にまだ残る鈍い痛みが、昨日までの失敗の記憶を呼び起こす。霊力の暴走で内息を乱し、血を吐いて倒れたのは、ほんの二日前のことだ。そのとき味わった恐怖と悔しさが、まだ骨の髄に染みついている。だが、同時に――その暴走の中で彼は確かに「何か」を掴んだ。火と水という正反対の霊力の奥に、ほんの一瞬、共鳴のような響きを感じたのだ。


 「……火と水、ぶつけるんじゃない。流れを合わせる……」


 自らに言い聞かせるように、蓮弥は低く呟いた。

 彼の修行は、ただ力を高めるだけではない。陰陽の理、五行の循環、その根本を己の体内で再現すること――それが修仙の道だと、師のシュウ廉は教えてくれた。


 蓮弥は目を閉じ、右掌を胸の高さに掲げる。その手には赤い光がじわりと集まり、まるで炎が息づくように揺らめいた。同時に左掌に青い霊光を宿らせる。ひやりとした冷気が指先を包み、わずかに川の匂いが濃くなる。火の霊気は陽の極み、水の霊気は陰の極み――それらを一度に操ることは、まだ結丹すら成していない彼にとって危険な試みだった。


 「押さえつけない……ただ並べる……」


 内息を巡らせる。丹田から生まれる霊流を、右腕には陽気として、左腕には陰気として流し分ける。頭の中で二つの川が交わらずに並行して流れるようなイメージを描く。


 赤と青の光が同時に強まった瞬間、激しい反発の気配が走った。まるで両手の間に鋭い刃が挟まれているような緊張感。少しでも気を緩めれば、霊力が暴発して体を焼くか凍らせるかするだろう。


 「流れろ……巡れ……拒むな……」


 その言葉は呪文ではなく、己への指示だった。

 蓮弥の額に汗がにじむ。呼吸は深く、一定を保ちながらも、内側では火と水が激しくぶつかり合い、耳鳴りのような響きが頭を満たした。


 ――それでも恐怖はなかった。二日前に体で知った死の危険が、逆に彼の集中を鋭くしたのだ。炎の力を力ずくで押さえ込まず、水の霊気を無理に封じ込めず、ただ「同じ場」に置く。


 両手が少しずつ近づく。光が弾けそうになるその刹那、蓮弥の意識は、川のせせらぎや森の静けさと同調した。


 ――次の瞬間、赤と青の光が溶け合い、白い靄がふわりと生まれた。


 「……っ!」


 掌の間から立ち上った霧は、最初はわずかな煙のようだった。しかし呼吸を整えながら手を広げると、それは水気を帯びて川の風に乗り、ふわりと宙に舞い上がる。川面を渡る朝霧が、蓮弥の手から生まれたかのように広がっていった。

 夜明け前の空に白い霞が揺れ、森の気配と溶け合う。その光景は、まるで仙境の片鱗を覗かせるかのようだった。


 「やった……」


 思わず漏れた言葉は、驚きと喜びが入り混じった声だった。

 その背後から、ぱちぱちと軽快な拍手の音が聞こえる。


 「すごいじゃん、蓮弥っち!なんか一気に仙人っぽくなったぞ!」


 木陰に腰を下ろして見守っていたルナが、悪戯っぽい笑みを浮かべて声をかけた。

 彼女は妖狐の血を引く存在で、その目には人間には見えぬ霊の流れも映っている。蓮弥の手から立ち上がる霧は、彼女にとってもただの水蒸気ではなかったのだろう。ルナの尾がぱたぱたと揺れるのを横目に、蓮弥は苦笑を返す。


 「仙人にはまだ程遠いよ。でも……これは確かに、一歩前進だ」


 その時、不意に脳裏に声が響いた。


 ――よくやったな、蓮弥。


 それは師・シュウ廉の声だった。今は姿を隠して旅立っているが、彼は時折こうして念話で弟子を見守ってくれている。


 ――だが忘れるな。霧はただの始まりにすぎぬ。蒸気は力にも幻にもなり、時には毒さえ隠す。火と水の均衡を極めたとき、お前の術は天地を覆うだろう。


 「……分かってる。次はもっと形を……はっきりと作ってみせる」


 蓮弥は静かに拳を握った。

 指先から離れた霧は川風に溶け、すぐに消えていく。それでも確かに、自分の手で世界に生じさせた現象だった。その重みが胸を満たす。


 これまで火の術は攻撃の象徴、水の術は防御の象徴だと考えていた。だが今、二つを調和させることで、破壊でも防御でもない「世界の一部」を作り出せたのだ。それは術の概念を覆す発見だった。


 夜が明け始める。

 東の空に一筋の光が差し、森の影が淡く揺れる。川面に薄い靄がかかり、自然の朝霧と、蓮弥の作った霧とが境目もなく溶け合った。


 彼の修行はまだ始まったばかりだ。だがこの小さな一歩が、いつか天地を揺るがす術への道筋となる。そう信じられるほどの確信が、今の彼の胸にはあった。




【第48話】掴めぬ均衡


 夜が明け、川霧が薄れてゆく頃、蓮弥は昨日と同じ大岩の上に腰を下ろした。


 夜明け前の冷たい空気が頬を撫で、川面には朝陽の光がきらきらと反射している。昨日、初めて火と水を調和させて霧を生み出したあの瞬間の感覚が、胸の奥でまだ鮮明に残っていた。あの奇跡のような調和をもう一度――そう思うと、心が少し高鳴る。


 「よし……昨日の感覚を、思い出せ。」


 静かに息を吐き、丹田から霊力を練り上げる。右手には陽気を集め、赤い炎の光が掌に宿る。左手には陰気を巡らせ、青い水の光がしっとりとした冷気を帯びて現れた。


 炎はゆらゆらと踊り、水は滴り落ちそうなほどに澄んで揺れている。二つの霊気を並べるだけでも緊張が走った。昨日の成功を再現するため、意識を極限まで集中させる。


 「……合わせろ。流れを……」


 しかし――。


 ボンッ! 


 火と水がぶつかった瞬間、激しい熱気と冷気が弾け飛び、川辺にしぶきが散った。

 熱風が頬をかすめ、水滴が頬に冷たく張り付く。蓮弥は目を細め、思わず顔を覆った。


 「ちっ……全然だめか。」


 彼の呟きに、木陰で見守っていたルナがくすくすと笑う。

 「昨日は奇跡だったんじゃね? 蓮弥っち、ほら耳までびしょ濡れ。」


 ルナの尻尾が楽しげに揺れる。その表情はからかっているようで、どこか優しさも滲んでいた。

 蓮弥はため息を吐き、もう一度目を閉じる。


 ――次は火を弱め、水を強く。

 ――いや、逆に火を強めて水を流すように……。


 何度も調整を試みるが、結果は同じだった。炎が水を蒸発させるか、水が炎を押し潰すか。どちらか一方が必ず勝ち、均衡は一度も訪れない。


 「……均衡が、掴めない。」


 膝に拳を置き、蓮弥は息を荒く吐いた。体の内側では霊力の流れが荒れ、腕はじんじんと痺れている。昨日の成功はまぐれだったのか――その疑念が胸に忍び込む。


 彼はふと川面を見た。昨日、自分の掌から立ち上った白い霧は、まるで夢のようだった。朝陽を浴びて淡く輝くあの霧が、今は信じられないほど遠く感じられる。


 そのとき、耳の奥に低く響く声があった。


 ――調子に乗るな、蓮弥。


 シュウ廉の声だ。まるで傍に立っているかのような冷静な声音が、心を突き刺す。


 ――昨日の成功は「種火」にすぎぬ。一度で掴めるほど、火と水の道は甘くない。千度の失敗を重ね、やっと一度の成功を自分のものにできるのだ。焦るな。


 蓮弥は目を閉じ、深く息を吐いた。

 焦りが胸を締め付けていたことに気づく。手のひらの熱と冷気の余韻がまだ指先に残り、体は汗と水滴でじっとり濡れていた。


 「……わかってる。焦るな、俺。」


 川の水を手ですくい、顔を洗う。冷たい水が額を流れ、熱を帯びた思考が少しずつ鎮まっていく。

 その様子を見ていたルナが、ぴょんと岩の上に飛び乗った。


 「大丈夫だって。蓮弥っち、昨日できたんだから、次もできるよ。ほら、もっと肩の力抜けって。」

 彼女の金色の瞳は、どこか柔らかい光を帯びていた。


 「……そうだな。」

 蓮弥は苦笑してうなずく。心のどこかでルナの存在が救いになっているのを自覚する。彼女はふざけているようでいて、いつも絶妙なタイミングで彼の心を軽くしてくれるのだ。


 再び霊力を巡らせる。

 丹田に集中し、火の陽気と水の陰気を体内で分け、それぞれを流す。昨日の成功のイメージを何度も思い出す――霧が生まれる直前、川のせせらぎと自分の呼吸が重なった感覚。


 しかし、その感覚はまるで霞のように掴めず、手を伸ばせばするりと逃げていく。


 「……まだ遠い。」


 ため息が漏れた。霊力を使いすぎたせいか、腕の重みが増している。

 それでも蓮弥はやめなかった。火と水の均衡を掴むまで、何度でも試す。

 その執念が、彼を修仙者たらしめる唯一の力だった。


 日が昇り、川面が黄金色に染まる。蓮弥の周囲には、爆ぜた火花の跡と、飛び散った水滴が無数に散らばっていた。岩の上は焦げ、湿り、修行の痕跡がはっきりと残っている。

 「……まあ、見てる分には楽しいけどさ。」

 ルナが小さく笑いながら呟く。その尾が彼の肩を軽く叩いた。


 蓮弥は彼女に視線を向け、微かに笑った。

 「楽しいなら、もう少し見ててくれ。」

 「もちろんだよ。……でも、あんまり無理すんなよ?」


 川辺に朝の風が吹き抜け、木々の葉を揺らした。その風が蓮弥の濡れた髪を撫で、焦げた匂いと水の匂いが混ざり合う。

 霊力を練る音はしない。ただ自然の音と、彼の深い呼吸だけがこの場を満たしていた。


 均衡はまだ遠い。だが昨日の霧が確かに存在したように、この道の先には必ず答えがある。

 蓮弥はその確信を胸に、何度目かもわからない挑戦の構えを取った。


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