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恋する凡田くん  作者: pgmn
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自己紹介(後編)

「はい、南中学校出身の凡田並平です。中学校のときは卓球をしていました。僕も映画を観たり本を読んだりすることが好きです。宜しくお願いします」


 ぼんだくんの自己紹介はとても淡々としていたが、読書好きという点に興味が湧いた。私も、割と本を読む方だ。私の世代では、本を読む人はあまり多くない。


「ぼんだくんは、読書が好きなんですね。最近は何の本を読みましたか?」


 ぼんだくんが座りかけていると、三神先生が急に話を膨らませにかかった。今までそんなことしなかったのに。

 ちらりと時計を見ると、入学式までまだ時間がある。ぼんだくんを含め、自己紹介はあと2~3人で終わりそうだから、このままスムーズに進むと手持ちぶさたになるのだろう。

 貧乏クジを引いたね、ぼんだくん。


「え、あ、えーっと、何だったかな」


 ぼんだくんは、目に見えて動揺していた。きっと、彼も人前で話すのはあまり得意じゃないのだろう。


「ああ、そうだ、あれです。『アクロイド殺し』。アガサ・クリスティの」


 私は、少し驚いた。まさかクリスティを挙げてくるとは思っていなかったからだ。私もミステリをよく読む。

 クリスティといえば、『オリエント急行殺人事件』と『そして誰もいなくなった』が飛び抜けて有名で、それ以外はミステリ好きでないとまず読まないだろう。隣の席の子がミステリ好きなことが嬉しい。

 さらに、『アクロイド殺し』は、クリスティのミステリ美学みたいなものが色濃く現れる、象徴的な作品だと私は勝手に思っている。突き抜けているからこそ、賛否両論あるけれど、私は好き。 

 中々趣味が良いね、ぼんだくん。


「ほう、『アクロイド殺し』ですか。読書の趣味が良いですね」


 三神先生も、私と同じ意見のようだ。


「ミステリをよく読むんですか?」

 三神先生は、話を膨らましやすいと思ったのか、またぼんだくんに質問をする。


「あ、いやぁ、よく読むというほどではないんですが。クリスティは結構好きなので、たまに」


 ぼんだくんは頭を掻きながら言った。


「そうですか。先生も、クリスティは好きですよ。無人島に閉じ込められて…といった、所謂クローズドサークルというミステリの王道手法も、クリスティから始まっているのです。ミステリの古典に触れてみるのも良いかもしれませんね」


 三神先生は、うんちく話をしていたが、不思議と嫌味を全く感じなかった。銀縁眼鏡の知的な印象がそうさせるのか、普通なら少し自慢っぽく聞こえるうんちく話も、先生に対する尊敬と安心感になっていた。

 三神先生は、続ける。


「先生も若い頃、何度も読み返しました。『アクロイド殺し』といえば、さすがクリスティと思わせる大胆なトリックが魅力ですね。犯人は結局…」


「いや、それは言ったらダメなやつです!」


 先生がアクセルを踏みすぎたため、ぼんだくんが必死にブレーキを踏んだ。

 教室から、クスクスと笑い声が漏れる。私も、ぼんだくんがあまりにも焦っていたのがおかしくて笑ってしまった。

 ぼんだくんは、恥ずかしそうにキョロキョロしていた。

 先生も同じように恥ずかしがっていたが、コホンと咳払いし「失礼。ぼんだくん、よいツッコミをありがとう。次に行きましょうね」と続けた。


 ぼんだくん、これから三神先生が困ったらイジられるだろうな。そんな予感がした。

 最初に感じた三神先生の固い印象は、ずいぶん和らいでいた。


 残り数名が自己紹介を終えると、ちょうど良い時間になっていた。


「式では、まず校長先生から入学祝いのお言葉を頂きます。その後…」


 三神先生が入学式の流れを説明して下さった。


「では、10分後に、体育館に集合してください。宜しくお願いします」


 まだ昼にもなっていないのに、ずいぶん長く感じた。自己紹介を聞いただけで何がわかるわけでもないけれど、当初感じていた緊張や不安は和らぎ、新しい生活への期待が強くなっていた。


「何の楽器をやってるの?」


 唐突に、隣の席からぼんだくんの声がした。


「え、あ、わたし?」


 せっかく声をかけてかくれたのに、変な返答をしてしまった。私は初対面の人、特に男の子と話すときは緊張してぶっきらぼうになってしまう。

 ごめん、ぼんだくん。むしろ私も君に興味があるよ。


「うん、自己紹介のとき、吹奏楽やってるって言ってたよね。俺も音楽好きなんだよ」


 ぼんだくんの声は少し高く、話し方はゆっくりとしている。高圧的な感じは無いし、かといってナヨナヨした感じもない。

 しかし、落ち着いているようで、目は泳いでいた。目は口ほどに物を語るというが、きっとぼんだくんもそれなりの決意と共に話しかけてくれたのだと感じた。


「ホルンっていう楽器。わかんないと思うけど」


 私は苦笑混じりに答えた。吹奏楽をやらない人で、ホルンを知っている可能性は高くない。


「あ、こういうやつ?」


 ぼんだくんは、空中で人差し指を一回転させて、ホルンの形を描いた。


「そう!よく知ってるね!」

「ホルン吹けるんだ。かっこいいなぁ」

「そうかな、そんなことないよ」


 ホルンを知っていることに驚いた。

 かっこいいというのは社交辞令かもしれないけれど、ホルンを吹けて褒められたのは初めてだったので、純粋に嬉しかった。

 素直に伝えたいけれど、どうしてか、男の子と話すときは冷たい口調になってしまう。

 何はともあれ、隣の席の子が優しそうで良かった。


「おい、凡田、体育館行こうぜ」


 岡野くんがぼんだくんに声をかける。

 私もそろそろ行かなくては。


「おう、行こうか。じゃ、渡瀬さん、これから宜しくね」

「うん…宜しく」


 体育館に向かうぼんだくんは、なんだかすごく嬉しそうだった。入学式に楽しいことってあるかな?と思ったが、きっと、これから始まる高校生活に思いを馳せているのだろう。


 教室を、暖かい風が通りすぎた。

 春の匂いが全身に行き渡る。

 窓際のこの席も、悪くないと思った。


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