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紅蓮仙途 【第205話】【第206話】 熱を斬り 冷焰ひらく 静寂よ

【第205話】第三殿・宋帝王 ― 炎剣地獄


 黒門を踏み越えた瞬間、三人の肺を焼き尽くすような熱風が襲った。皮膚は刃物で削られたような痛みを覚え、髪の先までもが焼ける匂いを立ち上らせる。呼吸を一度でも深く吸えば、喉が即座に焦げつく――そんな地獄の空気だった。


 眼前に広がるのは、剣の森。

 赤黒く裂けた空から絶えず炎の雨が降り注ぎ、地平を埋め尽くす無数の鉄の樹――剣樹――の枝葉が揺れるたび、鋼の悲鳴のような音が四方に響き渡る。


 幹も枝も刃であり、その一枚一枚が真紅に灼け、風を切るたび火花を散らす。大地は亀裂を走らせ、そこから吹き出す溶岩の奔流が、森全体を焼き焦がしていた。世界そのものが巨大な拷問具に変じ、罪人を無限に切り裂くためだけに存在しているかのようだ。


 その中心、紅魔の炎を背負い、漆黒の鎧を纏った巨影が立っていた。

 宋帝王――第三殿の王。

 しかし、その身も本体ではない。一糸分身に過ぎぬ。


 だがそれでもなお、その存在は圧倒的だった。燃え盛る双眸は世界を焦がす太陽のように輝き、鎧から溢れ出す熱波が空気を歪ませる。分身にすら、この世界を支配するほどの力が宿っているのだ。


 宋帝王が腕を掲げると、剣樹が軋み、そこから炎を纏った兵士たちが次々と生まれた。

 甲冑をまとい、片手に赤熱した剣を携えた鉄の亡者たち。数は数千、いや万を超えているだろう。炎に包まれたその群れは無音で進軍を開始し、足元に落ちた火花で大地をさらに焦土と化していく。


 蓮弥は剣を握り、肺に刺す熱気を無理やり押し込みながら足を踏み出した。気を極限まで練り上げ、剣身へと流し込む。刃が白く輝き、灼熱の森の中で唯一、冷たさを孕んだ光を放った。


 セリナは詠唱を始めるが、その魔力すら熱波に揺らぐ。冷気を纏う術式を展開し、周囲の炎を一時的に押し返すも、溶岩の息吹は絶えず押し寄せ、身体を蝕む。


 ルナは四本の尾を広げ、蒼炎の狐火を散らす。炎と炎の激突。彼女の火は呪を帯びた妖の火。宋帝王の炎に比べれば微かだが、その蒼光は敵兵を焼き払い、足場を確保するには十分だった。


 剣兵の群れが一斉に襲いかかる。

 蓮弥が前方に跳躍し、剣を薙ぎ払う。鋼を断つ音と同時に、兵士の身体が宙を舞うが、斬り裂かれた瞬間に炎が兵を包み、骨だけの姿で再び立ち上がる。殺しても、殺しても死なない。


 その背を追うようにルナの狐火が飛び、燃え盛る亡者をさらに焼き尽くす。しかし骨となった影はひび割れた大地に沈み込み、剣樹の影からまた別の兵士が姿を現す。まるで世界そのものが敵の巣窟であり、終わりなど存在しないかのようだ。


 足元が裂けた。

 溶岩が吹き上がり、蓮弥の頬を焼く。


 熱が骨の奥まで届き、皮膚に張り付く衣が瞬時に焦げた。彼は剣を地に突き立て、その熱風を斬るように力を込める。だが、空気そのものが剣のように鋭く、刃で切り裂かれるのは彼ら自身の体力の方だった。


 セリナの詠唱が最高潮に達し、氷の鎖が幾筋も現れて兵士を縛った。だが鎖は瞬く間に赤熱し、蒸気を上げて消え去る。彼女の頬を汗が流れ、視界が揺らいだ。それでも手を止めず、魔力をさらに練り上げていく。


 ルナは敵の群れの中を駆け抜ける。尾を振り、蒼い狐火を爆ぜさせて進路を切り開く。その炎は敵兵の鎧を一瞬で焼き溶かし、白い骨を露わにする。だがその骨もやがて灼熱の気を帯び、影のように動き出す。敵の数は減らない。それどころか剣樹の枝葉が震えるたび、新たな兵が生まれ続ける。


 地面が再び揺れた。


 宋帝王が剣を振り下ろす。その刃先から奔った炎は嵐のように吹き荒れ、大地を抉り、空気を燃やし、世界を赤一色に染める。三人は同時に身を投げ、炎の奔流を避けたが、熱は皮膚を貫き、血管の中まで焼け付くような痛みを走らせた。呼吸すら困難になり、視界が赤黒い閃光で満たされる。


 ルナの耳が音を失った。


 灼熱で鼓膜が焼かれたのか、ただ世界が音を立てることをやめたのか。足場は溶け、剣樹が炎の嵐に揺さぶられて無数の刃を降り注ぐ。彼女は必死に尾を振り、飛び交う剣を弾き落とす。そのたび火花が舞い、腕が切り裂かれ、血の匂いが焦げた空気と混ざった。


 蓮弥は斬撃を繰り返しながら、王の分身を睨む。

 ――あれが本体ではない。


 そう理解してもなお、王の一糸分身は圧倒的だった。存在感だけで精神を圧し潰し、意志を蝕んでくる。足元の影が意思を持った蛇のように絡みつき、動きを止めようとした。彼は気を集中させ、一瞬でその影を切り裂くも、影はすぐ再生し、まるでこの世界そのものが宋帝王の意志の一部であるかのようだ。


 セリナが最後の術式を編み上げる。

 彼女の背後に、青白い月輪が浮かび、炎の赤を押し返す光を放つ。その光が彼女の周囲だけに小さな清浄の空間を作り出し、呼吸が一瞬だけ楽になる。


 ルナと蓮弥が無意識にそこに寄り、三人の陣形が自然と整った。互いの攻撃が隙を補い合い、狐火、剣閃、氷の魔力が絡み合う。絶望の戦場に、わずかだが突破口が見え始めていた。




【第206話】第三殿・炎剣を凍らす冷焰


 剣樹の森は、なおも赤黒い炎に包まれていた。

 大地を穿つ火柱が天を突き、熱風は荒れ狂い、空気そのものが灼熱の刃となって三人の皮膚を削り取る。枝葉は燃え盛り、地表からは溶岩が吹き上がり、瞬く間に砂利を融かして黒い沼へと変える。


 蓮弥は剣を振るうたびに胸を灼かれるような痛みに耐えながら、炎の兵士たちを斬り払っていた。

 だが――。


 斬ったはずの兵士は、真紅の血に溶けて崩れ落ちると、次の瞬間には赤熱の影から再び形を得る。斬撃の手応えは確かにあった。だが、その全てが無に帰すかのように、何度でも蘇ってくるのだ。


 「……数えるだけ無駄か」

 蓮弥は低く呟き、痺れる指先に力を込め直す。剣を握る腕は重く、肩には熱風の重圧がのしかかる。だが立ち止まれば、すぐに炎剣に呑まれるだろう。


 ルナは四尾を大きく広げ、狐火を放った。蒼炎の奔流が駆け抜け、兵士の群れを呑み込む。しかし燃やしたはずの兵士は、また枝の影から現れる。狐火は熱に呑まれ、赤黒い火の奔流に混じって掻き消されていった。


 「きりがない……!」

 尾に再び力を込めるたび、霊力は急速に削られていく。焦げる匂いが鼻を突き、痛覚が皮膚を蝕む。


 セリナは杖を掲げ、氷の術式を展開した。蒼光が円陣を描き、鋭利な氷刃が矢のように降り注ぐ。兵士たちは凍り、地面には氷結の亀裂が走った。

 だがその効果は一瞬。炎剣は灼熱のまま氷を溶かし、蒸気の白煙を撒き散らして再び襲いかかる。


 「……私の氷でも止められない……!」

 セリナの唇は蒼ざめ、杖を握る手は震えていた。


 蓮弥が剣を閃かせる。赤黒い閃光と蒼白の剣気が交差し、空間を断ち割る。だが炎剣の鎧はびくともせず、逆に爆ぜた熱が蓮弥の身体を焦がした。喉が乾き、息を吸えば肺が焼ける。全身が酸欠に近い重さを覚え、意識が霞む。


 剣樹が折れ、燃え落ちるたびに火の雨が降った。

 ルナは尾を地に叩きつけ、衝撃で炎剣兵を弾き飛ばすが、その隙を突いて群れが一斉に襲いかかる。炎に包まれた身体は熱に蝕まれ、霊力と共に痛覚すら奪われていく。


 戦場は、絶望そのものだった。

 斬っても凍らせても消えず、逃げ場はなく、ただ炎の奔流に押し潰される。


 その時――。


 ルナの瞳が、月光を宿したように煌めいた。

 「炎には炎……でも、それを打ち破るのは熱よりも冷たい炎。灼熱を凍らす焔――冷焰しかない」


 彼女の声は掠れていたが、その言葉には揺るぎない決意があった。


 四尾が天へと舞い上がり、銀白の光を帯びる。

 全身の霊力が尾に集まり、紅炎に呑まれぬ冷たい火が生まれる。白く輝くその焔は、炎でありながら熱を奪い、周囲の空気すら凍てつかせる矛盾の力――冷焰。


 「これが……冷焰!」

 尾から放たれた銀白の炎が波のように広がり、赤黒い森を覆った。


 炎剣兵たちが悲鳴を上げる。

 触れた剣は赤熱から蒼白へと変わり、内側から凍りついて砕け散った。灼熱の熱量は逆に力を失い、剣樹の枝も凍り裂けて崩れ落ちる。


 溶岩の奔流までもが瞬時に凍り、白い蒸気を噴き上げながら固まった。赤黒の世界が、銀白の霜に呑み込まれていく。


 「今だ――!」

 蓮弥は剣を振り下ろし、セリナは杖を振るう。

 冷焰の走る道を二人が切り拓き、三人の力が自然に交わった。凍りついた兵士はもはや蘇らず、炎の奔流は完全に途絶えた。


 銀白の焔は、ついに宋帝王の分身をも包み込む。

 灼熱の鎧に身を覆われたその巨影は、内側から凍りつき、動きを止める。尾の冷焰が剣を貫き、赤黒の炎を粉々に砕いた。


 第三殿を覆っていた剣樹の森は、やがて音もなく崩れ去った。

 残されたのは、凍りついた大地と銀白の焔の残光だけ。


 静寂が訪れた。

 熱風も火柱もなく、ただ三人の荒い呼吸だけが響いていた。


 蓮弥は剣を杖のように支え、地に膝をつく。額から汗と血が滴り、視界が霞む。

 セリナも倒れ込み、杖を抱えたまま震える手を抑え込む。


 しかし――。

 ルナの尾から燃え続ける冷焰だけは、揺らぐことなく、静かに輝いていた。


 灼熱の地獄を支配していた炎剣。

 その絶望は、冷焰の銀白によって初めて打ち破られたのだった。


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