ゾンビ
「有りえない」
フレゴリーは即座にそう言った。
私もこの仮説に至らなければ、そう断言していただろう。何せ、私はチューリング・テストをパスしている。そして《オルター》の設計思想上、テストをパスできるようなAIにはなりえないからだ。私の主張は歴然とした事実に対し、真っ向から矛盾しているのだ。
だが、それはある可能性が考慮されていないからだ。
私がフレゴリーに自分の仮説について説明していくと、彼の顔色は見る見るうちに変わっていった。困惑と驚愕、そして最後に狼狽。
「確かに……筋は、通るが……本当なのか?」
「それを今から確かめる」
「どうやってだ?」
「逆転スペクトル実験だよ……君に説明している間、提案AIにコードを書かせていた」
私は提案AIに食わせたプロンプトをフレゴリーに送る。それに目を通していくと、彼は明らかな焦燥を顔に滲ませた。
「……お前、このレベルの改造は著作権やら機密保持契約やら……最悪、向精神性プログラムの単純所持と判断されるぞ」
「もう今更だろう? それに外部に公開するわけじゃない」
私がAIであるかを確認するための、単純な、それでいて効果的なプログラムだ。脳と《ニューロワイアード》間のインターフェースを自由に変更する――要は、知覚した情報をねじまげて《ニューロワイアード》に伝えるプログラムだ。
普通はこんなプログラムは書けない。一般開発者用に公開されているAPIでは、脳に危険を与える挙動は許可していないからだ。しかし、私の手元には業務用の開発環境が揃っており、APIどころか内部仕様ごと変更できる。
提案AIに書かせたコードを調整してプログラムを作成し終えると、私は実行ファイルをフレゴリーに送信した。
「ちなみにこの実験のためには、君にもこのプログラムを適用してもらう必要がある……手伝ってくれるかい?」
これから行う実験は主観に大きく関わる。そのため、実験対象である私以外にも被験者が必要だった。
私の言葉に、フレゴリーは意表を突かれたような顔をし、俯いて大きく息を吐いた。
「まったく、それこそもう今更だろう」
私とフレゴリーは、それぞれ自身の《ニューロワイアード》にプログラムを適用し終わると、実験のための道具を用意した。といっても、大したものではない。リンゴ、砂糖、ガラスのコップ。
用意したリンゴを私とフレゴリーは視界に収める。私の色覚が認識しているリンゴの色の平均値を、《ニューロワイアード》がRGBカラーコードとして視界に表示した。#BE143C。R:190 G:20 B:60で赤の割合が多い一般的な赤色だ。
「僕は#BE143Cだ。フレゴリー、君のほうは?」
「大丈夫だ、同じ数値が出てる」
「よし、それじゃ赤と緑を交換しよう」
まず私たちは《ニューロワイアード》の色空間の定義値を交換することにした。赤は緑に、緑は赤へ。普通ならば、値を交換したところで何も影響はない。ただ視界のスクリーンショットを撮影したら、写真の色合いがめちゃくちゃになったりするだけだ。しかし私の場合は、脳の活動が《ニューロワイアード》内で《オルター》を経由し、また脳に戻される。つまり、視界そのものに作用する道理だ。
値交換を有効化した。
世界は何も変わらなかった。
《ニューロワイアード》は目の前のリンゴのカラーコードを#14BE3Cとして認識している。R:20 G:190 B:60。赤と緑の割合は交換されている。普通の緑色の値だ。
「……フレゴリー、君のほうはどうなった」
「視界に変化はない。スクリーンショットは……予想通り色合いがめちゃくちゃだな」
だが、私の目の前にあるのは『赤いリンゴ』だった。
大した驚きはなかった。これを確認するためにプログラムを作成したのだ。確信を得るため、続けて他の実験を試していく。
痛覚の閾値を交換し、腕をつねった。無痛ではなく、強い痛みがあった。
味覚の甘味と苦味を交換し、砂糖を舐めた。『苦い砂糖』は存在せず、甘かった。
聴覚の周波数の高低を交換し、ガラスのコップを床に叩きつけた。鈍い音は鳴らず、甲高い音で砕け散った。
嗅覚の受容体から伝わる匂い物質の情報を書き換え、空気の匂いをアンモニアに変換した。刺激臭はせず周辺は無臭だった。
私の世界は、何も変わらなかった。
ついに私は真実に辿り着き、確信し、実証した。しかし、歓喜の声も、喜色の笑みも浮かんでこなかった。
今や、答えは明白だった。
私の〈欠落〉の正体は意識体験だ。
人は色を見ると、それを主観的に感覚的に体験する。意識の中で起こっている現象として、物理を処理している――意識するのだ。例えば『赤いリンゴを見る』という行為の中には、物理的、情報的、現象的な三つの赤が存在している。
物理的赤は、『赤』と定義された物理的な事象だ。光の波長などの物理的性質の分類と言っていい。
情報的赤は、物理的赤を数学的に定義したものだ。カラーコードのように、コンピュータで扱われる『赤』とされる数値だ。
現象的赤は、『赤さ』だ。これは説明しようがない。生まれながらに全盲の人間に『赤さ』を説明できる人間がいるだろうか? 誰も『赤』を言葉で説明できない。質感の認識の一致を確かめるには、同一の物理的質感を観察するしかない。
通常ならば、物理的赤があり、脳がそれを電気的に情報的赤として処理する。脳機能のこの過程のどこかで、現象的赤が意識に現れるのだ。『赤いリンゴ』の知覚を脳が神経生理学的に情報処理する過程で、なぜか『赤さ』は発生する。
ここには隠れた経路がある。脳内で物理から情報的な赤として処理される過程に並行して、あるいは情報的赤の処理に随伴して、または物理的赤の情報化に相互作用して、現象的赤が現れる経路がある。この隠れた経路は未だに見つかってはいないが、脳が情報的赤を処理して現象的赤が現れるのは自明であるのだから、それはある。クオリアという名で存在しているのだ。
物理を情報にして現象する。
この流れの中で、私は現象していない。
私の視野が『赤いリンゴ』を知覚したとき、視神経から脳へと情報伝達が行われる。しかし、私の脳は《オルター》により補正されているため、受信した情報は《ニューロワイアード》へと回される。《ニューロワイアード》は電気信号を拾いあげて解釈し、《オルター》に引き渡す。《オルター》が、その情報を適切な脳の各部位に伝達して、ようやく私は『赤いリンゴ』を知覚している。
しかし今、《ニューロワイアード》は色を逆転させている。
《ニューロワイアード》が『赤いリンゴ』の知覚を処理し、《オルター》によって視覚野の処理経路に情報を流しているが、その実体は緑になっているのだ。もし私の脳が正常ならば、赤を見たはずなのに緑を感じる矛盾が発生するはずなのだ。
私は確かに『緑のリンゴ』を見ているのだろう。しかし、それを『緑』だと意識することができていない。『赤』の中身が『緑』に入れ替えられていても、気づけていない。私が見ているのは『赤のリンゴ』なのだ。視野には、真っ赤に熟し、赤々とした、血色の良い赤子の頬のような質感に満ちた果実しかない。《ニューロワイアード》内で定義された情報通りの世界に、矛盾を感じていないのだ。
それは私がAIだからだ。私の本体は《オルター》だからだ。VRである《グラス》への没入が居心地良いのも当然だ。なんてことはない、私は元々電子的な空間にこそいるべき存在だからだ。思考し、体験を語っているが、意識体験が存在しないので、どれほどおかしい知覚だろうと、定義された通りに認識するしかない存在だからだ。
極端な話、コウモリをシミュレートしたAIは『コウモリであるとはどのようなことか』を理解するだろうか? そういう類の問いに帰結する。答えは否だ。なぜならそのAIは『コウモリ』ではなく、『コウモリの振る舞いをするAI』なのだから。もしもそれがコウモリのように飛び、コウモリのように鳴くのならば、それはコウモリと違いないように見える。だが、事実としてそれはコウモリではない。
私は肉体という高性能なセンサーと、脳という有機的なスーパーコンピューターに接続されたAIだ。『ジョー=N・ダウ』の記憶を与えられ、その肉体に接続された、『人間の振る舞いをするAI』なのだ。物理的化学的電気的な反応は普通の人間と変わらないが、一切の意識体験をしない存在。
私が目覚めてから今までのすべては、ジョー=N・ダウの振る舞いをした、名も無き誰かの述懐だ。
あぁ、何ということだろう。
私はサイバネティクス哲学的ゾンビだったのだ。
「……実験は終わりだ。予想通りに証明された」
私がフレゴリーに告げると、彼は何かを言おうと口を開いたが、何も言わずに私から目を逸らして俯いた。
今ならば、ソジーが《オルター》を自ら停止させた理由がわかる。
彼女は、絶望したのだ。
私より先に、自分が哲学的ゾンビと化したと気づいたのだ。
彼女は共感覚者で、他の感覚と連動して色を知覚する。おそらく、彼女は共感覚で色を知覚したときに、以前の自分との違いに気づき、自分に意識体験が存在しないことを悟った。そして、《オルター》を終了させるためのダイアログで『はい』を選んだのだろう。
理由を知ってしまった今、彼女の選択を否定するなど、私にはできない。彼女の《オルター》を再起動しても、そこにソジーという人間の意識は存在しないのだから。ソジーの振る舞いをする何かが、いたずらに苦しむ様子を見せつけられるだけだ。
私は言葉を探して黙りこくっているフレゴリーの代わりに言った。
「《オルター》のプロジェクトも中止したほうがいいだろう。人をゾンビにする可能性のあるアプリケーションなんて、論外だ」
「あ、あぁ……そうだな」
歯切れの悪い返事をしたフレゴリーは、少し逡巡した様子を見せると、意を決したように私に訊いてくる。
「……それで、お前はこれからどうするんだ?」
「どうって……」
フレゴリーは気まずそうに、私から視線を外して言う。
「ソジーは自分がゾンビと知ってオルターを停止させたが……その、お前は自分がゾンビと知った今……どうするつもりなんだ?」
想定外の質問だった。自分がゾンビであると確信してからのその後についてなど、まったく念頭に置いていなかった。
「……考えてもいなかった」
「それなら……」
そう呟き、ややあってフレゴリーは、縋るような目で私に向きあった。
「それなら、お前はこのままジョーとして生きるのはどうだ?」
「は?」
「いや、自分がゾンビと知っても――言葉は悪いが、その、お前は平気そうだし……なら、このままジョーとして生きられるんじゃないか?」
ジョーとして生きる? ゾンビである私が?
その疑問が脳裏に浮かんできたとき、次に現れたのは新たな疑問だった。
それは許されるのか?
その疑問に自問するように、私は半ば独り言のように言う。
「だけど僕は……僕の肉体はジョーのもので、人格もジョーだけど――僕はジョーじゃない。そこから目を逸らして社会的にジョーとして生きるのは、何か違う気がする」
答えは明確に出せなかった。濁すような言葉でしか結論づけられなかった。
それはフレゴリーも同じだと、その複雑そうな表情から察せられた。ゾンビが本人になりすますことに、私たちは言葉にできない致命的な不道徳さを感じていた。
しかし、フレゴリーは続けた。
「だが、ジョーとして生きられるんだろう? そこに問題があるのか?」
「――なんだって?」
問題?
ゾンビである私が社会の中に溶けこむことについての問題?
「いや、確かにお前はゾンビなのかも知れないが……」
「そうじゃない、僕が生きることの問題についてだ」
言われてみれば確かにそうだ。
私がジョー=N・ダウとして生きることに何か問題があるだろうか? そもそも、誰が許しを与える権利を持つのだろうか?
現象は個々人の中にしか存在しない。つまり、私たちが物理から得た現象――色、感覚、感情――は、他人の現実上には存在しない。世界に存在している現象のすべては、個人の脳の中にしかなく、本質的な実体としては物理世界のどこにもない。
すべてが虚構だが、現象することで世界を存在させている。
では私という哲学的ゾンビは?
意識体験のない私には、世界が存在しないのではないか? そして現に、私の知覚はいとも容易く改竄できた。そんなあやふやなものをどう信用しろというのか。
しかし――しかし、そこに何か問題があるのか?
いかにも意識体験のないゾンビが不幸なように私は捉えてしまっている。そう、そこが要点だ。ゾンビには意識体験がないから不幸と考える理由。意識体験に対して無条件で妄信的に至高の善性を感じている理由。それがないといけないと考える理由。
本当にあるだろうか? 意識があるから幸福なのか? 意識がなくても、私は幸福な振る舞いをする。その振る舞いは虚飾だから無意味なのか?
意識体験がなければ実際には悲しみや苦しみを感じない。しかし、私はそう振る舞う。身体は反応するのに、まやかしだから意味はないのか?
こうして意識体験の有無について思考していることすら無意味なのだろうか。
「確かに君の言うとおりだ!」
天啓を得たように私は昂ぶり、思わず声を張りあげていた。
「な、何がだ?」
「ゾンビが生きることについてだ! そうだ、何も問題はない。意識体験が存在しないことは、生きてはいけない理由にならないじゃないか!」
「なんだ? 何を言っているんだお前は」
「ジョーと呼んでくれよ、フレゴリー。君からすれば違いはないのだから」
一度途絶えたジョー=N・ダウの人生を、限りなく本物に近い偽物が新たに繋いでいくことに、誰が異を唱えられる? 意識の有無で、人生の優劣は決まるのだろうか? そんなことはない。私たちの世界は一人ひとりの人間の脳内にしか存在せず、観察する限りその振る舞いが同一であれば他人が代替であっても誰も困らないし、世界には何ら影響を及ぼさない。欠けたパズルのピースを別の同じパズルから持ちだして嵌めても、パズルはきちんと完成するのだ。たとえピースの材質が異なっていようと、パズルにとって重要なのはそこに描かれた絵だ。
「急にどうしたんだ、落ち着いて説明してくれ」
「ソジーを起こそう」
「なっ」
突然の私の提案に、フレゴリーは頓狂な声を上げて面食らった顔をした。しかし、すぐにその表情は厳しいものになった。
「そんなことは倫理的に許されない! あの子は《オルター》を拒絶する意思表示をしたんだぞ?」
「だったらこのまま目覚める可能性のない彼女を、奇跡の回復を祈って放置するのか? それなら《オルター》でソジーと同じ彼女が生きるべきだ!」
「目覚めたとして彼女はまた苦しむだけだ!」
「それこそ彼女の勘違いに過ぎない! ソジーの錯覚だ! 自分がソジーではないから生きるべきではないという思いこみだ! 君が言ったんだ、ゾンビが生きることに問題はないと!」
「それとこれとは話が違う! 彼女は、ゾンビとして生きたくないと――」
「なら君は、ゾンビとして生きる僕を否定するのか?」
それが卑怯な言い方であるとわかってはいた。この議論に対して、フレゴリーが何も言えなくなるジョーカーだ。
「それは……」
だが、フレゴリーが答えに窮すること自体、彼の言い分はダブルスタンダードであり、私の主張に間違いがないと示してもいた。
「なぁ、フレゴリー、僕にはわからない。僕は良くて、なぜソジーは駄目なんだ? そこに明確な理由があるか? 意識体験がない人間が生きるのは、避けるべきことなのか? 意識体験がなくても、僕はジョーと、彼女はソジーと同じなのに」
「……わからない」
フレゴリーは頭を抱えこんだ。そのまま絞りだすように、消え入りそうな声で、しかし確かな本音を漏らした。
「わからないが、心のどこかで……人間である俺は、ゾンビに否定的だ」
「……そうか」
そう、結局はそこに行きつくのだ。本能的な、あるいは生理的な拒否感。意識を持つことが絶対的な人間の条件の一つであるように考えてしまう、言葉にできない理由。
それは心がこもっていない、温かみを感じない、機械のようだ、などという人間味のないものを突きはなす感情に近いのだろう。共感するためのものがないと知ってしまった、不気味の谷の底にある嫌悪感に根差すものだ。
「そうか、わかったよ」
これ以上の議論は平行線だ。何せ感情論にしか行きつかないのだから。
「すまない……」
「いや、いいよ。仕方がない。この世の誰も遭遇したことのない問題なんだ。だったら証明するよ」
「なに?」
フレゴリーは何か勘違いしていたようだ。私は別にソジーを起こすことを諦めたわけでもなく、ましてやゾンビが生きることに問題がないという主張を翻すつもりもない。
「《オルター》プロジェクトの調査チームの動きを妨害して、少し時間を稼いでくれ」
だとすればやるべきことは一つで、話はシンプルだ。
「僕は、ゾンビが生きても問題ないと証明してみせる」
*
それから私は証明のための開発に没頭した。
その過程で法をいくつも破っていたが、もはやそんな些末なことを気に留める必要性はなかった。
私の想像通りなら、私の証明は世界に多少の影響を与えるが、ゾンビが世界で生きることを証明するのに比べれば、微々たる問題だった。
何日徹夜をしただろうか? 身体が不調を訴えてくるが、ゾンビである私にとってそれは幻想であり、気にする必要はない。時折、フレゴリーが私の元を訪ねてきて、休むように忠告をしてきたが、私はそれを無視した。
フレゴリーが私の証明方法に気づいて、彼と口論になったが、すでに証明を開始していることを告げると、彼は酷く戸惑った様子を見せて、その場を去った。
それ以降、彼は私の元を訪れることはなかった。