紅蓮仙途 【第365話】鬼影の迷陣 【第366話】次元を穿つ光
【第365話】鬼影の迷陣
黒い地平を割って、赤鬼と青鬼が同時に咆哮した。大気そのものが震え、耳をつんざく衝撃が三人を包む。
蓮弥は飛刀を構えながら、反射的に後退した。足元の黒い大地がぬめりを帯び、まるで絵の具を流し込んだように形を変えていく。
「――気をつけろ! この地面、動いてる!」
瑠奈が叫ぶ。
青鬼が踏み込むたび、地面が波のように盛り上がり、形を変えていく。赤鬼が爪を振るうたびに、黒い霧が天へと立ち昇り、視界を濁らせた。
ただ力で斬り伏せるだけでは、この異界ごと呑み込まれる。
「この世界そのものが術陣だ……!」
セリナが星杖を握りしめ、唇を噛む。
「鬼を倒す前に、この陣を解かない限り、私たちは永遠に閉じ込められる」
蓮弥は飛刀を操りながら、周囲に霊識を巡らせた。黒雲に覆われた空、墨を流したような地面、遠くに浮かぶ歪んだ石門――
どこも同じに見えるが、空間の歪みが微かに違う。彼は一瞬だけ、青鬼の足元に奇妙な紋の輝きを捉えた。
「瑠奈、あの紋を見たか?」
「ええ、でも動いてる。鬼が踏むたびに位置が変わる」
赤鬼が突進してくる。瑠奈は冷炎剣で受け流したが、刃が触れた瞬間、剣先から力が吸い取られる。
「……霊力が減ってる!?」
セリナが目を細め、青鬼の動きを読み取ろうとする。
「鬼そのものが陣の核と繋がっている。攻撃するほど、私たちの力を吸う仕組みだわ」
蓮弥は眉をひそめた。
――鬼は餌であり、陣の守り手。倒そうとする者ほど力を奪われ、やがてこの世界に取り込まれる。力任せに斬れば斬るほど、こちらが消耗するだけだ。
青鬼が両腕を広げ、胸元から黒い霧を吐き出した。霧は瞬く間に空間を満たし、三人の視界を奪う。次の瞬間、蓮弥の足元に赤鬼の影が現れ、巨大な爪が闇から伸びた。
「下か!」
飛刀を操り、影を裂く。雷光が地面を貫き、黒い液体が飛び散った。だが手応えは虚ろで、影は再び霧に溶けた。
「攻撃しても実体が掴めない……」
瑠奈の額に汗が滲む。
「ならば幻を破るしかない」
蓮弥は静かに呟いた。
「この陣を構成する“目”を見つける。鬼そのものではなく、この世界を支えている一点を」
セリナが星杖を掲げ、星光を霧に投げる。淡い光が霧を裂き、一瞬だけ空間の奥が露わになった。黒い地平の彼方、微かに白く輝くもの。
「あそこだ!」
瑠奈が叫んだ。
「でも、あそこに近づくには鬼が……」
赤鬼が巨腕を振り下ろし、道を塞ぐように大地を隆起させた。青鬼は石門の前に立ち、黒霧を凝縮させて壁を作る。
「道を開くぞ。セリナ、星陣を最大に!」
「了解!」
セリナは両腕を広げ、星の呪を紡ぐ。
「――星界交差!」
天空から無数の光の糸が降り注ぎ、黒霧の壁を一瞬だけ裂いた。瑠奈がその隙に符を投げ、氷炎を走らせて赤鬼の足を凍らせる。鬼が咆哮を上げ、霧が揺らぐ。
蓮弥はその瞬間を逃さず、飛刀を一点に収束させた。
「雷鳴・穿!」
紫電が一直線に走り、白く輝く“目”に迫る。だが、寸前で青鬼が身を躍らせ、雷撃を受け止めた。
耳を裂く衝撃音。
青鬼の腕が焼け焦げながらも、なお立ちはだかる。
「やはり守りがあるか……」
蓮弥は歯を食いしばった。
霧の奥から、幼い笑い声が響く。
「こっちへおいで……もっと遊ぼう」
白く光る“目”の前に、壁画で見た男の子が立っていた。その笑顔は無垢にして残酷。
「少年が……鍵を握っている?」
セリナが息を呑む。
赤鬼が再び暴れ、黒い大地が裂けて溶岩のような霊気が噴き出した。瑠奈は必死に結界を展開し、炎の波を防ぐ。
「蓮弥、もう一度狙う?」
「いや、まだだ。あの子が動けば、目の場所が変わって、出口が閉ざされる」
三人は視線を交わした。ただ倒すだけでは、この迷陣から抜け出せない。鬼の動きを封じ、少年の正体を暴き、この世界を縛る“目”を解かなければならない――。
黒雲が渦を巻き、霧がさらに濃くなる。鬼の咆哮と少年の笑声が交錯する中、蓮弥たちは次なる一手を探し、息を詰めて構えた。
戦いは、まだ始まりに過ぎない。
【第366話】次元を穿つ光
黒霧が渦を巻き、鬼たちの咆哮が反響する。
蓮弥は飛刀を操りながら、視界に映る景色の不自然さに改めて気づいた。
――空があるようで、どこまでも平板だ。
――大地があるようで、奥行きがない。
すべてが絵筆で塗りつぶしたように、厚みのない世界。
「……やっぱり」
蓮弥は低く呟いた。
「ここは“絵”の中――二次元だ」
瑠奈が目を見開く。
「二次元……だから攻撃が浅く感じるの? 動きがすべて平面の上で完結している」
セリナは星杖を握り直し、空を見上げた。
「霊識を広げても、奥行きの気配がない……三次元に戻れなければ、永遠にこの平面で鬼と遊ばされるだけ」
赤鬼が咆哮し、再び爪を振り下ろした。
しかしその動きもまた、紙芝居のように一枚絵を切り抜いて滑らせたかのような奇妙さを帯びている。
蓮弥は剣気で受けながら、頭の奥で必死に思考を巡らせた。
「二次元から脱する方法は一つ……次元を増やすこと。三次元を“思い出させる”」
「でも、どうやって?」瑠奈が息を詰めて問う。
「次元は形じゃなく、認識が鍵だ」
蓮弥は目を閉じ、己の霊識をさらに広げた。
――高さ、幅、そして奥行き。
平面にはない“奥行き”を、意識の中で描く。
セリナが星杖を掲げ、蓮弥の意図を悟ったように呪を唱え始める。
「星界三交・空間顕現――」
淡い星光が杖先から広がり、空間に微細な粒子を撒き散らす。
光の粒は黒霧に触れ、わずかな凹凸を生み出した。
だが次の瞬間、青鬼が咆哮してその光を掻き消した。
「邪魔させない!」
赤鬼が足を踏み鳴らすたび、大地が波打ち、平面に閉じた圧迫感がさらに強まる。
「まだ足りない……!」セリナが歯を食いしばる。
「三人の意識を同時に重ねないと、この平面を破れない!」
瑠奈が結界を張り、鬼の爪を受け止めながら叫ぶ。
「奥行きを“感じる”……蓮弥、やってみる!」
三人は背中を合わせ、互いの霊力を繋ぎ合った。
蓮弥は深く息を吸い込み、現実世界で見てきた山々の重なり、風が抜ける谷の深さ、星空が降りそそぐ無限の空――
そのすべてを心に描いた。
すると、黒霧の奥から微かな裂け目が現れた。
紙にナイフを走らせたような白い亀裂。
「見えた!」瑠奈が指差す。
「あれが三次元への“縫い目”だ!」
青鬼が裂け目に気づき、突進してくる。
その体もまた、一枚の絵のようにねじれながら迫った。
「突破する!」蓮弥が叫ぶ。
「セリナ、光を集中!」
「――星界交差、三重連!」
星杖から迸った光が亀裂に注ぎ込み、白い裂け目が縦に広がっていく。
奥から、風が吹いた。
この閉じた世界には存在しない、本物の風。
赤鬼と青鬼が同時に咆哮する。
「逃がさない――ここで永遠に遊べ!」
鬼たちの攻撃が一斉に降りかかる。
瑠奈は氷炎剣を振りかざし、飛び散る霊火で進路を切り開いた。
蓮弥は飛刀を十枚展開し、雷光で鬼の影を牽制する。
亀裂の奥には、ぼんやりとした立体の光景が見えた。
山門、倉庫、そして大殿――絵に吸い込まれる前の世界だ。
「もう少しだ、集中を切らすな!」蓮弥が声を張る。
三人の霊力が重なり、亀裂はついに人一人が通れるほどに広がった。
だが、裂け目を押し広げるたびに鬼たちの抵抗も激しくなる。
青鬼は自らの腕を犠牲にしてまで裂け目を塞ごうとし、赤鬼は黒霧を濃縮させて壁を作った。
「このままじゃ押し負ける……!」瑠奈が苦悶の声を上げる。
その時、絵の奥からまたあの少年の声が響いた。
「――帰りたいなら、僕と遊び終えることだ」
蓮弥はその声に反応し、霊識を裂け目に向けてさらに押し込む。
「遊びはもう終わりだ。
俺たちは――三次元に帰る!」
雷鳴のような霊力が迸り、裂け目の白光が一気に膨張する。
鬼たちが苦悶の叫びを上げ、世界が激しく揺れた。
次の瞬間、黒霧の天がひび割れ、平面だった空間が波打つように奥行きを取り戻していく。
赤鬼と青鬼の輪郭が崩れ、紙片のように空に舞った。
だが、完全な脱出にはまだ一歩足りない。
亀裂の向こうに広がる三次元の世界は、揺らめく蜃気楼のように不安定だ。
「急げ――この隙に出なければ、閉じ込められる!」
三人は互いに手を取り、光の裂け目へと跳び込んだ。
その瞬間、少年の笑い声が背後から響き渡る。
「面白い……次はどんな世界で遊ぼうか」
光が全てを飲み込み、視界が白に染まる。
次に開く瞳の先が、真の三次元か、それとも新たな幻か――
それはまだ、誰にも分からなかった。