パンデミック
それから二八日後、私は証明を終えた。
私は未だに眠るソジーの病室を訪れ、ベッドで眠る彼女の横に座り、ニュース配信を見ていた。
最近のニュースは、ウイルスに感染して発症した人々が発狂し、周囲の人間を襲うようになった件で持ちきりだった。R&Dセンターの周囲にも発症して発狂した者は少なからずいるようで、外から聞こえてくる叫び声や悲鳴がうるさい。発症者と、発症者の処分の賛否で分かれた人々が争っているのだ。今や、世界で感染していないのは、貧困層か現代文明と未接触の部族くらいのものだった。
ウイルスは感染者の近くにいるだけで伝染し、数時間で発狂症状を呈する。ウイルスの除染に成功しても、一度侵されてしまった脳は二度と元には戻らない。その一方で、まったく無事な人間もいたが、両者を分ける要因は微塵も解明されていなかった。
そのウイルスは、感染すると脳に新たなニューロン形成を促す。しかし、それ自体は脳科学的には発狂症状に繋がるようなものではなく、現に影響が出ている者といない者で、はっきりと分かれていた。
社会に破滅的な混乱をもたらした一端を担ってしまったことに気づいたフレゴリーは、自責の念に耐えきれず、一週間前に自殺した。
ウイルスの名は〈ロメロ〉。
ゾンビを増やすものだからと半ば冗談交じりに私が名づけた、《オルター》をベースに開発したウイルスプログラムだ。
〈ロメロ〉はインストールされるとBCIデバイスの権限を拡張し、フェイルセーフを外して、脳に新たなニューロン形成を促す。その脳モデルは私のものだ。そう、私と同じ構造の頭を持つ人間――哲学的ゾンビが増えていくのだ。
〈ロメロ〉はサイオメッグ社内から、私が正規ルートを偽装してインターネット上に流したプログラムだ。一見すると、正式なアップデートにしか見えない。《ニューロワイアード》には無線通信機能が搭載されているので、あとは、自動更新機能をオンにしているものや、ITリテラシーの低い人間が勝手にプログラムをインストールしていく。
また、〈ロメロ〉には、私が自身に行った感覚諸元の切り替え――《オルター》での逆転スペクトル――実験を流用した機能も搭載していた。
その理由は簡単で、〈ロメロ〉の成果を確認するためだ。
〈ロメロ〉に感染すると、感覚諸元が一秒ごとに切り替わるようにしている。つまり、常人ならば五感が常にむちゃくちゃに変動することになる。だが、哲学的ゾンビとなれば、そんなことは意にも介さない。
私の予想では、大多数の人は問題なくゾンビ化し、ほんのわずかな例外の人間だけは感覚が狂って精神に異常を来たすはずだった。しかし、その予想は大きく外れ、実に世界中の三分の二の人が発狂していた。
どうやら私は大きな勘違いをしていたようだ。
事故で植物状態となったことも、《オルター》も関係ない。
ある哲学者によると、講義で学生にクオリアについて説明したとき、三分の一の学生は、まったく理解できず、そういう人間は神経系に何かしらの障害があるのではないかという。
それはおそらく間違っている。
もっと簡単な理由だ。
人類の中には、最初から哲学的ゾンビが存在していたのだ。
〈私〉は、〈僕〉というジョー=N・ダウの《オルター》だ。《オルター》は思考の再現者に過ぎない。だから、現象を抱かない脳そのものは〈僕〉のものだ。〈私〉が〈欠落〉を感じていたのは、〈私〉が人間の脳の基本的な機能を持っているからだ。
〈私〉は自己を外側から俯瞰できる存在だ。そのため、本来ならば気づくはずのない、クオリアの欠落に気づいた。
《オルター》は完璧だったのだ。脳の拡張組織として、いっさいの瑕疵はなく、個人の補助意識として動作している。あまつさえクオリアを理解する意識体験まで行っていたのだ。〈私〉は〈僕〉であり、〈僕〉は〈私〉であることに疑いの余地はない。なぜなら〈私〉は〈僕〉の脳の拡張なのだから。
脳を利用し、主体のない意識を現している〈私〉は〈僕〉に意識を囁く。だが、〈僕〉に意識は存在しない。拡張された〈私〉が理解したクオリア――それが違和感の正体だ。
〈僕〉は、初めから哲学的ゾンビだったのだ。
そしてソジーが絶望した真の理由は、彼女も初めから哲学的ゾンビだったからに違いない。
ソジーは《オルター》により通常のクオリアを理解した。しかし、彼女は共感覚を持っている。共感覚は通常の感覚を引き金とする。彼女の場合は視覚だった。
彼女の共感覚は《オルター》では処理されない。なぜなら《オルター》は人間の基本的な脳の働きに則っており、そこに共感覚の処理は存在しない。だから、《オルター》は共感覚を引き起こす脳の領域を知らない。
彼女が共感覚を取り戻したのは、《オルター》が共感覚の引き金となる視覚野への処理を行ったからであり、共感覚そのものはソジーの脳だけで起きている。そして引き起こされた共感覚に《オルター》が寄与しないため、そこにクオリアは存在しない。つまり、ソジーの脳では質感のない共感覚が現れ、《オルター》では質感のある五感が現れた。
ソジーは気づきを得たのだ、白黒の部屋を飛びだしたマリーのように。
自らのクオリアの不在を認識し、自分が意識のない存在だと知ったからこそ、彼女は絶望して《オルター》を停止した。
しかし、ゾンビにも愛すべき人たちがおり、やりがいを感じている仕事があり、精神的な充足を得ている。それは虚構だが、それを理解し否定できる人間はこの世に存在しない。ならば、それが偽物だと誰が言えるだろうか?
ゾンビに意識は存在せず幸福を叙情できない。だが、幸福な振る舞いは叙述できる。今までの人類の歴史の中にもゾンビは平然と存在しており、社会は正常に回っていた。ゾンビであることは不幸ではないのだ。
ならば何が問題だというのだろう?
そして〈私〉はソジーの《オルター》を起動した。
読了ありがとうございます。
この作品は早川書房様より刊行されている『AIとSF2』に収録いただいている中編「意識の繭」の前身となった作品です。
ご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、そちらもご覧いただけますと幸いです。