ひとりかくれんぼ ――ラジオから聞こえてくる声――
「『ひとりかくれんぼ』って知ってる?」
学校からの帰り道。
友人のAが突然そう言い出したので、私は首を傾げた。
「なあに、それ?」
一人でかくれんぼをするのだろうか? そんなの聞いたことも見たこともない。
私に、「じゃあ教えてあげる」とAは説明してくれた。
「『ひとりかくれんぼ』ってのは、ある種の都市伝説なの。ぬいぐるみを用意する。それで、まあ多少の手順を踏んで、夜中たった一人でかくれんぼをするんだ。そしたら……、心霊現象が現れるんだって! 今まで何人も体験してるらしいよ?」
「何それ薄気味悪い……」
背筋がゾッとした。
私は心霊系は極度に苦手なのである。Aに連れられておばけ屋敷へ行った時は、もう涙が出てくるやら悲鳴を上げまくるやらでどれだけ恥をかいたことか。
やはり今回も、同じ魂胆らしかった。
「今度一緒にやってみようよ」
楽しそうな、希望で満ちたような顔で言われても私は嫌だ。
「お断りよ。それに、『ひとり』でしょ? どうやって一緒にやれるのよ」
と首を振ったが、強引なAは聞く耳を持ってくれなかった。
「メールでやり取りしながら、別々の家でそれぞれ『ひとりかくれんぼ』をするんだよ。きっと面白いって、ねえ、やろう〜?」
大学生にもなって心霊遊びなんて、くだらないと一喝してやりたい。
しかし私はAの押しに簡単に負けてしまった。
「仕方ない。これで最後だからね。もう二度と、オカルト系には付き合わせないって約束するなら一緒にしてもいいわ」
「うん、約束するする! じゃ、決行は明後日だね! 明日の間に準備しておいた方がいいものがあるから、帰ってからメール送るよ! バイバイ!」
いそいそとAは先に家へ帰って行き、私もまた帰宅する。
こうして、恐怖の『ひとりかくれんぼ』劇が幕を開けてしまったのだった……。
* * * * * * * * * * * * * * *
翌日。
私は中古屋へ足を運んでいた。
昨晩受け取ったメール。そこにはこう書かれていたのだ。
『用意する物
・手足があるぬいぐるみ(使い捨てだから要らなくなった物を使ってね)
・米
・爪
・髪の毛
・血肉
・汗や鼻水
・縫い針と赤い糸
・刃物
・コップ一杯の塩水
以上だよ。頑張ってね〜』
とのことだったが、まず私の家にはぬいぐるみが皆無だった。
なので、中古屋へきたわけだ。
「これ良さそうね」
そう言って私が手に取ったのは、有名キャラクターのクマのぬいぐるみ。
サイズはコンパクトだしあまり怖くはない。薄汚く至る所が毛羽立っていて、ひとりかくれんぼには最適だろうと、すぐに購入した。
他の必要な物も集め、私は一旦帰途につく。
そして夜を待ち、母が寝静まった頃にメールを送った。
Aに手順とやらを教えてもらうのである。
B(私)「準備できたわ。どうするの?」
A「待ってたよ〜。じゃあ手順言ってくね」
B「了解」
A「まず、ぬいぐるみからワタを抜いて、代わりに米を詰め込む」
B「食べ物を粗末にするの? 今の時代、頭おかしいんじゃない?」
A「いいから早く!」
B「はいはい。ちょっと待って」
ワタ抜きの作業にかなり手間どった。私はあまり裁縫は得意な方ではない。
米を詰めると、一気にどっしりと重くなる。ぬいぐるみに触れる度、ジャラジャラと音がするようになった。
B「次は?」
A「適当に爪を切って、それをぬいぐるみの中に入れる」
B「了解」
B「ちょうど爪が伸びてたから良かったわ。完了」
A「そしたら、髪の毛をむしり取ってぬいぐるみの中に詰め込んでね。まあ二、三本くらいがオススメかな?」
私は己の長い黒髪をハサミで切り、三本ぬいぐるみの中に投入した。
B「それにしても、どうして髪の毛や爪なんか入れるの?」
A「聞いた話だけど、かくれんぼをやる人とそのぬいぐるみの縁を深めるためなんだって。面白いよね」
B「怖いだけだけど」
A「どんどん行こうか。お次は血肉。これは自分のじゃなくていいから、冷蔵庫とかから動物の肉でも持ってきて。少量でOKだから」
母親を起こさないように、こっそり、こっそり自室を出て、台所からハムを一枚持ってきた。
そして、ぬいぐるみの中へ。
A「これで最後だよ。汗とか鼻水とか、体液みたいな物を入れて」
B「今は汗も鼻水も出てないんだけど」
A「月経来てるならそれでもいいよー?」
下の物を入れるのは流石に気が引けたが、確かに今、生理中だった。
下り物をパンツの中から抜き出し、ぬいぐるみへ注入。
後はAの指示に従って、赤い糸でぬいぐるみをぐるぐると縫えば、最高に気味の悪い人形の完成だった。
A「乙」
B「Aはもうできてるの?」
A「もちろんだよ。Bに話する前から作って、今も抱いて寝てる」
B「うえええ……。こんな気持ち悪い人形を抱いて寝るって正気?」
A「そうすると愛情が深まって、よりいいぬいぐるみとして仕上がる、かも。Bもやってみたら?」
B「嫌よ。臭いし汚い」
A「いいからいいから。明日まで、愛情込めて育ててあげなよ」
私は渋々、ぬいぐるみを近くに置いて眠った。愛情は一寸たりとも感じず、胸の中にあるのは恐怖だけだったが。
そして、翌日――決行の日を迎える。
* * * * * * * * * * * * * * *
その日は朝から『ひとりかくれんぼ』のことが気になって、何事もまともに手につかなかった。
「はぁ……」
そして帰宅、夕食を取り、母をいつもより早めに寝かせた。
市販の弱い睡眠薬を母の飲み物に入れたのは、誰にも内緒の話である。
二人暮らしなので、母さえ寝かせれば心配いらない。
それから少し勉強をしていたら、あっという間に深夜零時を少し過ぎてしまっていた。
慌てて私はスマホを取り、メールを送る。
B「ごめん。勉強してたら遅くなった」
A「OKOK。決行は午前三時だから」
B「え、そんなに遅いの」
A「うん。その時間が一番いいらしいよ。明日学校ないし大丈夫だって」
B「それはそうだけど」
A「そうだ、三時までに簡単な準備しとかなくちゃ。B、塩水用意して」
B「分量は?」
A「なんでもいい。薄すぎず濃すぎず」
B「了解」
私は適当にコップ一杯分の塩水を作った。
B「で、これをどうするの?」
A「コップ一杯分ある?」
B「あるわ」
A「よしそれなら大丈夫。次は隠れ場所を決めて」
B「隠れ場所? うち、そんなに広くないんだけど」
A「なら布団の中にでも隠れなよ。塩水は、隠れ場所のすぐ近くに置いておいたらいいから」
それから私とAは、しばらく雑談をした。
Aも準備は万端らしい。私もなんだかすごく緊張してきた。
そして夜が更け、約束の午前三時となった。
A「手順言うからスマホ見ながら行動して」
B「わかってる」
A「じゃあまず、ぬいぐるみに名前つけて」
汚物臭を放つクマのぬいぐるみ、こいつに名前をつけるとするなら。
B「クサックマにするわ」
A「OK。じゃあ、ぬいぐるみに『最初の鬼は私だから』って三回言って」
言われた通り三回、クサックマに言い聞かせた。
「最初の鬼は私」
「最初の鬼は私」
「最初の鬼は私」
言ってて自分で気持ち悪いことこの上ない。
夜中に女子大生が一人でぬいぐるみと遊ぶ……、どんな絵面だよとツッコミが入りそうだ。
A「スマホとぬいぐるみを持って浴槽へGO!」
B「お湯が残ってるんだけど大丈夫?」
A「むしろそれがいいぐらいだよ」
冷めた水が入っているお風呂に、クサックマを沈めた。
これもAの指示だ。薄茶色だったクサックマの肌が濡れて濃い茶色になっていく。
A「沈めたら戻って」
B「今戻るわ」
足音を忍ばせ、私は自室へ。
A「家中の電気消してる?」
B「私の部屋だけ点けてるわ」
A「じゃあそれも消して」
B「消した」
A「OK。テレビだけ点けて、砂嵐の画面にして」
B「あの、リビングのテレビでもいい? 私の部屋にテレビがなくて」
A「えっと、困ったな。確かテレビの音が大切だったはず。聞こえないと困る」
B「そうは言っても」
A「あっ、じゃあラジオある?」
B「ラジオなら私の部屋にもあるわ」
A「それで放送してない番組選んで、適当にザーってなるようにして」
ラジオのアンテナを立て、音を鳴らす。
朝から演歌をやっている番組やうるさい雑談番組ではなく、Aの言う通り何もやっていない局に設定した。
B「なんか怖い」
A「それだからいいんじゃん。あたしはリビングのテレビ点けて、カーテンの中に隠れてるよ」
B「丸見えなんじゃ?」
A「だからいいんじゃん。怖がりのBとは違って、あたし勇敢だから」
B「無謀ね」
A「刃物持った?」
B「用意はしてる。カッターナイフでいいのよね」
A「うん。それ、持っといて」
B「なんかさらに薄気味悪いわ」
A「その状態で目を瞑って、十秒数える、目を開けちゃダメだよ?」
布団に顔を伏せ、私は十秒数えた。
こんな体験初めてだ。怖くて怖くて小さく声が震えてしまう。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。もういいかい?」
かくれんぼなんて思えば十年ぶりくらい。それも一人でやるなんて、なんと滑稽なのだろう。自嘲の笑みが漏れた。
A「OK? じゃあカッターナイフ片手に風呂場へもう一回行こう!」
B「え? さっき行ったじゃない」
A「まずはクサックマを見つけに行かなきゃだよ。途中で『どこだ〜?』とか言っても雰囲気出るかも」
B「別に雰囲気とかいらない。もしも『ここだよ〜』って言われたら怖いじゃない」
A「じゃあBは風呂場に直行。あたしはちょっとうろうろしてる」
再び風呂場へ。
一体何回往復させられるのか。
風呂場のドアを開けると、そこには暗い浴室の中、浴槽に沈むクサックマの姿が健在であった。
B「どうするの?」
A「ちょい待ち」
A「お待たせ。あたしも風呂場に到着。じゃ、始めるね」
A「ぬいぐるみに向かって、『〇〇見ぃつけた!』って言うんだよ。〇〇はそのぬいぐるみの名前ね」
「クサックマ見つけた」と言ってみて私はおかしいことに気づいた。
見つけたも何も、私が隠したというのに。そこら辺は一体どう考えるのだろうか? 普通のかくれんぼであれば、隠れ場所をカンニングしておきながら「見つけた」というずるい奴ということになるが。
それはともかく、『ひとりかくれんぼ』に話を戻そう。
A「それで、ぬいぐるみにカッターナイフブッ刺すんだ」
B「何それ。それじゃ変態じゃないの」
A「ルールはルールだから」
浴槽に沈むぬいぐるみ。その胸に、カッターナイフを突き立てた。
裂け口から米が溢れ出し、鼻をつまみたくなる匂いが漏れ出す。刺した感触が妙になまなましくて、私はなんだか人殺しの気分になった。
B「いやあっ。怖っ。刺したら悲鳴が聞こえた気がしたんだけど!?」
A「なんかいい感じになってきたね〜。じゃ、『次は〇〇が鬼』って三回言って」
B「次はクサックマが鬼。次はクサックマが鬼。次はクサックマが鬼」
A「よくできました。じゃあ隠れ場所に戻ろうか!」
戻って参りました自室。
ラジオのザーっという音だけが響く中、私は布団に頭から足の先までくるまり、一心にスマホを見つめる。
A「隠れた?」
B「隠れたわ。怖い」
A「あたしも隠れた。一人暮らしだしめちゃくちゃビクビクのドキドキだよ!」
B「全然ビクビクしてないと思う。次の手順を教えて、早く」
A「次の手順? ここから一時間ぐらい、ただひたすら待つんだよ。やばいって思ったらすぐ教えて」
B「すでに心臓の鼓動がやばい」
A「そういうことじゃなくてさ。じゃあいい心霊体験を……」
この状態で一時間待つのは、あまりにも怖すぎる。一体これは何の罰ゲームなんだろうと思うくらいだ。
七月といえど、夏の夜は蒸し暑い。布団にくるまっている今なんて、地獄以外の何者でもなかった。
スマホと睨めっこする中、時間が過ぎていった。
十分、二十分、三十分。何も起こらない。
当然だ、こんな都市伝説は大抵嘘っぱちなのだ。大丈夫、大丈夫に決まっている。
と、その時――、突如、ラジオから不気味な声が漏れ出してきた。
「ケケ、ケケケ、クケケケケケケケッ」
笑い声のように聞こえる。
背筋に悪寒が走った。大丈夫だと思った自分が馬鹿だったと思い知らされた。
幻聴だと断じたい。でも声は続く。
「カクレンボ。ヒトリデムボウナカクレンボ。カワイイカワイイオジョウサン」
怖い。恐ろしい。気が狂いそうだ。
おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい。
B「Aいじょ自体発生。恋がする声がすろ」
A「何大丈夫?」
B「個えがすろの。怖い。たすけと」
A「意味わかんない、何なのかちゃんと教えて!」
ダメだ、手が震え過ぎて文字がうまく打てない。
ラジオから流れる声は、しばらく身の毛がよだつ笑いを続けた後、こう言った。
「ソコデモゾモゾウゴクカゲ、オマエダナ。イマカラソッチニイクゾ。マッテイロ」
恐怖。恐怖。
家が揺れている。耳鳴りがひどい。頭がくらくらする。助けてと叫びたいのに声が出ない。
Aへの恨み言も、こんなことしなきゃ良かったという後悔も、今は考える余裕がないくらいだ。
A「B、大丈夫? 何があったの?」
A「B! 返事して!」
A「今終わり方を教える。だから」
そこで突如、スマホの画面が暗くなった。
充電が切れてしまったらしい。今まで布団の中を明るく照らしていた光が途端に失われ、本当の真っ暗闇になった。
これは……マジでやばい。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い――。
ほとんど同時、ラジオのノイズがプツッと切れて無音になる。
そして、布団が捲り上げられ、声がした。
「オジョウサン。ミツケタ!」
声の方を見るとそこには、超巨大なクサックマが、笑って立っていた。
全身から血が滴り、筆舌に尽くしがたいほどのおどろおどろしい姿。鋭い爪を掲げたクサックマは、私へ向けてそれを振り下ろした。
絶叫を上げ、私は意識を失ったのである。
* * * * * * * * * * * * * * *
目が覚めると、すぐ目の前に母親の顔があった。
「母さん……?」
「ああ、良かった。夜中寝てたらあなたの悲鳴が聞こえて、駆けつけてみれば気絶してたから心配したのよ。尿やら涙やらで布団はぐちゃぐちゃ。どうしてくれるの?」
「ごめんなさい……。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
あれは、夢だったのだろうか。
確かに布団は色々な物で汚れていたものの、それ以外には昨晩の形跡はない。
まるで、何事もなかったかのようだ。
でも一つ奇妙なことがあった。
浴槽に沈めたはずのクサックマがいないのだ。どこを探しても、いない。
後日Aと連絡を取り合ったところ、Aの方では何も起こらなかったらしい。
「心配したんだよ」とややきつめに怒られてしまった。
「本当は終わらせ方があって、塩水を口に含んで人形にかけるんだ。それで『私の勝ち』って三回言うんだよ」
「でも、クサックマがいないのよ? どうすればいいの?」
「それはわかんないなあ。消えたクサックマがどこに行ったか知らないけど、Bの『ひとりかくれんぼ』はまだ終わってないんだと思うよ」
「何それ怖い……。もう二度とこんなことしないから、本当に」
それにしても、無事で良かった。
あれで踏み潰されていたら……と思うと震えが止まらない。
きっとあれは、私の恐怖が生み出した想像だったに違いない。
私たちは今、車でとあるデパートへ向かっている途中だ。
Aが免許を取ったらしい。私は二十歳だが、車は乗れない。
「Bが『ひとりかくれんぼ』で怖い思いしたのは、ラジオのせいかもね。テレビでやった方がやっぱ良かったのかなあ。……あっ、そうだ。なんかラジオでも聞く?」
「何故今このタイミングで? あんた馬鹿?」
人の気も知らないでAはヘラヘラ笑っている。かなりムカついたが黙っていた。
「じゃ、適当にかけるよ〜」
そんなことを言いながら、Aがダイヤルを回して局を選ぶ。
何かの音楽番組にしたらしいが電波が悪いのか、ノイズが入る。
「あれ、おかしいな?」
首を傾げるA。私は車窓の外を見回してみた。
「周りに木とかもないし、電信柱もすぐそこにあるのに。局間違えたんじゃないの?」
「そんなはずないよ。しっかり番号確認したもん。……? 何か聞こえる」
ザザザ、ザザザ、ザザザ。
ノイズだけだったラジオの音に、確かに何か変な音が混じり始めていた。
最初は小さく、しかし次第に大きくなるその声には聞き覚えがあった。
「ケケ、ケケケケ、クケケケケケケケケッ」
思わず悲鳴を漏らす私。
Aも目を見開き、車を急停車させる。
その瞬間、ラジオからはっきりとした、少年のような声が響いた。
いや、ラジオからだけではない。背後からも、同時に同じ声がした。
「「ウシロ。ウシロニイルゾ」」
振り向いて、私たちはそれを目にする。
車の後部座席に鎮座するクサックマ。彼が大口を開けて、笑っている姿を。
「ミ〜ツケタ。コンドコソニガサナイゾ、オジョウサン」
やはり、私の『ひとりかくれんぼ』は終わっていなかったのだと、今度こそ捕まってしまったのだと、その時直感した。
* * * * * * * * * * * * * * *
――後日、とある人気の少ない道路の片隅で、打ち捨てられている一台の車が発見された。
発見者の話によると、中には誰も乗っておらず、空っぽの車と血に汚れたクマのぬいぐるみだけだったという。
ラジオがザーっと、不気味なノイズを奏でていたらしい。
消えたAとBが、どこへ行ってしまったのか。それは誰にもわからない話である。