いろいろ、選択(前編)
僕の学校では、世界史と日本史は選択科目になっている。冒頭述べた通り、僕は平々凡々、特に得意な科目があるわけでもなく、歴史にも興味がないので、どちらか決めあぐねていた。
「ひなのちゃんはどっちにするの?」
渡瀬さんの前に座る、山田ともかさんだ。山田さんと渡瀬さんは、同じ中学校に通っており、当時から仲が良かったと聞いている。至極、羨ましい限りである。
(女子はいいよな、気楽に渡瀬さんに話しかけることができるんだから。いや、でも待てよ。女子になったら渡瀬さんとは付き合えないな。いや、男子だからと言って付き合えるわけではないのだけれど。まあ可能性があるというだけ、男子の側に軍配が上がるか)
今日も、僕の頭は渡瀬さんのことでいっぱいだ。
「私は世界史にしようと思ってる」と、渡良瀬さんが応えた。
「えー、何で?世界史って、国がいっぱい出てくるから、覚えること多そうじゃない?日本史だったら、日本だけでいいんだよ?」
確かにそうだなと思った。たった今僕の選択科目は世界史に決まったわけだが、山田さんの言うことも一理ある。
「だって、日本史は漢字がたくさん出てきて難しそうだから」渡瀬さんが言った。
何だその理由は?可愛いすぎるだろ。論理に一縷の隙も見当たらないのですが?
渡瀬さんは可愛いというよりは美人という感じだし、振る舞いもクールだが、急に可愛いことを言うから油断ならない。天使の皮を被った天使だ。ノーベルこの世に生まれてきてくれてありがとう賞、授与。
「何それ、可愛い!ひなのちゃんが言うと、何か説得力あるね」
山田さんとは気が合いそうだ。ちなみに、山田さんもとても可愛い。山田さんは、美人と言うより可愛いに傾いている。渡瀬さんに勝るとも劣らないが、僕は渡瀬さんが好きだ。僕はアホだが、ルール無用のアホではないのだ。
「あはは、変なの。それよりともかちゃん、明日の土曜日、空いてる?」
「空いてるけど、どうしたの?」
「見たい映画があるんだけど、どうかなと思って」
「お、いいね!行こうよ!駅で待ってるね」
「やった!楽しみにしとくね」
渡瀬さんって、意外と自分から遊びに誘うタイプなんだな。何が意外なのか自分でもよくわからないけれども。そのギャップにまた惹かれてしまうわけだけれども。
それにしても山田さん、羨ましいな。渡瀬さんと二人きりなんて。その権利がオークションで出品されていたら、イチローが試合で使ったバットくらいの値がついていてもおかしくない。
休日に会えるという点で、さらにプレミア感が増す。私服の渡瀬さんとデートできるなんて、考えるだけで脳の幸せを司る部分がショートしてしまいそうだ。
(明日、10時に、駅か…)
邪な考えが頭に浮かぶ。いやいや、それは流石に駄目すぎるだろう。人間を辞めるつもりか。
しかし、どうしても渡瀬さんの私服姿はこの目に焼き付けておきたい。僕の中の天使と悪魔がひっちゃかめっちゃかやっている。
(そんな不純な動機で渡瀬さんを見たところで、虚しさが残るだけです。辞めなさい)
何故か脳内の声にはエコーがかかっている。
(げへへ、どうせお前なんかこのまま生きてても渡瀬さんと交わることなんてないさ。それなら、私服姿だけでも拝んどけばいいじゃないか。山田さんも可愛いし)
ゾッとするほどゲスい。
「何の映画?」
僕が人間を辞めかけている時、山田さんの声が僕を現実に引き戻した。
危ないところだった。フラれ捲っていたあの頃と同じ過ちを繰り返すところだった。そうだ、焦ることなどない。僕の当面の目標は、「渡瀬さんと仲良くなること」だ。これだけはぶれてはならない。
僕の中の悪魔は、舌打ちをして巣に帰って行った。
「ほら、最近話題のアニメ映画だよ。入れ替わっちゃうやつ」
ほう、と感心した。流石渡瀬さんだ。趣味が良い。あの映画の監督は、それまでアニュイなラストの作品を作り続けていたが、一転、今作は最後の最後でハッピーエンドになっている。賛否の別れるところではあるが、僕は大賛成。岡野と見に行って、僕はとても感動したが、彼はそこまででもなかったらしい。そんな彼の手前、話を合わせていたが、後でこっそり一人で見に行き、思う存分泣いてやった。
あのシーンで、主人公の掌にあの文字が書いてあってなお感動しないなど、岡野の頭には脳味噌の代わりにところてんでも詰まっているのだろう。
「あ、やったー!それ私も見たいと思ってたんだー!ひなのちゃんと見に行けるなんて、すごく楽しみだよ~!」
山田さんも本当に可愛い。僕もそんな風にストレートに渡瀬さんに思いの丈を伝えられたらなあ。なんというか、山田さんには幸せな人生を送ってほしいと思う。渡瀬さんが『星の王子様』で言うところのバラなら、山田さんは王子様だ。どれだけ喧嘩しても最後にはバラの元に戻ってくるのだ。
まあ、僕なら何千本というバラ園の中からでも、迷わず君を見つける自信があるけどね。キツネが言うように、やってくれたことで特別なバラになるんじゃない。君は最初から僕の特別だ。
「何言ってるの、もう」
一瞬僕の思考とリンクした発言かと思ってドキッとした。現実と妄想の境がおぼろげになっている。しっかりしないと。
渡瀬さんは恥ずかしそうだ。渡瀬さんのこんな一面を引き出せるのだ、山田さん、侮り難し。
渡瀬さんとはほとんど話したことがないが、山田さんたちと話している様子を盗み聞きしながら、気づいたことがある。
渡瀬さんは、とてもいい子だ。
ビジュアルの段階で、神から二物、三物と与えられている渡瀬さんだが、なんとその上性格まで良いのだ。渡瀬さんはどこまでも形而上的なお人だ。
「なあ、凡田~!」
岡野こと、ところてん太郎が話しかけてくる。
「明日、映画見に行こうぜ~!」