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紅蓮仙途 【第363話】古殿の幻争 【第364話】壁画の誘い

【第363話】古殿の幻争


 長い倉庫群を後にした蓮弥たちは、ひび割れた石板に覆われた回廊をさらに進んでいた。

 天井は歩を進めるほどに高くなり、壁面を覆う石板には古代の星辰や獣を象った文様が幾重にも刻まれている。亀裂の隙間から微かな霊光が漏れ、青白い光が足元を照らした。澱んだ霊気と鉄錆びた匂いが入り混じった空気が、背筋をひやりと撫でていく。


 蓮弥は一歩ごとに霊識を巡らせ、周囲の気配を探った。背後には瑠奈とセリナが息を潜めて続いている。三人とも口を閉ざし、ただ石板を踏む足音だけが回廊に反響していた。


 やがて道は終わり、視界が一気に開ける。


 ――巨大な古殿。


 漆黒の柱が幾本も立ち並び、天蓋には星辰を模した古代符が淡く輝いている。扉は半ば崩れ落ち、かつての荘厳を残したまま闇に沈んでいた。

 殿内からは、金属が打ち鳴らされる甲高い音と、霊気が衝突する鈍い衝撃が入り混じった音が響き渡っている。


「戦っている……誰かがいる」

 瑠奈が息を呑む。


 蓮弥は頷き、崩れた扉を慎重に押し開けた。


 殿の中央では、四、五人の修士が入り乱れ、互いに攻撃を繰り返していた。

 火光が閃き、氷刃が唸り、石床が霊力に軋む。彼らは見覚えのない外来の修士たちで、互いを敵と見なし、血走った瞳でただ相手を打ち倒そうとしている。


 蓮弥たちの姿を認めるや否や、その修士たちは一斉に振り向いた。


「これは俺たちの宝だ――!」


 怒声と共に、五色の光刃が蓮弥たちへ殺到する。憤怒に染まった瞳は深紅に濡れ、理性の欠片も見えない。


「幻術……!」

 セリナが即座に結印を組み、結界を展開する。瑠奈は青光の符を放ち、迫る攻撃を霧散させながら叫んだ。

「目を覚ませ! ここには敵などいない!」


 しかし修士たちは耳を貸さない。幻惑に囚われた彼らは、仲間すら敵と見なし、ひたすら“宝”を守るために戦い続けていた。


 蓮弥は眉を寄せ、心を決めて前へ踏み出す。紫電を纏った掌を広げ、闇に溶けるように敵の背後へと回り込む。

「――鎮」

 低く呟くと、稲妻が床を走り、修士たちの足元から立ち昇った。霊気を吸い取り、その動きを一瞬にして鈍らせる。


 その隙を逃さず、瑠奈が符を展開し、眠りを誘う術を放った。白光の霧が広がり、戦いに狂う修士たちの瞳を柔らかく包み込む。抵抗の叫びが徐々に細くなり、やがて彼らは力を失って次々と倒れていった。


 セリナが荒い息を吐きながら結界を解除する。

「……危なかった。あの霊圧、並の修士じゃないわ」

「幻術に心を奪われたせいだ。自分を見失った者ほど厄介な敵はいない」

 蓮弥は倒れ伏す修士たちの胸元に封符を貼り付けた。

「これでしばらくは目覚めない。幻の残滓も消えるだろう」


 三人は殿内を改めて見渡した。戦いの余韻が残る大殿は、かつて祭祀の場であったのだろう。中央には供花台と供香台が並び、古代儀式を思わせる装飾が今も残されている。


 その供台の上――


 淡い金色の光を放つ玉盃が鎮座していた。花弁を象った結晶の座に載り、霊薬を封じたかのように輝く玉盃。静かでありながら、強烈な霊波が空間を震わせている。


 瑠奈が一歩踏み出しかけ、足を止めた。

「……これが、彼らが争っていた宝?」

 セリナが眉を寄せる。

「単なる霊具じゃない。心を惑わせる気配が残ってる」


 蓮弥は黙したまま玉盃を見つめた。光の奥に、人影のような幻が揺らめいた気がした――いや、それは宝そのものが放つ意志の残滓か。


 先ほど修士たちを狂わせたのは、この供台の宝に宿る幻術。ただ近づくだけで心を試す、危うい霊物に違いない。


「触れるな。まずは封印を確認する」

 蓮弥は冷静に指示を下し、結界符を取り出した。瑠奈とセリナも頷き、殿の四隅に符を貼りながら霊気を循環させていく。


 古殿は静まり返った。倒れた修士たちの浅い寝息と、供台から漏れる淡い光だけが、この古き祭殿に命を与えている。


 だが蓮弥には分かっていた。

 ――この宝を守る試練は、まだ始まりに過ぎない。




【第364話】壁画の誘い


 淡い金色を放つ玉盃を前に、蓮弥はしばし沈思した。先ほど大殿に踏み入った途端に襲われた幻術――その源は、明らかにこの宝に宿る霊気である。だが、いまは仕組みを理解している。幻術は知らぬ間に陥ればこそ恐ろしいが、意識して対処するならば脅威ではない。


「……慎重に扱えば問題ない」


 低く呟くと、蓮弥は両掌に霊力を集め、符を幾重にも重ねて結界を編み上げた。淡く揺れる光が玉盃を包み込み、霊波が抵抗して小さく唸る。蓮弥は呼吸を整え、符をさらに重ねて霊圧を押さえ込み、一気に封じ込めた。金色の輝きが徐々に沈静し、やがて静かな淡光へと変わる。


「これで持ち出せる」


 瑠奈が安堵の吐息を洩らした。


「気を抜くな。幻術は残滓が厄介だ」


 セリナが周囲に霊識を巡らせながら、蓮弥の動きを見守る。


 蓮弥は封じた玉盃を慎重に儲物袋へと収め、改めて大殿を見渡した。広大な空間に比べ、内部の調度は驚くほど少ない。供花台のほかには、古びた椅子が二脚、壁際にぽつりと置かれているだけだ。


「……あれを見て」


 瑠奈が指さした先、殿奥の壁を覆う巨大な壁画が目に入った。淡い青と朱の彩色は数百年を経てもなお鮮やかで、そこに描かれていたのは二体の鬼と一人の幼子。


 赤鬼と青鬼が並び、男の子と戯れている。赤鬼は角を揺らして笑い、青鬼は膝を折り子どもの手を取っている。幼子の瞳はまるで生きているかのように潤み、頬は微かな紅を帯びている。


「鬼が人の子と遊んでいる……不思議な図ね」


 セリナが首を傾げる。


 蓮弥は壁画へ歩み寄り、視線を走らせた。赤鬼の筋肉の隆起、青鬼の毛並みの質感――絵とは思えぬほど生々しい。そして何より、その瞳が微かに光を帯びているように見える。


「まるで、生きているみたいだ」


 瑠奈がかすれ声で呟いたその時、男の子がふいに顔を上げた。小さな手が、ゆっくりとこちらへ向かって上がる。白く柔らかな指先が、確かに蓮弥たちを招いていた。


 ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。


「今……動いた?」

「絵が、招いてる……?」


 言葉を交わす間もなく、壁画から低く響く声が殿内を震わせた。


「――無断侵入者、抹殺セヨ」


 青鬼の口が裂け、地鳴りのような咆哮が吐き出される。次の瞬間、赤鬼と青鬼が同時に一歩踏み出し、絵の中から飛び出すように蓮弥たちへ突進してきた。


 重い足音が響いた――はずだった。だが次の瞬間、足元の石床の感触が消え、視界がぐにゃりと歪む。


「――っ!?」


 瑠奈が悲鳴を飲み込む。蓮弥は咄嗟に霊力を巡らせ護符を展開したが、周囲はすでに先ほどまでの大殿ではなかった。


 目の前に広がるのは、壁画そのものが現実となった世界。灰青色の空に濃い朱雲が渦巻き、足元には墨を流したような黒い大地が果てしなく続く。遠くには巨大な石門が歪んだ角度で立ち、赤い光を帯びて震えている。


 そして、その中央に――赤鬼と青鬼。


 壁画と寸分違わぬ姿のまま、しかし今は確かに生きて息づいている。筋肉は鼓動に合わせて膨らみ、牙は白く光り、地を踏むたびに衝撃波が黒い大地を震わせた。


 蓮弥、瑠奈、セリナは互いに顔を見合わせた。自分たちの身体が、絵の中へ引きずり込まれている――その事実が言葉を奪う。


「……これも幻術?」


 セリナが問いかける。蓮弥は短く首を振った。


「三人とも同じ幻を見ているなら、普通の幻術じゃない。これは……絵そのものが異界に通じている」


 青鬼が再び咆哮した。


「侵入者、抹殺!」


 その声と共に、赤鬼が鋭い爪を広げ、黒い大地を蹴って飛びかかってきた。霊力の奔流が嵐のように三人を包み込む。


 蓮弥は八岐九飛刀を抜き紫電を纏わせる。瑠奈は冷炎剣を握り結界を展開。セリナは瞬時に星の杖で星光を形成し、青鬼の眉間を狙った。


 だがその刹那、背後から幼い声が響いた。


「……こっちへ、おいで」


 三人が振り返ると、黒い地平の向こうにあの男の子が立っていた。無垢な笑みを浮かべ、白い手を再び差し伸べている。


 鬼の咆哮と少年の微笑。

 現実とも幻ともつかぬ世界で、蓮弥たちは次の一歩を選ばねばならなかった。


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