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「う...これは」
視界がぼやけ始めた月華が最初に感じたのは、今まで嗅いだことのない異臭だった。
何か肉を焼いたような、それでいて焼肉のようにいい匂いではなく、吐き気がするような臭いだった。
視界がはっきりしてきた月華の瞳に最初に入ってきた色は、橙色だった。
そして、皮膚を焼くような熱気。
まるで烈火に囲まれているかのように、月華の体は熱を感じていた。
「まさか...!」
月華の脳裏に今日見た夢がよぎる。
そして目の前がはっきりと見えるようになった月華は、慌てて自分の周りを確認した。
月華の予感は的中していた。
月華の家は激しい炎に包まれていたのだ。
幸いというべきか、月華の部屋はあまり燃えていなかったので月華は難なく部屋を出ることができたが、その先が地獄だった。
壁全面が炎に包まれ、月華の部屋以外は全て燃えていた。
だが、廊下と一階へと続く階段は一切燃えていなかった。
まるで、月華を一階へと導いてるかのように。
「ぐ...がはっ」
部屋を出た月華は、高温の熱気を帯びた空気を吸ったせいで呼吸がしづらくなっていた。
それでも辛うじて月華は歩き続け、階段を下りた。
神様、と祈りながら階段を下りた月華は一階につき、両親がいつもいるリビングへと向かった。
「うそだ...」
リビングには、焼けただれた月華の両親が横たわっていた。
「お父さん!お母さん!」
と月華は泣き叫んだ。
その光景はまさに、月華が見た夢そのものであった。
僕は
結局なにも
なにもできなかった
いやだ
いやだ
いやだ
こんなのうそだ
月華は現実を受け止められず、ただひたすらに泣いていた。
「遅いじゃないか、兄さん」
兄さん...?
その声は弄月の声だと月華は分かった。
だが、今まで弄月は月華のことをお兄ちゃん、と呼んでいたのだ。
そのため、月華は一瞬困惑し、硬直したがすぐに声の主へと顔を向けた。
「ろう、げつ...?」
月華の視線の先にいたのは、外見は間違いなく弄月だった。
しかし、まるで別人のような雰囲気を月華は感じた。
そして、雰囲気以外にも決定的にいつもとは違うものがあった。
それは弄月の瞳だ。
黒かった弄月の左の瞳は、綺麗な橙色になっていた。
「そうだよ。
兄さんの双子の弟、弄月くんだよ」
そう言った時の弄月の声は、気持ちが悪いほど大人びていて、そして楽しそうだった。
「ほんとうに弄月なの...?」
今の弄月は、月華には弄月の皮を被った『何か』、に見えていた。
「そうだって言ってるじゃないか。
まあ僕は、正しく言えば《燕》だけどね」
「つばめ...」
さっき《語る者》が、月華のことを《燕》と呼んでいたことを思い出す。
「弄月は僕と同じ人間だよ、つばめじゃない。
人間だよ」
「何言ってんの、兄さん。
僕たちは人間じゃないよ。
1週間前の10月24日で、僕たちは人間じゃなくなったんだ」
「そんなこと、ない...」
月華は、僕は人間なんだ、という祈りを込めて、弄月の言葉を否定した。
「あるよ」
月華の祈りを込めた否定は、弄月の一言であっさりと破られた。
そうだ、《瞳》を持つ僕たちは人間じゃない...
もう人間じゃないんだ...
そう思った月華の瞳からは、枯れたと思っていた涙が再び溢れてきていた。
「さて、お父さんたちは殺したし、次は兄さんの番だよ。
僕の《太陽の瞳》で殺して、楽にしてあげよう。
死んでしまえば、兄さんはもう自分が人間かどうかで一々悩むことすらなくなるさ。
嬉しいだろう?」
「弄月、お前が殺したのか...お父さんも、お母さんも」
「うん、他に誰がいると思うのさ」
月華の言葉を弄月は、悪びれる様子もなく肯定した。
その言葉を聞いた月華は、ただただ悲しみだけが沸いてきた。
そしてその瞬間、月華の性格は大きく変化した。
この短時間で、これまで月華が味わったことのない絶望、悲しみ、恐怖などの色んな感情を一気にその身で感じたせいで、月華は変わってしまったのだ。
月華は、自分の中から優しさや同情などの甘い感情を捨て、自分を唯一人間なんだと思わせてくれていた心の温もりを、捨てた。
その時の月華は、かつてないほど冷たく、鋭い眼差しをしていた。
月華の中に残ってるのは、怒りだけだった。
両親を殺した弄月に憤怒を抱き、殺意を向けていた。
「俺はお前を許さない」
一人称も、"僕"から"俺"へと変化していた。
「別に許しなんかいらないよ。
もう殺すし」
そう言葉を放った弄月の左目が橙色に輝きだした。
そして全身に炎を纏った弄月の体が宙へと浮いていった。
その姿は、夜なのに昼間かと錯覚するほど明るく、まさしく太陽のようであった。
このままだと殺される。
どうにかして《瞳》を使わないと...。
そう思った月華の目の前で信じられないことが起こる。
「それじゃ、兄さん。
あの世でお父さんたちと体を焼かれた感想でも...がぁっ」
なんと、さっきまで威勢の良かった弄月が急に苦しみ始めたのだ。
「あああっ...!はぁ、はぁ」
苦しそうに首を抑えながら弄月は落下した。
そして数秒後、弄月は一瞬うっと呻き絶命した。
月華はあまりに突然すぎて、状況を理解できていなかった。
「一体、何が...」
そして死体となった、弄月の肉体を淡い橙色の光が包み始めた。
全身が橙色の光に包まれると、弄月の肉体から一つの光る球体が出てきた。
その球体は、色は橙色であったが、大きさ、輝き共に月華が見た《核》ととても似ていた。
そして、橙色の光る球体が弄月の肉体から完全に隔離されると、弄月の肉体を包んでいた橙色の淡い光は消滅し、今度は赤く、淡い光が弄月の肉体を包み始めた。
そして、さっきと同様に弄月の全身が光に包まれると、赤く光る球体が弄月の肉体から出てきた。
その瞬間、月華は左目に鋭い痛みを感じた。
「あっ...あぁ」
月華は声を上げて叫ぼうとしたが、ずっと熱気を吸っていたためか、喉と肺がやられてしまい、叫ぶことすらできなかった。
そして、左目の痛みは耐えられるものではなくなり、月華は意識を失いかけていた。
「おやおや、まさかこんな面白いことが起きるとは」
そんな、低く穏やかな声を最後に聞き、
月華は気絶した。
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