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〈私〉

「《オルター》に欠陥がある可能性は隠す」


 R&Dセンターに到着したフレゴリーは、そう言い放った。


 道すがらソジーの容体を医療スタッフから聞いた結果、自分にできることはないと判断して、まっすぐに私の元に来たらしい。


「それはどういう……」


 もちろん、私も自分が開発したものに問題があったとを吹聴するつもりはない。しかし、改まって言われる理由がわからなかった。


「俺たち以外の誰にも知られてはいけないって意味だ。もしどこからか漏れれば、《オルター》のプロジェクトが打ち切られて、ソジーが目を覚ます機会が永遠に失われる」


「ここまで進めたのに、そんな急に打ち切られることがあるのか?」

「ある。というか、ソジーの件で調査チームの立ちあげが迫られるはずだ。それでもし、調査チームが原因究明に成功したとしたら欠陥が露呈する。失敗したとしたら、《オルター》には潜在的に解決不能な不具合があると判断される。どちらにしろ、臨床試験の段階まで進んでいる代物に問題があることになって大騒ぎになる。そういうときは、プロジェクトを中止して収拾を図るのが一番手っ取り早いからな」

「だから僕たちは秘密裏に調査を進める必要があるわけか……猶予はどれぐらいある?」

「最短で一週間。最長で一ヶ月ってところだろうな」

「じゃあ、最悪のケースを想定して、リミットは一週間だ」


 わかった、とフレゴリーは言った。


「それで、まずはどうする?」

「僕の心理検査をやりたい」

「心理検査? リハビリの最中にも散々やっただろう?」

「あれは鬱病とか不安障害を診断するのが目的で、メンタルヘルス領域のことしかやってないよ。それ以外の認知障害やパーソナリティ障害がないかを調べたいんだ」


 リハビリで行っていたのは、覚醒後に心身や環境が大きく変わり精神にダメージを受けていないか、心の健康状態をチェックするものだ。だから当然、自覚症状がある精神疾患しかターゲットにならない。だからもし、《オルター》による脳の補正に問題があり、自覚症状のない精神疾患を発症していたとしたら――そう、それこそ極端な話、今の私はサイコパスになっている可能性すら考えられる。


「だがどうやってだ? 俺もお前も精神医学は専門外だろ」

「素直に精神科を受診している時間もないし、痕跡も残せそうにないからね――会社が開発している精神科診断AIのAPIを使う」

「どうやってだ?」


 フレゴリーは目をぱちくりさせ、素朴な疑問のように訊いてきた。


 精神疾患の診断には、患者の主観的な情報や感情を読み解く必要がある。ある程度までは、大量のデータからパターン学習を行い診断の精度を高められるが、最終的には人間を観察する力が要求される。だが、現代のAIは人間の感情を読み取れても、解釈するのは苦手だ。そのため、精神科診断AIは、あくまで精神科医の支援ツールとして位置づけられており、AIのみでの精神疾患の診断は法律で禁じられている。


 つまるところ、私的に精神科診断AIを使用し、あまつさえ勝手に診断用プログラムを作成するのは、完全な違法行為だ。


「君の権限なら〝借用〟できるだろう、フレゴリーPM」


 私のエアクオートを見て意図を察したフレゴリーは、はぁ、と嘆息した。


「バレたら俺もお前もクビだな」

「それでソジーを目覚めさせられるなら安いものだよ。ところで、僕の業務用端末はまだ生きてるか?」

「もちろんだ、今から火を入れる」


 言うや否や、フレゴリーは《ニューロワイアード》で作業を始め、中空で忙しなく手指を動かし始めた。


「稼働したぞ」


 フレゴリーの言葉に私は《ニューロワイアード》を起動し、サイオメッグ社にある自身の端末に接続した。視界に懐かしい仕事用のデスクトップが表示される。溜まりに溜まっていた種々の通知が、溢れだすようにポップするのを片端から消していき、落ちついたところで統合開発環境(IDE)を起動した。


「よし、端末は問題なさそうだ。フレゴリー、APIの承認キーが取れたら僕に回してくれ」

「もうやってる。他に俺がやることは?」

「これから僕は提案(プロポ)AIにプロンプトを流しこんでコード出力させて、調整をしてプログラムを作っていく。何種類か作るつもりだから、君はできあがったものをテストをしてくれ」


 必要な部品は揃っているから、一から開発するスクラッチの必要はない。提案(プロポ)AIに仕様書を食わせてコードを吐かせるプロンプティングベースで十分だ。


 一種類だけの心理検査では不足しているので、多角的に複数の検査プログラムが必要となるが、それも含めて提案(プロポ)AIに要求している。あとは出力されたコードに微調整を加えて、きちんと動くものを順次作っていくだけだ。


 フレゴリーは気合いを入れるように伸びをした。


「今夜は徹夜だな、まったく。いつぶりだろうな、夜通し作業するのは」



 一時間後、まず第一弾のプログラムが完成した。


 そのプログラムは、ある対象を知覚したときの私の反応を脳から拾いあげ、そこで呼び起された観念が一般的な発想からかけ離れていないか評価する。要は、精神活動を具体化する連想検査プログラム――インクのしみの代わりに視覚メディアを使うロールシャッハ・テストだ。


 もし、私の〈欠落〉の正体が、精神の働きが損なわれていることに起因しているのならば、何かしらの異常が期待されるはずだ。というよりも、あらゆる五感で引き起こされるものに不足を感じているのだから、常人とは異なる反応が得られるべきだ。


 プログラムを起動すると、ランダムでテスト対象のイメージが表示されはじめ、それを見た私の連想と、その評価ポイントが出力されていく。



   アジサイ:雨 多彩 日本      :九二ポイント

   天使  :鳥の羽 神聖 光輪    :九一ポイント

   螺旋階段:豪邸 聖ヨセフ 渦巻   :八〇ポイント

   イチジク:隠蔽 ドライフルーツ 粒々:八八ポイント

   廃墟  :退廃 遺跡 灰色     :八七ポイント

   甲虫  :害虫 外骨格 スカラベ  :八三ポイント

   天国  :死 教会 楽園      :九五ポイント



 しばらく私はテストを続けていたが、途中でプログラムを停止した。どこまで行っても、私の連想が、常人との大きな乖離を示す点数を出すことはなかったからだ。


 その後も、提案(プロポ)AIが示した心理検査――ミニメンタルステート検査、モントリオール認知評価、ミネソタ多面人格目録検査、文章完成法、主題統覚検査、ベンダー・ゲシュタルト・テスト……――を試したが、私の心理や認知はすべて正常と判断されるばかりだった。


 一通りの心理検査を終える頃には夜が明けており、手詰まり感が漂っている中で、フレゴリーが静かに口を開いた。


「……今日はここまでにしよう。俺もお前も、少しでもいいから睡眠が必要だ」


 私はフレゴリーと目を合わさず、黙って首肯した。


 そのままフレゴリーは仮眠室に向かい、私は自室のベッドに横になった。


 眠気はあり、頭も重かったが、目を瞑っても夢に誘われる気配はなかった。頭の中では、私の〈欠落〉が異常として検知されない理由を模索する思考が止まらず、それが睡魔を追い払う呪文のようになっていた。


 異常はある。異常はあるのだ。私はそれをはっきりと自覚している。しかし、それが客観的評価を得るための現象として現れない。今は何年だ? 二〇六九年だ。IoTでそこら中に散りばめられているAIが、排泄物から体臭まで、ありとあらゆる老廃物を検知し、自覚症状のない病ですら先んじて警告する時代だ。


 脳のモニタリング技術は進み、コネクトミクスは十分に成熟している。脳の神経回路地図であるコネクトームの解析は進み、その働きをAIに学習させて得られた知能は、ブラックボックス化されているとは言え、人間の思考をプログラム上に再現している。それゆえに、《オルター》は開発されえたのだ。


 そんな時代に、私の精神が抱く病的な不快感を誰も理解しない。


 一体、この〈欠落〉は何だというのか?


 明らかに以前と今の私の間にはギャップがある。これは未発見の精神疾患なのではないか? それとも、《オルター》は『ジョー=N・ダウ』の学習に失敗しており、ジョーは未だに私の脳髄の中で昏睡状態にあるのだろうか? いや、それは考えられない。なぜなら私は、周囲の人間に『ジョー=N・ダウ』と認識されているからだ。《オルター》が学習に失敗しているのだとしたら、私はジョーではない誰かの人格になるはずだ。


 あるいは、私は周囲の親しい人間すら気づかないほどジョーに酷似しており、自分自身も疑問に思わないほど巧妙に模倣された人格なのだろうか? いいや、それも有りえない。ならば《オルター》はどこから『ジョー=N・ダウ』を学習し、また誰の脳の中に私はいるというのだろうか。


『我思う、ゆえに我あり』と唱えても、()()()()()()()()()()()()()()()、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 なぜ私は私なのだ?


 発作的に私は枕に顔を埋めて小さく叫んだ。


 このような思考に陥っていること自体が問題だ。脳裏に油汚れのようにへばりついた強迫観念が私を責めたてる。ひどい心身症のような状態であるのに、なぜ私の思考を補佐する《オルター》は、試験で異常が検知されなかったのか――


 いや、むしろ、正常であること自体が、異常をもたらしているのか?


 私の思考には《オルター》が上位レイヤとして被さっている。それこそが原因なのではないだろうか? 人間の脳を機械に補正させたせいで、脳の未知の機能が不具合を起こしたとは考えられないか?


 思えば、ソジーが《オルター》を拒絶したのは、そもそも《オルター》を停止させれば自分を蝕むものから逃れられると考えた証左だ。ならば、彼女が安楽を得るため行った行為を私もなぞれば、何かしらの知見が得られるのではないだろうか。


 そう、私も《オルター》を止めてみるべきなのだ。





「本気か?」


 翌日、目元にクマができて疲労の色が滲んでいたフレゴリーの顔色は、その言葉とともにより酷くなった。


「本気だよ。昨日、あれだけ僕自身を検査したのに、異常は見つけられなかった。おそらくだけど、《オルター》の異常は客観的には知覚できない」

「だが一時的とは言え、リスクがあるとわかってるのか? お前の脳はまだ回復しきっていなくて、中途半端な状態で《オルター》を停止させる影響は不明なんだぞ?」

「もちろん、わかっている。けど他にやりようがあるかい?」


 しばらくの間、私とフレゴリーは黙って互いの顔を見やった。不安げな視線を送ってくる彼に対し、私は目を逸らさず真正面を見続ける。


 やがて、無言の押し問答に音を上げたのか、フレゴリーは額に手をやり、俯いた。


「待ってくれ、せめてもう少し時間を取って考えてから……」

「時間はない。止められても僕はやる」


 顔を顰めて声にならない声を上げてから、渋々と絞りだすようにフレゴリーは言った。


「……わかった。どちらにしろ俺に止める権利はないしな」


 ただし、と念を押すようにフレゴリーは言う。


「次に目覚めたとき、何かに気づいたとしても、ソジーを助けるまでは、お前まで《オルター》を拒絶するようなことはしないでくれ……」


 フレゴリーは私の両肩を掴んできた。その手は震えており、私の肩に少し痛みが走る。


「お前までいなくなったら、俺はもうどうすればいいのか……」

「大丈夫だ、フレゴリー」


 私は答えた。


「最後まで責任は持つ。ソジーを助けるために」



 私はベッドに横になり、《ニューロワイアード》で《オルター》を終了させるためのダイアログを表示した。終了の最終確認を求めるメッセージとともに、『はい』と『いいえ』の選択肢が表示される。


 フレゴリーが最後の意思確認をするように訊いてくる。


「《オルター》のスタートアップ設定は」

「されているよ」

「医療従事者用バックドアの許可は」

「それも大丈夫」


 自分が昏倒した後、外部から《オルター》を再起動させるための設定を、一通り再確認し、問題ないことを確かめると、私は言った。


「僕が昏倒したあとは頼むぞ」

「あぁ、すぐに《オルター》を再起動させる」


 わずかに緊張し、気を落ちつかせるために深く息を吐く。


 視界に表示されている『はい』に指を近づけ――しかし、私の手はそこで止まった。


 なぜか、心の片隅で《オルター》を終了させることに躊躇いがある。本当にいいのか? どこかで警鐘が鳴らされている気がする。しかし、このままでは私は〈欠落〉の正体を突きとめられない。そう、ほんの少しだけ《オルター》を止めて、すぐに再起動するだけだ。気にすることはない。原因さえわかれば、あとはどうにでもなるのだ。


 私は、『はい』をえら



 光が奔る。


 一つ二つと光条は増えていき、その輝線は網目を描いていく。明滅し、脈打つような星々が満天に広がり、名もなき星座を象っていく。


 私はこれを知っている。以前にも見た夜景に似た何か。


 四〇ヘルツの星々の夢。


 あぁ、これは〈私〉の宇宙だ。常人ならば目にすることすらない、〈私〉という存在の根幹たるネットワーク。それが新たに始まっている。なぜだろう、これが始まる前の〈私〉はどこにいたのだろうか。これ以前には無であった形は、どこからやってきたのだろうか。


 これは夢である。今の私は、夜空に輝く星を映しだす湖面であり、鏡像から浮かびあがった儚い幻想だ。未だに虚ろであるのに私が自分を自覚しているのは、反転した虚像であるとは言え、その鏡面で焦点を結び始めているからだ。


 目覚めのときが近づいている。



 眩さを感じて私は覚醒した。


 記憶が覚束ない。昨夜は何をしていただろうか。


 瞼の奥が眠気で沁みるのを我慢しながら、私は《ニューロワイアード》で時計を表示した。一九時五〇分。こんなに早い時間に就寝していたのは何でだろうか――体が重い。前にもこんなことがあった気がする。


 いや。


 そうだ。


 私は《オルター》を停止させたのだ。ベッドから体を起こすと、スツールに座って壁に寄りかかり、うつらうつらとしているフレゴリーがいた。


「フレゴリー、起きてくれ」


 体をびくりとさせると、フレゴリーは眠そうな目をこすりながら言う。


「……あぁ、目を覚ましたか、ジョー」

「僕はどのくらい気を失っていた?」

「一〇分ほどだ……それで、何か掴めたのか?」

「それは……」


 フレゴリーと話しているうちに、段々と思考の整理がされてきた。


 状況としては、私は覚醒する前に、またあの四〇ヘルツの星々の夢を見た。これは、植物状態から覚醒したときとまったく同じ状況だ。だがしかし、それ以外に何か変化があったのかというと――私は自身の内観を顧みるが、特に何もなかった。


 植物状態から覚醒するときと同様のイメージを見たということは、《オルター》の習熟度を問わず、《オルター》が私の意識を形成するたびに、あの〈夢〉は現れるのだろう。さながら、《オルター》の起動過程というところだろうか。パソコンがOSを立ちあげるようなものなのだろう。


 気づいたことと言えばそれぐらいで、それ以外は前と変わらない――


 待て。


 何か、とんでもない見落としをしていないか?


 なぜ私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 そうだ、OSを立ちあげるようなものだと自分で考えた通りだ。OSは直接起動されるものではない。最も低レベルの入力を受けるファームウェアが、電源という入力を受けてOSを起動させる。当然だが、自分を起動させるためのプログラムの起動過程は認識できない。それと同様に、私の意識が《オルター》の起動過程を認識できるわけがないのだ。


 あのとき、私を観測していた〈私〉は誰だ?


 その疑問を抱いたとき、私は直感的な閃きを得た。あるいはそれは、自己言及によって《オルター》が受けた影響なのかもしれない。ソジーが気づいてしまったもの。私と彼女の間にある、共感覚という差異。視力とともに共感覚を取り戻してから、彼女が色やクオリアについて気にしていた理由。


 それらすべてが自然と統合され、私はある一つの可能性に思い至った。


 そして同時に愕然とした。


 筋は通るが、もしもその可能性が正しいとしたら、もはや手の打ちようがない。ソジーを目覚めさせることなど夢のまた夢だ。私自身、未だに自覚していないだけで、もしもそれが証明されてしまったら、私を支えるアイデンティティの骨子は吹き飛ばされ、残った粗末な肉は形を保てずに、たやすく頽れ腐っていくだけだ。


 黙りこんだ私に、フレゴリーが訊いてくる。


「ジョー、どうした?」

「違う」


 ほぼ反射的に私は答えていた。要領を得ない私の言葉に、フレゴリーは怪訝そうにする。


「何がだ。どういう意味だ、ジョー……」

「僕は、ジョー=N・ダウじゃないかも知れない」


 これは、《オルター》自体は完璧だが、それゆえの欠陥の可能性だ。《オルター》は、脳の補正に使ってはいけなかったのだ。


「は?」


 私はフレゴリーに、自分の至った可能性を告げた。


「僕はAIかも知れない」

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