レベル9999デスを編み出した魔王軍幹部の俺、魔王様(レベル9999 世界最高の美を備えし、この世全てより価値のあるお方)に殺されそうな雰囲気で無事詰む
嗚呼、麗しの魔王様。
金糸の如き麗しの御髪を冠し、切れ長の瞳の中に深い翠を備えるお方。
ささやかに存在を主張する鼻梁に、ぷっくりと膨らみ薄桃色に色付く唇。
美の女神すら霞むその面立ちは、あらゆる彫刻家が目標とすべき永遠の課題と言えるでしょう。
嗚呼、ですから。
如何なる音の調べより玲瓏なる御言葉を。
「カース。疲れてないか? お茶にしようと思うのだが、一緒にどうだ」
俺なんかに、そのような慮る口振りで投げかけないで下さい。
惚れてしまうではないですか。
ー◇ー
レベル、という概念がある。
そのものの備える強さの段階、あるいは経験によるその指標というべきか。
俺たち、イグゼクレーターの一族はそれを見ることができ、またレベルに基づく魔術を行使することができた。
例えば、レベル2衰弱。レベル3閃熱。
それぞれ、レベルが2の倍数、3の倍数の敵に、衰弱と閃熱をもたらすものだ。
倍数のもととなる数字が大きければ大きいほど、つまり、条件に合致しづらくなるほど、魔術の影響をより効果的なものとすることができる。
つまり、レベル5即死、などという魔術も成立する、というわけだ。
まあ、レベル5デス程度では、上位魔族が持つ魔術障壁を突破することなどできないのだが。
だが、しかし。
倍数をレベルの果てにしたならば。限りなく、対象者を絞った条件にしたならば。
その効果は、完全なる魔術障壁を備えしもの、伝え聞く完全金属生命体すら、逃れることは不可能だろう。
だから。
俺は果てを殺す魔術を編み出したのだ。
魔王様の力になりたかったから。
ー◇ー
ざあ、と風が吹いた。
執務室脇に設けられたバルコニー。
その手すりに、魔王様はお体を寄せている。
星々の瞬きよりなおも美しく煌めく髪をたなびかせながら、城下をご覧になっていた。
「混沌とし、実に活気に満ちている。まさに私の理想とするところだ。カース、お前も見よ」
「はっ!」
恐れ多く、口をつけることも叶わなかったカップを下の皿に戻し、俺は席を立った。
「ほら、そこなど蝿の王の小倅どもが暴れておる。ふふふ、店主どもも流石じゃのう。すぐに殆どを捉えおったわ」
魔力を用いて遠見をすれば、視界の欠片にわずか、その光景をぼんやりと映すことができた。
「ベルゼブブには躾をきつくするように申しつけておきます。魔王様の城下であのような。店の被害もあります故、補償もさせねば」
「まあ、そう怒るな。あやつらも戦が終わって暇なのじゃろう。じゃれておるだけよ。……ほら、もっとこちらに来い。そこでは見渡せぬではないか」
三歩、魔王様が後ろに下がる。お気に入りであろう、バルコニーの中で最も突き出した場所をお譲りいただいたかたちとなった。
「では、失礼ながら」
見下ろせば、眼下には戦火の跡など毛ほども感じさせたい街並みが広がっている。
曲がりうねり立つ、何の意味があるかよく分からないオブジェも、流行りなのかあちらこちらに見ることができた。
「良いものであろ。これも、我が治世を乱すものがないからじゃ。……のう、カース」
とん、と。背中に触れる感触。
それで分かってしまう。
俺はもう要らないなのだと。
かの力の果てにいた魔竜王を滅ぼした今、俺こそが魔王様の脅威足り得るのだ。
我が秘術は同じく力の果てにいる魔王様に届くが故に。
力を抜く。目を瞑る。
体を最も尊き方に委ねる。
幸い、俺の体は脆い。飛行する力もない。
ここから落ちれば、間違いなく死ねるだろう。
ー◇ー
そう遠い昔の話でもない。
魔竜どもが魔都に攻め入るより、ほんの少しだけ前。
その部隊のひとつが俺たち一族の村を通りがけに滅ぼした、そのときの話。
熱くて仕方なかった。
消えることのない分厚い炎に呑まれ、苦しくて仕方なかった。
護りの呪が施された外套を纏う我が身といえど、存在ごと焼き尽くす魔炎には耐えられるはずもなく、炎に侵されて崩れていく。
辺りにはコゲついて動くこともない外套がいくつも散らばっていた。
それらが、ぐしゃりと踏み潰され、蹴散らされて舞う。
どん、と。
何の予兆もなく、全身に痛みが疾った。
視界が大きく揺さぶられ、そして開けて初めて、自分も同胞たちと同様に蹴散らされたことに気付く。
燃えていた。
族長の家も、村一番の強者の家も、姿も見たこともない魔王の像も、すべて全て踏み潰され、壊され、蹂躙されていた。
死ね。死ね。死ね。
殺意が膨れる。
痛みなど知らぬ。殺意のみが己となる。
呪う者の名、そのものとなり、俺は。
「絶やせ。絶やせ。絶やせ。いつつ数えるたびにひとつ。いつつ巡るたびにひとつ。わらべの数え歌よりとく早く己が死を悟るがいい。レベル5デス!」
放つ。
視界に映る竜どもを屠るために。
せめて一匹でも報いを受けさせねば死んでも死にきれなかった。
けれど、効かない。
5の倍数レベルの魔竜どもは確かに認識できるのに、行進は何一つ乱れることなく進んでいく。魔術を放った俺を気にする気配すらない。
コイツらが止まることはないのだろう。
まっすぐに魔都へと進み、俺たち一族の村と同じく全てを焼き尽くすに違いなかった。
視界が白に染まる。
ついに目も効かなくなったか。
そう、思った。
しかし。
それは刃だった。
高純度の魔力で編まれた輝く刃。
それは閃きとともに魔竜ども全てを薙ぎ払い、そして。
ごぼり、と泡立つような音がそこらじゅうに響き、ずるり、と竜どもの上半分が滑って地に落ちた。
その光景を何度生まれ変わろうとも忘れまい。
血と死と炎に彩られてなお輝く、黄金の御髪。鈍い漆黒の鎧に包まれた白磁の肌。
魔王様。
後に貴女がそうだと知る前に、俺は俺の身命のすべてを貴女に捧げると、そう決めたのだ。
ー◇ー
だから、とうに捧げたこの命、魔王様に手折られるならば、むしろ本望であった。
けれど。
衝撃は来ない。背に触れる感触は強まることはなく、代わりに胸のあたりに柔らかく包まれる感触。
「お前だ、カース。お前が魔竜王を滅ぼし、民を守ったのだ。その献身を前に、わたしはわたしのことしか考えられぬ」
抱きしめられているのだと理解するのに、どれだけの呼吸が必要だったろうか。
いや、呼吸など、忘れていたに違いない。
震える感触が己のものか、魔王様のものか、それすら曖昧に脳髄が溶けるように感じる。
「俺如きに過分なご評価。それだけでもう充分でございます。この身はすでに貴女に捧げたもの。好きにしていただいてかまいませぬ」
「そう、か……」
耳元への囁き。それと同時に抱きしめられた手は離れて、そして。
衝撃が俺に与えられ。
ぐるん、と体が回転した。
僅かに潤んだ翠の瞳が目の前に。
それが近づく。
唇が何か、熱く、焼けるようなものに触れた。
入ってくる。
おずおずと、最初は遠慮するように突き入れられたそれは、驚きのあまり開いた口腔内を侵略し、ひとつ、ふたつ、みっつを数えるうちにすべてを制圧しきってしまった。
「ぷはっ」
軽く吐かれた息と共に顔が離れていく。
理解が、追いつかない。
茫然自失としていたのだろう。目の前にいるお方が口を尖らせる。
「な、なんじゃ。お前が好きにしろと言ったのではないか。わ、わたしのモノだと、そう言ったぞ……」
白磁の肌が耳の先まで全て紅に色付いて、まるで市井の娘のような振る舞いを、魔王様がしていた。
「お、俺は処刑されるのでは?」
あまりにも間抜けな質問を口にする。
最後の褒美というならば、むしろ幻想の類だろうか。
いや、そうに違いない。魔王様の慈悲により都合の良い夢を見せていただいているのだ。そう、俺の体は既に宙を舞っていて、地面に衝突するまであと僅かなのだ。いやいやむしろ俺の体は地面に叩きつけられて、俺の意識だけが都合の良い幻想を垂れ流している可能性も捨てきれまい。
とにかく、魔王様が俺に口付けなど、そのような恐れ多い幻想を見る俺はとく失せるべきでーー。
「なんじゃ、それ。処刑など、誰が言っておった」
その溢れる怒気に、これが現実であると思い知らされる。魔竜王討伐の戦の際に、幾たびも感じたそれを、幻想と間違えるはずもなかった。
「い、いえ。『魔王様の治世を乱すものがないことが、城下の活気の源である』と、そう考えた次第でありまして……!」
とばっちりを誰かに与えてしまうのは避けねばならない。その思いで慌てて言葉を口にする。
「お前が? わたしを? そんなわけないじゃろ」
「いえ、俺にはまったく、その気の欠片ほどもないのですが、その、我が秘術は魔王様に届きうるゆえに……」
ぐぅ……恥ずかしい。
俺など、魔王様の一撫でで消し飛ぶものであることは変わらないのに、まるで俺が魔王様と同等かそれ以上であるかのような口ぶりではないか。
「あー、それか。それなら心配するな。もうわたしには効かん」
あっけらかん、と魔王様は言った。
事実ならばそれは望ましい、しかし。
「いや、あれは我が秘術。あらゆる魔術障壁も貫き、不死族にすら死を与えるもの。魔王様といえど、そう簡単には……」
「ふふふ。そうだ。そうだな? その捻くれたプライドも愛おしいぞ」
さらり、と告げる。やはり口付けはそういう意味であるらしい。
「は、話を戻すぞ。あれは数術の深奥を知るお前が編み出したものだ。効かぬ訳がない。……条件を満たすならな」
最後はまるで、いたずらをしてそのネタがバレずにほくそ笑んでいるような、子供のような笑顔。
促され、そのお姿からレベルを読み取る。
「果てのさらに上……?」
「うむ」
「な、なぜ……」
「そなたらの言う『レベル』とは経験で上がるのじゃろ? ……初めてじゃったからな」
何をとはもはや言うまい。
『それ』だけで、このお方は我が知の深淵など当たり前のように超えていくのだ。
ぷい、と横を向くそのお顔はどこまでも美しく、見ているだけでまるで頭が灼けるようだ。
やはり、俺は殺されているのだ。
だってもう、唯一の取り柄だった魔術ももはや練れまい。
このように頭が貴女だけに占められては、俺の意思など死んだようなもの。
「魔王様、失礼します」
「んむぅっ!」
両手で顔を向き直させて、むりやり口付ける。
見開いた瞳はこちらを射抜き、やがて柔らかく閉じられて。
離れるのが惜しいまま、求めるまま。
ずっと、ずっと。
ひとつになっていた。