マッドサイエンティスト
「ちょっと……ちょっと待って、私、何がなんだか……」
混乱している吉乃の前に一人の男が進み出て、深くかぶっていたフードを脱いだ。ーー金属のように冷たい目だ。それが男に対して吉乃が抱いた最初の印象だった。
吉乃をどこか獲物を狙う猛禽類のような目線を送る男に対して吉乃は震えが走る。男の薄い金の髪にはところどころに銀色が混ざっていて、それが独特の褐色を生んでいた。
「聖女様。私はスノウリア国第2王子の仕えております、魔導師アンブローズと申します。突然このような場所にお呼び出しをしてしまい大変申し訳ございません。我々の無礼をどうかお許しください。そして願わくば我々の話に耳を傾け、一変の御慈悲とそのお力と分け与えてはいただけないでしょうか?詳しい話はこちらでご説明させていただきます。どうか我々を信じてください」
思っていたよりもずっと低く、見た目の若さを否定するような声だった。
尻もちをついた吉乃に手を差し伸べる男は先程と打って変わって春の雪解けのような柔らかな笑みを浮かべている。
知り合いもいないどころか知っている国、世界ですらない。
吉乃に今頼れるのはこの男だけであった。この男に付いていかなければこれからどんな目に合うのかも分からない。
(この人に事情を説明してもらわなきゃ……でも、)
「ここで今説明してもらえないですか?」
「ここで、でしょうか?しかしこの大聖堂はあまり長話には向いていないのです、現にあなたは震えておられる」
ここがどこだかはわからないが、大聖堂が地下にある、というのは吉乃にもなんとなく予想できていた。
気づけばカタカタを歯を打ち鳴らしていたが、それよりもまず気になることがあったため、吉乃には引けなかった。
「私は大丈夫ですのでお構いなく。さ、説明してください」
「……聖女様のお体を危険に晒すわけには」
アンブローズは明らかに渋っていた。
取り囲む周りの男達もソワソワと周りを見回している。
(胡散臭すぎる。何をそんなに焦ってるんだか。海外の詐欺師の常套手段よね、道に迷って困ってる外国人にフレンドリーに話しかけてケツの毛までむしり取ろうとするあれにめっちゃ似てるんだけど。というかこの男の目がーー)
そもそも気に入らない。この目は吉乃が日本にいるときだってよく浴びていた視線なのだ。妹に近づくためにこいつを利用してやろう、そう思っている男たちの目によく似ていた。
(大体聖女ってなんだ。異世界の女が聖女にならなければならず、素性もよくわからない人間に国を救ってくれとは正気か。この国大丈夫なの?)
「何か不都合でも?」
「不都合。不都合だらけなのですよ」
男の目つきがまた、あの猛禽類のように鋭く光る。
吉乃は勢いよく立ち上がって後ずさった。
がさり、と何か落ち葉のようなものを踏む感触がする。
そういえば先程から足元になにかがあるとは思っていたが、あいにく今は視線を落としている暇はなさそうだった。
踏みしめるために、花のような、それでいて清涼感のある香りが当たりに広がる。
「全く。あの聖女にしろお前にしろ、異世界の女というのはどうしてこうも生意気なガキが多いのか分からんよ。お前らのような下賤な輩に頭を下げなければならんというだけで虫唾が走る。この私を何だと思っているんだ」
「勝手に呼び出したんでしょ、それなのにあなたは何を言ってるんですか……!?」
「呼び出したさ。品性も知性も感じられない、取り柄は浄化の血と白銀の髪だけというドブネズミのような糞女にのぼせ上がったおぼっちゃんのためにな。あれは第1王子のもので手に入らないと分かっているはずなのだが……聖女の負担を少しでも減らしたいと健気にも奔走中だ。第3王子の怒りを買うと分かっていて月光花を盗んでまでこんな馬鹿げだ儀式まで秘密裏に行ってな。哀れなものよな。だがしかしこれも命令なのだよ。もう一度聖女を呼び出し、浄化の血を搾り取ったら亡骸を生贄にして東で暴れている龍を退治せよ、とな」
「は……?」
いつの間にか包囲網は狭まり、吉乃は逃げ場を失っていた。
「つまり私は、聖女とやらの代わりに殺されるってこと!?しかも……理由がバカ王子の勝手な片思いのせいでってこと!?」
アンブローズの手にはいつの間にか短剣が握られていて、刃には無数の青い線が走り、血管のように脈動している。
「その通りだ」
アンブローズの目は短剣に注がれている。おぞましい手付きで刃をなでている。
「美しいだろう?私は聖女の血とやらは好かんが、こいつが人の血を数瞬間はとても好きなのだ。青い刃が徐々に赤く染まっていく様はーー」
「ざっけんな!!変態!!馬鹿!!ハゲ!!死ね!!」
逃げ出そうとする吉乃の両脇を男たちがしっかりと抑え込む。
「聞くに耐えん」
(なんで、どうして)
どうしていつも誰かの代わりの不幸を背負いこまなければならないのだろう。泣きそうになりながら吉乃は思った。
だが、そんなことを口に出したくはなかった。
(そんな弱さを見せるぐらいだったら、死んだほうがマシだ)
そうでなければ、あまりにも自分が惨めで可哀想ではないか。
どんな理不尽な状況でも最後まで自分は不幸だったなんて思いたくないから、戦う。
春鳥吉乃はそういう強さを持った人間だった。
それが全てにおいて良い方向に向くか、と聞かれればYESとは一概に言えないのだが。
「呪ってやる……私が死んだら絶対化けて出てやるからあー!!」
全身を使って抵抗するも、男たちには全く歯が立たない。
「……アンブローズ様、第3王子が感づく前に……」
「分かっておる」
刃が吉乃の首筋に伸びる。
「う……」
チクリ、と痛みが走る。冷たい刃の切っ先の感触と、そこから何かがいや、血が吸われている感覚。
アンブローズが薄い唇を歪めて酷薄に笑う。
「や、やめてえええええ」
吉乃が上げた叫び声に反応するかのように辺りに青白い光が満ちる。
足元から漂う芳香が強くなる。
その瞬間ーー。
初めに起きたのは爆音、そして体が吹き飛んだのに気づいたのはしこたま床に全身を打ち付けた痛みが襲ったからで、吉乃の首筋にも刃はもうなかった。
代わりに視覚と聴覚に飛び込んできたのは、ひしゃげた大聖堂の扉らしきものと、飛び散る精細な彫刻の破片と、新たに登場した男の怒号。
「さて、誰から先に死ぬカ?まあ誰からでも同じことだけどネ。私の研究室から物盗んで、バレないと思ったカ」
「だ、第3王子……!!これには訳が、あ……?エ」
アンブローズをかばうように立ち上がった男の動きが不自然に止まる。
「なん……なんな……」
男の足もとから伸びている蔦のような植物が男の動きを止めている。
(床から植物……じゃない……なにこれ……)
植物は、床からではなく男の足から生えていた。
「お許しを……!!お許しを!!」
周りの男達は土下座して許しを請うが、新たに現れた第3王子は全く言葉が聞こえていないかのように振る舞う。
「ゴミがゴミを庇う……アンブローズ、麗しい忠誠ではないカ?お前はどうカ?」
「あ、あなた様にーー」
「誓われても困るヨ」
アンブローズの言葉を一刀両断すると同時に、同じ植物がアンブローズから生えて動きを封じた。アンブローズの取り落した杖の音が虚しく響く。
いつの間にか全てを拘束された男たちは徐々に体の水分がなくなっていくかのように干からびていく。
「人中花、お前のお気に入りの玩具と似たようなものヨ。ただしこれは外側からではなく、内側から吸い殺すがネ。私の素晴らしい研究をその身で体感できて嬉しいだろウ」
吉乃は男たちをみて顔を青くする。
(これ、死んでる!!!??? ていうか研究って、コイツまさか……)
「さて、お前はどうしようかネ。お前のせいで東から取り寄せた月光花、全ておじゃんヨ」
吉乃は歩み寄ってくる先程まで逆光で姿の見えなかった男と対峙した――あっさりと人を殺した男への恐怖が男のその容姿によって驚きへと変換されていく。
男は、明らかにアンブローズ達とは違っていた。
雰囲気もそうだったが、何よりもーー「あなた、日本人、ですか……?」
自然と問いが漏れていた。
男の容姿は吉乃のような、東洋人のそれに酷似していたからだ。
長く伸びた黒髪を後ろで束ね、吊り目がちの涼し気な切れ長の瞳は黒く、日本人というよりは中華系なのかもしれないと吉乃は思っていた。
そう思ったのは何よりもその服装もどこか中華圏と着物を織り交ぜたような形の服は黒を基調にところどころ赤が散りばめられていた。
だが男はどこか不健康そうで、痩せぎすの体は酷く青白かった。
「日本人?違うネ。お前達はそういった国から来たカ。アレが連れ回している聖女には興味がなかった……容姿もよく覚えていない。だが、そうか、この馬鹿騒ぎを起こしてまで聖女を東の国へ意地でもいかせまいとする連中の浅はかな考えが読めたヨ」
男は手のひらで透明なクリスタルのような球体を弄ぶ。
これが先程の爆発の元凶かと一人で納得している男に吉乃は身構えた。
(さっきの連中よりも話は分かる、のかな……それにこの人第3王子って呼ばれてたってことは権力もあるのよね!?私を帰してくれたり?)
「あの、わたし、」
「帰さないヨ」
「えっ」
「異界へは帰さない、というよりは帰れないのだがネ」
吉乃の考えを先読みしたかのように男は答える。
「それは、なん「問題は3つヨ。第1に儀式の方法を私が知らなイ、興味もないよ。第2に私は貴重な月光花を盗まれて腹が立っているーー」
「ちょっ……聞けよ人の話」
男のたどたどしい言葉がだんだん流暢になっていく。
(怒ると饒舌になるタイプ……)
「第3にだね、異界からきた面白い実験動物を目の前にしておとなしく帰すような真似をすると思うのか?これで月光花の件は帳消しとはいかないが、退屈しのぎぐらいにはなるね」
三日月のような笑みを浮かべる男に吉乃は叫んだ。
「この世界には、いやこの世の男はすべて私の敵なのか!? ざっけんなマッドサイエンティスト!!誰が知らない女のために生贄に!?誰が趣味の悪い研究の実験動物に!?なりたいと思うのか!!答えろモヤシ!!!!」
「もやし、が何かは分からないが罵倒されていることは分かるネ」
「私を殺しても何の得にもならないんだから!!」
「まあそうだろうネ。歴代聖女の体が特別だったなどという文献は残っていないしネ。ましてやお前は聖女ですらない、呼び出されたただの下女以下……なおさらそうヨ。哀れ哀レ」
「あっさり認めるなよ!!役に立つかもしれないでしょ!!あと罵倒をさらっと挟むな!!」
「解体されたいのカ。お前積極的ネ」
「そうじゃなあああああい!!それにさっきからお前お前言わないで!!私の名前は春鳥吉乃!!」
「?すぐ消える人間の名前なんで覚える必要ある?」
首をかしげる男の素直な疑問に吉乃は長い今日という日の中で一番傷ついてしまっていた。覚える必要のない名前、いらない存在。
「そうね、誰も私の名前なんて覚えてくれない……いつだってそうだった」
「泣き言、「私は妹の代わり、周りの人間からしたら妹の周りについてる邪魔な虫、妹と仲良くなるための踏み台」
嫌なことというのはいつも一つの言葉から始まって連想ゲームのようにつながっていき、心のなか全体をチクチクと痛めつけるのだ。
「今は顔さえ知らない聖女の代わりよ。そんなの慣れてる、慣れてると思ってきた……だけどね、私にだってプライドがある。可愛い妹のためならまだしも、見知らぬ世界で見知らぬ人間の代わりに死ぬなんて、まっぴらごめんよ。私は何時だって私に出来ることをしてきたんだから」
吉乃はアンブローズの落とした杖を拾って構えた。
(一発、一発ぐらいは絶対に殴ってやる)
また花の香が強くなっている気がした。
男は縛りきれていないサイドから漏れた黒髪を酷く怠惰な様子ですいた。
「……ふむ。そうカ……お前を力づくで黙らせることなんて簡単ヨ」
「やってみなさいよ、限界まで抵抗してやるんだから」
指先の震えが杖に伝わっているのは丸わかりだった。
「で、何が出来るネ」
「えっ」
予想外の問いに吉乃は口を開けてしまった。
「阿呆面をするなヨ。啖呵切った『私に出来ること』何カ」
「えっえっ……」
「3,2、「料理!!料理が出来る!!家事は得意!!」
自分で行っておきながら吉乃は後悔していた。
(こんなときに出る言葉が家事とか料理って所帯臭すぎ……かっこわる……)
「じゃ、それでいいヨ。付いてこい」
吉乃に背を向けて男はあるき出した。
あまり展開に呆然と立ち尽くす吉乃に男は続ける。
(実験回避したの!? なんなのこの変わりようは!?)
「気が変わ「行きます!!どこまでも付いていきます!!」
(もう考えるのをやめよう……わけがわからないわ)
だけど、嘘を付いて利用しようとする連中よりはマシ。殺されるならありのままを告げられて殺される方がまだ良い。
(殺されたくはないけど)
男の細い後ろ姿を追って、吉乃は今更思いついたことをいう。
「あなたの名前は?」
「リーウェン」
(やっぱり……東洋系の名前……?)
「私は春鳥吉乃、宜しくおねがいします」
「殺されかけたのに呑気なやつだネ」
「すぐ暴力に訴えるどこかの国のどこかの誰かさん達と違って礼儀は持ち合わせていますので」
「殺すヨ」
「あ、やめてやめて!!」
無表情でこちらを眺める男にギブアップ、と両手を上げると、吉乃は暗い大聖堂から光の方へと歩き始めた。
次に行く場所がここよりも息苦しくないといいな、と思いながら。