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紅蓮仙途【第21話】【第22話】 三人揃い 湿気と霊草 息を殺す

【第21話】風牙


 ある日、市場の喧騒を背に、蓮弥と蒼汰はひっそりとした路地へと足を踏み入れた。昼間の大通りは薬草や符籙を売る商人、霊獣の皮を抱えた探索者、そして目の色を変えた修行者たちでごった返していたが、一本外れた道は打って変わって静寂に包まれている。


 湿った風が路地の隙間をすり抜け、草の匂いと湿土の香りを運んでくる。遠くからは沼の方角に広がる霧の気配すら感じられた。


「ふぅ、やっと落ち着けるな。あの通りじゃ声を張り上げても相手の声が聞こえやしない。」

 蒼汰が大げさに息をつき、明るい笑顔を向けた。


「そうだな。」

 蓮弥は淡々と周囲を見渡す。石垣に囲まれた古い屋敷や、蔦の絡まる木製の扉。湿り気を帯びた静けさが漂い、人影はほとんどない。


「仲間を探すにしても、人混みでは気配も判断できない。こういう場所の方が見極めやすい。」


 蒼汰は頷きながらも、好奇心いっぱいの瞳で路地を見回していた。彼の陽気さは静けさの中でも消えることがなく、むしろこの陰鬱な場所を照らしているかのようだった。


 ふと、蓮弥の視線が止まった。

 路地の奥、古びた屋敷の前に立つ一人の青年。


 腰には装飾のない短剣が二本、背には黒ずんだ木製の弓筒。肩には灰色のマントをかけ、フードを深く被っている。鋭い眼光の奥には警戒心が宿り、その立ち姿には隙がなかった。


 蒼汰が目を見開いた瞬間、抑えきれない声が響いた。

「……風牙っ!? まさか、こんな所で会うなんて!」


 青年はわずかに驚いた表情を見せ、次の瞬間には口元に柔らかな笑みを浮かべた。

「蒼汰……久しいな。」


 二人のやり取りを見た蓮弥は、すぐに察した。

 ――昔の知り合いか。


 蒼汰は駆け寄り、遠慮のない笑顔を見せた。

「何年ぶりだよ! てっきり別の宗門に入ったのかと思ってたぜ。」


「俺は宗門には入らなかった。」

 風牙と呼ばれた青年は、低く落ち着いた声で答える。


「この街に流れてきたのはつい最近だ。……お前がここにいるとは思わなかった。」

「はは、俺もだよ! けど、こうして会えたのは運命だな。なあ、今俺たち、南の沼の探索に行こうとしてるんだ。一緒にどうだ?」


 蓮弥は黙って二人の会話を聞きながら、風牙の気配を探った。警戒心は強いが、殺気はなく、むしろ背後の気配にも敏感に目を光らせている。経験豊富な探索者の身のこなしだった。


「……沼か。」

 風牙は短く呟き、わずかに目を細めた。その視線には恐れではなく、静かな闘志が宿っている。


「噂は聞いた。あの場所は危険極まりない。霧に潜む獣も、足を取る泥も、普通の修行者には命取りだ。」

 その言葉を聞いても、蒼汰の目の輝きは少しも揺らがない。


「だからこそ行く価値があるんだろ? お前ならわかるよな。」


「……ああ。」

 風牙はゆっくり頷いた。「俺も挑戦したい。命の危険は承知の上だ。」


 蒼汰は嬉しそうに肩を叩く。

「やっぱり風牙なら心強い! 昔から弓の腕はすごかったしな!」

「お前は相変わらず賑やかだ。」

 風牙は小さく笑ったが、その目は冷静に周囲を観察している。道の隅に置かれた荷車、屋敷の陰の影、すべてを見逃さないその姿勢に、蓮弥は感心すら覚えた。


「風牙。」

 蓮弥が一歩前に出る。「俺は蓮弥という。お前の友の誘いで一緒に行くつもりだが……沼の中は命を落とす危険がある。今の言葉を聞いた限り、お前はそれを承知しているようだな。」


 風牙は頷き、まっすぐ蓮弥の目を見た。その視線は真摯で、曇りがない。

「承知の上だ。危険だからこそ、挑む価値がある。……それに、ここで会えたのも縁だろう。」


 蓮弥はその瞳を見て、内心で評価を決めた。――この男は信用できる。彼の静かな気迫は、蒼汰の陽気さと自分の冷静さを補うだろう。


「三人か。」

 蒼汰がわくわくした声を上げる。「三人なら安心だな! 俺たち、絶対いいチームになるぞ!」


 風牙は苦笑し、肩をすくめた。

「なるかどうかはわからんが……やってみる価値はある。」


 三人は自然と向かい合い、拳を合わせた。

 その手の温もりには、それぞれの決意が込められている。蒼汰の無邪気な情熱、風牙の静かな闘志、蓮弥の冷徹な判断力――それらが混じり合い、新たな力を形作った。


 湿った風が路地を吹き抜け、三人の髪を揺らす。遠くで鐘の音が鳴り、街の喧騒が遠くからこだまする。だが、この小さな路地には不思議な静けさと緊張感が漂っていた。


「じゃあ決まりだな!」

 蒼汰が拳を握りしめて笑った。

「明日は準備を整えて、出発しようぜ!」

「了解。」

 風牙の短い返事には、迷いのない重みがあった。

 蓮弥も静かに頷く。「必要な符と薬草をそろえよう。霧を切り裂く道具も要るだろう。」

「おっけー! 買い出しは俺に任せろ!」


 三人はそれぞれの準備に取りかかるため、再び雑踏の方へ歩き出した。路地を出る直前、蓮弥は一度だけ振り返る。


 古い屋敷と静かな小道。あの場で交わした言葉が、後にどれほどの意味を持つか、この時の彼らはまだ知らない。


 霧と湿気に包まれた沼地の冒険は、すでに始まっていたのだ。



【第22話】ルナ


 数日間の準備と情報収集を経て、蓮弥、蒼汰、風牙の三人はついに、沼の中心地帯の外縁にたどり着いた。


 湿地の景色は、市中の喧騒とはまるで別世界だった。腐葉土と湿った泥の匂いが鼻を突き、木々の間を霧が漂う。風に揺れる葦が銀色に輝き、倒れた古木の根が水面から突き出している。


 苔や藻が浮かぶ水面に足を取られ、膝まで泥に沈むこともある。遠くでは水鳥が鳴き、小魚が跳ねる水音がこだまし、湿地特有の冷気と霊気の濃厚さが肌に刺さるようだった。自然の力が、ひそかに圧力となって襲いかかってくる感覚――蓮弥はその空気に身を緊張させた。


 沼の入り口には、見えぬ壁のような強力な結界が張られていた。普通の修行者が近づけば、まるで鉄板に跳ね返されたかのように弾かれる。蒼汰は腰袋から特製の符籙を取り出し、両手で印を結ぶ。


 符に霊気を注ぎ込むと、淡い青白い光が表面を走り、結界の一部が揺らいだ。幅一人分の隙間が生じると、三人は息を潜め、慎重に身を滑り込ませた。


 足元はすぐにぬかるみとなり、膝まで沈む場所もある。湿った土と腐葉の匂いが鼻腔を刺激し、足を慎重に運ばなければ、ぬかるみに嵌まって身動きが取れなくなる。蓮弥は先を見据え、倒木や水たまりを避けながら進んだ。


 もっとも、中心地帯全域に立ち入れるわけではない。外縁地域は錬気期の修行者でも探索可能だが、中核地域は筑基期以上でなければ踏み込めない。三人は慎重に霊気の濃さを確認しつつ、湿地を縫うように進む。


 葦や低木をかき分け、水面の苔や藻を踏まぬよう足を運ぶ。すると、蒼汰が目を輝かせ、しゃがみ込んだ。

「おお、これは下品霊草か! でも錬気期の俺でも扱えるな!」


 彼の無邪気な声に、風牙も微笑み、手際よく別の草を慎重に摘む。

「無理はするな。霊気の濃い場所は油断すると危険だ」


 蓮弥は短く警告し、葉に付いた露をすくい、香りを確かめながら慎重に霊草を採取する。外縁地域でも錬気期には十分な収穫である。


 三人は少しずつ霊草を集めながら、湿地を進む。蒼汰は楽しげに葉を摘み、風牙は揺れる草を乱さぬよう手際よく採取する。蓮弥は霊気の波動を感じ取り、慎重に草を掴んだ。


 沼の奥には淡い霧が立ち込め、水面は銀色の波のように揺れる。小魚が跳ね、葦の間を小鳥が飛び交う。湿地は静寂の中で生きており、三人の収穫した霊草が少しずつ膨らむ袋の中で揺れた。


 湿った風が髪を揺らし、草や葦の香りが鼻をくすぐる。まだ敵は姿を見せず、自然と霊気の力だけが、彼らの前進を静かに試していた。


 ある日、湿地を進むと、遠くに霊草が群生する一帯が見えてきた。陽光を反射し、葉は淡く光る。普通の草とは異なり、微かに霊気の波動が伝わってくる。


 その瞬間――懐中に潜む狐、ルナの念話が耳に届く。

『蓮弥、前方は危険……すぐ止まれ』


 ルナは姿を隠し、蓮弥以外には見せない。霊的な異常や殺気を察知する能力は抜群で、今の状況を直ちに警告した。蓮弥は即座に歩みを止め、手で二人に合図する。

「ここで止まれ。草むらに身を隠せ」


 三人は霊草へ向かうのをやめ、丈の高い草や低木の陰に身を潜める。湿った風が通り抜け、沼の奥から水鳥の鳴き声が響く。周囲の葦や草の揺れ、水面の波紋を目で追いながら、三人は息を殺した。


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