魔王
さて、そろそろだろうか。
鍔鳴りの音がここまで聞こえるとあっては、彼らの来訪は間近と考えていいだろう。
思えば短い一生であった。
嘆くほどのことはない。死が義務づけられているのは私だけではなし、彼らだっていつかは死ぬのだ。自分だけが理不尽に……と思うことはないし、彼らに勝つ可能性だってあるのだ。
しかし、私は聡い。
仮にも王と呼ばれるほどに聡いのだ。
自分でもこの聡さが恐ろしいと思うこともあるほどだ。
それゆえ、どうしても自分が世界にとってどういう駒であるのかを感じ取ってしまうのだ。
勇者一行は私をきっと滅ぼすだろう。
そして世界を著しく善の側へ傾けるだろう。ちょうど天秤の片方に重りを加えるように。
だが、果たして本当にそれは「善」なる行為なのだろうか。そして私は「悪」なのだろうか。
確かに私は多くの人間を殺してきた。山々の緑を枯らし、池を毒沼にし、空気を腐らせ、魔物を解き放った。
各地から「残忍だ」「恐ろしい」「もうやめて」「なんてひどい」「恨んでやる」「なぜこんなことを」「何が目的だ」「こんなことがあっていいのか」「私が何をしたというのだ」「え? マジですか?」「せめて見返りに何かくれ」「ついでに憎いあいつの家も毒沼で囲んでください」「神様ー!」など、たいへんな顰蹙と罵倒の声が届いた。
きっと酷かったのだろうなと思う。人間たちにとっては許せない所業だったのだなと、それは私も認める。しかし、私に罪悪感はない。私にとっては当然であり悦楽であり愉快であり必要なことでしかなかったのだ。
人間はよく「価値観は人それぞれだよね」などと言う。なのに私の場合にはそれを認めてくれないとはどういうことなのだ。
もちろん私は「人」ではないから、許容の範囲から漏れるのかもしれないが、だとしたら余計に「種を異にしている以上、価値観の共有はできない」という理論になるのではないか。もっと寛容に「魔王っていうのはああいう相容れないもんなんだなあ」と割り切って考えくれてもよかろう。
それを「相容れないから排除」だなんて、いったいどっちが野蛮なんだか。私は人間を殺しはするが根絶やしにするつもりなどさらさらなかったのに。
まったく、人間というものは理解できない。
彼らの中には、むしろ私に近いような者――他人を殺すことで悦に入ったり、平気で裏切ったり騙したり破壊したりする――も多いというのに、勝手に人類と魔物の間に線を引いて「こっからこっちはダメ―。こっちはオーケイ!」と区切るのはどういうわけだ。
私が「悪」の側であることはこの際認めよう。
しかし、人間がすべて「善」の側だとはとても思えない。彼らは私が産み落とされる前より人間同士でたびたび殺し合いをするという愚の骨頂を犯し、貴賤貧富の差を創り、些細なことで怒り、虐げ、驕り、狂乱し、十分に我ら魔物の同類と言って差し支えない所業を犯しているのだ。
例えば勇者一行の中にいる盗賊。
いったいこいつをして「善」の側にカウントするとはなんたることだ。
彼は盗み、騙し、また盗み、ついでに盗んだうえでおまけに盗むような輩なのだぞ。
彼の犯してきた罪悪のひとつひとつに他の人間の悲しみや絶望、怒りや後悔の念が常に付き纏っているというのに、それには目を伏せるというのか。
「昔は悪いことをしたけど、今は更生して良い人なんだよね☆」――被害を受けた側は一生その傷を背負って生きていくというのに、なんという言い草だ。彼は明らかに「悪」の部類に入るだろう。
悪の度合いを白黒の濃淡で示すとする。もし私が真っ黒だとしたら、盗賊はダークグレーぐらいの色味にはなるはずだ。するとどうなると思う?
私が成敗された暁には、彼の黒さがきっと人々の目には随分と目に付くに違いない。するとそれはそのうちに目障りとなり、我慢できなくなり、私の次には彼を排除せねばならなくなる。悪の線引きが変わるのだ。
そして盗賊の排除が終わったのなら、次は「踊り子はその露出がいやらしい、ふしだらだ」と目につくようになり、「賢者は運動不足で不摂生だ」と目につくようになり、武闘家は「生産性無く体を鍛えるなんてエコじゃない」と言われ、当てこすられる。
もし世界をまったき善の白い世界にしたいのであれば、真っ黒な私を退けてしまえば、あとはグレーの濃い者からだんだん狩り取られることになるのだということを人間はわかっているのだろうか。さらに真っ白な人間などほとんどいないという事実に気づいているのか。もちろん彼らは単体で増殖が可能でなく群れる性質である以上、社会的に便宜上の線引きが必要だということはわかるのだが……。
境界線を引く行為の恐ろしさを彼らはわかっていない。
いったいどこからが悪なのか。どこからが正義なのか。それには明確な違いがあるのか?立場や見方が違うだけではないのか。どこまでが許されるのか。故意であれば当然罰するというが、過失であればどうなのか。その線引きはできるのか、正しいのか。飛び石のように例外はあるのか。
誰もが自分を基準に考える。だが、ひとたび他の者の目から見ると重ならず、必ず歪みがある事実になぜ目を伏せているのだ。
人間は自分が引いた線に常に翻弄されて生きている。
私の存在は彼らの恐怖ではなく希望であったのだといつか気づく日が来るのならば、私はかつてない絶望を人間に与えることができるだろう。
それをじかに見れないのは残念だ――さあ、扉が開く。
勇者よ、よくぞここまで来たな。