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紅蓮仙途 【第367話】白光の果て 【第368話】空間の余韻

【第367話】白光の果て


 白光が全てを塗り潰していた。

 上下も左右も消え、時間の流れさえ途絶えている。蓮弥は宙に漂いながら、自身の輪郭が霧に溶けて消えていく感覚を覚えた。心臓の鼓動は確かにあったはずなのに、すぐに白へと吸い込まれ、現実と虚構の境界が揺らいでいく。


 ただ一つ確かなものがあった。瑠奈の手だ。指先の温度が蓮弥の掌に触れ、存在を繋ぎ止めていた。


 霊識を放っても、返ってくるのは無限の白。色も匂いも霊脈の流れも存在せず、ただ「何もない」だけが広がっていた。


 次の瞬間、白光が脈動する。世界がひとつの心臓のように脈を打ち、その余波から影がにじみ出た。


 ――赤鬼。

 ――青鬼。

 ――幼子の姿をした少年。


 だが、それらは立体を持たなかった。紙に描かれた絵を切り抜き、宙に貼り付けたかのような存在。正面しかなく、側面も背面も存在しない。線画のように薄く、常にこちらを向いている。


 少年の声が頭蓋の奥に響いた。

「君たちが選んだ通路は、僕の遊び場。逃げることはできない」


 白光の波紋が広がり、無数の扉が虚空に浮かび上がった。山脈、海、夜空、廃墟。どれも実在の世界の断片のように精緻で、霊識を注いでもすべてが等しく「本物」の波を放っている。


 蓮弥達は単に一枚の絵から、もう一枚の絵に入った。二次元から脱出していない。


 セリナが杖を掲げ、音を放つ。無音の世界に響きが走り、扉の奥へと潜っていく。平面の幻影は奥行きを返さず、ただ薄い音だけが戻る。だが、一つの扉からは深い谷を吹き抜ける風の反響が返ってきた。そこには確かに「厚み」があった。


 扉は見抜かれた。だが、通路を塞ぐように赤鬼と青鬼が立ちはだかる。紙片のように平面でありながら、動きは鋭い。


 少年の声が告げる。

「ここを通るには、“奥行き”を証明してみせろ。二次元の鬼を、三次元の力で超えなければ」


 立体を作らねばならない。

 三人は即座に動いた。


 瑠奈は氷炎剣を突き立て、氷柱を立てる。

 セリナは星杖を掲げ、星光を一点に固定する。

 蓮弥は雷光の飛刀を制御し、残る座標を刻む。


 三点が結ばれると、光の三角が虚空に浮かんだ。だが、それはただの平面では終わらない。三者が霊力を流し込み、三角は内側に「厚み」を宿した。線と面が重なり、三角形が空間を包み込む――それは三次元の結界だった。


 ここで重要なのは「点の数」である。

 二次元を構成するには二点を結ぶ線と三点の面があればよい。しかし三次元を確立するには、四点の関係が必要となる。三人の座標に加え、敵である鬼の位置が自然に四つ目の点となり、立体構造を完成させた。


 立体は閉じた。奥行きを証明する四点構造が確立された瞬間、赤鬼の爪は平面に縛られ、結界の奥に届かなくなった。青鬼の牙もまた、結界の高さを越えられずに弾かれる。


 結界の内部には確かな空間が存在する。空洞、厚み、奥行き。三人が示したのは「三次元の現実」そのものだった。


 雷光が増幅し、結界が震える。白光が裂け、扉の向こうの世界が鮮明になる。山の匂い、湿った土の感触――現実の大殿へと繋がる確かな空気が流れ込んでくる。


 少年の声が響いた。

「面白い……君たちは本当に“奥行き”を掴んだ」


 赤鬼と青鬼の輪郭が剥がれ落ち、紙片が裂けるように散り、光の粒へと変わって消えていった。


 残されたのは、ただ開かれた扉だけだった。


 蓮弥は二人の手を掴み、結界の中心を突き抜けた。

 白光が裂け、現実の空気が一気に流れ込む。三人の足が石床を踏みしめた瞬間、背後の扉は音もなく消えた。


 そこは再び大殿。壁には古びた絵が残り、その中の少年が、どこか誇らしげに笑んでいるように見えた。


 三人は静かに息を整えた。

 彼らの瞳には、試練を越えて掴み取った「三次元の輝き」が宿っていた。




【第368話】空間の余韻


 白光の扉をくぐり、蓮弥たちは再び大殿の石床に立っていた。

 足元の硬さ、空気の湿り気、鼻をかすめる苔の匂い――すべてが確かに「現実」の手触りを持っている。

 それでも、胸の奥に残る微かな浮遊感が、つい先ほどまで自分たちが別の次元に存在していた証だった。


「……戻った、のよね?」

 瑠奈が足元を見つめ、声を震わせた。


「ああ。ここは三次元、俺たちの認識する現実だ」

 蓮弥は深く息を吸い込み、周囲に霊識を巡らせる。

 その感覚は以前と同じはずなのに、どこか違う。


 空間そのものが、より鮮明に、より多層的に感じられる――

 壁と柱の距離、天井の高さ、空気の流れ、光の屈折。

 これまで“当たり前”としていた三次元の世界が、まるで幾重もの層を持つ生き物のように呼吸しているのが分かる。


「……世界の“厚み”が見える」

 蓮弥が呟くと、セリナが小さく頷いた。


「わたしも。空間が……一枚の布じゃなく、いくつもの糸で織られているみたい」


 瑠奈が手を伸ばし、空中をそっと撫でた。

 その指先が霊気を巻き込み、微かな波紋が揺れる。

「触れられる……けど、掴めない」


 蓮弥も同じ感覚を覚えていた。

 空間法則の端に指先が届いたようで、しかしまだ掌には収まらない。

 つかめそうで、つかめない。

 だが確かに、何かが意識の奥で目覚め始めている。


 ――これは、次の修練に必ず繋がる。

 たとえ今すぐ力として発揮できなくとも、この“厚み”の感覚は、空間法則を悟るための大きな一歩になるはずだ。


 蓮弥は息を整え、ふと壁へ視線を向けた。


 そこにあったのは、かつて赤鬼と青鬼、そして無邪気な男の子が戯れていた巨大な壁画。

 だが今、その姿は完全に消え失せていた。


 代わりに現れていたのは、一面の山水画――

 白と黒の墨だけで描かれた山々、谷を渡る川、雲海に沈む峰。

 一見するとただの古い山水画に見える。


 しかし蓮弥は、壁に滲む微かな光を見逃さなかった。

 墨の黒、その陰影の奥に、極細の彩色が隠されている。

 瑠奈も息を呑む。

「……色が、隠れている?」


 近づいてみると、白の余白にわずかに金が差し、川の流れには青緑が潜み、山の稜線には淡い朱が光っている。

 それはただの絵ではない。

 無数の色が呼吸するように揺らぎ、見る者の心に語りかけてくる。


「これは……宝だ」

 蓮弥は確信を込めて呟いた。

「二次元の試練を越えた者にだけ、本来の姿を現す宝画。

 空間法則を宿した……修練の糧となる絵だ」


 セリナが慎重に結界を張り、蓮弥はその上で絵を霊封符で包み込む。

 墨の山水は淡く輝き、やがて小さな巻物となって彼の掌に収まった。

 蓮弥は儲物袋を開き、静かにその宝を納める。


「これで、失われることはない」

 瑠奈が安堵の息をつく。


 三人はもう一度大殿を見渡した。

 幻術の余韻は消え、広い空間には古い石床と崩れた柱だけが残っている。

 しかし彼らの内側には、確かに新たな“奥行き”が刻み込まれていた。


 ――これで終わりではない。

 この感覚をどう磨き、どう力に変えるかが、次の修練の鍵となるだろう。


 蓮弥は仲間を促し、大殿の外へと歩みを進めた。

 石段を降り、古びた回廊を抜けたその先――


「……あれは……?」

 瑠奈が立ち止まり、指を震わせた。


 目の前に広がるのは、これまでの修仙世界では見たこともない光景。

 崩れかけた山壁の向こう、緩やかな丘に囲まれた平地に、異質な建造物がそびえていた。


 ――教会。


 尖塔を持つ白亜の建物。

 高く伸びる十字架、色ガラスを嵌めた窓。

 陽光を浴びて輝くその姿は、この秘境の山中にはあまりに異質だった。


「教会……?」

 セリナが呆然と呟く。

「こんなところに、こんなものが存在するなんて……」


 瑠奈も目を見開く。

「まるで……異国の世界がここに入り込んだみたい」


 蓮弥は眉を寄せた。

 石畳を覆う霊脈の流れを探ったが、そこから感じ取れるのは、これまで経験したどの宗門とも異なる波動。

 穏やかでありながら、どこか神秘的で、不可思議な力が内側に渦巻いている。


「ただの建物じゃない。

 ここもまた、法則が交わる場所かもしれない」


 三人は互いに頷き合い、慎重に足を踏み出した。

 空間法則の気配を胸に刻んだまま、彼らは未知なる教会へと歩みを進めていった。


 その先に待つものが、さらなる試練であることを、まだ誰も知らない――。



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