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紅蓮仙途【第33話】【第34話】 戦果抱き 風に消えゆく 友の影

【第33話】蛇の死


 霊草の根元に指先を差し入れ、慎重に霊力を流しながら根の抵抗をほぐす。一本、また一本と、光を帯びた細い根が土の中から浮き上がっていく。


 蓮弥の額から汗が滴り落ちた。ほんの一瞬でも気を抜けば、草は根を切られたと感じ、枯れてしまう。それを避けるために呼吸すら整えながら、彼は最後の一本をそっと抜き上げた。紫色の蕾が淡く揺れ、ひときわ濃い霊気を漂わせる。


 その瞬間──。


 背後の空気が凍りついた。


 ぞわり、と背筋を冷たいものが走る。

 反射的に霊力を巡らせると、次の瞬間、轟音が世界を揺らした。


「っ!」


 雷鳴のような衝撃と共に、大蛇の尾が稲妻のように振り下ろされたのだ。蓮弥は即座に術式を描き、光の壁を展開する。


 巨尾と障壁が激突し、霊光が火花のように弾け飛ぶ。轟音と衝撃で地面がえぐれ、蓮弥の体は数歩後退した。その拍子に隠れ符が剥がれ、霧のような保護の術が霧散し、彼の姿が露わになる。


「くそっ……!」

 隠密はもう無理だ。


「走れ!!」

 怒声に似た蓮弥の叫びが森に響く。


 茂みの影から蒼汰と風牙が飛び出し、三人は山道を駆け下りた。背後から、怒りの咆哮が空気を震わせる。木々の枝が一斉にざわめき、地面を這うような低い唸りが続く。


 振り返れば、巨躯の蛇がうねりながら迫ってきていた。その全長は五丈を優に超え、黒青の鱗は剣よりも鋭い光を放っている。金色の瞳が三人を睨み、白い吐息が地表を這い、草木を瞬く間に枯らしていった。


「予定通りの場所まで……あと少し!」

 蒼汰が声を張り上げる。


 三人は血の気を失いながらも必死で駆ける。やがて狭い岩場にたどり着いた瞬間、三人は同時に地面へ飛び込み、掌を地に当てた。


「今だ、囲敵陣だ!」

「了解!」


 泥と石の上から光の紋様が立ち上がり、三人の間に張られた霊力の線が一気に蛇を囲む。三角形の陣が完成し、白い光の壁が大蛇の巨体を拘束した。


「囲敵陣、発動!」


 轟音と共に蛇の動きが鈍り、空気が震える。だが、その巨体の中で膨れ上がる霊力は想像を絶していた。


「グゥゥゥァァァッ!」


 大蛇が絶叫した。全身の鱗が逆立ち、体内から溢れ出した霊気が陣を押し返す。陣の光が一瞬で軋み、火花を散らした。


「持たない! 離れろ!」


 蓮弥の叫びと同時に、陣が爆ぜた。

 耳をつんざく破裂音と共に霊光が四散し、三人は衝撃波に弾かれて地面を転がる。


 胸に痛みを感じながらも立ち上がった蓮弥は、迷うことなく再び駆け出した。蛇の影が背後から迫り、地面は巨体の動きで波打っているようだ。


 その時、森に甲高い悲鳴が響き渡った。


「ギャァァアアアッ!」


 大蛇の腹の中央が裂け、血と内臓が噴水のように溢れ出す。蛇の動きが鈍り、その巨体が地面をのたうった。木々がなぎ倒され、血と泥が飛び散る。


「……効いたな」

 蓮弥が呟いた。


 それは事前に仕掛けておいた罠だった。鋭い短剣を刃先を上にして地中へと埋め込み、霊力で感知されないように封じていたのだ。逃走の最中、蛇が猛然と追いかけてきたその勢いのまま、己の腹を切り裂いたのである。


「今だ、仕留めろ!」

 蒼汰が叫ぶ。


 三人は一斉に霊力を解放した。槍が雷を帯びて蛇の首を貫き、剣が閃光のように鱗を切り裂く。蓮弥は符籙を次々に投げ放ち、火炎の爆ぜる音が連続した。


 大蛇は最後の力を振り絞り、尾を振るう。しかし、既にその巨体は死に体だ。鱗が破れ、筋肉が裂け、流れる血が地面を赤く染め上げていく。


 やがて蛇の首が深々と裂かれ、最後の咆哮を上げたかと思うと、その巨体が音を立てて崩れ落ちた。大地が揺れ、土煙が視界を覆う。


 呼吸を整えながら、蓮弥は蛇の裂けた腹を見つめた。そこには自分たちの策の跡が鮮明に残っている。


「……間一髪だったな」

「ほんとだ……死ぬかと思った」

 蒼汰が荒い息をつき、風牙も無言で頷く。


 森は再び静けさを取り戻した。血と焦げた霊力の匂いが立ち込める中で、三人は互いに顔を見合わせた。


 霊草も命も、ぎりぎりで守り抜いた。その達成感よりも、今は生き延びた安堵が勝っていた。


 蓮弥は懐に忍ばせた三株の霊草を確かめ、静かに息を吐いた。

 戦いは終わった。だが、この戦果がさらなる波乱を呼ぶことも、三人は直感で理解していた。



【第34話】勝ち逃げ


 森の深奥での死闘を終え、三人はようやく森の外れまで辿り着いた。木々の隙間から差し込む午後の陽光は柔らかく、長時間の緊張と疲労で重たくなった体を優しく包むように照らしている。


 岩肌が露出した斜面に腰を下ろすと、張り詰めていた気が一気にほどけ、三人の間に長い沈黙が落ちた。心臓の鼓動がまだ耳の奥で響き、手足の震えも完全には止まらない。湿った森の匂いに混じり、蛇の血と焦げた霊力の匂いが微かに鼻をかすめる。


 だが、命の危機を越えたという安堵感が胸の奥でじわりと広がっていた。


 蒼汰が背負っていた袋を降ろし、中を開ける。中には三株の霊草と、蛇の鱗や牙、そして戦利品の数々がぎっしりと詰まっていた。淡い紫の蕾を揺らす霊草は、まるで息をしているかのように霊気を放ち、袋の中を仄かに照らしている。


 風牙は息を整えながら、その光景を見て口元を緩めた。

「よし……これだけあれば、もう一踏ん張りできるな。なあ、蓮弥。森の奥にまだ宝は眠ってるはずだ。もう少し稼いでいくのもありじゃないか?」


 彼の瞳には冒険心が宿っていた。戦いの興奮がまだ冷め切っていないのだろう。


 しかし、蓮弥は首を横に振った。

「やめておこう」


 短い一言に込められた冷静さは、血に染まった戦場を幾度もくぐり抜けた者の声だった。

「欲をかけば、命を落とす。今の俺たちには、この収穫で十分だ。強くなることが先決だろう?」


 風牙は反論しかけたが、すぐに口を閉ざした。蒼汰も霊草を手に取り、頷いて笑う。

「蓮弥の言う通りだな。今日はこれで勝ち逃げだ」

 彼の指先には血がにじみ、笑顔の裏には緊張の疲れが滲んでいた。


 風牙はしばらく未練がましく森の奥を振り返ったが、やがて肩をすくめた。

「分かったよ。一人で突っ込むほど馬鹿じゃない」

 そう言って笑った彼の顔は、どこかほっとしたようにも見えた。


 三人は荷をまとめ、森を後にした。蛇の死骸の匂いがまだ森の奥で漂っている。血の跡を残さぬよう、霊力で気配を消しながら慎重に山を下る。


 やがて森を抜けると、夕陽に照らされた山道が目の前に広がった。昼の喧騒を忘れさせるような静けさに包まれ、三人はようやく緊張の糸を完全に解いた。


 下山の途中、軽口や冗談も飛び出す。

「蒼汰、お前の顔、さっき蛇に食われそうだったな」

「……うるさいな。お前だって最後、尻尾で吹き飛ばされてただろ」


 笑い声が響くが、どこか無理をしているのは皆わかっていた。あの死闘で誰か一人でも判断を誤っていれば、今ごろ三人とも蛇の腹の中だったかもしれない。

 その緊張が解けた今、心の奥には言葉にできない感情が渦巻いていた。


 城下町の外壁が見えてきたとき、三人の足取りは自然と遅くなる。城門の前で立ち止まった瞬間、言葉にしなくても互いに理解していた。


 ──この戦いの後、三人はそれぞれの道を歩むことになる。


「じゃあ、ここでお別れだな……」

 蓮弥が小さく呟く。その声にはわずかな寂しさが滲んでいた。

 風牙が手を差し出す。力強い握手が交わされ、蒼汰もその輪に加わる。


「気をつけろよ、二人とも。どこで何してようと、死ぬなよ」

「お互い様だな」

 三人の手の温もりには、言葉以上の想いがこもっていた。


 しかしその温もりはすぐに離れ、各々が背を向ける。

 胸の奥に、重く澱むような寂しさが押し寄せた。


 森の中で共に戦った記憶が、目の裏に鮮やかに蘇る。蒼汰の無邪気な笑顔、風牙の豪快な突撃、そしてルナの金色の瞳。あの戦場の一瞬一瞬が、命を削った輝きとして心に刻まれていた。


 「また、会えるよな……」

 蒼汰が小さく呟く。

 風牙は一瞬黙り込み、そして照れ隠しのように笑った。

「もちろんだ。運命が許せば、またな」


 三人は互いに一礼し、ゆっくりと歩き出す。

 背中を向け、振り返らずに進む道はそれぞれ違う。しかし、その胸の奥には確かに同じ想いがあった。別れの痛みと再会の希望、その二つを抱えて生きるのが修行者の宿命だ。


 新しい出会いもあれば、古き友との再会もある。

 それが人生の流れであり、修仙の道を歩む者にとっても避けられぬ宿命なのだと、蓮弥は噛みしめる。


 夕陽が山の稜線を朱に染める中、三人の影は長く伸びていく。

 その一歩一歩が未来へと続いている。


 ──誰も振り返らなかった。振り返れば、離れていく距離の痛みに耐えられないと、皆わかっていたからだ。


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